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39 クリエスタとの出会い



 ◆


 誰かが、名前を呼んでいる。

 

「■■■■様」


 感情があまりこもっていない、淡々とした声だ。

 夏の暑さもその声を聞いているだけで気にならなくなるよな、涼やかな響きを持った声。

 その声は──ルキウスに、両手を冷たく清廉な水の流れる川の中に入れて、ぼんやりと空を眺める幸せな瞬間を想起させた。


 ルキウス・グラウアルクには偉大な父がいる。

 隣国の獣人の国、ガルグレイズ王国からの侵攻を退けた偉大なる英雄アシュベルド。

 壮年になってもまだ若々しく、衰えを知らない父である。

 その子であるルキウスは、偉大な父に負けないように己は優秀でいないといけないと、幼いころから自分を戒め続けていた。


 魔法も、剣も、学問も。全てを完璧にしなくては。

 それが王太子である自分の務めであると思い、朝起きて眠りに落ちる瞬間まで、指先から髪の毛一本に至るまでずっと気を張り続けていた。

 そんなルキウスが唯一立場から解放される瞬間。

 それは、一人で遠乗りにでかけて、誰もいない森の中で川に手や足をつけてぼんやり空を眺めている時間だった。


 その間だけは、ルキウスは自分の立場をほんの僅か忘れることができた。


「ルキウス様。……失礼をします。少しの間、動かないでください」


 そんなルキウスにとって幸福な時間を想起させる声が名を呼び、動くなと言う。

 城の廊下を歩いていたルキウスは足を止めた。何事かと声の主を振り返ると、そこには黒のローブで体をすっぽりとおおった、痩せた細い少女がいた。


「君は……」

「私のようなものにお声がけの必要はありません。……終わりました」


 その少女を、ルキウスは知っている。

 先ごろ、父がどこぞから拾ってきた少女である。聞いた話によればまだ幼いながらに魔導の才能があるのだという。

 孤児院がケルベロスの襲撃にあったとき、少女はたった一人でケルベロスを消し炭にした。

 異様なほどの、魔法の才がある。

 アシュベルドは、血筋よりも才能を愛する男だった。それ故に、その話を耳にしてすぐにその少女に登城を命じた。そして、宮廷魔導士としたのである。


 異例の抜擢だ。反発はかなりあった。アシュベルドは彼女の保護者ではない。ただ、才覚ある者が己の力で這いあがることを好んでいるというだけだ。

 だから少女は何の後ろ盾もないまま、ただアシュベルドに目をかけられているという嫉妬の対象になっていた。子供であり、女である。

 女が侍女や使用人以外の仕事に就くことはまずない城の中で少女だけは特別だった。特別というのは、つまりは悪目立ちするという意味だ。


 彼女が──クリエスタが置かれている不遇な環境をルキウスは知っていたが、彼女と関わることは今この瞬間まで、ルキウスにはなかった。


 クリエスタは背伸びをして、ルキウスに手をのばす。

 耳に手が触れた。ルキウスはクリエスタが触れやすいように、姿勢を低くした。

 ローブの隙間からのぞくクリエスタの瞳は、美しい赤色をしている。


「終わった?」

「はい」


 クリエスタの手には、うねうねと動く蟲のようなものが握られている。

 それを、クリエスタはぎゅっと手を握りしめて潰した。

 蟲は霧散してきえてしまった。クリエスタは何事もなかったように礼をすると、その場を去ろうとする。

 それを、ルキウスは慌てて呼び止めた。


「待て。今のは一体」

「……これは、洗脳蟲という魔物です。最近、多いのです。まだ悪さはしていないようでしたが、人の体を操ります。操って、宿主である魔物の元に向かわせます。そして、食います」

「私は、食い殺させるところだったのか?」

「もしかしたら。そうなっていたかもしれません。魔物は、人を喰うことしか考えていませんので」


 クリエスタは困ったように、小さく息をついた。


「……人と、話すことが少なくて。説明が、下手です。すみません」

「君は私の命を救ったのだから、もっと誇っていい」

「蟲を潰しただけです。早く行かないと。怒られてしまうので、すみません……」


 クリエスタの足元には、沢山の洗い物が入っている木盥が置かれている。

 それは宮廷魔導士たちの洗い物だ。彼女は雑用をさせられていた。

 それを両手に抱えてよろよろとよろけながら、クリエスタはどこかに向かっていく。


 その後ろ姿を、ルキウスは眺めていた。

 彼女のことは正直、快く思っていなかった。まるで、父が幼い少女に心を傾けているような不快感があったのだ。

 だが実際の彼女は、己の立場を鼻にかけている様子もない。

 ルキウスを救ったというのに、それを誇ることもない。ルキウスにすり寄ってくることさえない。

 

 貴族の女たちは、ルキウスと話をしたがる。侍女や使用人は、声をかけただけでのぼせあがる。

 それなのにクリエスタは、王太子ルキウスという存在に、まるで興味がなさそうだった。


 あの声を、もっと聞きたい。

 その日から、ルキウスはクリエスタの姿を視線で追うようになっていた。


 彼女に近づこう、話しかけようとしたが──完璧な王太子でいなくてはいけないという戒めが、いつだってルキウスの行動を邪魔していた。


 そんなルキウスに転機が訪れたのは、クリエスタが一人で魔の山に向かえと父に命じられた時だった。

 いつもは人の目があるが、今はクリエスタ一人。

 それに、魔の山は危険な場所だ。魔物が異様に多いために、禁足地とされている。


 そんな場所に行く彼女を、放っておけなかった。

 クリエスタは十八歳の魅力的な女性になっていた。そして、ルキウスは二十歳。


 クリエスタに対する想いは、日に日に肥大してくばかりだった。



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