黒野羊太の心霊リポート
ザクザクと枯葉を踏む音と小刻みな呼吸音が暗闇の中、静かに繰り返される。
ジーンズに黒いTシャツ姿の男は一心不乱に夜の森を歩いていた。
彼の進路を照らすのは右手に持った懐中電灯。
心もとない明かりが歩みに合わせて上下左右へゆらゆらと揺れ動く。
「ムゴン?」
「何カシャベッテ」
不意に聞こえたのは合成音声だった。
「……あ」
合成音声を聞いて我に返ったように男は声を漏らした。
「配信中なのをすっかり忘れてましたね。本日は第一回、黒野羊太の心霊リポート! と銘打ちまして心霊生配信をやっております。
今日は山奥の廃村にある、廃神社……になりますかね? を探しています。
今日は暑かったですからね、この時間になっても歩いているとじんわり汗が滲んできます」
黒野は喋りながらスマートフォンのカメラを左右に振るが辺りは漆黒の闇が続くばかりだ。
「一応ですね、ボロボロではありましたが村に案内の看板がありましたのでそれを頼りに歩いているんですが……。これはもう獣道とも呼べないくらい荒れ果ててますね」
そう言いながら足元を照らしカメラを向ける。
果たして道と呼べるのか、かつて往来のあった痕跡である剥き出しになった土を踏みながら、時には張り出した枝を払いのけて黒野は歩く。
野生動物に注意を払いながら歩くこと十分。
視聴者のコメントに他愛もない返答をしていた黒野が小さく声を上げた。
「ありました! 鳥居です」
黒野がカメラを向けた先には、今にも倒れそうな朽ちた鳥居が妖しく口を開いて待ち構えている。
懐中電灯に照らされた鳥居にわずかに残った赤い塗料は血液のようにも見え、それが一層不気味さを増長させていた。
ごくり、と唾を飲む音がやけに大きく聞こえる。
「それでは、先へ進んでみようと思います」
自然と声を押し殺しながら告げると、黒野は鳥居をくぐって歩き出した。
視聴者の手前、平気なふりをして進んでいるが体は小刻みに震えて歯がカチカチと鳴っていた。踏み出す足は重く、歩幅は普段の半分ほどに縮んでいる。
自分の呼吸音すらうるさく感じる反面、配信画面に表示される視聴者数が徐々に伸びていくのには思わず頬が緩んだ。
境内に入ってからはかろうじて石畳が残っており、それを辿るとすぐに社殿が見えてきた。
「あー……もうかなりボロボロになってますね。少しつついたら崩れてしまいそうです」
言いながら三段の石段を上がり、社殿の中を照らして見せる。
しかし、社殿の中には目ぼしいものもない。
このままではせっかく来てくれた視聴者が離れてしまう。
そう危惧した黒野は社殿の周りをぐるりと一周することにした。
何か起きてくれと願いながら――。
ザクザクと落ち葉を踏みながら黒野は歩く。
カメラをゆっくり左右に振って、周囲の状況を視聴者にも知らせながら耳と目に神経を集中させた。
「……ん? 何か聞こえる?」
こん、こん、と何かがぶつかるような音がわきにある森の中から聞こえていた。
その音に導かれるように黒野は草木の間をくぐり抜けて進んだ。
「動物……でしょうか? 明かりを消して近付いてみたいと思います」
進んだ先に何がいるのか。
相手に自分の存在を勘付かれないよう懐中電灯を消し、月明かりだけを頼りに極力物音を立てないように注意を払って抜き足差し足で音のする方へ向かう。
不意に、白い影が目に入った。
白い影は上の方だけがぽぅっと赤っぽい光を放っていた。
それが何なのか黒野にはわからず、動きを止めてその影に見入る。
「丑ノ刻参リ?」
沈黙を破ったのは合成音声だった。
しまった、と思ってももう遅い。
白い布をまとった人間がゆっくりと黒野の方を振り向いた。
辺りは真っ暗で自分の指先さえ見えないのに、その人影がニタリと嗤うのがわかった。
「ヨウタクン逃ゲテ!」
視聴者のコメントでハッと我に返り、黒野は駆け出した。
その後ろを足音が追いかけてくる。
丑の刻参りは人に見られれば失敗になり、呪いは術者へ返るのではなかったか。
やけくそになった相手に襲われるかもしれない。
想像が悪い方へと膨らみ、黒野の心臓は大きく暴れた。
さっきまで蒸し暑く感じていたはずなのに今は鳥肌が止まらない。
息を切らしながら走る。
足がもつれ、つんのめりながらも前へ前へと体を動かした。
足は鉛のように重く、心臓が灼けるように痛む。
それでも黒野が立ち止まることはなかった。
どのくらい走り続けていただろうか。
気が付くと黒野は舗装された道に出ていた。
無我夢中で走っているうちに違う道を通って山を抜けていたらしい。
その時まばゆい光が黒野を照らした。
思わず目を閉じ、草むらの中へ身を隠す。
光はあっという間に通り過ぎ、赤い光が短く点灯した。
「……車だ」
遠ざかっていくテールライトを見送りながら、安堵した黒野はその場にへたり込んだ。
「よかった。
この辺りでちょっと休んで、次に通りかかった車に乗せてもらえれば……」
涙腺が緩みそうになるのをこらえて、平静を装う。
放送がまだ終わっていなかったことを思い出して黒野はスマートフォンの画面に目を向けた。
「かなり映像が乱れてしまい申し訳ありません。行きとは違うところに出てしまいましたが、無事に生還できました。
もう遅い時間ですので、これにて第一回、黒野羊太の心霊リポートを終了と……」
「ヨウタクン? マダ終ッテナイヨ?」
黒野の言葉を遮るように読み上げられたコメントに、ゾッとして周囲を見回した。
背後の森でゆらりと白い影が揺れる。
頭にくくり付けられたロウソクの明かりがぼんやりと滲むように辺りを照らしていた。
人影は手招きするように手をばたつかせながら黒野に迫って来ていた。
「ヒッ……!」
声にならない悲鳴を上げ、黒野は再び走り出そうとした。
しかし、体が言うことを聞かず、もんどり打ってその場に倒れ込んでしまった。
「ヨウタクン、怖クナイヨ」
「ミンナ一緒ダヨ」
「ヨウコソ、僕タチノ村ヘ」
合成音声が濁流のように黒野を包む。
その間にも人影は黒野に迫り、その距離はわずか数メートルになった。
夏とは思えない凍てついた風に頬を撫でられた黒野は、静かに気絶した。
白装束の人影は、失神した黒野を抱き上げるとそのまま元来た森の方へと歩み去っていった。