42 魔導師の塔
雪深い山稜の中腹。静寂に包まれた白銀の世界に、フィニスは降り立った。
深い雪の中にフィニスの体は半分ほど埋まってしまう。誰も足を踏み入れていない新雪は、踏み固められていないために柔らかい。
足場の悪い道を行くために皆に浮遊魔法をかけようとしていたベアトリーチェよりも先に、ユミルとノエルがぴょんとフィニスの上から飛び降りた。
「伸びろ黄金の回廊。踏み固めよ、道を作れ」
「大地より出でよ、岩人形」
一つの呪文を二人で詠唱し、魔法を構築する。地響きと共に雪の中から岩の巨人が現れる。
巨人が足を踏み鳴らすと、雪が光り輝いて雪の中に金色の石畳が現れた。
「先導して、ゴアム」
「姉上の為に道を作れ」
「二人とも、ありがとう。知らない魔法だわ、すごいわね」
ベアトリーチェは感心して、二人を褒めた。二人は嬉しそうに輝く瞳をベアトリーチェに向ける。
「お姉様のために開発した魔法です」
「姉上の往く道を邪魔する者を排除するために。あと、美しいおみ足が汚れてしまうのはいけません」
「あ、ありがとう、二人とも」
重たい愛に礼を言い、ベアトリーチェは二人の頭をよしよし撫でた。
借りてきた猫のようにおとなしい二人だが、ベアトリーチェと同じアリステア家の血が流れている。
そも魔法の才はクリエスタからしたらまだまだだが、王国の一般的な水準からしたらかなり高いものである。
「皆、私の後ろをついてきて。離れないで」
「なにを言っておりますの、ベアトリーチェ。わたくしたちも戦えますわ」
「そうだぞ。先導は年長者であり、男でもある私の役目だ。白い糸を追えばいいのだろう。獣人は目がいい、そして鼻もいい。任せておけ」
前に出ようとするベアトリーチェを、アルテミスが制した。
ジェリドが石人形のゴアムが作った道を、皆を守るように前に出て歩いて行く。
ゴアムはノエルとユミルの指示で、白い糸の進む方向にのしのしと歩く。その足跡が黄金の石畳へと変わった。
フィニスは小さな翼のはえた子犬の姿に戻り、ぱたぱたと飛んできてユミルの腕の中におさまる。
ユミルは「わんちゃん、お帰り」と言って、にっこり笑った。
「それにしても、この場所。魔導師の塔があるという噂は知っていますけれど……それはただの噂だと思っていました」
「私もそう。一度調査に来たわ。でも何も見つからなかった。エルシオン様を攫った男は、私か、それ以上の魔力がある。皆を守れるかどうかはわからない。危険だと思ったら、逃げて」
「あなたは、わたくしたちを信用なさい」
「そうですよ、ベアトリーチェ様。私たちだって役に立ちます。ベアトリーチェ様は、一人きりで頑張る必要なんてないんですから」
アルテミスとソフィアナが、ベアトリーチェの両隣から口々に言う。
ベアトリーチェは戸惑いながらも頷いた。
一人きりで頑張らなくていい。なんて──考えたこともなかった。
だが、確かにそうなのかもしれない。ベアトリーチェはエルシオンに救われた。そして、友人たちにも。
誰かに頼ることを、また、頼ってもいいことをすっかり忘れていた。
「ありがとう、皆」
微笑んで、礼を言う。
吐き出した息は、白く靡いて消えていく。冷気が体を包んだが、寒さは感じない。
ベアトリーチェは強い。だから皆を守らなくてはいけないと考えていた。
だが今は違う。
皆はベアトリーチェにとって大切な家族であり、友人たちだ。だから、守りたい。
白い糸は雪に覆われた木々の合間をぬって、山の奥深くへと続いている。
切り立った崖際にある道とはいえない道を進み、身軽なジェリドに先導されながら、岩山を登る。
登るといっても、流石に浮遊魔法を使用した。皆にかけてその体をふわりと浮かせて崖上まで導くのには、さほどの魔力を使わない。
ジェリドは狼のように軽々と岩山を登るが、ベアトリーチェたちはそうはいかない。
ユミルとノエルはゴアムの肩に乗って、岩山を越えた。のっそりとゴアムが岩山の上に顔を出すと、二人はその肩からぴょんと飛び降りる。
岩山の上は、木々が覆いつくしている広い空間になっている。これ以上は巨体のゴアムは進めないと判断したのか、二人はゴアムを消した。
そこは、妙に雪が少ない。今までの景色は雪に覆われていたが、地面を覆いつくすような木々で守られているのか、石や草に覆われている地面には足を取られるほどには雪が積もっていなかった。
森の奥へと、糸は続いている。ベアトリーチェは自分に浮遊魔法をかけると空から森を確認した。
森の先には何もない。ただ崖があるだけだ。
ベアトリーチェは皆の元に戻った。「何か見えたか」と尋ねてくる彼らに首を振る。
建物らしきものは何もない。以前来た時もそうだった。探索したものの、建物は見当たらなかったのだ。
だが今は、違う。白い色がエルシオンとベアトリーチェを繋いでいる。
ベアトリーチェは眼前に手を翳した。僅かな魔力の抵抗を感じる。
「顕現せよ」
詠唱に反応し魔力が溢れる。すると、ベアトリーチェの眼前に油膜のものが現れる。
その油膜は、目の前に広がる森全体を覆っていた。




