21 課題、開始します
なんとかアルテミスの荷物が、鞄一つにまとまった。
「背中に背負うなんて、優雅ではありませんわ」
などと彼女は最後まで文句を言っていた。着替えは二着は必要だことの、下着を自分で洗うなんてあり得ないだことの大騒ぎをしていたし、道ばたで従者たちがアルテミスの衣服を広げるものだから顔を真っ赤にして怒っていた。
「アルテミス様、どうかお気をつけて。お怪我などなさらないように」
「当然よ、ジルファ。このわたくしを誰だと思っておりますの?」
彼女の執事と思しき眼鏡をかけて黒髪を撫でつけた青年に、アルテミスは胸を反らして言った。
ベアトリーチェは空を見あげる。アルテミスの準備に時間がかかったために、出発の時間が遅れた。
時刻はもう昼にさしかかっている。
「アルテミス様の従者、ジルファと申します。皆様、アルテミス様をどうぞよろしくお願いいたします」
「ちょ……っ、やめなさい、ジルファ! 恥ずかしい!」
「もちろんです。一緒に頑張りましょう、アルテミス様」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
青年が丁寧に挨拶をしてくれる。
ソフィアナが明るく答えて、ベアトリーチェは目立たず騒がず、当たりさわりのない返事をした。
アルテミスが顔を真っ赤にして怒っている。
(案外、可愛い人なのかもしれないわね)
ソフィアナの件もあり、アルテミスの心証はあまりよくなかった。
とはいえ、ベアトリーチェもややきつめのお仕置きをしているので、そこまで彼女に怒りを感じているわけでもないし嫌っているということもない。
まだ一度も、まともに言葉を交わしていないのだ。
彼女がソフィアナやベアトリーチェを敵視する理由も、いまいちよくわからない。
従者には好かれているようだから、そう悪い人間ではないのかもしれない。
それにしてもソフィアナは──嫌な目にあっているというのに、笑顔で「一緒に頑張ろう」と言えるのだから、やっぱり心が強いのだなと、ベアトリーチェは感心した。
一度ひどいことをした人間を、好きになれる人などそういない。
これで高度な光魔法の使い手なのだから、聖女の資質があるのだろう。
(人を癒やす人間は、相手に対して好きも嫌いも言っていられないものね)
──クリエスタにも、そういう経験がある。
全ての魔法が得意だったクリエスタは、当然癒やしの力も求められた。
どんなに嫌がらせをしてきた人間も、嫌味な貴族も、淡々と治療した。
いつかは報われる日が来ると、信じていたのかもしれない。
(精神の安定は、魔力のコントロールに不可欠。逆に精神の不安定さが膨大な力を発揮することもある)
──難しいところだ。
元々ベアトリーチェの体に魔力がなかったのは、クリエスタの魂が記憶の奥底に封じられていたからである。
記憶を思いだした途端に魔力が発露したのは、体の中にある魔力管がうまくつなぎ治されて、体の奥に記憶と共に押し込められていた魔力が、きちんと体を巡り始めたからである。
体には、血液を運ぶ血管がある。そしてリンパ液を運ぶリンパ管がある。それに沿うようにして魔力管が存在し、体を魔力が巡っている。
血液やリンパ液が食事の量や体調などに影響されるように、魔力は精神に影響される。
膨大な量の魔力が体に巡っていても、精神が安定しなければうまく扱えない。逆に、不安定さが思わぬ力の発露に繋がることもある。
ベアトリーチェの場合は、クリエスタの記憶を思いだしたことにより損なわれていた魂が充足して、己の力を自覚して上手く扱えるようになったのだろうと、ベアトリーチェは考えている。
そんなことを考えながら、ベアトリーチェはソフィアナやアルテミスと共に街道を歩きはじめる。
アルテミスの従者たちに見送られて、ようやくベアトリーチェたちは出発した。
もう同級生たちの姿は見えない。今日は途中の村で宿泊して、明日精霊の洞窟に辿り着く。
一応順路は決まっているが、その間は生徒たちの裁量に任せられている。
難しい道中ではない。途中の村で、担任教師のカリヴァンが待ってくれている。
今日中に辿り着かないと──おそらく、成績が、悪くなる。
一応これは課題だ。課題には、『優・良・可・不』という四段階の成績がつけられる。
途中の街への道中さえ問題があるようでは、おそらく『不』とされてしまうだろう。
それは避けたい。だって目立ちたくないのだ、ベアトリーチェは。
「……アルテミス様、少し急ぎます」
「わたくし、はやく歩けませんわ」
「それでも急ぎます。この歩みでは、村に辿り着くころには夜になってしまいます」
「そうですね。カリヴァン先生は怒ると怖いですし、夕ご飯が抜きになるのは嫌です」
ベアトリーチェの提案に、ソフィアナもうんうん頷いた。
ふとベアトリーチェはアルテミスの足元に視線を送る。
お出かけ用の、それはそれは繊細で美しいヒールの靴をはいている。
どうりで歩みが遅いはずである。それは石畳が敷かれているものの、でこぼこした街道を歩くには適していないのだ。