19 エルシオンとジェリドと炎鳥と雷虎
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エルシオン・グラウアルクはいわゆる、天才だった。
本を読めばその内容を一度で全て覚えることができたし、高度な魔法も教師に一度方法を教えてもらえば練習もせずに使うことができた。
十歳にもなれば、剣術でエルシオンに勝てる相手は誰もいなくなり、大抵の魔法は使いこなし、使うことが難しいと言われている物体に魔力を纏わせる魔法剣まで使用することができた。
──だから、なにごともつまらないと感じていた。
大人たちは愚かに見え、年頃の子供たちもまた──エルシオンに媚びをうる小うるさい連中でしかなかった。
陰では国王と王妃の悪口を言いながら表向きは彼らに阿り甘い蜜を吸う者たちも。
王太子の友人や婚約者という立場を手に入れたがる貴族の子供たちも。
皆、嫌いだったのだ。
年の離れた妹シルファニアは幼い故に純真で、シルファニアといるときだけが唯一心が休まった。
エルシオンが十六歳の時である。
毎年恒例の、十五歳の貴族の子供たちが王に挨拶をするデビュタントの式典で、エルシオンはいつものように父王の隣に座りにこやかな笑みを浮かべていた。
内心では、早く終わらないかと思いながら。
十五を過ぎたあたりから、婚約者を決めたほうがいいと周囲がうるさくなってきていた。
貴族たちもそれを意識しているのだろう。自分の自慢の娘を披露するのに必死な様子がその言動や表情から透けてみえて、うんざりしていた。
「我が娘、ベアトリーチェ・アリステアです。アリステア家の娘ながら、ベアた……い、いえ、ベアトリーチェにはあふれ……んばかりの魔力はなく、国王陛下の役には立たないかと。申し訳ないことですが」
いつも冷静沈着で、氷のような魔力を身に纏っている王国最強の魔導師とも名高いサイラス・アリステア伯爵が、妙にしどろもどろになりながら娘を紹介した。
今まで興味がなさすぎて、誰の顔もまともに見ていなかったエルシオンは、妙な紹介の仕方をするものだと気になって、ベアトリーチェの顔をじっと見つめた。
普通は、エルシオンと目が合えば、年頃の令嬢は頬を染めて思慕を宿した瞳でエルシオンをうっとりと見つめ返してくるものである。
しかしベアトリーチェはうつむいたまま。
エルシオンはまるで「お前になど興味がない、むしろ嫌いだ」と言われたような衝撃を受けた。
そんなことは、はじめてだ。
だから、エルシオンはベアトリーチェを婚約者にすることに決めた。
「ベアトリーチェには魔力がないという。確かにアリステア家の者たちは魔力に優れているが、ベアトリーチェを娶ったところでたいした利はないだろう」
「他の令嬢にするべきです。例えば、公爵令嬢のアルテミス様などいかがですか。家柄もよく、なによりもアルテミス様は殿下を慕ってくださっていますよ」
色々と周囲の者たちがうるさかったが、エルシオンは自分の意思を曲げなかった。
ベアトリーチェに魔力がなかろうが、エルシオンは一人きりで十分に強いのだ。
あの醒めた目をした少女のことを、もっと知りたい。
半ば意地のような妙な気持ちだった。誰もが好意を向けるのに、ただ一人だけ関心を示さないベアトリーチェの瞳を、こちらに向けさせたかった。
もしそれができたら──きっとそれは、媚びではない。本物の、恋だろう。
彼女に、恋をさせたい。
今となってはとても傲慢で恥ずかしいことを、エルシオンは考えていた。
もちろん、今は違う。
魔力があることをどういう理由かは知らないが、隠しておきたい様子なのに。
ベアトリーチェは、両親を救いエルシオンを助けてくれた。
自分の身を犠牲にしても、自分の怪我など二の次で、他者を救える強い人だ。
あれほど心根の美しい人を、エルシオンは知らない。
ベアトリーチェの秘密は、自分だけが知っていればいい。彼女は誰よりも強く気高い。誰にも負けないほどの魔力を持ち、エルシオンでさえも知らない魔法が使えることを。
ベアトリーチェが社交を嫌い、貴族の集まりに顔を出さないことはエルシオンにとっては好ましかった。
ベアトリーチェの姿を見て言葉を交わせるのは、自分一人であればいいとさえ思うほどに、エルシオンはベアトリーチェに心を奪われている。
王立学園でベアトリーチェに注目が集まるのは嫌だった。
それなのに──。
「エルシオン。今日から私はあなたの好敵手だ。我がガルルム・クラセスはあなたのフィニス・クラセスに勝つ。そして私もあなたに勝ち、ベアトを私の妻に迎える!」
「……そんなことができるとでも?」
入学初日に、教室前の廊下で敵対宣言してきたジェリドに、エルシオンは笑みを深くした。
互いの教室から同級生たちが出てきて、ジェリドとエルシオンをそれぞれ応援する。
「まずは、前期試験の成績からだな、エルシオン」
「俺に勝てると思うな、ジェリド」
もっと穏やかな学園生活を、ベアトリーチェと共に送りたかった。
エルシオンはジェリドの挑発に答えながら、これ以上、ベアトリーチェに心酔するものが増えないことを願っていたのだが──。
午前の授業が終わると、一年生の生徒がエルシオンの元に駆けこんできた。
ベアトリーチェとアルテミスが揉めている、と言って。
アルテミスとは昔からの知り合いである。公爵家とは遠縁の親戚ということもあり、よく城に遊びに来ていた。
ベアトリーチェとの出会いがなければ、おそらく婚約者の座におさまっていたのはアルテミスだろう。
エルシオンはアルテミスについてはどうとも思っていなかった。
貴族令嬢らしい貴族令嬢という印象しかない。
一方的な好意を向けられている自覚はしていたが、それはアルテミスだけではない。
だから数多くの、王太子の隣に立ちたい令嬢の一人、という認識だった。
だが、ベアトリーチェに危害を加えるとなると話は別だ。手ひどく叱りつけるつもりでベアトリーチェの元に向かったのだが──。
その時にはすでにベアトリーチェによる報復が終わっていたらしく、アルテミスたちは「ケロケロ」とカエルの鳴き声をあげつづけていた。
「……リーチェは、面白いな」
ベアトリーチェがいるだけで、退屈な世界が輝いて見える。
自室に戻り、今日のことを思い出して、エルシオンは珍しく思い出し笑いをした。
人前では笑顔を絶やさないエルシオンだが、一人きりになるとその顔からは表情が失せる。
笑うことは、今まではほとんどなかった。
だが今ではベアトリーチェのことを思い出すと、自然に口元が綻ぶのだから、恋とは妙なものだ。
「カエルを、食べていたな……」
ふと──頭の奥が痛んだ気がした。
『カエルやヤモリは魔力回復にとてもいいのですよ、■■■様』
誰かが昔そう言って、カエルやヤモリの丸焼きを食べていたような気がする。
エルシオンは頭を押さえて眉を寄せた。
身に覚えのない記憶だ。
「今のは、なんだ……?」
考えても、何一つわからない。
夢でも見ていたのかと、エルシオンは首を振った。
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