7 魔物化
クリエスタの記憶では、洗脳蟲を使役できるのは同じ魔物だけ。それも、ずる賢く知恵のある魔物である。
人間は魔物を操ることなどできないはずだ。少なくともクリエスタの時代では、そんなことはできなかった。
だが、サイアリーズは人間にしか見えない。疑問は多いが──まずは国王夫妻と両親を助けることが先だ。
「拘束の──」
ベアトリーチェは右手を突き出した。サイアリーズをさっさと拘束して、洗脳蟲を潰してしまおうとした瞬間──ベアトリーチェの背後の扉が開いた。
「ベアトリーチェ、これは一体……サイアリーズ、父と母に、アリステア夫妻に何をした」
エルシオンが部屋に入ってくる。部屋の中の光景を見て、彼はベアトリーチェを背後に庇うように前に出る。
ベアトリーチェは、魔法の構築をやめた。アリステア家の者たち以外には、魔力がないのだと嘘をついていることを思い出す。
心の中で歯噛みしながら、どうするべきか考える。
サイアリーズを倒すのはきっと造作もないだろう。
──できることなら、魔法を使えることは知られたくない。
ここはエルシオンに、任せるべきなのかもしれない。
「これはこれは、王太子殿下。なんとも、間の悪い。まぁいい、全員洗脳蟲の餌食にしてやる。それができなければ、事故死で片付けてもいい。どのみちこの私が、王国の支配者になるのだ!」
「洗脳蟲……」
「エルシオン様、それは古い時代に滅んだと言われている人を操る魔物です」
「人を操る魔物など、いるのか?」
「はい。アリステア家の文献に残っています。あの、蟲たちは国王陛下と王妃様に憑りついています。サイアリーズは国王陛下と王妃様を操っているようです」
ベアトリーチェは怯えた風を装いながら、エルシオンに伝える。
「洗脳蟲を操っている宿主を倒せば、支配から解放されます。エルシオン様、サイアリーズを……!」
「そうか、理解した。リーチェ、俺の後ろに隠れていろ」
「エルシオン様、どうかお気を付けて……!」
今、リーチェと呼ばれた気がする。
──なぜそんなに親し気に私を呼ぶのかしら、エルシオン様。
釈然としないものを感じながらも、ベアトリーチェは素直にエルシオンの背後から壁際にさがろうとして──床に倒れている両親が巻き込まれないように、彼らを庇うためにその傍に座り込んだ。
エルシオンはベアトリーチェの様子をちらりと見て、どことなく優し気に目を細める。
「大丈夫だ、リーチェ。俺が、皆を守る」
「はい、エルシオン様……!」
両親が、エルシオンは武勇にも魔法にも優れていると言っていた。
だからきっと、大丈夫だ。もし何かあったら、こっそり手を貸せばいい。
「サイアリーズ、我が父母を操った罪、ここで断罪させてもらう。両親の圧政や享楽を俺は嫌っていたが、それは全て貴様のせいだったのだな」
「ふん、今更気づいたところで遅い。私こそが玉座に相応しいという国民や貴族の声が日に日に大きくなっていることを知らんわけではあるまい」
「お前の罪を公表すれば、それも終わる」
「残念だがそれはできない。お前も、そしてそこの魔力なしの役立たずも、ここで死ね!」
エルシオンは腰にさげていた剣を抜いた。
その剣は、炎を纏う。魔法剣──と、ベアトリーチェは心の中で呟く。
魔法剣を使っていた者の記憶がベアトリーチェにはあった。懐かしさを感じたが、それが誰だったのかが、思い出せない。
エルシオンは剣を下段に構える。それから、素早く踏み込んで、サイアリーズの至近距離まで近づいた。
サイアリーズは王と王妃を操り己の盾にしようとしていたようだが、それよりもエルシオンの方がずっと早い。
剣から身を守るため、自身を庇う両手を、エルシオンの炎の剣は一刀両断する。
サイアリーズの両手が床に転がる。どういうわけか、切られた両手からは血が噴き出さない。
血の代わりに、どろりとした黒い粘液状の液体が滴り落ちる。
「いけ、蟲よ!」
洗脳蟲がサイアリーズの体の周りに何匹も現れて、エルシオンに襲いかかる。
エルシオンは炎の剣で、蟲を燃やし尽くしていく。
サイアリーズの斬られた両腕から、ずるりと太く筋肉質な青い皮膚をした腕がはえる。
尖った爪と長い指を持つその手は、人間のものではない。
「冥途の土産だ、私の本当の力を見せてやろう!」
サイアリーズの背中が膨れあがり、服が破けていく。
筋肉が隆起し、その額からずぶりと二本の黒い角がはえる。背中からは、蝙蝠に似た翼がはえて広がった。
「……魔物」
それは──人と魔物がまじりあった姿をした、『なにか』だった。
ベアトリーチェの背すじに、冷たいものが流れる。あまりにも醜悪な姿をしている。
サイアリーズは、人の意識を残して、魔物の力を手に入れているように見えた。
「どんな姿になろうが、関係がない。やることは、一つだ」
エルシオンの声に、ベアトリーチェは一瞬感じた恐怖から引き戻されるのを感じた。
エルシオンは恐れることなく、元の体の二倍ほどに膨らんだサイアリーズに向かっていく。
炎の剣が、猛々しく輝いている。
国王と王妃がエルシオンの前に立ちはだかる。王が剣を抜き、王妃は氷の魔法を構築する。
エルシオンは王の剣を弾き飛ばし、王妃の放った小さな鋭い氷柱の粒を、炎の剣で掻き消した。
「サイアリーズ、俺はお前のことを許さない」
「黙れ。この国は私のものだ!」
サイアリーズの鋭い爪をもった太い腕が、エルシオンに掴みかかる。
エルシオンは素早い身のこなしでサイアリーズの腕を避ける。サイアリーズはエルシオンに掴みかかる勢いのまま、床を殴りつけた。衝撃と共に、床にヒビが入る。
エルシオンは床を踏みサイアリーズの方向に振り返り、振り返りざまにその腕を、ごとり、と、軽々切り落とした。
ベアトリーチェはエルシオンの戦いに感心していた。確かにエルシオンは強い。クリエスタの時代にも、彼ほど強い男は早々いなかった。
「来い!」
エルシオンがサイアリーズの首を落とそうとした瞬間──サイアリーズの呼びかけに答えて、彼の奥の扉からこちらに向かって走ってくる小柄な影がある。
サイアリーズはその小さな、ドレスを着た愛らしい少女を片手で握りしめて、空中に持ちあげる。
「シファ!」
──それは、エルシオンの妹君。
ふわふわとした巻き毛の金の髪に、大きな青い瞳をした、まだ幼い姫君のシルフィニアだ。
シルフィニアは苦しい顔もせずに、何も言わずに、ただサイアリーズの手によってぎりぎりと体を締めあげられていた。
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