2 子供には、そして悪い大人にも教育が必要である
記憶が蘇った途端、ベアトリーチェの体を魔力が巡りはじめる。
それは──池の水を嵐の海のように波立たせて、木々をざわめかせ、体が浮き上がるほどの突風を起こすほどの質量だった。
無詠唱で、水中呼吸の魔法で体の周りに空気の膜を張る。
溺れかけていたベアトリーチェは、深く息を吸った。
ベアトリーチェは、簡単な魔法なら無詠唱で使用することができた──ことを、思い出した。
水中呼吸も、空中浮遊も、ベアトリーチェにとっては初歩の初歩である。
「──蛇竜ごときが、私に勝てるとでも?」
ベアトリーチェの眼力に、蛇竜は怯んだように動きを止める。
魔生物は、本能でベアトリーチェには勝てないことを悟ったようだった。
今まで体の中に押し込められていた魔力が、体にあふれる。
大地を震わせるほどの質量を持つ魔力は、ベアトリーチェの血管のように体に張り巡らされている魔術回路を巡り、そして、指先に集まった。
「凍れ、氷河のごとく」
すさまじい魔力量をもつベアトリーチェから放たれた魔法は、一瞬のうちに巨大な蛇竜を凍り付かせる。
「貫け、光槍のごとく」
ベアトリーチェの掲げた手の上に、彼女を数倍にしたほどの長さを持つ槍が現れる。
自分の体の何倍もの大きさのある槍を、ベアトリーチェは無造作に氷漬けにした蛇竜に向かって投げつけた。
槍は、やすやすと蛇竜を、まるでフォークでトマトを刺すように貫いた。
挑む相手を間違えた蛇竜は、氷漬にされて光の槍で焼かれて、そのあまりの熱量にこんがり蒲焼きになった。
「それにしても……」
ベアトリーチェは水中から、水面をみあげる。大きく波打っている水面から、光が水中にふりそそいでいる。その先に、今か今かとベアトリーチェの死体が浮き上がってくるのを待っている、弟妹がいる。
ベアトリーチェは浮遊魔法を使い、ふわりと、水面に浮上した。
蒲焼にした蛇竜も一緒である。
ざばんと大きな水飛沫を立てて水面から姿を現した巨大な蛇竜の蒲焼きに、ユミルとノエルは腰を抜かした。
蛇竜など、父ぐらいの優秀な魔導師にならなければ討伐することができないほど強い恐ろしい魔物である。
二人とも、ベアトリーチェは食われてしまうのだと思い込んでいたのだろう。
父に玩具にしていいと言われたのだ。
庭の野うさぎを魔法で殺すのと同じように、命を玩具にしていいのだと当たり前のように考えていた。
それなのに──串刺しで黒焦げになった蛇竜の前に、ベアトリーチェがふわりと浮かびあがっているのだ。
「お姉様、どういうことですか……!?」
「姉上、これは一体!?」
腰を抜かしながらも、それでも生意気にもベアトリーチェを睨みつけて詰問しようとしてくる二人を、ベアトリーチェは呆れた面持ちで見下した。
──この二人は、私を散々いたぶった。
炎魔法で肌を焼き、雷魔法で苦痛を与え、水魔法で窒息させようとし、風魔法で体を切り刻んだ。
このまま成長したら、さぞ性格の歪んだ、多少の魔法を使うことができるろくでもない魔導師に仕上がるだろう。
それは、どうにも見過ごせない。
「……仕置きが、必要ね」
双子は、まだ幼い。子供だ。だからこそ、きちんと指導しなくてはいけない。力があるのなら、その使い方を。
アリステア家の両親は、双子にまともな教育をしていない。力こそ全て、力がある者が偉いのだと勘違いをさせている。
それは、今ここで正さなくてはいけない。
「ユミル、ノエル。本当の浮遊魔法の使いかたを教えてあげる」
ベアトリーチェが手をかざすと、ユミルとノエルの足元に突風が渦を巻きながら湧きあがる。
それは竜巻となって、ユミルとノエルの体を空高く浮き上がらせた。
「いやあああっ、やめて、こわい……っ」
「姉上、やめて……!」
家の屋根よりも、高く高く飛ばされたユミルとノエルから、浮遊魔法の力をベアトリーチェは奪った。
二人は空から地面に向かって急降下してくる。地面に激突すればその命はないだろう。
そういう──危険なことを、この二人は散々ベアトリーチェにしてきたのだ。
同じ痛みを体験しなくては、自分たちの罪を思い知ることもないだろう。
「死ぬ、死んじゃう……っ! お姉様、ごめんなさい、ごめんなさい! 助けて……!」
「ごめんなさい、姉上、ごめんなさい……!」
落下しながら、二人は子供らしく泣きじゃくり、ベアトリーチェに謝罪を繰り返した。
ベアトリーチェは二人が地面に落ちる寸前で、串刺しで丸焦げになった蛇竜の亡骸を、魔法を使い移動させて二人の体の下に滑り込ませる。
ぐちゃっと。二人の体はこんがり焼けた蛇竜の中に落ちた。
綺麗な服も、髪も、肌も。煤だらけのどろどろになる。
「──二人とも。自分がされて嫌なことを、人にしてはいけないわ」
「うわあぁあん……っ」
「ごめんなさい、姉上……っ」
ベアトリーチェはすいっと二人の前に降り立って、腰に手を当てると二人を叱った。
双子は互いを抱きしめながら、ぼろぼろ泣いてベアトリーチェに何度も謝った。
「──さて」
これで、二人の仕置きは終えた。もう十分だろう。
ベアトリーチェにはやっておかなくてはならないことがもう一つあった。
泣きじゃくる双子をその場に残して、屋敷の中に向かう。
この屋敷にはベアトリーチェにさんざん嫌がらせをしてきた使用人たちと、ベアトリーチェを人間扱いしなかった両親がいる。
魔法は人に危害を加えるためではなく、守るためにある。
だが──悪人には、相応の罰が必要だ。それはベアトリーチェが、この屋敷で快適に過ごすためでもある。
「ベアトリーチェ、一体なんだ?」
「ここにくることを許可していないわよ」
「お嬢様、不敬ですよ」
風魔法で扉という扉を開かせて、ベアトリーチェは父や母、そして侍女頭や多くの使用人たちを『見えざる手』を使って拘束すると、逆さづりにして部屋の広間にずらりと並べた。
わけがわからないという顔でベアトリーチェを睨みつける家族や使用人たちの前に、ベアトリーチェはふわりと浮かびあがる。
それはまるで、神託を授ける神の御使いのような姿だ。
「今まで私を散々いじめてくれたけれど。弱いものいじめは最低なおこないよ。もし同じことをするのなら、あなたたちの頭を……そうね、豚に変えてあげましょう」
「ふざけないで、魔力のない役立たずの癖に!」
ベアトリーチェに怒鳴った母の顔が──一瞬のうちに豚に変わる。
「だから、言ったのに。豚のほうがよほど可愛いわね」
やれやれと溜息をつくベアトリーチェの前で、豚の顔になった母がぽろぽろ泣いていた。
父も使用人たちも青ざめて、ベアトリーチェの拘束魔法がとかれると、一斉にベアトリーチェの前に膝をつき、頭をさげる。豚になった母も同様に、ぺこぺこと謝っている。
ベアトリーチェは悲し気に目を伏せると「自分がやられて嫌なことを、人にしてはいけないわ。あなたたちは大人でしょう?」と諭すように言った。
お読みくださりありがとうございました!
評価、ブクマ、などしていただけると、とても励みになります、よろしくお願いします。