28 はじめての謝罪
アルテミスは昨日からずっと機嫌が悪い。
ベアトリーチェには喧嘩をするつもりも、喧嘩をしたいとう気持ちもなかった。
──本当に、感情というものはままならない。
確かに精霊の洞窟は、魔素が濃いといわれているだけある。
森は途中まではごく普通の森だった。背の高い針葉樹が小道を囲み、空から筋のように光が差し込んでいる。
水分を多く含んだ苔むした地面や木の根元には、ぽこぽことキノコがはえている。
森の途中まですすむと、その風景は少し変わった。
森のそこここに魔ヒカリゴケがはており、森全体をエメラルドグリーンに輝かせていた。
魔素量とは、その土地が保有する魔力量のことだ。
魔力を持つ人の体には魔力の回路がある。それと同じく、土地にも巡る魔力がある。
魔素量が多ければその土地は肥沃になる。多ければ多いほどに魔素を吸い上げ育つ植物があるが、同時に魔物も沸きやすくなる。
魔ヒカリゴケは魔素が多い土地ほど生えやすい。両手で抱えられるほどの綿毛状の光る胞子を飛ばすので、別名『ヒカリケダマ』とも呼ばれている。
ソフィアナは「田舎では、よくこれをつついて遊びました」と言いながら、魔ヒカリゴケの胞子を突いて遊んでいる。
無言で歩き続けていたアルテミスが、不意に立ち止まった。
それからぐるりとベアトリーチェを振り向いた。
「……ベアトリーチェさん」
「どうしましたか、アルテミス様」
「……わたくし、一晩考えましたわ。それから、歩きながらも考えておりましたの」
「はい」
何を言われるのかと、身構える。
ソフィアナがベアトリーチェの横にぴたりと寄り添った。どうやら彼女も同じ緊張を感じているようだ。
それぐらい、今のアルテミスは緊迫した雰囲気を漂わせていた。
まさか──エルシオンをかけて決闘しよう、などと言われるのだろうか。
もちろん、勝つし、勝てるわけだが。
アルテミス相手なら、おそらく魔法を使わなくても杖と棒術でなんとかなる。
でもできれば、無駄な戦いは避けてたい。ベアトリーチェは平和主義者だ。
学園生活、本当ならば友人と恋愛について盛り上がったり、オシャレなカフェなどに行ったり、穏やかに過ごしたい。
「あなたは、私を咎めましたわ。わたくし、誰かから叱られたのははじめてでした」
「……そうなのですね」
「ええ。お父様もお母様も、わたくしのことを可愛いと。優秀だと。特別だと言って育てました。エルシオン様の結婚相手に相応しいのはわたくしだと言いました。だから、わたくしもそれを信じておりましたわ」
それはとてもよい環境で育ったものだ。
ベアトリーチェの幼い頃は、お世辞にもよい環境とは言えなかった。
今はもう恨みも悲しみもないが、クリエスタの記憶を取り戻さなければ、冷たい湖の中で蛇竜に食われて死んでいただろう。
つまり、アルテミスとはベアトリーチェが説教をせずにそのまますくすく歪んだまま真っ直ぐ育った、ベアトリーチェの弟妹のようなもの。
それにしては、やることが可愛い。あの双子がすくすく育ったら、今頃人を一人ぐらいは殺していたかもしれない。
今ではすっかり可愛いいい子たちだが。
「でも……エルシオン様はわたくしを嫌っていたのですわね、きっと。あなたの言っていた通りの、理由で」
「それは、エルシオン様に聞いてみないことには」
「わかりますもの。わたくしだって、馬鹿ではありませんわ。はっきり叱られれば、わかります。それに、わたくし、エルシオン様のことをすごく好きなわけではありませんでしたわ」
「そ、そうなんですか……?」
叱られて、心をただしたから、これからは恋のライバルだ──など。
そんな話になるのかと思っていた。
うつむいていた顔をあげたアルテミスはどことなく、晴れやかだ。
彼女はベアトリーチェに近づいてくると、思いきり、頭をさげた。
気位の高い彼女の行動とは思えない。
「ごめんなさい」
「……アルテミス様、頭をあげてください」
「ごめんなさい、ベアトリーチェさん。それから、ソフィアナさん」
「えっ、私も、ですか……?」
「ええ。わたくし、あなたたちに酷いことをしました。それなのに、あなたたちはわたくしに合わせて歩いてくれました。ベアトリーチェさんは、わたくしの靴を歩きやすくしてくれました。わたくしが馬鹿だったのに、見捨てることをしませんでした」
見捨てる──わけがないだろう。
アルテミスはくじ引きで決められた、仲間だ。
放っておくわけがない。ソフィアナもそうだろうが、ベアトリーチェも、彼女を毛嫌いしているわけではない。
「だから、ごめんなさい。わたくしを叱ってくれてありがとう、ベアトリーチェさん」
潤んだ瞳が、ベアトリーチェを見つめる。
ベアトリーチェはぱちぱちと瞬きをした。
それから、「私も言い過ぎました。自分のことで精一杯で、言い方を、間違えたかもしれません」と、謝罪をした。




