プロローグ
初投稿になります。よろしくお願いします。
吹き荒れる吹雪が容赦なく身を打つ。吹雪は山道を登るごとに激しさを増していった。吹きつける寒風は吐いた息までも凍りつかせてしまいそうなほど冷たい。
町を出てから半日が過ぎた。歩き続け、若干の疲労感を帯びた足をボルクは止めた。
「少し休むか」
目を凝らし、周囲を見渡す。吹雪が吹き荒れ、視界は良くない。どこかに吹雪を除けられ、身体を休めそうな所がないか。岩陰を探す。岩窟があれば更にいい。
しかし視界が良くないせいか、あるいは場所が悪いせいか、吹雪を凌げれそうな所は見当たらない。
白い溜息が寒風に流れた。仕方がない。歩いていればそのうち見つかるだろう。そう考え、ボルクが再び歩き出そうとした時だった。
辺りを静粛が支配した。ゴウゴウと唸りを上げていた吹雪がピタリと止んだのだ。
一面の雪原。吹雪が止み、広がる景色は真っ白に凍りついていた。静粛な氷の世界がそこにあった。
ゆっくりと流れる風の音がその静粛さをより際立せた。それも相まって寒さで時間までもが凍りついてしまったかのようだった。
不気味な静けさだと思った。同時にもう一つの不気味な存在が頭を過ぎる。
「氷の魔女……」
それはこの厳寒の山を根城にしている恐ろしい魔女のものだった。氷の魔女なら吹雪を吹き止ませる事が出来るだろう。
冷気を操り、人を凍らせ、生気を喰らう氷の魔女。ボルクは実際にその姿を見た事はない。だが氷の魔女の存在を常に感じている。
8年前、氷の魔女は氷結の魔法をかけた。それはこの地を氷の地獄に変えた。
ボルク達の住むヴェラチノの町は凍りつき、外では吹雪が荒れ狂う。夜が明けると凍り漬けになった骸が寝床に横たわっている事も少なくない。
骸は氷の魔女が凍らせ、生気を吸ったのだと言う者がいた。氷の魔女を崇める者もいる。魔女の許しを得た時、呪いの魔法は解けるとその者は言った。
町には氷の魔女に関する様々な噂が流れていた。噂は次第に増えていき、それが人々の不安や恐怖、不満や怒りを煽った。そのせいかもしれない。ある時、町の住人達がハンターギルドに集まった。
ハンターギルドは腕っぷしの強いハンターと呼ばれる者達の集まりだ。ハンターは主に魔獣を狩り、その毛皮や肉を売って生計を立てている。また町の警護もハンター達の役目だった。
町を守るのが仕事じゃねぇのかよ。いつになったら氷の魔女を討伐してくれるんだ。まさか怖気づいたんじゃないだろうな。
トゲのある言葉が一方的に飛んだ。町の住人達は溜まった感情をハンターギルドに向けて爆発させる。今にもなだれ込む勢いだった。
ハンター達が住人達を牽制する為にギルドから飛び出てきた。その表情は怒りに染まっている。場は一発触発の状態だった。
これを治める為にハンターギルドは氷の魔女討伐隊を派遣せざる得なかった。八年前に派遣した氷の魔女討伐隊が全滅してから戦力は増強途中で未だに充分ではない。とはいえこれ以上時間をかければ取り返しのつかない事になるのは明らかだった。
そして氷の魔女討伐隊としてハンターギルドから派遣されたがボルク達だった。
「ボルクさん。これ、氷の魔女の仕業ですよね?」
ボルクの背後から飛んできた声はハンター達のうちの一人のものだ。突然止んだ吹雪に困惑しているようだった。
「それ以外に考えれんだろ」
確かに、とハンターが頷いた。
「俺達に気づいたんだろ。それで吹雪を止めた」
氷の魔女は探知系の魔法で敵の存在に気がついた。敵を視認する為に視界の悪い吹雪を止めた。そう考えるのが一番、現実的だった。
ボルクはハンター達に氷の魔女の魔法を警戒するように伝えた。いつ氷の魔女が魔法を放ってきてもおかしくはなかった。
突然、緊張感を帯びたハンター達の中から悲鳴じみた声が聞こえた。
「魔物だ!馬鹿でかい蛇の魔物だ!」
同時にズザザザと、背後から雪の上を這いずる音がした。音は凄い勢いでボルクの方に近づいてくる。振り返ると巨大な白い蛇の魔物が大口を開けてボルクやハンター達をひとまとめに飲み込むところだった。
ハンター達の悲鳴が聞こえた。直前まで蛇の魔物の気配は感じなかった。気づくのが遅れたせいで逃げる暇はない。一瞬で全身の血の気が引く。
それでも身体を動かせたのは豊富なハンターとしての経験と鍛錬のおかげかもしれない。ボルクは咄嗟に蛇に向かって魔法波を撃つ。
「これでも食ってろ!」
人の頭ほどの大きさの魔法波が蛇の大きく開かれた口に向かい飛んでいった。魔法波は飛んでいく鉄球だ。魔力を球状に濃縮し、質量と硬度を高めた青紫色の魔法の鉄球は蛇の頭を撃ち抜いた。
頭が砕け、飛散する。やけに脆いとボルクは疑問に思うがすぐに気がついた。脆いのは蛇が雪で出来ているからだ。
蛇は魔物ではなかった。魔法で動く雪だ。それが蛇を模している。
だから頭を失っても蛇は動きを止めない。蛇の残った下顎がボルク達の目の前まで迫っていた。魔法波を撃つ暇はもう無かった。
蛇は雪の濁流だった。蛇の体はボルク達にぶつかると砕けていく。
同時に全身に鈍い痛みを感じた。痛みは雪に混じる拳ほどの氷塊だった。足に、腹に、頭を守る腕に、無数の氷塊が打ちつけてくる。
ボルクは戦士だ。身体の丈夫さには自信があった。これぐらいなら何とか耐える事が出来る。
しかし他の者は違う。討伐隊の中には打たれ弱いハンターもいる。気がかりだった。
雪の濁流が唸りをあげている。その音に紛れてボルクは誰かの悲鳴を聞いたような気がした。
しばらくして濁流はおさまった。蛇の姿はもうない。その身体の全てがただの雪に帰したのだ。
ハンター達の姿が見えた。無事だった、とはいえないが皆、生きていた。
「大丈夫か?」
「ええ、なんとか……」
氷塊を受け、負傷したハンターにボルクは肩を貸した。
「本当にこれでよかったのでしょうか……?」
負傷したハンターが言った。氷の魔女討伐の事だとボルクは思った。
ヴェラチノの住人達の圧に負け、ハンターギルドは討伐隊を出さざる得なかった。
「そう思うしかない。俺達が出立しなければヴェラチノで暴動が起きていたかもしれん。戦力不足は否めないが勝算はある。氷の魔女に以前ほどの力は無いはずだ」
氷結の魔法の維持はそれなりに魔力を消費している可能性が高いらしい。氷の魔女が氷結の魔法をかけたのは八年も前の事。今はかなりの魔力を消費し、力を弱めているはずだ。
ハンターギルドのギルド長は魔導士達と話し合い、そこに勝機を見出した。
「確かにそうですが……」
負傷したハンターは怪我のせいか、恐ろしさのせいか、血の気の無い、青い顔をしている。
「恐ろしいのか?」
「はい……」
負傷したハンターが頷いた。問いかけてボルクは思う。氷の魔女を恐ろしく思わない者などいない。
「俺もそう思う。だが恐怖心はここで捨てろ。我々はその氷の魔女に勝たねばならん」
「わかっています。ですが俺達は絶対に手を出してはいけないものに手を出そうとしているのではないか。そんな気がするのです……」
負傷したハンター達の赤い血がポツポツと白い雪原に咲いていた。空は陰り、憂鬱な色を帯びている。