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1 令嬢の人生、終わる

 ヴィヴィアン・ラヴェスターが、十九歳になる春、フランシス・オールモンドとの四年続いた婚約を破棄したのは、何も許婚(フィアンセ)が嫌いだからではなかった。


 確かにフランシスは、よくわからない男ではあった。

 暗くて黙りがちで、たまに口を開けば大半はひねくれた悪口。背は高く色は雪のように白く、よく見れば顔も悪くないのに、そもそもいつも俯いているから顔が見えづらい。髪も真っ黒な短髪をぐしゃぐしゃのままにしていて、見苦しいことこの上ない。

 だが、社交性以外の面では、彼は飛びぬけて優秀だった。

 大学の論文コンテストでは最優秀賞をかっさらう。オールモンド家の事業の商談に若くして参加し、国内最大の財閥・ローズブルーム家との交渉をまとめてしまう。非公式のパーティで、財務大臣バズベリー卿に直言する。みな「そのほかの部分はアレだが…」と口を濁すとは言え、その冴え渡る頭脳には、社交界の誰もが注目し始めていた。


「あいつは、わたしと結婚しないほうがいい」


 彼女の実家、ラヴェスター製靴会社の、数年にわたる粉飾決算の事実を知った日。

 それがヴィヴィアンの出した結論だった。



 それから一年。

 ヴィヴィアンが通うルヴィン女学院は、国内の上流階級の令嬢の集う一流女子大学だ。

 とはいえ最上級の箱入り娘はそもそも大学には通わないで、家庭教師にすべての教育を受ける。ルヴィン女学院に集う娘たちは、比較的自由な家庭で育った闊達な女子が多い。

 「○○様、ごきげんよう」というような、風雅な挨拶はここにはない。ヴィヴィアンも「ラヴェスター様」などと呼ばれたことは一度もなく、愛称の「ビビ」で誰からも呼ばれている。


「いやー、やっぱりもったいなかったって」

 午後の授業の合間の時間。広い中庭では学生が自由に憩っている。

 ビビは友人のアリシアと芝生に並び、彼女のお叱りを受けていた。

「見て、この新聞の『社交・消息』欄。ビビの元婚約者様、まーたご活躍じゃない。政府主催のダンスパーティで、グレナディア卿の御令嬢を見事にエスコートしたって。あの人ダンスも完璧なんだね。あーあ、好物件」

「だから何よ。もう婚約破棄しちゃったんだから」

「ま、あの騒動、正直ものすごい面白かったけどね」

 

 アリシアはあっけらかんと言い放った。ビビは彼女のそういうところが好きである。

 アリシア・セヴェルニと言えば、国内トップの製鉄会社・セヴェルニ鋼鉄の跡継ぎと、石炭輸入会社・グラース商会の令嬢の娘という、実業界のサラブレッドである。生まれつきあらゆるものを手に入れているせいか、どうやら他人にさほどの興味が無い。

 というか言ってしまえば、ちょっと人の心が無い。

 あと、家柄の割には、話し方にも上品なところがまるで無い。


「今だから言うけどさ、婚約破棄の直後、あたし、エンジェリナの御屋敷のパーティで見たの、フランシス・オールモンド」

「直後って…あの、エンジェリナのお父様の誕生パーティ?!」

「そう。いやー、ものすごい顔色だった。祝いの席なのに、地獄から地獄に来ました、みたいな顔してるのがまず目立ってね。目も落ち窪んで、ゲッソリして。まさにボロボロ。周りがヒソヒソ噂してても、ぜーんぜん耳に入らないみたいで。本当に自尊心をやられたのね。いや、正直面白かった。いつも不愛想だったから、余計にね」

 

(……そんな話、聞きたくなかったな)

 未だに鋭い欠片が刺さったままの心を押し殺して、ビビは冷たく笑う。


「それでもパーティに出てくるんだからすごいよね。家柄低いと周りにコネ作らなきゃいけないものね。大変よね」

「家柄、家柄って…確かにオールモンド家は武器商人だし?二代前は乞食?なんて噂もあるけれど。でも結局は人間、実力じゃない。ほんと、ビビらしからぬおバカな決断だったと思うよ。おバカ」

「繰り返さなくていいよ」


 ビビがフランシスと婚約破棄した表向きの理由は、オールモンド家の家柄の低さということにしている。それ以外に、周囲を納得させる理由が見つからなかった。

 突然高飛車になった娘に、両家の両親は困惑した。しかし、初めからオールモンド家を嫌っていた祖母がビビの決断を後押しし、無事に婚約は破談となったのだ。

 なってしまえば、案外社交界からはすんなりと受け入れられた。フランシスの活躍をやっかむ者の中では「ラヴェスター家では、一人娘が一番賢いようだ」などという悪口も聞かれた。

 もちろんそれでも、ビビの評判には、かなりの傷は残ったけれど。


「仕方ないじゃない。家柄も低いうえに愛想もないし、口も悪いし。見た目も、最近はちょっとマシになったそうだけど?ずっと構ってなかったし。最近活躍して、どんどん偉そうになってるって話だし?わたしだって令嬢の端くれだもの。多少頭がよかろうが、もっと素敵な男がいたらそっちにしたいのよ」

「ねえ、ビビ」

 まくしたてるビビを遮って、アリシアは真面目な口調になった。

「本当の理由があったんだとしても、あたしは聞いたりしないけど。……こんな、令嬢らしくもない女と仲良くしてくれてるの、結構恩に着てるから」

「何、急に」

 戸惑うビビの問いに答えず、アリシアは躊躇うように口を開く。

「……だから、ビビに何かあっても、あたしが何もできなくてもさ。あたしは、あんたの味方だからね」

「……何それ。わたしに、これから何か起きるみたいじゃない」

「そうだとしても、って、話だよ。それじゃ、次の授業あるから。ごめん、先行くね」


 (うちの粉飾決算、そろそろ噂になってるのかな)


 ビビは不安に高鳴り始める胸を抑えて、新聞を手に去る友人の後ろ姿を見送った。

 ラヴェスター製靴の粉飾決算の件は、まだ表沙汰にはなっていない。靴のみならず、高級品質の装身具とサービスを提供するラヴェスターの最上級のブランドイメージは、一切損なわれていない。

 それでも、不正経営をいつまでも隠し通せるとは、ビビには思えなかった。

 

「大丈夫。一年前から覚悟してるもの」


 何も大丈夫ではないが、口に出して立ち上がる。

 ひねくれているけど、だからこそ誰より大好きだった、夏の雪のような変わり者。

 悪役になって、彼との関係を自分で汚して断ち切ったときから、令嬢としての人生の終わりの覚悟は、とうに始まっている。


「だからまず、勉強!さ、次の授業の予習!」


 そう。令嬢としての人生が終わったら、ビビは大学で積み上げた教養を生かして手に職をつけ、一労働者としての人生を始めようと考えていたのだ。




(別に、人生そのものの終わりの覚悟はしてないんだけど……)


 春の夜、寮の一室、手にはティーカップ。

 ビビは突然の「終わり」に愕然としていた。

 突然暗転する目の前と遠のく意識、内臓がすべて引っ繰り返るような不快感。

 これ、毒盛られて死ぬやつだ、と全身が強制的に理解する(わからせられる)

 いつ、誰に、どうやって?こんな三流令嬢のわたしを、どうして?

 考える暇もなく椅子から崩れ落ちる刹那。


(こんなに報われないのも、……ひどいな)


 ヴィヴィアンの脳裏によぎったのは、そんな単純な感想だった。

 

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