37 ベアトリーチェ・アリステア
ソフィアナとアルテミスは体を起こすと、ベアトリーチェを心配そうに至近距離で覗き込んだ。
「ベアトリーチェ様、よかった、目が覚めました……!」
「すごくうなされていたわ。べ、別に心配なんてしていませんわよ」
「アルテミス様は泣いていました」
「泣いていませんわ!」
安堵したように笑う二人だが、すぐに深刻な表情で視線を落とした。
「エルシオン様は、みつかっていないのね」
「はい。何があったのかカリヴァン先生たちが調査をしていますが、まだ。私、医務室の先生を呼んできますね」
「ベアトリーチェ、あなたは魔力枯渇の状態でしたの。わたくしたちの魔力も底をついておりましたけれど、あなたの魔力は空っぽで、意識も保てないぐらいでしたわ。カリヴァン先生が学園まで運んでくださいましたの」
ソフィアナが医務室を出て行った。
アルテミスがベアトリーチェに状況を説明してくれる。
「馬車を飛ばして学園に戻り、それから一晩。あなたは目覚めなくて……心配しましたわ」
「……そんなに眠っていたのね。もしかしてずっと一緒にいてくれたの?」
「そうしようと思いましたけれど、さすがに怒られました。医務室の先生とそれから、あなたのご弟妹が付き添ってくれていましたのよ。さきほどまでジェリド様もいましたわ」
「ジェリド様も……」
「あぁ! でも安心してくださいまし。ジェリド様があなたにおかしなことをしないように、わたくし、きちんと見張っておりましたのよ。あなたとエルシオン様の邪魔はさせませんわ」
アルテミスが両手を握りしめて、力強く言った。
恋路を応援されている気がする。アルテミスにとってエルシオンとは、恋の相手ではなったのだろうか。
「アルテミス……エルシオン様のことは」
「言ったでしょう。すごく好きというわけではありませんの。ただ、両親に王妃になれと言われ続けて、そう生きなくてはいけないと信じてしまっただけですわ。それに、星獣を鎮めるあなたとエルシオン様、まるで恋愛小説に出てくる王子と姫のようでとても素敵な姿でした」
「アルテミスも、読むの?」
「恋愛小説は嗜んでおりますわ」
「そうなのね……一緒ね」
思わぬ共通の趣味を見つけたが、今は趣味について話し合っている場合ではない。
エルシオンを攫った男は、クリエスタの名を知っていた。
何故だかはまだわからない。だが、エルシオンのことを『器』とも言っていた。
彼は五百年前に生きたクリエスタの関係者で、エルシオンとも関係がある男だ。
嫌な予感がする。エルシオンを、助けないといけない。
「ところでベアトリーチェ。さきほどは何に対して怒っておりましたの?」
「あぁ、驚かせてごめんね。夢を見ていたの。長い夢だった。私はずっと夢の中にいた」
「……どういうことですの?」
「うまく説明できないけど、私は……私は、魔女ベアトリーチェ。他の誰でもないと、気づいたの」
クリエスタの記憶を思い出してしまってから、ベアトリーチェはずっと記憶に支配されていた。
おそれていたのは処刑の記憶ではない。誰にも知られたくない、知られてはいけない恋の記憶を、クリエスタは怖がっていたのだ。
王を裏切った。身分違いの恋だ。ルキウスへの思慕は、彼女に死を選ばせた。
そんなものを抱えてしまったからずっと、ベアトリーチェはベアトリーチェとして生きることができなかった。
馬鹿だ。本当に、馬鹿だ。
あの時ルキウスを信じて彼の帰りを待っていれば。誰を傷つけてもルキウスと結ばれる道を選ぶことができていればきっと、クリエスタは幸せになれたはず。
それを自ら手放して、己の不幸を嘆き続ける人生など、ベアトリーチェは送りたくない。
クリエスタの魂も記憶も確かにベアトリーチェの中にある。
だが──私は、私だ。
そのせいで皆に嘘をつき、自分の感情にさえ嘘をつき生きていくなど。
なんのための、人生かと、激しい憤りを感じる。もちろん、自分自身に。
「あなたはアリステア家のベアトリーチェ。何か深い事情があって、魔力があることを隠していたのでしょう? わたくしたちを助けるために秘密をばらしてくれたこと、嬉しく思いますわ。とても格好よかったですわ、ベアトリーチェ」
「ええ、そうでしょう。私はアステリアの魔女。……もう、嘘はつかない」
「世を忍ぶ仮の姿が魔力のないおちこぼれ、実は最強の魔女だなんて、格好いい気がしますけれどね」
アルテミスと顔を見合わせて、ベアトリーチェはくすくす笑った。
その時唐突に、医務室の扉が勢いよく開いた。
「お姉様! 目覚めたのですね、お姉様!」
「姉上、心配しました、姉上!」
「魔力回復によくきくキノコをとってきました、お姉様。キノコのパイですよ、たくさん作りました」
「滋養強壮に効果のある長首亀の煮込み料理です、姉上」
ユミルとノエルが、両手に料理の入った鍋や皿を持って中に入ってくる。
その後ろからジェリドが顔をだした。
「ベアト、目覚めたか! よかった! ずっと傍にいたかったのだが、アルテミスがあまりにも怒るのでな。人の恋路を邪魔するなんとやらだ」
「ジェリド様、ちょっとどいてください。医務室の先生が入れません」
ジェリドの背後でソフィアナが怒っている。
ベアトリーチェは声を出して笑った。
こんなにたくさんの人たちが、ベアトリーチェの周りにはいる。
ベアトリーチェの膝によじ登ってくる美しい赤い毛並みを持った小さな動物がいる。
それは鳥の羽をもち、犬に似た姿をしている。
「フィニス、よかった。無事だったのね」
『うん。君は、クリエスタじゃ、ない?』
「私はベアトリーチェ。あらためてよろしくね」
『うん!』
フィニスは尻尾をぱたぱた振りながら、ベアトリーチェの手の平に額をすりつけた。




