13 エルシオンの告白
兵士たちを連れて戻ってきたエルシオンは、一旦ジェリドを連れ城に戻った。
典医によるジェリドの健康状態の確認と療養を行った数日後、ベアトリーチェはエルシオンと共にジェリドをガルグレイズ王国まで送り届けることになった。
あとはお任せ──などという無責任なことは流石にできなかったのだ。
魔物化の影響で、ジェリドに突然何らかの後遺症が現れるかもしれない。
もしかしたら時間が経ったら再び魔物化してしまう可能性もある。
その時のために、共に行くべきだとベアトリーチェは判断をした。
ジェリドの護送のため、多くの騎士たちに守られながらの快適な馬車の旅だった。
旅の途中でジェリドに聞いた話では、ジェリドが襲われたのは今からおおよそ半月ほど前のこと。
エルシオンの耳に魔物の巣についての情報が入ってきたのが数日前。
魔物の親が現れて巣ができあがるまでには七日程度の時間がかかると、ベアトリーチェは認識している。つまり、ジェリドは十日前後どこかに拘束されていたことになる。
「誰かが魔物を操って、ジェリド殿下を襲ったのでしょうか。サイアリーズのように、魔物を操れるものが……」
馬車に揺られながらベアトリーチェは呟く。
隣に座っているエルシオンが、ベアトリーチェに視線を向けた。
「でも、どうしてわざわざジェリド殿下を?」
「獣人族だからか、それとも私を害することで、獣王国と王国に戦争でも起こさせたかった者がいるのか?」
ベアトリーチェの正面に座るジェリドが口を開いた。
馬車は二台用意されていたので、全員で一緒に乗ることはないのだが、ジェリドの体調を見るためにベアトリーチェがジェリドと共に乗ると言ったら、エルシオンも一緒じゃないと嫌だと言い張ったのである。
「我が国の咎だ。必ず調べあげて、何があったのかを君に伝える。もし同様な被害が獣王国で起こっているとしたら、すぐに教えてくれ」
「感謝する、エルシオン殿下」
「エルシオン様。……お一人でご無理をなさるのはいけません。何かあった時はすぐに私に連絡をしてください」
いくらエルシオンが強いとはいえ、やはり不安だ。
それに、魔物化した無実の人間を打ち倒すようなことになったら、エルシオンの心に傷がつく。
ベアトリーチェはそれを危惧していた。
一緒にいれば、魔物化した人を人間に戻すことができる。
それに、魔物を操るような者がもっと多く現れたら、おそらく被害は今まで以上に甚大になる。
ジェリドを送り届けたら、魔導師の塔を探しに行くべきだろう。
それが本当にあるものなのか、それともやはりその存在はただの噂で、無関係なのかさえ今はわからない。
「あぁ、リーチェ。それは君も同じだ。俺は君にいつも救われてばかりいるが、君は、か弱い女性だ。俺にとっては」
「……ありがとうございます」
ベアトリーチェは俯いた。
──長い間ずっと、強さを求められてきた。
そんなことを言われたのははじめてで、どうにもうまく言葉が返せなかった。
ガルグレイズ獣王国には先ぶれの手紙を出していたため、ベアトリーチェたちが到着するとすぐに歓迎のための宴か開かれた。
獣王陛下も王妃も、そしてジェリドの弟妹たちも当然ながらジェリドを心配しており、大規模な捜索が獣王国中で行われていたようだ。
魔物に襲われてどこかに連れ攫われたが、まさか隣国にまで連れていかれているとは思っていなかったと、虎の耳と尻尾を持った立派な体躯の獣王陛下は言った。
「我が息子を助けてくれて感謝する、エルシオン殿下。そして、ベアトリーチェ嬢。どうやら息子はベアトリーチェ嬢に惚れているようだな、どうだ、我が国に嫁に来ては?」
「残念ですが、リーチェは俺の婚約者です。お渡しすることはできません」
「エルシオン殿下、人の心は移り変わる。それに婚約者など、本人の意思を無視して勝手に決められるものだろう? 獣王国では自由恋愛が推奨されている。つがいをみつけるまで結婚しない者も多い。ベアトは私のつがいではないかと……」
「違う。絶対に違う」
エルシオンは終始にこにこしながら怒るという、器用な感情表現をしていた。
今後についての話し合いを獣王陛下と行い、肉が中心の豪華な料理を食べたあと、エルシオンはベアトリーチェを連れて獣王国をあとにした。
兵士たちを休ませて、お前たちも泊っていけという獣王陛下の申し出を断ったのである。
誰に対しても人当たりのいいエルシオンにしては珍しく、ジェリドのことを申し訳ないと思う反面、相当苛立っているようだった。
王国に帰る途中、宿泊のために寄った街の宿の部屋で、ベアトリーチェはようやく人心地ついていた。
ジェリドには悪いが、エルシオンが帰還を選択してくれてよかった。
どうにも、やはり王城というのは苦手だ。
クリエスタだったとき、獣王国と王国は敵対関係にあった。
今は表立っての戦はしていないが──クリエスタも、戦場に立ったことがある。
人を傷つけないと決めていたクリエスタだが、戦の時は別だ。
あまり、思い出したくない記憶だった。
一人きりで夜空を見あげていると、扉が叩かれる。
扉を開くと、いつもよりも簡素な服に着替えたエルシオンが入ってきた。
湯あみをすませたのだろう、しっとりと髪が濡れている。ベアトリーチェは魔法でいつも髪を乾かしているのだが、エルシオンはそれをしないのかと不思議に思う。
「リーチェ、少し話がしたい。いいか?」
「ええ、かまいません」
「……女性の部屋に男が一人で入るのは」
「今更ですよ、エルシオン様」
ベアトリーチェは、溜息交じりに微笑んだ。
エルシオンは宿の部屋の椅子に座る。ベアトリーチェは、はす向かいのソファに腰をおろした。
「エルシオン様、髪を乾かさないのですか?」
「魔法で、だろう。どうにも、面倒でな」
「そうなのですね。エルシオン様はなんでも完璧に行う印象がありましたので、意外です」
「……そう見えるように振舞っているだけだ。本当は、あまりいい人間ではないんだ、俺は」
エルシオンは目を伏せる。
いつもとは、どこか違う印象を受ける。いつものエルシオンはもう少し──表情も言葉も軽やかだ。
「リーチェ、此度のこと、感謝する。俺が、戦争の火種をつくるところだった。獣王国とは現状友好関係ではあるが、それは薄氷の上を歩くようなものだ。かの国は我が国を常に欲している。我が国も、獣人に対する差別がある」
「姿かたちが違いますから、どうしようもない部分もあるのでしょうね」
「あぁ。……俺は、王国民に辛い思いはさせたくない。国を守るべき王族が、戦争の火種をつくるなどあってはならないことだ。そうなれば俺は、謝罪のために獣王国に首をさしだしてもかまわない」
「……エルシオン様は、根が真面目なのですよね。とりあえず解決したのですから、そう悩まなくてもいいですよ。旅行だと思って、帰りの旅を楽しみましょう」
エルシオンは、まだ十七歳。
しっかりしているが、若い。その肩に乗っている重みを考えると、ベアトリーチェはクリエスタ時代に抱えていた責任や重圧を思い出さずにはいられなかった。
「君にはじめて挨拶をしたとき、俺は君が俺に媚びなかったから婚約者に選んだのだと伝えただろう」
「そんなこともありましたね」
「あの時のことを、謝罪したい。俺は嫌な男だった。貴族女性など、王太子の婚約者という肩書が欲しいだけのうるさい存在だと考えていた。婚約者など誰でもよく、俺に興味のない君を選んだ」
ベアトリーチェは頷いた。
なんと答えていいかわからなかったのだ。ベアトリーチェがエルシオンに興味がないのは、ただ単に王族を忌避していたからにすぎない。
エルシオンはベアトリーチェの手に、遠慮がちに自分の手を触れさせた。
「ジェリドが、勝手に決められた婚約だと言っていた。それはそのとおりだ。まるで頬を殴られたような気分だった。……それでも、リーチェ。今の俺は、君がいい。君に傍にいてほしい」
「エルシオン様……」
「俺と結婚して欲しい、リーチェ」
──真剣なエルシオンの顔に、誰かの顔が重なって見える。
けれどそれが誰なのか、ベアトリーチェには思い出せない。
それは、あの時の王の姿だろうか。
クリエスタを処刑した王の顔が、未だに自分を縛りつけているのだろう。
こんな気持ちを抱えたままエルシオンに応えるのは、不誠実だ。
黙ったままのベアトリーチェの頬を撫でると、エルシオンは「おやすみ、リーチェ」と微笑んで部屋を出て行った。
ベアトリーチェは再び星を見あげる。
自分はクリエスタではない。クリエスタの記憶を持っているだけだ。
ベアトリーチェとしてどうしたいのか考えようとするが、感情について考えるのはとても難しいと感じた。
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