4 ベアトリーチェ、我が家を支配する
できることならば──クリエスタのような人生は送りたくない。
目立たず、魔力なしだと嘘をついたまま静かに暮らしたい。
今生では怖いことはもう起こらないで欲しい。痛いのも苦しいのも嫌だ。火あぶりほど苦しい死にかたはないと、ベアトリーチェはクリエスタが死んだときの記憶を夢に見る度に思った。
「出る杭は打たれるという言葉があるもの。穏便に慎ましく……できれば、恋なんてしてみたいわね」
涙と冷や汗で冷たい体をベッドの中で丸めて、ベアトリーチェは呟く。
今の自分はクリエスタではなく、ベアトリーチェ・アリステアだ。
前世では家族もいなかったし恋人もいなかったが──こうして、新しい人生を歩めることは幸運だ。
色々あったものの、今は家があり、家族がいる。
「火あぶりに、ならないようにしなくては……」
先手を打っておくべきだ。
ベアトリーチェは早々に、家族と使用人たちに集まるようにとお願いをした。
蛇竜を串刺しにして母の顔を豚に変えてからというもの、ベアトリーチェはアリステア家では恐怖の女王として君臨している。
ベアトリーチェのお願いには、皆忠実に従った。 集まって欲しいと言えば、すぐに広間に集合してくれるほど、彼らは従順になった。
ベアトリーチェは全員集合した広間で、皆の前に立つと静かに口を開く。
「皆、話があります。私の魔法については秘密にして欲しいのです。誰にも話してはいけません。私は、アリステア家に生まれた役立たずの魔力なしとして目立たず騒がず、慎ましやかに生きたいと願っています」
「な、何故だい、ベアたん!?」
父が言う。ベアトリーチェは恐怖の女王として君臨している──はずである。
ベアたんとは誰のことだろう。ベアトリーチェは首を捻る。
「ベアトリーチェ、あなたは誰よりも誇り高く心優しく素晴らしい魔導士ですわ。あなたの才能を埋もれさせてしまうなんて……!」
涙ながらに母が言う。使用人たちも大きく頷きながら同意をしている。
両親も使用人たちもベアトリーチェを恐れているので、瞳を潤ませて一斉に世辞を言うのだろう。
──多分。そういうことにしておこう。
その瞳はまるで神を崇めるように輝いている気がするが、ベアトリーチェは気のせいだと自分に言い聞かせる。
「私の魔法など、たいしたものではありません。お父様やお母様に比べたら、満月と小石のようなもの」
「お姉様が満月です」
「姉上が満月です」
双子が口を揃えて言う。
この二人は仕方ない。ベアトリーチェの力を目の当たりにし、今ではすっかりベアトリーチェに懐き、師のように慕い、ベアトリーチェの身の回りの世話までしようとするぐらいだ。
弟妹に好かれるのは嬉しいことなので、あえて拒否をすることもなかったのだが。
とはいえ、瞳を輝かせてベアトリーチェこそが満月で、両親を小石だと言い切るのはややいきすぎているだろう。
「二人とも、お父様やお母様は小石ではありませんよ」
「お姉様に比べたら! ね、ノエル」
「姉上に比べたら、誰しもが小石です! そうだね、ユミル」
そんな双子に両親は気を悪くした風もなく「そうだ」「そうですわ」と頷きあっている。
自分たちが小石などと言われたら激怒するような人たちだったのに、何故──と、ベアトリーチェは戸惑った。
確かに魔物討伐に幾度か手を貸したことがある。でも、気づかれないようにひっそりと手伝っていたはずなのに。
「ともかく、皆さん。私はあまり目立ちたくありません。アリステア家の落ちこぼれとして生きていきたいので、ご協力をお願いいたします」
「ベアたんがそう言うのなら」
「もったいないことですわ……でも、ベアトリーチェの為ですもの。協力は惜しみませんわ」
「もちろんです、お姉様」
「僕たちは姉上に従います」
「「「「お嬢様の仰せのままに!」」」」
家族からも使用人からも理解を得られて、ベアトリーチェは安堵の笑みを浮かべる。
「ありがとう、皆」
礼を言うと、皆が「全てはベアトリーチェ様のために」と返事をしてくれる。
正直、そこまでの忠誠は求めていないのだが、理解があるのはありがたいことだ。
クリエスタの二の舞はごめんだ。アステリア家で魔法を使ったのは、不可抗力のようなものだった。
今後はできる限り魔法を使わず、落ちこぼれの令嬢として振舞おう。
──今のところ、ベアトリーチェの人生は順風満帆だった。
伯爵家の娘としてデビュタントを迎えたが、同時期にデビュタントを迎えた見目麗しい公爵家の令嬢の陰に隠れるようにして、まったくもって目立たなかった。
火あぶりの記憶が蘇るのが嫌で、王族の顔はできる限り見ないようにしていた。
貴族も苦手なので、挨拶をされてもおどおどしながら会釈する程度で済ませた。
とりたてて新しい出会いもなく、大魔女クリエスタの力があることを知られることもなく(家族や家の者たちは律儀に約束を守ってくれていた)ベアトリーチェは十六歳になった。
そしてある日、父に呼び出されたのである。
何事かしらと思いながら、ベアトリーチェは父の元に向かった。
十六歳のベアトリーチェは、侍女たちがあまりにも熱心に手入れをするものだから、貧弱で薄汚れていた子供時代とは比べ物にならないぐらい可憐な少女に成長していた。
しっとりとした艶のある黒髪に、白い肌に薔薇色の頬。
ふっくらとした唇は紅をさしてもいないのに濡れたように赤く色づいて、長い睫毛に囲まれた赤い瞳は生命力に満ち輝いている。
父はベアトリーチェの訪れに嬉しそうに破顔して、それから気を取り直したように真面目な顔で一通の手紙を取り出した。
「ベアトリーチェ、王家から手紙が来た」
「王家から、手紙?」
背筋にざわりと悪寒が走る。王家という名を聞いただけで、ベアトリーチェは肺が焼けるような錯覚を感じる。
「君を王太子殿下エルシオン・グラウアルク様の婚約者にしたいそうだ」
「……なんですって!?!?!?」
思わず──平静では出さないような、大声をあげてしまった。
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