40 ルキウスの器
パチパチと、枯れ枝や枯れ葉を集めた薪から火がはぜる音がする。
クリエスタは、その火で熱心にどこぞの岩にへばりついていた黒ヤモリを枝に刺したものを焼いている。
いつもあまり表情を変えない彼女だが、元々黒いが香ばしく焼けてさらに色を濃くしていく黒ヤモリをきらきらした瞳で見つめていた。
「クリエスタ、何故そんなものを焼く?」
「食べるためですが」
「食べるのか」
「ヤモリやカエルは魔力回復にとてもいいです。一番美味しいのは長首亀ですが、あれはその辺にはいない食材なので。食べますか、殿下」
「いや。……美味いのか?」
「おいひいです」
よく焼けた黒ヤモリにふうふうと息をふきかけて冷ましたあと、クリエスタはそれを口に突っ込みながらもごもご言う。
感情が薄くどことなく冷たい印象の彼女だが、その姿はどことなく愛らしく、少女じみている。
ルキウスはそれを微笑ましく見つめた。同時に、彼女にとってそれが食事なのかと思うと、喉の奥に氷塊を突っ込まれたような気持ちになる。
父は魔の山の変事を解決すれば彼女を筆頭魔導師にとりたてると言っていた。
だが今でも彼女は、筆頭魔導師かそれ以上の働きをしている。
魔導師たちは彼女に仕事を押し付けていた。魔物討伐も彼女一人いればいいと言って。
ルキウスは今まで一度も父に意見をしたことがなかった。だが、クリエスタの件については尋ねたことがある。
『父上がとりたてた女性は、あまりよくない環境にいるようですが』
状況の改善を求めたのだ。父が一言口添えすれば、クリエスタの状況はかなり改善されるだろう。
『クリエスタは儂への信奉のみで今の立場にいる。不遇であればあるほどに人は何かに頼りたがる。あれの力は異質だ。故に、儂を崇めさせることで儂はあれを御しているのだ』
あぁ、彼女は──父に利用されているのだと、ルキウスは感じた。
そして同時に、クリエスタが父に向ける眼差しに親愛以上のものがあることに気づいてしまった。
家族のいない彼女は、父をまるで神か何かのように崇めている。
それほど孤独だったのだ。それほどに、彼女には生きる理由がなかったのだ。
クリエスタは、父に利用をされている。だが、クリエスタ自身は父を敬愛している。
もどかしい。いっそ彼女を連れてどこかに逃げてしまうことができればいいと、何度も考えた。
北の魔の山では、星獣の一匹が暴走を起こしていた。殺そうとしたルキウスをクリエスタは止めて、魔力を空にして命を危険に晒しながらその暴走をおさめた。
その姿は、まるで女神。
ルキウスの中にくすぶっていた淡い感情が、はっきりと花開いた瞬間だった。
彼女が──好きだ。
どんな環境の中にいても、人を助けるということを忘れない。
慈悲と慈愛に満ちた、彼女が──哀れで、愛らしくて、健気で。
他のどんな人間よりも、クリエスタは美しかった。
「……リーチェ」
喉の奥で、最愛の人の名を呟いた。
ベアトリーチェ・アリステア。エルシオンの、つれない婚約者。
ここは、どこだ。何があった。
働かない頭を殴りつけたい衝動にかられながら、エルシオンは瞼を開いたというのにぼやけたままの視界をはっきりとさせるために目を細めた。
「……お前は」
ぼやけた視界が焦点を結ぶ。エルシオンは眼前の鉄格子に手をかけた。
エルシオンの周囲は、鉄格子に囲まれている。
魔法で切り裂こうとしたが、魔力が空っぽというわけではないのに魔法は形をなさなかった。
鉄格子の向こう側に、重厚感のある椅子が置かれている。そこに仮面の男が座っている。
徐々に記憶が鮮明になっていく。星獣の暴走と、苦しむベアトリーチェ。
それでも彼女は前を向いて、星獣の暴走を止めた。あのままにしていたら、多くの人が命を落としていただろう。
記憶の中のベアトリーチェの顔に、焼け爛れた女の顔が重なる。
こみあげてくる吐き気に、エルシオンは口を押さえて地面に膝をついた。
「クリエスタ……」
「その名を呼ぶな。器の分際で」
仮面の男が、苛立ちに満ちた声をあげる。不愉快だと言わんばかりに肩をすくめて、足を組んだ。
その声に、聞き覚えがあるような気がした。
エルシオンは鉄格子を強く握りしめる。
広い部屋だ。エルシオンがいれられている鉄格子の他に、いくつかの檻がある。
檻の中には、魔物が入っている。魔物以外にも、ウサギや狼といった動物。それから、人間も。
彼らは半分ほど、腐りとけているような姿をしている。
その肩や背中からは異形の肉塊がはえている。まるで、人や動物と何かを混ぜたような。
「器とは何だ。貴様は誰だ」
「お前はそれを知る必要はない。だがどうせお前の自我はもうすぐなくなる。お前は人形。お前の自我だと思っていたものは空っぽの作り物。クリエスタに対する恋心も、私の模倣でしかない。器の底に残っていた記憶の残滓が、彼女を恋しがっているのだろう」
「何を言っている……」
「私は、ルキウス。そしてお前は私の器。クリエスタと同じ時代を生きるために、私が作ったものだ」
エルシオンは額を押さえた。
先程の夢の続きを見ているような気がした。
夢ではない、記憶だ。遠い昔の、古びた記憶。だが、鮮明に思い出せる。
クリエスタという女性が辿った末路を。
そして、いつも泰然としているベアトリーチェが炎に怯えていた意味も、今ならわかる。
「器との統合がうまくいくか、何度も実験をした。私の体の大半は最早人間ではない。魔物の血を人間や動物の血と混じり合わせると、拒絶反応が起こる。幾度か試したが……隣国の獣人でもうまくいかなかった。唯一、あの男……サイアリーズといったか。あれは、成功した。恐らく、強い魔力があったからだろう」
仮面の男は、静かな声で話す。そこには何の感情も込められていない。
実験結果を報告するような冷静さだけがある。
エルシオンは眉根を寄せた。
サイアリーズも、ジェリドも──人を魔物にしたくてそうされていたわけではない。
目の前の男は、人間の体と自分の血が適合するのかを試していた。それだけだ。




