25 エルシオンと街道の整備
粉ひき小屋と川と畑、小さな店家々からは煮炊きをする美味しそうな香りが漂ってきている。
鶏やうさぎが村の中を自由に歩き回り、それを目にしたアルテミスが「動物がいますわ」と唖然としたように口にしている。
「鶏やウサギはよくいますよ、その辺に」
「ふん。これだから田舎者は。嫌ですわね。飼い犬とはきちんと家の中で飼うものですわよ」
「違いますよ、アルテミス様。愛玩動物じゃないです」
「では、なんだというのです」
「食べるんですよ」
ごくごく当たり前のようにソフィアナが言う。
アルテミスは青ざめた。両耳を両手でふさいで「何も聞きませんでしたわ、わたくし」と小さな声で呟いた。
アルテミスはきっとカエルやヤモリは食べることができないのだろうなと、ベアトリーチェは思う。
鶏やウサギは一般的にはよく食べられているが──クリエスタにとっては高級品だった。
卵やウサギ肉は美味しいが、クリエスタにとってはカエルやヤモリのほうが馴染み深い。
この小さな村の風景は、どことなく懐かしさを感じるものだ。
宮廷魔導師になってから、各地を守るために転戦した。魔物の出現の知らせを受けては──同じ宮廷魔導師たちはクリエスタに『出番ですよ』『よろしくお願いしますね、天才魔導師様』とにやにやしながら仕事を押しつけてきた。
だからクリエスタは王国中の街や村を回った。だがそれはあくまで魔物を討伐するため。犯罪者を取り締まるため。
こんなにゆったりした気持ちで夕日を眺めたことなどなかった。
「おかえり、リーチェ」
──なかったのだ。
「リーチェ、あまり暗くなるようなら、迎えに行くところだった。心配していた」
なかったはずなのに。
ベアトリーチェは夕日に照らされた鳥やウサギに向けていた視線を、二階建ての宿の扉の前で背を壁に凭れさせながら、腕を組んで待つ涼やかな美形に向ける。
「……エルシオン様」
「あぁ。おかえり」
「どうして、ここに」
「どうして? 炎鳥の一年生の校外学習の面倒を見るのは、同じく炎鳥の上級生の役目だからだが。街道には、一年生に危険がないように上級生が待機していただろう」
エルシオンが不思議そうに言う。
疑問に思っているベアトリーチェほうが間違っていると言いたげな雰囲気で。
「そんな説明、先生はしていませんでしたね。でも、確かに街道ですれ違う旅人たちは、若い人が多かったような……あれは、先輩たちだったんですね」
「エルシオン様、わたくしたちを見ていましたの?」
ソフィアナが指を唇にあてる。
アルテミスがふるふる震えながら尋ねる。エルシオンは軽く頷いた。
「それが役割だからな。何かあれば助けるつもりでいたが、君は何も問題がないようだった、リーチェ。さすが、俺のリーチェは優秀だ」
「優秀では、ありません……私はごく普通、ごく一般的です……」
「俺が君を優秀だと思っている、という話だ」
「エルシオン様、わたくし、街道スライムを倒しましたわ」
ベアトリーチェを押しのけるようにして、アルテミスがずいっとエルシオンの前に出る。
エルシオンは優しく微笑んだ。大抵穏やかに笑っているエルシオンだが、付き合いが長くなってきたせいかベアトリーチェは彼の機嫌の善し悪しについて、少しわかるようになっている。
誰もを魅了する笑顔の向こう側に、凍てついた雪原を見たような気がした。
「──アルテミス。街道を燃やし尽くしただろう。整備代は、公爵家、もしくは君のような危険な存在を放置しているカリヴァンに請求しておく」
「え……っ」
「魔物が妙に多いせいで、街道の整備代がかさんで仕方ない。君が燃やした整備代まで税収から出すとなると、王国民の負担がさらに大きくなる。街道スライムに上級魔法を使う馬鹿者がいるとは、俺も思わなかった」
「そ、そんな……」
エルシオンに冷たい声で言われて、アルテミスは大きな瞳に涙を浮かべた。
「頑張ったのに、わたくし! ひどいですわ!」
などと言いながら、アルテミスが宿の中に駆け込んでいく。
ソフィアナは困り顔でベアトリーチェとエルシオンの顔を交互に見て「ちょっと追いかけてきますね」と言った。
「私も一緒に」
「ベアトリーチェ様は、ゆっくり来てください。今のアルテミス様をベアトリーチェ様が励ましたら、傷に塩を塗りに来ましたの?! などと言われかねないですから」
「そうかもしれないわね……」
ソフィアナがアルテミスの後を追っていく。
エルシオンと二人で宿の前に残されたベアトリーチェは、伊達眼鏡の奥からエルシオンを軽く睨んだ。
「……エルシオン様。アルテミス様も、それなりに頑張ってくださいました」
街道を燃やしたのはやり過ぎだと、ベアトリーチェも思うものの。
「正しくないことを咎めるのは、いけないのか?」
「いえ、でも、言い方があります」
「君以外の女に優しくする必要があるのか?」
「……そ、それは、極端な考え方、で……」
いきなり何を言い出すのか、この人はと、ベアトリーチェは視線を逸らす。
「カリヴァンに、興味を持たれた。君は魔力がないふりをしたいのだろう。理由は知らないが。だが、驚くほどに迂闊だ」
「……見ていたのですか」
「君のことは、いつも見ている。これでも、君を束縛しないように、自制をするのに必死なんだ」
カリヴァンに握られた腕を、エルシオンはとった。
触れられた手首を引き寄せられる。エルシオンの唇が触れた。
ベアトリーチェは顔を真っ赤にしてその腕を強引にエルシオンから引き剥がすと、急いで宿の中に入った。




