神の前でその真実の愛を誓えますか?
公爵令嬢と第二王子の婚約が破棄された。
原因は、公爵令嬢ユーフェリアに横恋慕した男爵家の子息がユーフェリアを襲い純潔を散らそうとしたからだ。護衛に救われ未遂であったものの、醜聞である。公爵家と王家で密かに話し合いがおこなわれ、婚約は破棄されることとなったのだ。
そして、傷心のユーフェリアは幼馴染みの子爵家の子息サイモンに慰められ立ち直り、二人は婚儀を結ぶこととなった。
そもユーフェリアを救った護衛がサイモンであり、その後も打ちのめされたユーフェリアを支え続けたのもサイモンであった。また、恥となるような悪い噂が流れてしまったユーフェリアにはもう高位貴族との縁談は望めない。それらが後押しとなって身分差はあるが、ユーフェリアを溺愛していた父親の公爵は二人の婚姻を認めたのであった。
そして、日向と日陰の境界が動く日時計のように音もなく、ユーフェリアを襲った子息の家は没落した。当然の結果といえるが、子息は最後まで無実を叫んでいた。男爵家の家族も誠実な人柄の子息の無実を信じて、共に王都から出て行ったのであった。
側仕えの女性神官から王都で一番の話題である、とその話を聞いた聖女は好奇心で瞳を輝かせた。
「それって明日、大聖堂で結婚式をする公爵家のことね?」
「はい、聖女様」
「楽しそう。明日の予定を変更してくれる? 祝福を授けてあげるわ」
「え?」
しまった、という顔を女性神官がする。何にでも首を突っ込みたがる聖女の性格を失念していたのだ。聖女が退屈そうにしていたので、神官見習いから聞いた王都の最新スキャンダルを暇つぶしに話してしまったのである。
「しかし明日は」
あせる女性神官の言葉を遮って聖女が言った。
「大丈夫、大丈夫。ちょっと顔を出すだけだから。神様への祈りの時間を変更なんてしないわ。それと暗部を呼んで。その話の調査をしてもらいたいの」
ということで翌日。
聖女の祝福を受けられると知らされた公爵は大いに喜んだ。祝福によってユーフェリアの醜聞が払拭されることを期待したのである。
ユーフェリアとサイモンの顔も明るい。
祝福は最大の吉事である。晴れやかな門出に相応しい好事であった。
早春の冷たい風が吹く。
春の薄衣を一枚まとっただけの、まだ春の温かい陽気には遠い冷え冷えとした風であった。
大聖堂のステンドグラス越しの光は、光輝だけではなく神聖な色の層を帯びていた。七色の虹のように。赤、橙、青、藍、緑、紫、金色。美しく清らかに、石の床に光の花を描いている。その上をユーフェリアとサイモンは歩き、光の花を揺蕩わせた。
神像の前には聖女が立っていた。
王国では神を深く崇拝しており、聖女は人々の信仰心の象徴であり神の愛し子であった。しかも50年ぶりの聖女である。人々の敬愛は厚かった。
「神の言祝ぎを授けよう」
聖女がユーフェリアとサイモンに視線を向ける。その瞳が興味深そうに輝いていることに、側で控える女性神官は気付いた。
「だが、神は清らかな人間を愛でる。汝ら、清廉潔白であるか? その身に罪はないか? もし罪人であるならば神の怒りが落ちるであろう」
ビクッ、とユーフェリアとサイモンが震えた。
女性神官も首を傾げる。
赤子ではないのだ。生きていれば法で裁かれる範囲ではないレベルの、自覚のある無しに関わらずそれなりに罪は重なっていく。ましてや清濁併せ呑む貴族社会においては発覚しない罪は多い。
ゆえに聖女が、このような問いかけをすることは珍しいのだ。
「答えよ。汝らは罪なき者であるか?」
ユーフェリアとサイモンは答えない。答えられない。沈黙がユーフェリアとサイモンの答えとなった。
スキャンダルがあったとはいえ、公爵家の結婚式である。参列者は大勢いた。その視線が黙ったままのユーフェリアとサイモンに集中する。
ザワリ、と人々が蠢いた。
返答しないユーフェリアとサイモンに、人々は小声でお互いに囁きあいをはじめる。
カツン、と聖女は持っていた杖を鳴らす。両目は瞬きをしていなかった。
「では問う。カペラ男爵家のベンジャミン殿に罪があったのか、答えよ」
ユーフェリアとサイモンは真っ青になった。
しかし聖女は容赦しない。
「神の前で宣誓せよ。ベンジャミン殿が本当にユーフェリア嬢を襲ったのか、はっきりと述べるがよい」
「あ……」
喉の奥から絞り出したユーフェリアの声は不明瞭で言葉にはならなかった。
ユーフェリアは自分の罪を知っている。
ベンジャミンは無実だ。
公爵令嬢としての義務も責務も理解していた。他の令嬢たちの模範となるように礼儀正しく社交界で立ち、婚約者の第二王子と信頼関係もあった。
それでも秘密の恋に溺れた。
恋人のサイモンと結ばれたかったのである。
だから選んだ、弱い存在を。
駆け落ちという選択によって困窮する生活に落ちることなく、貴族の身分のまま裕福に暮らす策の生贄とする何人かの候補を。
ベンジャミンはその一人だった。
カペラ男爵家は領地もなく、宮廷での地位も低い官僚の法服貴族であった。ベンジャミンも物静かで目立たない人物だった。
たまたま王宮の廊下ですれ違っただけであった。
たまたま人目がなかった。
たまたま近くに空き部屋があった。
その場所にいたのはユーフェリアとサイモンと、そして贄としてぴったりのベンジャミンの3人だけだった。
好機だと、ユーフェリアは思ったのだ。
ベンジャミンが何を言おうと。
カペラ男爵家が反抗しようと。
公爵家の権勢で押し潰すことができる、とユーフェリアは判断をしたのである。
瞬時の出来事だった。
とっさにサイモンがベンジャミンの頭部を剣の鞘で打って意識を失わせて空き部屋に引きずり込み、ユーフェリアが自身でドレスを破って悲鳴を上げた。昏倒しているベンジャミンのことは、サイモンがユーフェリアを助けるために一撃したのだと証したのだ。
そうしてユーフェリアの望む通りとなり、罪を背負ったベンジャミンとカペラ男爵家は王都を去った。もう真相は闇の中に沈んで二度と浮上することはない、と思っていたのに。
まさか。
ここで。
聖女が。
祝福があるように、この世界では天罰もあるのだ。
神の天罰は、軽い罰で半顔を焼かれて、神の刑罰であると示すために悪臭を放つようになるのである。
ユーフェリアはあえぐみたいに口を開き、また閉じた。
神の前での偽証は天罰に直結する。恐ろしくて口を開くことはできなかった。
「困難を乗り越えた真実の愛と評判ぞ。さすれば、誓ってみせよ。神の前で真実の愛を誓うがよい。ベンジャミン殿に罪があり、汝らは青天白日であると」
ドン! と聖女が杖で床を叩く。聖女の双眸が燐光を放つ。魂の奥底まで貫き通すかのような視線がユーフェリアとサイモンを捉えた。
「誓えっ!!」
聖女の声が空気をビリビリと震わせた。
大聖堂に凛とした緊張が走る。引き絞られたかのような空気が肌にピリリと痛みの錯覚を与えた。
ユーフェリアもサイモンも公爵も参列者たちも全員が聖女の威光に身を硬くする。
グラリと足元が崩れる感覚に、ユーフェリアは目眩がした。耐えきれずに膝が床につく。
サイモンも背中を丸めて俯いた。
そんなユーフェリアとサイモンの姿に、公爵と参列者たちは目を見開いた。
「……もしや、冤罪なのか?」
公爵の呟きは祈りのようであった。誓うと言ってくれ、と。
詳しく調査もせず、ユーフェリアとサイモンの証言だけを信用してベンジャミンを断罪したのだ。公爵の驚愕は激しかった。
しかし公爵を責めるのは難しい面もあった。
片方が被害者として泣いて。
片方が無罪を主張しても。
どちらも決定的な証拠と証言がない状態であったのである。『ある』ことよりも『ない』ことの証明の方が難問であり、『悪魔の証明』に等しいのだ。天秤が心情と権力に傾くのは自然な流れといえた。特にユーフェリアは狡猾にも衣服を乱し泣きぬれた様相で騒いだので、集まった王宮の侍女たちの目撃証言もあったのだから。
身を折ってうずくまったまま震えているユーフェリアと汗でべっとりと髪が濡れて顎まで流れ落ちているサイモンを、大聖堂中の視線が矢のごとく貫く。
公爵は血管が浮き出るほどに拳を握りしめ、目を吊り上げていた。
「誓えぬようじゃな。ならば妾の役目は終わりぞ。皆のもの、妾の祝福を必要としない結婚式を続けるがよい」
白い衣装を翻し、聖女が扉から出て行く。後方を大聖堂の全ての神官たちが続いた。
式を司る神官までもが大聖堂から消えてしまったのだ。参列者の冷淡な目もある。結婚式を継続できるはずもない。
何よりも公爵の怒りが凄まじかった。
「お、お父様……」
縋りついてきたユーフェリアの手を公爵が払い除ける。公爵の目は憤怒の色に満ちていた。
「もはや娘ではない! 公爵家から除籍する! サイモンともども野垂れ死ねっ!!」
公爵の怒声が雷のように大聖堂に響いた。
「誰ぞ! この娘から宝石もウェディングドレスも剥ぎ取れ! よくもよくも公爵家の名を穢す振る舞いをしてくれたな、許さん! 靴すら与えるな、麻袋を被せて身一つで放り出せ! 罪人の焼印も押せっ! サイモンもだっ!!」
後ろからユーフェリアの悲鳴と人々の怒号が響いたが、聖女は歩みを止めなかった。
聖女たちが進む廊下の端の端で神官見習いが土下座をして平伏をしていた。13、14歳ほどの年齢の少女だった。
「恐ろしい人や厳しい人に逆らう人は少ないけど、優しい人や愛情深い人を傷つける人は多い。優しいから、慈しみの心がある人だから、許してもらえると思うのかしらね。それに弱い立場の人に対しても。見下して踏んでも、反撃されることはないと思うみたいだけど、石を投げた人は石を投げたことを忘れても石を投げられた相手はそのことを忘れないという事をわかっているのかしら?」
聖女は女性神官を見て言った。杖の先端の金具がシャンと音を立てる。
「私、このような性格ですもの。神官見習いも私の性格に賭けたのでしょう」
「神官見習いが何を?」
女性神官が聖女に尋ねる。
「あの話、神官見習いから聞いたと言っていたでしょう? 神官見習いは細い蜘蛛の糸のような可能性に賭けたのよ。私の耳に届いて、ユーフェリアとサイモンが裁かれることを。彼女は冤罪をかけられたベンジャミン殿の妹よ」
「えぇ!?」
あんぐりと女性神官は口を開けた。
聖女は神官見習いに近寄ると声をかけた。
「頭をお上げなさい」
涙を溢れさせた神官見習いが聖女を見上げた。
聖女の前だからと姿勢を正そうとするが、ヒックヒックと涙が止まらない。
それでも精一杯の感謝を捧げて言葉を綴った。
「ぜ、聖女様、ヒック、ありが、ヒック、ありがとぅ、ございます……」
むせび泣きつつ、声を詰まらせて神官見習いが繰り返す。
「ありが、とぅ、ございます! ありがとうござい、ますっ! ありがとうございますっ、聖女様あぁぁぁ……!」
何度も何度も言葉を織る神官見習いに聖女は微笑んだ。
「辛かったでしょう。本当に頑張ったわね」
聖女の言葉に神官見習いの涙腺が決壊する。
わあぁぁん、と泣く神官見習いの頭を聖女が優しく撫でると一層わあぁぁんわあぁぁんとボトボトと涙を落とした。
「偉かったわね。いい子いい子」
聖女は神官見習いが泣き止むまで、ずっと抱きしめていたのだった。
ちなみに聖女は10歳。
抱き合う2人は小鳥が寄り添っているみたいにちんまりと可愛らしかった。尊さ百億点、と女性神官が悶えたことはナイショである。
風は冷たいが、空は澄み渡って晴れていた。
日差しは柔らかく、土は色を深め、冬とは異なる色彩豊かな花々は咲き始めている。
フェアリーサークルのような陽だまりに春告鳥が緑の草と戯れていた。春の立つ気配が近かった。
この後、神殿の入り口には聖女の発案で投書箱が設置されることとなった。
管理は聖女庇護下のカペラ男爵家に任され、責任者のベンジャミンは実直に真摯に務めた。
一部の貴族は聖女の姿に戦慄して身を隠す者もいたが多くの貴族たちは、天に目あり、と心構えを改めて善政を施した。
そうして、神に深く愛された聖女のいるフィリス王国は安寧の地として長く繁栄をしたのであった。
読んでいただき、ありがとうございました。
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「婚約破棄された令嬢が「私は、お飾り妻ですよね?」と言ったら、恐ろしい笑顔の新しい婚約者に100キロの純金ドレスをプレゼントされてしまいました」が一迅社様からコミカライズされて、4月1日からコミックシーモア様にて先行配信されます。2ヶ月後に他の電子書籍店様で配信予定です。
漫画は、いなる先生です。
いなる先生のコリーヌは春の陽だまりような雰囲気の林檎の花みたいに可愛いです。もちろんロドヴィークは凄くカッコイイです。
短編のコミカライズなので1話と短いですが読みやすいので、どうぞよろしくお願いいたします。
「永遠に生きていてほしい」がムゲンアップ様の「初夜に「愛することはない」と言った旦那様が、私にご執心なんですけど!?アンソロジー」にてWebtoonしました。Renta!様にて先行配信しています。
どうぞよろしくお願いいたします。
「ララティーナの婚約」の電子書籍の方の連載がマグカン様で現在無料で読めます。2話目後編では、幼少時のララティーナとヴァドクリフがすれ違うせつないキュンキュン場面があります。
漫画は、カ加羽先生です。
どうぞよろしくお願いいたします。




