27 近づく距離
炎鳥の生徒は、全体で十五名ほど。
一クラスの人数を少なくするのは、教師がより多くの生徒に目をかけられるようにするためである。
三人ひと組なので、全部で五グループ。
村の宿からの出立時間は皆同じだ。身支度をして、朝食をとり、出発をする。
精霊の洞窟は森の奥にある。「森の小道は迷いやすい。寄り道をせずに真っ直ぐに進むように」と、カリヴァンが言う。
「上級生が待機している。何か困ったことになれば、助けを求めるように」
出立時する前の説明に、他の生徒から「昨日のうちに言ってくださいよ」という声があがる。
カリヴァンは首を傾げながら「伝えた筈だが」と口にした。
言われていない。とはいえ特に困ったことはないので、まぁいいかという空気が皆に流れた。
「カリヴァン先生は怖いですけど、もしかしたら結構うっかりさんなのかもしれませんね」
ベアトリーチェの耳元で、ソフィアナが囁く。
そうかもしれないなと、ベアトリーチェも頷いた。魔道具に対する情熱を見るにつけ、興味があることに熱意を注ぎすぎて、他は疎かになるタイプなのかもしれない。
その口調や、できる男、という見た目が彼を勘違いさせているのか。
──そもそも、カリヴァンがどんな人間なのかを、まるで知らないのだが。
「リーチェ、気をつけて。立場上君についていくわけにはいかないが、何かあったら呼んで欲しい」
「……ありがとうございます、エルシオン様」
「何かあったか? いつもと少し、様子が違う」
「いえ……何も。何も、です」
出立前に、エルシオンに声をかけられる。
昨日のことが思い出されて、ベアトリーチェはエルシオンの顔を真っ直ぐに見ることができなかった。
隠すようなことはなにもない。
エルシオンのことでアルテミスと言い合いになった。それだけだ。
「ベアトリーチェ様は昨日殿下のことを褒めていらっしゃいました。民のことを第一に考える、素晴らしい人だと言って」
「ソフィアナ……っ」
「どうしましたか、ベアトリーチェ様。褒め言葉は直接伝えないと。褒めらると、嬉しいものですよ」
ソフィアナがあっさり昨日のことを口にするので、ベアトリーチェは慌てた。
何も、変なことは言っていない。
けれど、ベアトリーチェは今まで直接エルシオンに好意を伝えたことがないのだ。
あくまで無関心を装っていた。冷たくしてきたわけではないが、あからさまに好意的な態度もとっていない。
──なんだか、とても恥ずかしい。
「リーチェ、ありがとう。俺はそんなに立派な人間ではないが、王家の血筋に生まれた以上は義務を果たさなくてはいけないと、常々考えている。君に認められるのは、とても嬉しい」
ベアトリーチェの手を取って、エルシオンが微笑む。
顔が熱くなるのがわかる。ベアトリーチェは珍しく歯切れが悪く「あー」や「うぅ」など口の中でもごもご言った。
「さっさと行きますわよ」
朝から──正確には昨日の夜から一言も話をしなくなっていたアルテミスが不機嫌そうに言う。
歩き出してしまった彼女を、ソフィアナが追いかけていく。
エルシオンはベアトリーチェの腕をぐいっと引き寄せると、腰に手を回した。
体格差のせいで、簡単に腕の中に閉じ込められてしまう。
出立を見送るカリヴァンが、やれやれと肩をすくめて生徒たちを追いかけて最後尾を歩き出す。
ばっちり見られたことに口をぱくぱくさせながら、ベアトリーチェはエルシオンの胸を押した。
「な、なにをなさるのですか、エルシオン様……っ、こんなところで、こんな……」
「婚約者に触れるのはいけないのか?」
「そういう問題ではなく……!」
「リーチェ。君に謝罪したい。アルテミスについてだ」
「……アルテミス様のことですか?」
ここじゃなくても、今じゃなくても、それに、こんな体勢じゃなくても。
頭の中は疑問でひしめいたが、ベアトリーチェは大人しくしていた。
エルシオンの声音が、思いのほか真剣だったからだ。
「アルテミスの家は、古くからある公爵家でな。この国の貴族の大多数がそうであるように、気位が高い。だがこれは……長年の我が父の悪政に原因がある」
「サイアリーズに操られていた時の、ですね」
「あぁ。サイアリーズは父を暗君だと思わせるために、貴族は庶民とは違うのだという姿勢を貫かせた。それに阿る貴族たちは、特に増長をした。中には反発する者もいたが、元々選民意識の高い公爵家は特に父の方針に肯定の姿勢を見せた」
自分は偉いのだと言われて育てられたと、アルテミスは言っていた。
彼女にとって彼女の態度は正しいものだったのだろう。そうなるように育てられたのだから。
「俺はそういった貴族を嫌ってはいたが、何もしなかった。己の力で人を変えることなどできないと思っていたからだ。アルテミスにも、好きなようにさせていた」
「アルテミス様の言葉や態度はアルテミス様のものです。エルシオン様が謝罪をすることではありません」
「だが、彼女が君やソフィアナを傷つける前に、対処をすることはできただろう。面倒がっていたんだ。彼女との対話を。面倒……というよりは、諦めていたのだろうな」
「……エルシオン様。その気持ち、私にもわかります」
まるで自分のことを指摘されているようだった。
ベアトリーチェも避けている。自分の中にある恐れを、外に出すことを。
エルシオンと、深く関わることを。
「俺はもっと君と、親しくなりたい。課題が終わったら夏期休暇があるだろう? デートに行こう、リーチェ。楽しいことをしよう、二人で」
「魔物退治ではなく?」
「魔物退治はデートではなかった。君がいてくれたからジェリドを助けることができたが、余計なライバルになってしまった」
「ライバルですか?」
「あぁ。彼は君を手に入れると言っている。正直、焦っている」
エルシオンでも焦ることがあるのかと、意外だった。
大人びていて、いつも落ち着いているように見えるのに。
「……こうしていないと、君はすぐに逃げてしまう。話ができて、よかった」
エルシオンの腕がするりと離れる。
まるで子供にするように頭を撫でて「気をつけて」と微笑んだ。
ベアトリーチェは真っ赤になった顔を見られないように、急いでエルシオンの元を離れる。
道の向こうで待っていてくれたソフィアナが手を振って「ベアトリーチェ様、行きましょう!」と、明るく言った。




