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第一話

 恋をすると、人はとたんに愚かになる。


 カサリナもそのような話を聞いたことはあったし、他人がそうなるところを目にしたこともあった。


 しかし、自分自身にあてはまるとは考えていなかった。彼女は聡明な森の魔女で、たかが恋ごときに惑い、愚かしく変わるなどありえないと思っていたからだ。


 恋ごころなどに惑わされるのは、人の表面しか見ないもともと愚かな小娘たちだけであって、神秘と魔法をきわめた自分には関係ない。


 心の底からそう信じていたのである――ほんとうに恋に落ちてしまうまでは。


 彼女が恋をしたあいては、べつだん、きわだった美貌の男ではなかった。むしろ、どちらかといえば雄々しく無骨な風貌だといえただろう。


 また、べつだん、とくべつ口がうまいわけでも、女を口説くことが得意なわけでもなかった。


 その意味では、決して「表面的に」魅力があるわけではないといえたかもしれない。だが、彼女はそんなかれの奥深くにひそむ優しい心を見抜いてしまった。


 かれは誠実で、正直者で、お人好しで、あえてだれかのために損をひき受けることをいとわない性格だった。


 彼女から見ると、そんなかれの性格はもどかしく、なぜ、自分自身をもっと優先しないのかと思ってしまうところだ。


 じっさいにそう口に出したこともある。ところが、そうするとかれ――王宮の騎士ランドルフは穏やかに答えたのだった。


「ぼくが損をする分、だれかがしあわせになれるんだから、それで良いじゃないか」


 なんて愚かな男なのだろう、と思った。


 世間では、人々は、だれもが自分の利益を第一に考え、ほとんどそのこと以外考えていないようなのに、いつも他人の心配ばかりして、自分のことを二の次にしてしまうとは。


 それでは、自分自身はいつまで経ってもしあわせになれないではないか。


 しかし、かれ自身もまた、そうやってしあわせになっただれかを見ているだけで十分に幸福そうなのだった。


 カサリナは呆れ――そして、いつのまにか、かれを好きになっていた。


 そのことを自覚したとき、彼女はさらに深く呆れた。


 いままで森の魔女である自分に強い誇りを抱いていたが、急にそのことが恥ずかしく思えてきた。


 べつだん、魔女として生まれ育ったことを恥じるつもりはない。しかし、ランドルフがそのことをどう思っているのか気にかかってしかたなかった。


 ランドルフは、仕事で魔女に逢うことはいとわなくても、恋の対象として考えることなどできはしないと思っているのではないか。


 そんなことを考えると、居ても立ってもいられなくなり、かれに想いを伝えようと決心するのだったが、じっさいかれに逢うと、どうしても素直になれず、憎まれ口を叩いたりしてしまった。


 人は、恋をするととたんに愚かになる。


 自分もまた、その言葉の例外ではありえなかったことを思い知った。


 かれに自分を好きになってほしい。抱き締めて、愛しているといってほしい。狂おしいほどそう願わずにはいられなかった。


 ただの仕事上のパートナーではイヤだ。恋人になってずっといっしょにいたいと願った。


 思い余って、カサリナは魔法に頼ることにした。彼女は、魔女のなかの魔女であり、魔法に関しては本物の天才だった。


 だから、この問題もその技で解決できるだろうと考えたのだった。


 惚れ薬を作ってランドルフに飲ませよう、と思いついた。それも、いっとき心を変えるだけに留まるような不完全なものではなく、完璧の、究極の、一生、効果が切れることがない薬でなければならない。


 そして、彼女はその天才を乱用し、ひと月をかけて月光のしずくと、マンドラゴラの根と、ユニコーンの角と、その他諸々の材料をまさに天才的な感覚で混ぜ合わせ、魔力を注ぎ込み、本当に作り出してしまったのだった。効果100%の魔法の惚れ薬を。


 それはもう二度と作ることはできないような、彼女の魔法技術の精髄というべき傑作だった。


 それで、疲れ切ってしまった彼女はひと晩のあいだ寝て、起き、そして――そして、いったいどのビンに入った薬が惚れ薬なのかわからないことに気づいた。


 その色や、匂いで、二本にまで絞ることができた。その片方が惚れ薬で、もう片方は、それを飲めばどんな淡泊な男でも欲望を抑え切れなくなるという男性用の強力な媚薬だった。


 彼女は二本のビンをまえに、唸った。


「どうしよう。どちらのビンをランドルフに飲ませればいい?」


 答えは、なかなか出なかった。使い魔の白猫サヤは、何だか白けた視線で彼女を見ていた。


「ええと、落ち着いて考えましょう。まず、ランドルフに二本とも飲ませてしまうのはどうかしら。そうすれば、かれはわたしのことを愛してくれるし、それに、そのあと、わたしのことを――」


 カサリナは、自分でいいかけて赤面し、黙り込んでしまった。彼女は、恋愛も性愛もまったくもって経験がなく、いってしまえば、根っから初心うぶだったのだ。


「こ、この選択はダメね。そもそも、二本も薬を飲ませたら、体内で混ざり合ってどんな効果を発揮するかわからないし」


「きみがそう思うなら、そうなんじゃないの」


 サヤは皮肉っぽくいった。かれは何もかもお見通しであるようだったが、それ以上、言葉にしないでくれることはありがたい。もし、自分の内心を言葉にされてしまったら、恥ずかしくて死んでしまう。


「うん。ということは、どちらか一方を飲ませるしかないわけだけれど、どちらを飲ませようかしら。もし、まちがえて飲ませてしまったら、やっぱり大変なことになってしまう」


「それはそれで良いんじゃないの。ランドルフはきっと責任を取ってくれるよ」


「さ、サヤったら! そんなわけにいかないじゃない。それは、わたしだって、そういうことをしたい気持ちがまったくないわけじゃないけれど、でも、まだ早すぎるわ。気持ちのほうが先じゃないと」


「おやおや、天才魔女のカサリナが、まるで乙女だね」


「悪い?」


「悪くはないけれど、その恋の盲目さで判断を誤ることがないように気をつけてほしいね。とばっちりを受けるのはごめんだからさ」


「わかっている」


 カサリナはうなずいた。いまこそ、魔女としての経験と、生まれ持った知性を活かすときだ。


 二本のビンは、どうしても見た目に区別がつかないが、何かうまく活かす方法があるはずだ。ランドルフがこの森の家を訪れる前に、その方法を見つけてみせる。


「だれか、他人に飲ませてみるっていうのはどうかしら」


「だれかって?」


「だれでもいいわ、もちろん事情を話した上で飲んでもらうのよ。それもたとえば、自分の恋人か、奥さんとふたりきりのときに。そうすれば、どちらのビンを飲んでも問題ないでしょう。惚れ薬を飲んだらその人への感情が深まるだけだし、媚薬だったとしても――」


「そのままベッドへ向かえば良いだけ。たしかに、それで問題ないかもしれないね」


 サヤはきれいな目をぱちぱちとまたたいた。


「サヤ! あまり直接的な表現はしないで。でも、そういうことよね。うん、これなら良いかもしれないわ。たしかに、運悪く惚れ薬のほうを飲んでしまったときには惚れ薬はなくなるけれど、それはしかたないものとして受け入れましょう。これで行くしかないわね」


「ねえ、カサリナ。ぼくにはひとつ大きな問題があると思うんだけれど」


「何?」


「きみに、この件に関して赤裸々に事情を話して協力を求められるような男性の知り合いがいるのかって話さ。思いあたる人はいる?」


「いない。いるわけがない」


 カサリナは大きく嘆息し、頭を抱えた。


「じゃあ、どうすれば良いの! せっかく完璧な惚れ薬ができあがったのに、これじゃ、宝の持ち腐れじゃない。やっぱり、二本いっしょに飲ませるしかないかな」


「そうなると、きみは確実にランドルフといっしょにベッドへ行くことになるね。その覚悟があるならどうぞ」


「ない」


 そのばあいもやっぱり羞恥死してしまう。なんといっても、自分にとっては正真正銘の初体験だ。


「どうしよう。もうすぐ、ランドルフとの約束の時間になっちゃうよ。かれがここに来ちゃう」


「どうしてまた、そんな約束をしたんだい?」


「だって、まさかこんなことになるとは思っていなかったんだもの」


 カサリナは深く考え込んだ。やがて、決意の光がそのひとみにひらめいた。


「こうなったら、しかたないわ。自分で飲む。考えてみれば、媚薬は男性用だから、女性のわたしが飲んでも効果は薄いはず。そのくらいなら、我慢できると思う」


「我慢しないで、襲いかかっちゃえば良いのに」


「サヤ!」


「はいはい、もし惚れ薬だったばあいは、少し想いが深くなるだけだから問題ないわけだ。まあ、一生、あいてを嫌いになれないという問題は残るけれど、きみならいつか薬効解除の薬も作れるだろ。うん、問題なさそうだね」


「うん。じゃあ、飲むわよ。そうね――」


 彼女は二本のビンをためつすがめつして、一本を選び出した。根拠はないが、こちらが媚薬である気がする。


 ということは、残りの一本が惚れ薬だ。彼女はしばらくためったあと、何とかそのビンの蓋をひらき、思い切って、一気に嚥下した。

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