5 ベアトリーチェ、王太子の婚約者になる
順風満帆だった人生に、唐突に影が射した。
魔力があることは隠していたし、目立つようなことはしていない。貴族たちとも関わってこなかったというのに──よりによって王太子殿下との婚約なんて。
「どうして、なぜ、どうなっているのですか、お父様! 私には魔力がないのですよ……!?」
「表向きにはそうだが、ベアたんは誰よりも膨大な魔力を持つ自慢の娘だ。王太子殿下の婚約者になるのは当然だろう」
「当然ではありません……」
どうしてこうなった──と、ベアトリーチェは青ざめる。
王家など、一番関わりたくない相手だ。
「そうはいっても、打診は向こうからだ。殿下はベアたんでいいと言っているらしい」
「私はよくありません」
「すまない、嫌だろうが、受けてくれ。王家からの打診を断ることなどできない。王家はアリステア家との繋がりを濃くしたいだけだろう。王太子自身が、武勇にも魔導にも優れているという話だから、ベアたんに魔力があろうとなかろうと、どちらでもいいのだろうな」
「いいのだろうな、ではありません、お父様。どうして私が……」
「王太子エルシオン様は十七歳。年齢的にベアたんが丁度いい。それに、昨年のデビュタントでベアたんを見ている。もしかしたら一目惚れをされたのかもしれんな。ベアたんは可憐で可愛くまるで夜空の妖精のようだから、やむなしである」
「やむなしくないです!」
やむなしくない、全然ない……!
などと、ありそうでなさそうな言葉を頭の中でぐるぐる考えながら、ベアトリーチェは悩まし気で苦し気な深い溜息をついた。
いくらレイクフィア家が優秀な魔導師を輩出していようと、所詮は伯爵家である。
貴族とは王家に忠誠を誓うものだ。こちらから打診を断ることなどできないし、年齢的に考えてもベアトリーチェが婚約者に選ばれるのは順当で、ユミルはまだ幼い。
それに──現在のグラウアルク王家は、あまり評判がよくなかった。
ベアトリーチェが家の者たちや、領民たちからの噂を聞いた限りではあるが。
『国王と王妃は浪費家で、今年もまた税があがった』
『宰相サイアリーズが幾度諫めても、湯水のように金を使う。国王と王妃に意見をした優秀な文官たちは皆辞めさせられて、今では二人の傍に腐乱した肉に蝿がたかるように、甘い蜜を吸いたい者たちばかりが集まっている』
『宰相サイアリーズこそ玉座に相応しいという声も聞こえてくるぐらいだ』
そんな話を聞いてしまえば、婚約の打診を断ることの危険性は嫌でも理解できた。
「何年経っても、王族というものは変わらないのね……」
クリエスタも──国王に心酔している時期があった。
国王陛下のために人々のために働けることは名誉だと考えていた。
けれどその結果が、火あぶりだ。
憂鬱な日々を過ごしていたベアトリーチェだが、時間は無情にも通り過ぎていく。
そうして、いよいよエルシオンとの対面の日を迎えた。
ベアトリーチェは馬車に乗り、両親と共に領地から三日ほど離れた王都へと向かった。
双子たちも行きたがったが、今回は留守番である。
王都に来るのは、デビュタントの時以来だ。街がぐるりと壁に囲まれているのは、魔物の襲撃に備えるため。五百年経っても、魔物の脅威は変わらない。
王都の門を通り過ぎて、街を進む。どことなく閑散としている。人々の着るものは質素で、街の中も薄汚れている雰囲気である。
デビュタントの時は疑問には思わなかったが、それは王の圧政のせいなのだと今ならわかる。
「お父様は、私とエルシオン殿下の婚約についてどうお思いですか?」
「国王陛下と王妃様は少し、問題を抱えているが、エルシオン殿下は優秀だと聞く。誰にでも優しく穏やかな人格者だと。ベアたんが嫁ぐのにふさわしい相手だ」
「……その、ベアたんというの、やめていただきたいのですけれど」
「可愛い娘をベアたんと呼んではいけないのか……!?」
「……仕方ありませんね」
ベアトリーチェとサイラスのやりとりを、母は嬉しそうに微笑みながら見守っている。
散々無視していたくせに──とは、今更言えなかった。
両親がいるだけありがたいことだ。その上大切にしてもらっているのだから、もっとありがたいことだとベアトリーチェは思う。
貴族街にあるタウンハウスで一日休み、翌日馬車に乗り王城に向かう。
馬車の移動というのはまどろっこしいと心の中で思いながらも、ベアトリーチェは大人しくしていた。
クリエスタだった時には、もっぱら移動は星獣の力を借りていたものである。
そういえば──星獣たちはどこにいってしまったのだろう。
城につくと、護衛の兵がやってきて、ベアトリーチェと父と母を庭園に案内した。
薔薇の花が咲き誇る庭園は──五百年前とそう変わっていない。
クリエスタが働いていた宮廷魔導士団の仕事場は城の中にあり、筆頭宮廷魔導士の執務室からは庭園がよく見えた。
ややあって、王と王妃と共に、エルシオンがやってくる。
艶のある美しい金の髪に青い瞳の美しい青年だ。ベアトリーチェとは一歳しか年齢が違わないが、もっとずっと年上に見えた。
背筋に悪寒が走る。エルシオンは──クリエスタを殺せと命じた王に、どことなく似ていた。
もちろん五百年前の王の血が流れているのだから、面影があってもおかしくないのだろう。
この方は別人だと自分に言い聞かせながら、ベアトリーチェは内心の動揺をなんとか隠した。
出来る限りエルシオンや、国王や王妃の顔を見ないようにと気をつける。できることなら態度の悪さに呆れて、嫌ってくれるといい。
父と母の挨拶が終わり、ベアトリーチェの番になる。
きちんと淑女の礼をして、ベアトリーチェは口を開いた。
「ベアトリーチェ・アリステアともうします。この度は王太子殿下の婚約者に選んでいただき、嬉しく思います」
「ベアトリーチェ、エルシオンだ。よろしく」
エルシオンは低く涼やかな声で挨拶をして、優しくベアトリーチェの手を取る。
そして、手の甲に軽く唇を触れさせた。
ベアトリーチェは、俄かに目を見開く。
それはエルシオンの態度に驚いたからではなく、エルシオンの背後で微笑んでいる王妃の耳から──ぬるっと出てくるものがあったからだ。
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