32 炎の星獣
確かに魔素の濃い場所だとは感じた。
でも──湖から炎が噴き出すなんて、誰が予想できただろう。
ベアトリーチェは熱風から体を守るための保護壁を皆に張った。
この炎は本物ではない。魔力の塊そのものだ。
だが、例えばアルテミスの炎が街道を焼き尽くしたように、魔法の炎も本物の炎と同じ威力──いや、それ以上の火力がある。
触れれば火傷するし、このような地下の狭い空間で炎が荒れ狂ったら、人が生きることができないぐらいには温度があがる。つまりは、蒸し焼きになる。蒸し焼きならまだいい、あぶり焼きになるぐらいに火力が強い。
気づいたら、マグマ溜まりに迷い込んでしまったようだ。
「……これは、一体」
「ベアトリーチェ、わたくしの後ろに隠れなさい! わたくしには、王太子殿下の婚約者を守る責務があります!」
「ベアトリーチェ様、隠れて……!」
ベアトリーチェが庇っていたソフィアナとアルテミスが、ベアトリーチェよりも前に出ようとする。
その二人に、湖から立ち上る炎柱が二匹の竜のように襲いかかる。
「ぅわ……っ」
「きゃああっ」
保護膜で炎から肌は守られているが、風圧で二人とも弾き飛ばされる。
地面に叩きつけられる二人の姿に、ベアトリーチェの心に、炎よりも熱い何かが荒れ狂うのを感じる。
(私は、何をしているのだろう。長生きしたいからと、できることをしないで。隠して。隠して……)
魔法とは、人を守るための力だったのではないか。
クリエスタはどんな目にあっても、人を守ることができる自分を誇りに思っていた。
最後の瞬間は悲しみと苦痛で胸がいっぱいになったが、それでも。
それでも──。
炎の湖から何かが顔を出す。マグマがその何かの肌を滑り落ちていく。
それは美しい赤い毛並みを持つ、犬と鳥を混ぜたような見た目の動物だ。
その瞳だけでも、ベアトリーチェの顔ぐらいある。額の中央には、赤い宝石が輝いている。
炎の翼をもち、犬に似た顔と太い手足を持つ。
その瞳は理性を失ったように、炎と同じように爛々と赤く輝いている。
「……星獣」
その姿を覚えている。
それはクリエスタの傍にいた、星獣の一体。
「──目覚めろ、フィニス」
その星獣の肩に、黒いマントを羽織り、仮面をつけた男が乗っている。
体格と声音からして男だろう。仮面は道化師のそれに似ている。
目深にかぶったフードから、金の髪がのぞいている。ベアトリーチェは倒れたアルテミスたちを庇うために前に出る。
「守護せよ氷壁」
杖を掲げて、呪文を唱える。
杖なしでも十分な魔力量があるが、魔力を増幅させるための魔道具である杖の使用により、魔力を温存しながら魔法を使うことができる。
炎にあぶられ熱せられて、今にも爆発を起こしそうになっていた炎貴石の岩壁を、魔力でつくられた氷が一気に包み込む。
ベアトリーチェの魔法は、洞窟内部を全て凍り付かせた。
そうしないと、炎にあてられて炎貴石が誘爆を起こし、内部にいる生徒たちや待機している者たちも爆発に巻き込まれる可能性があった。
それほどに、暴走した星獣の力とこの洞窟の食い合わせが悪い。
いや、むしろ、いいのだろうか。
星獣が明確な意思をもってこの土地を壊そうとしているのならば、大爆発を起こすのは最も手っ取り早い方法だ。
「ベアトリーチェ……」
「ベアトリーチェ様……っ」
「私の後ろに隠れていなさい。……騙していて、ごめんね。私を守ろうとしてくれて、ありがとう」
ベアトリーチェは邪魔な眼鏡を投げ捨てる。
友人を傷つけられた怒りと共に、魔力が体に巡る。
巡る魔力がベアトリーチェの髪を靡かせる。三つ編みにしていた髪がほどけて、黒髪が風に靡いた。
「……お前は、一体。その魔力は」
「あなたは誰。星獣に何をしたの? 答えなさい!」
星獣は本来は大人しい生き物だ。
力の強い、不死の獣たち。理性を持つ魔物だと、クリエスタは考えていた。
クリエスタのいうことをよく聞き、人に危害を加えるようなことはしなかった。
だが今は、その瞳から理性は失われている。
「何もしていない。少し、怒らせただけ。……だが、お前のその力。その力は、クリエスタの……」
「どうしてその名前を知っているの……?」
「お前は、誰だ」
「私はベアトリーチェ。……魔女よ」
そう。
魔女だ。誰も守ることができずに長生きなどして何の意味がある。
「ベアトリーチェ……?」
訝し気な声で、男は呟く。
「……殺せ、フィニス。私の邪魔をする者だ」
星獣フィニスが咆哮と共に炎を吐きだした。
その炎は、ベアトリーチェの体を包み込んだ。




