転生モブ令嬢に悪役を演じさせたら
タイトルを「転生モブ令嬢が悪役を演じさせられたら」から変更しました。
人生というのは、本当にろくでもない時に限って転機を迎える。
例えばブラック企業での連勤明け、残業後の深夜の交差点でトラックにぶち当たるような──つまり、今の私のことだ。
──ドンッ
ブレーキ音と衝撃のあと、気がつけば 私の視界は、真っ白に塗りつぶされていた。
次に目を覚ました時、目の前に広がっていたのは──やけに特徴のない部屋が広がっていた。
天井は木目のシンプルな板張り、カーテンは薄い生成色。
家具も必要最低限で、どこをとっても「普通」以外の言葉が出てこない。
病院ではないのだろう。
ただ、目に映る光景はあまりにも“印象がなさすぎて”、逆に胸の奥に妙な引っかかりを残した。
(……この既視感、なんだろう)
ぼんやりと天井を見つめているうちに、嫌な汗が滲む。
この空間、見覚えがある。というか──見すぎている。
そう、これは……。
(汎用背景……だ……!!)
ヒロインの実家にも、取り巻き令嬢の屋敷にも、婚約破棄の夜会控室にすら使いまわされていた、“あの”背景。
──つまり
(悠久のオラトリオ……!!)
かつてやり込んだ乙女ゲームの、どうでもいい背景部分が今、目の前にある。
よりによって、ヒロイン邸でも王宮でもない。背景素材そのまんまの屋敷だ。
(……つまり、お約束的な──異世界転生ってこと!?)
鳥肌が立った。
いや、これは夢であってほしい。
でも、枕の感触も、シーツのきしむ音も、やけにリアルだ。
──つまり、これは現実ってことらしい。
***
私、月見里 希愛、二十七歳、元会社員。
ブラック企業で連勤続き、過労と残業でヘロヘロになった帰り道。
トラックとぶつかって、気がついたらこの部屋だった。
どう考えても異世界転生である。
しかも転生先は『悠久のオラトリオ』──徹夜で何週もプレイした乙女ゲーム。
……ただし、どうやらモブ。
ヒロインでもなければ、取り巻きでもない。 悪役令嬢でもない。
ゲーム中のイベントスチルでたまに背景に映り込む程度の令嬢。
にぎやかし程度に描かれる地方貴族の地味な三女。
つまり、物語のメインルートに一切関係がない人間だ。
(最高じゃん……!)
ヒロインたちの波乱万丈を最前列で見物しながら、のんびり貴族生活を謳歌する。
第二の人生は、穏やかに紅茶とスコーンで幕を閉じる予定だった……はずだった。
……はずだった、のだ。
***
ある朝、鏡の前で髪を梳いていたとき。
部屋の空間が、ぐにゃりと歪んだ。
「やあ」
ぬっと現れたのは、くたびれたスーツを着た半透明の……おっさんだった。
自室に見知らぬおっさん。しかも半透明。 これは状況としては最悪だ。
私は固まる。悲鳴すら出ない。
「はじめまして。いや、はじめてでもないかな……、ともかくよろしく」
「……どちら様で」
「管理人だよ」
にゅっと笑うその顔には、長年の労働で削られたような疲労感が滲んでいた。
なんとなく親近感を覚える。
「悪役令嬢、逃げちゃったんだよね」
「…………は?」
耳を疑う私をよそに、管理者を名乗るおっさんは淡々と語る。
卒業夜会で行われる断罪イベント。それがこの物語のクライマックス!
本来なら悪役令嬢イザベル・ロザリンドが断罪され、王太子との婚約が白紙となり幕引き── だがそのイザベルが、直前に姿をくらましたらしい。
「で、穴が開くのは困るわけ。神々が退屈しちゃうから」
「神々?」
「キミたちを見てる観客さ。……まあ気にしなくていいよ」
気にするなと言われても無理である。
だが続いた言葉は、もっと意味不明だった。
「でね、代役をお願いしようと」
「…………ん?」
モブ令嬢である私が、よりによって悪役令嬢の代役?
それ、断罪確定じゃないですか。
「大丈夫、ほら。死なない。痛くない。ホワイト。……って契約書にも書いてあるし」
「書いてあるしって、そもそも契約書って何!?」
必死に拒否する私に、おっさんは淡々と 契約書を差し出した。
いざというときの代役。その時はフォローする。対価は、転生先での安心安全のんべんだらり。
うっすら思い出す。
真っ白に塗りつぶされた世界で、このおっさんが提示した契約書に思わずサインしてしまったことを……。
「でね、いまが、いざというときなんだ」
契約書をぴらぴら振るおっさんを睨みつけるが、どうしようもない。
***
こうして、私の地獄のような七日間が始まった。
おっさんの手配した『悪役令嬢養成特訓』──内容は、主に立ち居振る舞いだ。
歩き方。笑い方。高慢な視線の送り方。
首の角度はもう数度上に。笑うときは片眉をあげる。扇は軽く叩く。
悪役令嬢は演じるものなのだと、講師の女性は笑った。
「……ねえ、おっさん」
「どうした?」
「このギブス……本当に必要?」
「特訓と言ったら悪役令嬢養成ギブスさ、神々も笑ってたぜ」
「……ナグル」
私は毎晩ベッドで枕を殴り、そして翌朝ドレスを着せられる生活を続けた。
そして、とうとうイベント当日。
「改変の強制力で、みんなキミが悪役令嬢って認識してるから、張り切って行こう!」
「……胃が痛いです」
「大丈夫大丈夫。神々が見てるだけさ」
緊張で顔が引きつる私を前に、おっさんはいつも通り軽口を叩く。
……神々とか、そういうメタい話は本当に怖いからやめてほしい。
控室の扉の向こうでは、夜会の音楽が鳴り響いている。
私は深呼吸をした。肺が縮こまるほどに緊張している。
「ブラック仕込みの開き直り、見てなさい……」
小さく、震える声で呟いた。
そうでもしないと、足が前に進まなかったから。
***
「キア・セレナヴィル。君との婚約を破棄する!」
王太子エリオット・アステリオの声が響き渡る。夜会の会場はしんと静まり返った。
天井のシャンデリアがまぶしく、ざわめきが波紋のように広がる。
ヒロイン、リリィ・フォルモーサは大きな瞳を潤ませ王太子の腕にしがみつく。
まさにゲームの“名シーン”そのままだ。
膝が小さく震える。 名シーンを楽しむ余力なんてなかった。
「……そうですか。わかりました」
静かに、絞り出すように言う。
この台詞はレッスンではなかったけれど、私の人生経験が勝手に口を動かしていた。
積みあがった業務を目の前に、理不尽に新たな業務を丸投げされた時とよく似た、あの心の空虚さ。
「ちょっと!シナリオと違う! もっと泣いたり怒ったりしてよ!!」
背後で、半透明のおっさんの慌てた声が聞こえる。
「神々が退屈するだろ!」
知らんがな。
私は一礼し、静かにその場を去った。
***
会場を抜けた先にあるビュッフェホールでは、煌びやかなデザートが並んでいた。
もう、知らない。
震える手でケーキを一切れ取り、フォークを突き立てる。
クリームが、ほんのり甘い。
生き返る。
……なんだこれ、めっちゃ美味しい。もう一口食べる。
断罪されたけど、もう他人事だった。
「ちょ、キミ! 神々が!」
「うるさいです」
甘いケーキを噛みしめながら、おっさんの声を華麗にスルーする。
これが、やりきった大人の味だ。
***
夜会が終わり、私はやっと息をついた。
これで代役の契約も終わり……安心安全のんべんだらりな生活に戻れる……はずだったのだが。
「いや~、悪役令嬢、やっぱり捕まらなかったんだよね」
「…………」
「というわけで、しばらく続投よろしく!」
おっさんが契約書を取り出す。
私は泣きそうになりながら、条件交渉を始めた。
「残業代を支払ってください。有給休暇も」
「えぇ~~……」
「じゃなきゃやりません」
しぶしぶ頷くおっさん。
その顔に、一瞬だけ“悪い笑み”が浮かんだのを、私は見逃さなかった。
***
「ちなみに、今度は取り巻き令嬢も用意したから」
契約の更新にサインした直後、おっさんはさらっと言った。
私は少しだけ胸が軽くなる。
──味方。
このブラックな環境に味方ができるなんて、ちょっと嬉しい。
友達になれたらいいな。
扉が開いた。
足音が響く。一歩、二歩。
空気が、ぴんと張り詰めた。
「ごきげんよう」
そこに現れたのは、イザベル・ロザリンド。
本来なら断罪されるはずだった、本物の悪役令嬢。
完璧な姿勢で歩み寄り、彼女は片目をウインクして、舌をちろりと出した。
「え……え?」
「紹介しよう、新しい取り巻き令嬢だ」
「取り巻きの顔じゃないぃぃぃい!!」
「わたくし、“取り巻き令嬢”ですわ」
「どこが!?」
抗議する間もなく、おっさんは契約書をひらひらと振って、そそくさと去っていった。
「おっさあああん!!」
残された私は、目の前の本物の悪役令嬢を前に、魂が抜けそうになる。
「ふふ、仲良くしましょうね」
こうして、私の悪役としての日々は終わり、新たな日常がやってきたのだった。
「……ブラック企業よりブラックじゃんーーー!!」
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