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第二話

そして、しばらく、時が経った。


「どう? いやらしい気持ちになった?」


「わ、わからない。でも――」


 何だかからだがほかほかしているような気もするが、特に大きな変化はない、と思う。


 やはり、こちらの薬が媚薬だったらしい。女性に対してはもともと、この程度の効果しかないのだろう。これなら十分に我慢できそうだ。そのうち、薬効も切れるだろう。


「予想があたって良かった。つまり、残ったこちらが惚れ薬ということね」


「そうだね。それを、いつも出すお茶に混ぜてランドルフに飲ませれば万事解決、一件落着だ。ランドルフはきみのことを大好きになり、きみはしあわせになれるってわけだ。やれやれ、どうやら間に合ったね」


「でも、ほんとうにこんなことをして良いのかな。薬で人の心を操るなんて」


 カサリナは深くうつむいた。


「何をいまさら。それに、ほんとうにきみのことを何とも思っていなかったら、薬を飲んでも好きにはならないかもしれないよ。薬が効果を示すのは、少しでも気持ちがあったときさ」


「そうかな。そうだと良いけれど」


「そう信じるしかないね」


「うん」


 カサリナはうなずいた。


 その、半刻ほどのちのことだった。ランドルフは森の家を訪れた。


 その顔立ちが、いつにも増して恰好良く、その体格がいつもよりさらに逞しく感じられたのは、恋の魔力であっただろうか。カサリナは心臓が高鳴り、ほとんどかれの顔すらまともに見れなかった。


 いままで恋をあなどっていたことを、内心で世界中の恋する女性に謝る。ごめんなさい、ごめんなさい、恋はばかげたことなんかじゃなかった。わたしも恋をしてみてそのことがよくわかったわ。


「ひさしぶりだね、カサリナ。どうしたんだい、顔が赤いみたいだけれど」


「な、何でもない」


 わたしのことを心配してくれるんだ、と思うと、ただそれだけで鼓動がさらに高鳴った。なんて良い人なんだろう!


 この人に好きになってもらいたい。この人の、この人だけのものになりたい。


 その胸をかき乱す感情は、はたして、あの男性向けの媚薬のささやかな薬効だったのだろうか。


「ね、お茶でもどう? きょうはいつもより高価な品を用意してあるの」


「ああ、いただこう。きみが淹れてくれるお茶はいつも美味しいからね」


 うん、とうなずいて、お茶を用意する。もちろん、すでに惚れ薬は茶葉にしこんであった。彼女は、どきどきと高鳴る心臓をわずらわしくすら感じながら、紅茶を淹れ、かれに差し出した。


「どうぞ」


「ありがとう。いただくよ」


 そのくちびるが、惚れ薬入りの紅茶を飲み込もうとする。これで、かれは彼女のものになる。そのはずだ。しかし――そのとき、カサリナは思わず、自分でも想像していなかった行動を取っていた。かれを止めにかかったのだ。


「だ、だめ! やっぱり飲まないで!」


 薬の効果で好きになられても意味がない。ほんとうの自分を好きになってほしい。その本心が、魔法に頼ろうとする弱い心を圧倒したのだった。


 しかし、時すでに遅かった。ランドルフはその紅茶をあっさりと飲み下していた。かれは不思議そうに彼女の顔を見つめた。


「何?」


「あ――」


 カサリナは涙ぐんだ。そして、大粒の涙をこぼしながら、ランドルフとサヤの前で、すべてを白状していた。


「ごめんなさい、ランドルフ。わたし、その紅茶に惚れ薬を入れたの。あなたがわたしを好きになるように」


「惚れ薬? なぜ?」


「それは、もちろん、あなたのことが好きだから。わたし、なんて卑劣なことをしたんだろう。許して、ランドルフ。ちゃんと効果を消す薬を作るから。わたしのことを、嫌いにならないで」


「きみを嫌いになど、なるはずもないが」


 ランドルフは笑った。


 その笑顔が、なぜか、いつものかれと少し違っていることにカサリナは気づいた。


 野性的、とでもいうべきだろうか。それがもしかれでなかったら、危険を感じたかもしれないような表情だった。


「念のために確認しておくけれど、きみはわたしのことが好きなんだよね?」


「そうよ。でも、だからといってこんなことをするべきじゃなかった。ランドルフ、あなたはいま、わたしに恋ごころを感じているかもしれないけれど、それはあなた自身の意思じゃないの。だから、その気持ちを信用しないで」


 ランドルフは、ゆっくりと太い首を振った。


「ふたつ、いいたいことがある。ひとつ目は、薬など飲むまでもなく、ずっときみのことを愛していたということ。そして、ふたつ目は、どうやらカサリナ。きみは薬をまちがえたんじゃないかな。これは、どう考えても惚れ薬じゃないよ」


「え、どういうこと?」


 ランドルフは、無言で立ち上がった。


 その様子は、いつもと大きく変わっているわけではなかったが、顔は赤らみ、なぜか、暑くもないのに汗をかいているようだった。


 そして、立つことであらわになったかれの「その箇所」を見て、カサリナは赤面した。


「まさか――」


「そういうことらしい」


 かれはほほ笑むと、彼女のくちびるを奪った。ほとんど息もできないような、おそろしく情熱的なくちづけだった。


 彼女はただ茫然と攻められつづけた。やがて、ようやくかれのくちびるが離れたとき、彼女はただそれだけでくたくたになっていた。


 そして、かれは、彼女のからだを抱え上げると、いわゆる「お姫様抱っこ」の形でベッドへ運んでいった。


 そのあと、そこで、愛と、そして歓びの行為が、いつまでも果てることなく続いたのだった。


 ◆◇◆


 カサリナは広いベッドの上で、蒲団で胸を隠し、いまはもう恋人になったかつての片思いあいてに頭をゆだねながら、ささやくような声で語りかけた。


「ね、結局、どういうことなんだろう? ランドルフ、あなたが飲んだ薬は、媚薬だったのよね。だから、その――すごかった。つまり、わたしが飲んだほうは惚れ薬だったことになる。でも、あまり効果はなかったみたい。なぜ?」


「簡単なことさ」


 ランドルフはふたたび笑った。今度は、いつものかれの優しい笑顔だった。


「もともときみがおれを大好きで愛していたから、たいして変わりはしなかったんだ。それにしても、おれのことが好きなら、そんな薬なんて使わないで、ただそういってくれるだけで良かったのに。カサリナ、きみは綺麗だし、頭も良いし、気立ても素晴らしい。どんな男だって、きみにひとこと誘われたら、断われはしないだろう」


「そんなふうに思えない」


 カサリナは静かに首を振った。


「だって、わたし、好きな人に薬を飲ませて操ろうとするような女なのよ。自分のことが信じられない。最低よね。もっとも、これで、あなたが心変わりしても、わたしのほうはずっとあなたのことを好きでいるしかないことになったわけだけれど、自業自得ね」


「心変わりなんてしないよ、カサリナ。それに、たまにはおれが飲んだこの薬を使うのも悪くはないんじゃないかな。いままでにない素晴らしい体験ができた。もっとも、おれときみには必要ないかもしれないが。いつだって、恋は最高の媚薬なんだからな」


「あ――」


 ランドルフがもういちど、甘く、優しく、ついばむように、カサリナのくちびるを覆った。


 そして、ふたりはさらに深く愛の深淵に沈んでいき、白猫のサナはその横でうんざりしてやれやれと首を振ったのだった。


 恋をすると人はとたんに愚かになるが、猫には関係のないことだ。


 かれは黙って、静かにその部屋を出ていき、親切にも、初めての愛の行為に溺れる恋人たちをしばらくふたりきりにしてやったのだった。


 完

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