8 ベアトリーチェ、誤魔化す
おそらくは、シルファニアも洗脳蟲の支配下にある。
幼い王女までその毒牙にかけるサイアリーズに、ベアトリーチェは怒りで首の裏側から後頭部にかけてがちりちりするのを感じた。
「シファを離せ!」
「妹を殺されたくなければ、剣をおろせ」
エルシオンは剣を手放す。カランと乾いた音をたてて床に落ちた剣からは、エルシオンの魔力が抜け落ちて纏っていた炎が消え失せる。
「よくも私の手を切り落としてくれたな、エルシオン。私は昔から、お前のことが気に入らなかった。まだガキの分際で、大人を馬鹿にしたようなその目が、憎たらしくてしかたない!」
サイアリーズの周囲に飛び回っている洗脳蟲が、エルシオンに向かっていく。
洗脳蟲たちの口がぱかりと開き、エルシオンの体にかじりつく。
頬や腕や、脇腹から、エルシオンはだらだらと血を零した。それでも、彼は膝をつくことなく、呻き声をあげもせずにサイアリーズを睨みつけ続けている。
「──許せない」
気づけばベアトリーチェはぽつりとそう呟いて、立ちあがっていた。
こっそり助けようと思っていた。だが、怒りが抑えられそうにない。
大人とは、本来子供を守るべき存在だ。守り導くために、子供の見本になるように生きなくてはいけない。
それなのに──サイアリーズは、本来ならば王国を守らなくてはならない立場の人間なのに。
なんて、卑怯で、卑劣で。
かつてクリエスタを陥れた者たちのように──人としての道を踏み外した、最低な男だ。
「リーチェ、駄目だ! 君は逃げろ、逃げて助けを呼べ……!」
「それには及びません」
「動くな、役立たずめ。シルファニアが死んでもいいのか!?」
「子供を人質にとるなど、この世で一番最低な行いだと思い知りなさい」
ベアトリーチェは怒りに満ちた瞳をサイアリーズに向ける。
両手を突き出すと、感情の波に呼応するように嵐のように滾る魔力が手のひらに集まってくる。
「慈悲などない。あなたを、許さない」
かつてクリエスタは、人に対して魔法を使用するのを禁じていた。
クリエスタは自分の力が強大であることを自覚していた。その力は国王陛下のためにふるうものである。他者に危害を加えてはいけないと、どんなことがあっても、誰かを傷つけたりはしなかった。
だがもう、ベアトリーチェはクリエスタではない。
誰かのために、怒りのままに、思う存分力を使うことを自分に許可した。
──それは魔物のようにたちが悪い人間もいると、よく理解したからだ。
「拘束の黒澱!」
効率化を目指すために開発をした短い詠唱とともに、シルファニアを掴んでいるサイアリーズの手に、泥でできた黒い茨がぬるりと絡みつく。
それは一瞬のうちに硬化して、サイアリーズの腕に鋭い棘を突き刺した。
「エルシオン様!」
「あぁ!」
エルシオンが、激痛によって拘束がとかれて落下するシルファニアを受け止める。
「影の呪縛、そして、人の痛みを知りなさい、炎の円舞!」
王と王妃がベアトリーチェに向かって来ようとする。
ベアトリーチェは同時に三つの魔法を構築した。
泥の茨、そして、王と王妃の影を操り彼らを拘束する足止めの魔法、それから炎の攻撃魔法。
王と王妃の影がぬるりと起き上がり、背後から彼らを羽交い絞めにする。
サイアリーズの足元から噴き出して、まるで蛇のように彼に炎がその巨体に絡みついた。
「ぐぎゃああああああっ」
胸が悪くなるような断末魔の叫び声をあげながら、サイアリーズの体が炎に焼かれる。
炎がおさまり、サイアリーズはどさりと床に倒れ伏した。
同時に、王と王妃がその場にふらりと崩れ落ちる。
エルシオンの腕の中でシルファニアが、まるで長い眠りから目覚めたように、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
部屋を飛び回っていた洗脳蟲の姿はもうない。宿主であるサイアリーズが倒れたことで、その力を失ったのだろう。
「お兄様……」
「シファ、無事か!? 怪我は……!」
「私は大丈夫。お兄様、ひどい怪我……っ」
「大丈夫だ。俺の婚約者のベアトリーチェが、君や父や母を助けてくれた。……ありがとう、リーチェ」
王と王妃の無事を確認していたベアトリーチェに、エルシオンが膝をついて頭をさげる。
シルファニアはエルシオンの腕の中から降りると、ベアトリーチェに抱きついた。
「ありがとう……お姉様。私、体の中から見ていた。お兄様が戦っているところ、お姉様が、すごくすごく、すごーく強いところ!」
「あ……あの、その、ええと、それは、ですね……」
きらきらした瞳をシルファニアから向けられて、ベアトリーチェは焦った。
怒りのままに、思う存分魔法を使ってしまった。隠しておくつもりだったのに──。
「……あぁ、なんてことだ。エルシオン、シルファニア!」
「二人とも、ごめんなさい……私たち、ずっと、サイアリーズに操られていたのね……」
国王と王妃が起き上がる。シルファニアはベアトリーチェから離れると、母にしっかりと抱きついた。
彼らはベアトリーチェに深々と礼をした。
「ありがとう、ベアトリーチェさん。さすがはアリステリア家の娘だ。あのような魔法を見たのは、はじめてだ」
「操られてはいたけれど、見えてはいたの。心の中で、意識が檻の中に囚われているような感覚だった。何もできなくて、助けを求めることも、抵抗もできなかった」
「サイアリーズは魔物を使い私たちを操り、思うままに政治の実権を握っていた。湯水のように金をつかい、その責任を全て私に押し付けて。このままでは、王国はサイアリーズの支配下におかれていただろう」
王妃はシルファニアを抱きしめ返して、涙を零した。
ベアトリーチェは視線をさまよわせる。このままでは、サイアリーズを倒した功績が、ベアトリーチェのものになってしまう。
「リーチェ、ありがとう。君がいなければ、俺は死んでいた。シルファニアも両親も助けることができなかった。俺はずっと、国民を苦しめ遊んでばかりいる両親が嫌いだった。だがそれは、全てサイアリーズのせいだったのだな。気づくことができず、自分が情けない」
とりあえず、ベアトリーチェはエルシオンの怪我を魔法を使ってこっそり癒やした。
エルシオンは傷が塞がったことに気づき、「ありがとう、リーチェ」と、ベアトリーチェに向かい両手を広げる。
抱きしめられそうな気配を感じたベアトリーチェは、いまだぐっすり夢の中にいる父を揺り動かした。
「い、今のはですね、全てお父様が助けてくださったのです。私には魔力がなくて、サイラスお父様は王国一の魔導師ですから、眠っていても私に力を貸すことができるのです、さすがはお父様、すごい~!」
「……リーチェ」
「そういうわけですから、私には魔力がなくて、偶然、この部屋に通りかかって……エルシオン様が来てくださらなかったら、きっと呆気なく死んでいました。ありがとうございます、エルシオン様」
「君がそうしておきたいなら、そういうことにしておいても構わないが」
ベアトリーチェはこくこくと頷く。
それから、いいことを思いついたので、遠慮がちに微笑んだ。
「エルシオン様、私は役立たずの魔力なしですので、婚約破棄などをしていただけると、ありがたく思います」
「リーチェ。魔力のありなしなどはどうでもいいと、君に伝えたはずだ。それに、君は俺の恩人。君ほど強く清く優しい人を、俺は知らない。……俺は君を逃がさない」
熱のこもる瞳でエルシオンに見つめられて、ベアトリーチェは青ざめる。
王と王妃は顔を見合わせて、微笑ましそうに笑いあう。
(また処刑をされるのは嫌なのに……王家に関わりたくなかったのに……!)
ベアトリーチェは平和な顔で眠り続けている両親を、少し恨んだ。
「リーチェ、君は俺の婚約者だ。今日は君に救われたが、これからは俺が君を守る」
エルシオンがベアトリーチェの前に膝をつき、真剣な声音で言う。
ふと、記憶の奥で、何かが扉を叩いているような気がした。
──けれどそれが何なのか、思い出すことができなかった。
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