29 炎の精霊の洞窟
魔ヒカリゴケで輝く森を三人で並んで進んでいく。
アルテミスは謝罪してすっきりしたせいか、表情が朝よりもずっと柔らかくなっていた。
「わたくし、こんなに気持ちが軽いのははじめてですわ。あなたたちの会話をずっと、聞いておりましたの。誰の悪口も言いませんのね」
「悪口ですか?」
「悪口……?」
どういうことかと、ソフィアナもベアトリーチェも首を傾げる。
「そうですわ。わたくしが悪口を言うと、皆が喜ぶのですわ」
「あぁ、なるほど……」
「なるほど……?」
クリエスタの記憶分長生きしているベアトリーチェだが、アルテミスが何を言っているのかわからない。
ソフィアナはさもありなん──というように頷く。
どういうことかと、ベアトリーチェは目をしばたかせた。
「お母さんが言っていました。女性というのは悪口で盛りあがるのだと」
「悪口で盛りあがるかしら……」
「盛りあがるのですわ。社交界などは、そればかりです。誰かを貶め、小馬鹿にして、自分が上だと知らしめるのです。それがごく当たり前のことだと、わたくしは認識しておりました。そうすると、自分の価値があがるような……気がするのですわ」
そこまで話をして、アルテミスはしょんぼりと肩を落とした。
「ベアトリーチェさんに叱られて気づきましたの。なんと愚かなことだったのだろうと。わたくしがどんなに近づいても、エルシオン様はわたくしを見てくださらないはずですわ。エルシオン様がベアトリーチェさんを婚約者にしたのは、その心根が正しかったからなのですわね」
「いえ、そこまでは……」
「わたくしをあのようにはっきりと叱った人は、はじめてでしたもの。わたくし、きちんと理解できました。あなたたちといると、なんだか……幼い頃に戻ったようです。誰かの上に立つために必死にならなくていいと思うと、なんだかとても、楽です」
エルシオンが、アルテミスの家は特に選民意識が強いのだと言っていたことを思い出す。
ベアトリーチェの両親も、『優秀な魔導師』としての選民意識が強い者たちだった。
アルテミスだけが、特別だというわけではないのだろう。
社交界に参加をしていないベアトリーチェにはわからないことが、多くある。
クリエスタだったときも──周囲の者たちと交流しようとしなかった。
孤立をどうにかしようとは、思えなかった。
孤児で、女で、若い。それら全てがクリエスタをどうしようもなく孤独にさせていたが──与えられた仕事を必死にこなすことだけが、クリエスタの生きる道だった。
「アルテミス様」
「ベアトリーチェさんは、王妃になりますのよ。わたくしのことは、アルテミスと。ソフィアナさんに話すように、話していただいてかまいませんわ。わたくし、そのほうが嬉しいです。課題の間は、仲間、ですわよね」
「……アルテミス」
「はい、ベアトリーチェさん」
「私も……相手を理解しようとしないところが、あるわ。だから、あなたのことを知ろうとしなかった。エルシオン様が言っていたの。公爵家の教育のせいで、アルテミスは……」
「それもあるかもしれませんけれど、結局はわたくしの問題です。わたくしは十七歳、もう自分の力で考えて、自分の足で歩ける年齢ですもの。わたくしの足、ベアトリーチェさんの魔道具のおかげですごく、軽やかでしてよ」
アルテミスは両手を広げて、円舞曲を踊るように小道を進む。
彼女の周囲を飛び交う魔ヒカリゴケの胞子が、舞台上の彼女を輝かせているように見える。
ベアトリーチェには、アルテミスが眩しく見えた。
素直に他者の言葉を受け入れることができる。自分の足で、きちんと立っている。
それは元々、彼女が自分を持っているから。
そこには確固たる自分自身というものがあるから、怒りに心を曇らせたりしないのだろう。
(私は、どうだろうか。……ただ、恐れて。恐れてばかりだ)
果たしてベアトリーチェとしての人生を、歩めているのだろうか。
クリエスタの記憶に、囚われ続けているのではないか──。
やがて、魔ヒカリゴケの森を抜けるとその先に、全体がルビーでできているような洞窟が現れる。
既に課題は開始しているらしく、何人かの生徒たちが洞窟から水を美しい小瓶に汲んで帰ってきていた。
「ベアトリーチェたちは、今回も最後か。まぁ、課題に順番は関係ない。無事に湖の水を汲んでくることができたら、それで合格だ。洞窟の中には洞窟スライムや粘着ゴケや、吸血キノコが出現するが、問題はなさそうだな」
洞窟前で待機しているカリヴァンが「ベアトリーチェは魔法が苦手だと言うから、私が同行しようと思っていたが、その杖を持っているのなら大丈夫だろう」と付け加えた。
その杖とは──と、他の生徒たちの視線がベアトリーチェの視線に向く。
(でも、やっぱり目立つのは嫌だわ……)
どうにも、人の視線は苦手だ。
──できることなら、平和に暮らしたいと願ってはいけないだろうか。
「では、行ってきますわね、先生」
アルテミスが元気よく言う。
それから「わたくしが二人を守りますわ。安心してついてきてくださいまし」と、自信満々に自分の胸に手を当てた。




