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26 恋か、それとも



 心臓が、ばくばくいっている。

 赤く染まった顔を見られないようにベアトリーチェはうつむいたまま、一階の広いフロアで談笑する生徒たちの間を通り過ぎて、足早に宿の振り分けられた部屋に向かう。


(急に、なんなの。……慣れていないのよ。こういうのって……困る)

 

 エルシオンとの関係は、あくまで義務。王家からの命令による婚約である。

 ──できることなら王家には近づきたくない。


 今だ、その気持ちはあるものの。

 エルシオンは優しい。それは、理解している。それはまるで、兄のように。

 ベアトリーチェの中にある恋愛への憧れは、自分では手の届かない遠い世界への憧れに似ていた。

 だからこそ、あまり意識をしないでいられたのだろう。


 エルシオンが男性だということを。

 出会った時にはまだ少年のようだったエルシオンだが、十八にもなれば十分に大人だ。

 触れられた手の甲が、熱をもったように熱い。


「ベアトリーチェ様、どうしましたか? 泣きそうな顔をしていますけれど、エルシオン殿下と喧嘩でもしたのですか?」

「……ソフィアナ」


 はっとして顔をあげる。宿の部屋に入って扉に背をつけて息をついたベアトリーチェを、ソフィアナが不思議そうに覗き込んでいる。

 三つあるベッドの上に、アルテミスが膝を抱えて小さくなっていた。

 

「違うわ。何でもないの」

「……何でもないという顔ではありませんわ。……あなたばっかり。エルシオン様に構われて。気に入られて。何もできない役立たずのくせに。わたくしは努力しましたもの。魔法も、マナーも、勉強も。エルシオン様のお嫁さんになりたかったのに」


 アルテミスが涙に濡れた瞳でベアトリーチェを睨む。

 ──エルシオンに対して明確に好意を持っているアルテミスのほうが、エルシオンには相応しい。

 そんなことは、わかっている。

 ベアトリーチェだって、変わってもらえるものなら変わって欲しい。


 つい最近までは、そう思っていた。

 だがそれは、あまりにも──エルシオンに対して。

 無礼だろう。


 エルシオンのことを、ベアトリーチェは嫌いではない。

 ただどうしても。どうしても──処刑をされた記憶が、ちらつく。エルシオンの顔が、在りし日の国王の顔に重なる。

 似ている。似ているのだ。

 ──国王に。


 違う。

 カエルを焼いているベアトリーチェの横に座って、しげしげと興味深そうに眺めている青年の姿が、脳裏を過ぎる。あれは──。


「それなのに。エルシオン様はあなたを選びましたわ。エルシオン様から求められているというのにあなたときたら。ジェリド殿下に色目を使い、カリヴァン先生にまで。エルシオン様が不憫です。わたくしなら、エルシオン様一筋なのに……!」


 アルテミスに責められて、ベアトリーチェは眉を寄せる。

 アルテミスの気持ちはわかる。

 だが、ベアトリーチェだって悩んでいるのだ。


 慣れない、愛や恋に。

 求めても手が届かない美しく輝くものを目の前に差し出されて、戸惑っている。


「では……気に入られるよう努力なさったらどうなのですか? あなたはソフィアナを馬鹿にし、私を貶めようと必死でした。そんな女を誰が好きになりますか? 少なくとも私が男なら、あなたよりも心優しいソフィアナを選びます」


 目立たないように。波風を立てないように。

 そう──思っていたのに。

 これ以上は無理だ。黙っていることはできない。アルテミスの恋心は立派なものだが、その行動はとても立派とはいえない。


「……ベアトリーチェ様、そこで私の名前を出されると、その、照れてしまいます。私もベアトリーチェ様と結婚したいです」


 ソフィアナが照れている。今のはもののたとえだ。ソフィアナとは結婚できない。

 男に生まれていればなと、少し思う。そうしたら、こんな風に悩んだりはしなかっただろう。


「……っ、だって、わたくし……!」

「だって、ではありません。自分の行動や言動を振り返ってみてください。エルシオン様は民のことを第一に考えているとても立派な方です。エルシオン様の治世ならば、王国民は安寧に暮らせるでしょう」


 口をついて出た言葉に、ベアトリーチェは自分でも少し驚いていた。

 隣国との戦争になるぐらいならば、詫びとして自分の首を差し出すと言い切っていた。

 サイアリーズに操られていたせいで悪政をしていた両親を、殺すことまで考えていた。

 妹を守るために命を簡単に投げ捨てようとしていた。


 エルシオンは誰かの為に、生きることができる。自分を犠牲にすることを厭わない──立派な人だ。


 ──ベアトリーチェを処刑した王と、彼は違う。


「そのエルシオン様が、平民の出だからといってソフィアナを馬鹿にしたり、魔力がないからという理由で私を役立たずと罵るあなたに心を傾けるとでも思うのですか? 私は、あなたを恋のライバルとさえ感じていません」


 アルテミスは、大きな目を見開いた。

 その瞳から、ぼろぼろと涙がこぼれおちる。


「……わたくしは、公爵家に生まれました。わたくしは誰よりも偉いのだと、教わりました」

「民の為に命を差し出すことのできるエルシオン様にとって、その考えはなによりも、嫌悪の対象になるのではありませんか?」


 アルテミスは膝を抱える。その膝に顔を埋めた。

 もうこれ以上は何も話したくないと、無言で訴えている。


 ベアトリーチェは心に溜まった鬱憤を吐き出すように、息を吐いた。

 クリエスタであったとき、こうして誰かにはっきりと気持ちを伝えることができていたら。


 何か、変わっていたのだろうか。



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