11 真実の鏡
湧き出る魔物を倒しながら、坑道の奥へ、奥へと進んでいく。
徐々に表れる魔物の種類は狂暴で凶悪なものへと変わっていくが、エルシオンの敵ではないようだった。
心配のし過ぎだっただろうかと考え始めた時だ。
エルシオンが、不意に足を止めた。
「……嫌な気配がする」
「ええ、そうですね……」
確かにエルシオンの言う通り、急に周囲の温度がさがったような嫌な雰囲気がある。
「リーチェ、耳を、猫に変えてみてくれるか? あれは、音をよく聞くためのものだろう」
「お、覚えていたのですね……」
「あぁ。あの時は色々あって触れることができなかったが、あれは、可愛かった」
「……あっ。間違えました。私にはなんのことやら、です。エルシオン様、人間の耳は猫の耳にはならないのですよ」
岩壁にはりつき声をひそめながらそんなことを話し合い、奥に広がる空間を注意深く確認する。
『ぐるるる……』
動物の唸り声が聞こえてくる。狼や、獣系の魔物だろうか。
巣の親になるほどの強さとなると、ケルベロスや、フェンリル、マーナガルムなどだ。
行き止まりの広い空間の壁には、未採掘の魔晶石が沢山突き出している。魔晶石が空間を神秘的に照らし、魔物が動くたびにその影が伸び縮みを繰り返した。
その影は──どういうわけか、人の姿をしている。
「……魔物化か、まさか」
エルシオンは抜き身の剣を構えて、魔物に向かって物陰から飛び出した。
ベアトリーチェはその後を追う。
広い空間にいたのは、エルシオンの背丈より二倍以上の体格をした──人狼だった。
顔と両腕、下半身は獣の姿をしている。
胸と腹は人間の男性のものだ。苛立ったように壁を殴りつけ、地面をかきむしっている。
敵意に満ちた赤い瞳に、だらだらと口から垂れる涎。凶悪に並んだ牙。
おおよそ、相互理解など不可能な──人のようだが、人ではないその姿。
「魔物化……」
ベアトリーチェも、エルシオンの言葉を肯定するように呟いた。
このような魔物は、ベアトリーチェは知らない。人の特性を持ち──そして。
『くるしい、ぐ、る、し……く、る、しい……!』
ぐるぐるという獣の唸り声の合間に、人の言葉が混じる。
それは掠れしゃがれているが、青年の声に聞こえる。
「エルシオン様!」
「このまま見過ごすことはできない!」
エルシオンは人獣に向かい、容赦なく剣を振り下ろす。
獣は片腕でその剣を受け止めて、薙ぎ払った。
剣を掴まれ振り回されたエルシオンは、嵐にもまれる木の葉のように壁に弾き飛ばされる。
ぶつかる寸前でくるりと一回転して壁に足をつき、突き出た魔晶石を足場にして飛びあがる。
空中からの斬撃に、獣は咆哮した。
神聖な炎が獣に巻き付き、その白い体毛を焼く。エルシオンの剣が降り降ろされる間際、ベアトリーチェはエルシオンと獣の間に自分の体を滑り込ませた。
「リーチェ!」
「この魔物は、人です! お待ちください!」
ベアトリーチェは手の内に出現させた錫杖で、エルシオンの剣を受け止める。
炎がベアトリーチェの頬や髪を、腕を焦がした。
痛みに眉を寄せる。魔法防御の保護膜は貼っておいたのだが、それを貫通するほどにエルシオンの魔力は、強い。
強いというよりも──特殊だ。
エルシオンは驚愕に目を見開いて、すぐに剣を降ろした。
人獣には助けられたという感覚などないのだろう。自分の前に躍り出たベアトリーチェの肩に背後から噛みつく。
牙が、肉を抉る。ベアトリーチェは喉の奥で悲鳴を噛み殺しながら、口角を笑みの形に吊り上げた。
「よし、いい子ね。そのまま動かないで!」
ベアトリーチェが収納魔法によって取り出した錫杖は、魔道具である。
錫杖の先端には鏡がついており、対象の姿を映しこむことで──本来の姿を明らかにするものだ。
鏡にはベアトリーチェの肩に噛みつく、銀の髪と狼の耳をもった、浅黒い肌の青年が映っている。
青年というには、若いだろう。
エルシオンと同年代に見える。人の頭に獣の耳があるのは、隣国の──獣人族の証だ。
サイアリーズのように、魔物に姿を変える人を見たことは、クリエスタだった時代にも一度もなかった。
だからあの時はなにもできなかった。サイアリーズを倒すことしか、ベアトリーチェにできることはなかった。
だが今は、違う。
一度見たならば、対処ができる。
この魔物は、人だ。
──サイアリーズのような魔物化が他の人間にも起こっているかもしれないと、魔道具を作っておいてよかった。
何故魔物化しているのかはわからないが、それは人の姿に戻してから、事情を聞けばいい。
「あなたの姿を詳らかに、魔性を消し去り、元に戻れ!」
祈りの言葉と共に、人獣の魔物から獣の姿が消えていく。
青年の体から影が抜けるようにはじき出された獣の魔物、白い体毛を持つ三つ首のケルベロスを、エルシオンの剣が真っ二つに切り裂いた。
ベアトリーチェの肩に噛みついていた青年が、ふらりと倒れる。
ベアトリーチェは手早く傷ついた肩や顔や腕の火傷を治癒魔法で癒やすと、青年の傍に膝をついた。
やはり、獣人族の青年である。
その頭には獣の耳が、その背骨の下部からは獣の尻尾がはえている。
服を着ていないせいで、彼が獣人ということがよくわかった。
ベアトリーチェは空間魔法で取り出したローブを、青年に被せる。
「リーチェ、すまない、怪我は!?」
「大丈夫です。このとおり、ええと、その、ノエルの魔道具で! 癒えましたので!」
「君の魔法だ。……危険だ。魔物を庇うなど。俺は、君に怪我をさせた……!」
「怪我とは何のことでしょう。私はこのとおり、無傷ですよ」
怪我はすっかり癒やしてしまった。ベアトリーチェは両手をあげて、苦し気な表情を浮かべるエルシオンに自分は無事だと示した。
床に倒れている青年の耳がぴくりと動く。
彼は、ゆっくりと体を起こして、驚いた顔でベアトリーチェやエルシオンの姿を、金の瞳に映した。
「……あなたはもしかして、エルシオン殿下か」
「君は、ジェリド殿下か……!?」
エルシオンが息を飲む。
ベアトリーチェは、その名前を聞いてひきつった笑みを浮かべる。
──ジェリド・ガルグレイズとは、隣国のガルグレイズ獣王国の王子の名だった。
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