45 保護者ジェリド
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「あの女性は、私の運命です。ベアトリーチェこそが私の番であると、確信したのです」
ジェリドがそう父に宣言したのは、ベアトリーチェに助けられて自国に戻ってからすぐのことである。
獣人には番という制度が存在する。
制度──というのは少し違う。それは魂の繋がり。獣人だけに感じられる、運命の相手だ。
「人は番にはならないが」
「何事も例外、というものがございます。このジェリド、必ずやベアトリーチェを妻にして戻ってまいります」
「いや、待て。お前の気持ちはわかった。だがお前は、玉座を継がなくてはならない。妻を娶り子をもうけるのがお前の責務でもある。ベアトリーチェは確かに恩人だが、エルシオンの婚約者だぞ?」
「それが何か?」
「何かもなにも、二人は愛し合っているだろう」
「婚約というものは、ただの義務。魂の繋がりではありませんでしょう」
「それはそうかもしれんが。……わかった。三年間だけ猶予をやろう。あちらにある貴族学園に入学するといい。さすれば、人間のこともよく学べる。両国の友好の橋渡しにもなるだろう。ベアトリーチェを想うのは勝手だが、けして乱暴なことはするな。正攻法で、彼女の心を手に入れることができたら結婚を認めてやろう」
そんなやりとりがあり、ジェリドは無事にベアトリーチェを妻にする権利を獲得したのである。
意気揚々と学園にやってきたものの──ベアトリーチェはどれほどジェリドが彼女を愛しているか囁いてもつれなかった。
『ベアト、私の運命。そ、その、今日もいい天気だな』
『今日は大雨ですが』
せっかく話かけても、会話が続かない。
自他ともに認める美男子であるジェリドの美貌は、エルシオンを前にするとやや陰ってしまう。
ほかの女生徒たちの包囲を振り切ってベアトリーチェに近づいても、どうにもうまく口説けない。
だからこれは──ベアトリーチェに男らしくて素敵で頼りがいがあると思われる千載一遇のチャンスなのだ。
もちろん誘拐されたエルシオンも心配だ。彼はベアトリーチェを巡る恋の好敵手であるが、友人でもある。
それに仮面の男に見覚えがある気がした。
記憶が混濁していて、今でもまともに思い出すことが難しいが、あの男はかつてジェリドを浚い、魔物にした張本人である。おそらく──そんな気がしている。
吸血蛭を前にして、ジェリドは舌なめずりをした。
獣人の力を解放して戦うのは久しぶりだ。獣人は、血の気が多い。ジェリドもそうだ。普段は押さえつけているが、特に満月の晩などは獣の姿になり暴れたくなってしまう。
その衝動を抑えつけながら、普段は品行方正な王子として過ごしているのだ。
今日は、我慢をしなくていい。
「犬、さがっていなさい! 私たちがお姉様の役に立つのだから!」
「そうだぞ、犬ころ。僕たちの邪魔をするな」
「黙れガキども。お前たちこそ俺の邪魔をするな。じゃなかった。ベアトの愛しい弟妹たち。ここは兄に任せておけ!」
「誰が兄なの!?」
「僕たちはエルシオンのこともまだ認めていないからな!」
子供たちがゴアムの肩にのり、騒いでいる。ゴアムがぷちぷちと、吸血蛭を踏み潰す。
だが巨大なだけあって、動きが鈍い。足から吸血蛭がゴアムにのぼりはじめている。
うごうごと蠢きながら、軟体動物が土人形の足を上り、子供たちに襲い掛かろうとしている。
子供たちは一つの魔法しか使うことができない。土人形を二人で作りあげているために、その維持に必死なのだ。
口では余裕ぶっているが、内情はそこまでではないだろう。
「私たちの両親は、愛情を教えてくれなかった。教えてくれたのは、お姉様だけ」
「姉上だけが、僕たちを叱り、正しいことを教えてくれた。僕たちは姉上にひどいことをしたから、姉上の役に立たなくてはいけないんだ」
「君たちの気持ちはわかった。共に戦おう、ベアトリーチェのために」
「犬に何ができるの」
「犬のくせに」
「少なくとも人間よりは頑丈だ。魔力や武器がなくても戦える、それが獣人の強みだな。よく、見ておけ」
ジェリドはゴアムに上ろうとしている吸血蛭を爪で引き裂き、歯で食いちぎる。
凶悪な牙で噛みつこうとしてくる吸血蛭の群れを、果実をつぶすように、ぶちぶちと握りつぶした。
「なんて野蛮なの」
「姉上には見せたくない」
「馬鹿か。戦いとは、野蛮なものだ」
興奮と共に、ジェリドの全身に長い銀の体毛がはえていく。
馬ほどの大きさの狼に姿を変えたジェリドの体毛は、吸血蛭の噛みつきを全てはじいた。
硬い毛におおわれているために、吸血蛭の牙が届かないのだ。柔らかい人間ならばすぐに嚙み殺されてすべての血を吸い付くされていただろうが、ジェリドに対してはそうはいかない。
「どれだけいるんだ、まるで、湧いて出てきているようだ」
「ジェリド、奥を見て!」
「ジェリド、奥に、本体がいる」
ゴアムの背に乗り高い位置から周囲を見ているユミルとノエルが、吸血蛭の群れの奥を指さした。
ゴアムがのしのしと、吸血蛭を踏み潰しながら指さしたほうへと突進していく。
道を作っているのだと理解したジェリドは、僅かに開いた吸血蛭の群れの隙間をまっすぐに走っていく。
そこには──小屋ほどの巨体を震わせながら、吸血蛭を生み出し続けている『親』である個体がいた。
「うわぁ、気持ち悪いですわ!」
「ユミル、お嬢様の口調がうつっている」
「あの人、誰だったかしら、そう、アルテミス。面白いわよね」
「そうだね。本当に不気味ですことね」
ユミルとノエルが笑い合っているが、その声は弱弱しい。
魔力切れが近いのだろう。ゴアムを長時間動かしているために、二人の息があがりはじめている。
「あとは、お兄様にまかせておけ」
「兄ではないわ」
「兄ではない」
ジェリドは二人の前に出ると、親個体に飛び掛かった。親個体は体を激しく震わせて、その体からまるで矢のように吸血蛭を吐き出す。
吐き出された吸血蛭が、ジェリドや弟妹たちに飛び掛かってくる。
ジェリドはユミルとノエルの前に跳躍し躍り出て、硬い毛を持つ体で吸血蛭たちを弾き飛ばした。
そしてそのまま落下の勢いに体をのせて、親個体に向かっていく。
爪でぶるぶると震えるゼリー状の体を引き裂き、とんと、地面に降り立った。
親個体が吐き出す液体をひらりと交わす。液体が零れ落ちた地面はシュウシュウと煙をあげて溶けている。溶解液の類である。これを浴びたら、ジェリドの体も溶けるだろう。
よけたところに、脇腹に何かが激しくぶつかり、ジェリドの体は弾き飛ばされる。
地面に体を擦り付ける前に、なんとか四本足で体制を立て直した。
親個体に、吸血蛭たちが戻り始めている。
それはまるで棘のように親個体の体に結合して、全身から長い触腕のようなものに変わった。ハリネズミだ。ただし、不気味な。
「まったく、悪趣味な」
「ジェリド、援護をするわ」
「一つになったから、戦いやすくなった。僕たちがあれを燃やす。ジェリドは体の中にある核を引き裂け。姉上から教わった。吸血蛭の体の中には、心臓のようなものがある。その核を砕けは、溶けて消えてしまう」
ゴアムを消し去り、ユミルとノエルがジェリドの両隣に立った。
「さすがは我が弟と妹だ。賢いな、頼むぞ」
二人の手から、激しく炎が迸る。彼らに向かってくる触腕を、ジェリドは叩き落す。
炎が親個体を包み込んだ。腐った果実のような匂いが、ジェリドの発達した嗅覚に突き刺さる。
どろりと溶けた親個体の体の奥に、どくどくと脈打つザクロのようなものがある。それが核だ。
ジェリドは親個体の体の中に自分の体を埋めるようにその核に飛び掛かり、食らいついた。
牙で切り裂く。どろりとしたものが口腔にあふれる。それは甘すぎる、熟しすぎたリンゴのようだ。
魔物とは、大抵はそんな味がする。
核を食いちぎられて、吸血蛭の体が内側からはじけ飛んだ。その体液が、びしゃびしゃと雨のように降り注ぐ。
その雨の中でユミルとノエルは地面に膝をついた。
ジェリドは彼らの元に駆ける。疲れ果てた彼らをいたわるように、人間の姿に戻ると両腕に抱いて「よく頑張ったな」と褒めた。
獣の姿になると、服が引き裂かれて裸体になってしまう。そのため今のジェリドは何も着ていないが、ユミルとノエルにはそれについて文句を言う元気もないようだった。
ジェリドは塔を見あげる。ベアトリーチェはきっと大丈夫だと信じているが、すぐに彼女の元に向かわなくてはと立ち上がろうとするが、立ち上がった途端に足元がふらついて、ジェリドもまた座り込んでしまう。
ずきずきと脇腹が痛む。いつの間にか怪我を負っていたらしい。ジェリドの脇腹から血が流れていた。
大きな裂傷ができている。その傷を手でおさえて、ジェリドは深く息をついた。
この状態でベアトリーチェの元に向かっても、足手まといにしかならないだろう。
ただ無事を祈ることしかできないのが、歯がゆかった。




