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死に際メリー  作者: gojo
第二章 2004
9/16

2004(4)

 明美さんがどんな嘘をついているのか、まったく想像できない。そもそも、この話はメリーさんの予想でしかなく、嘘なんてついていない可能性だって十分ある。

 とはいえ、気になってしまう。

 そんな割り切れない気持ちのまま、俺は、四日目のバイト勤務日を迎えた。明美さんとは仕事に関する話しかすることはなかった。二人の距離は、近付くことも、かといって離れることもなく、なにも変化がないまま時間だけが過ぎていった。


 そうして、今日もまた、退勤時間が訪れる。

 早上がりだった俺は、明美さんよりも先にスタッフルームに入り、タイムカードを切った。そのタイミングで、店の電話が鳴った。既に退勤済みではあるものの、ほかのスタッフをわざわざ呼ぶほどのことでもないので、迷わず受話器を持ち上げる。

 電話口からは、老齢の女性の声が聞こえてきた。


『……恐れ入ります。工藤と申しますが、篠崎明美はおりますか?』


 口調はとても穏やかだが、言い回しは奇妙だ。電話の相手側の人物、つまり明美さんのことを、呼び捨てにしている。店内を確認すると、明美さんは接客中だった。

 俺は簡単に謝罪を述べた上で、こう続けた。


「……篠崎の手が空き次第、折り返しお電話させます。失礼ですが、改めてお名前と、ご連絡先を頂戴してもよろしいですか?」


 すると、少し間があってから、老齢の女性は申し訳なさそうに言った。


『工藤です。明美の、母です……』


 苗字が、違う。なんらかの家庭の事情があるのだろうと自身に言い聞かせはしたが、胸騒ぎがした。とはいえ失礼があってはならないので、いたって冷静に応対し、いたって冷静に電話番号を控え、それから受話器を置いた。


 直後、明美さんがスタッフルームにやって来た。


「佐藤くん、いま電話あったでしょ?」

「工藤さんという方から、明美さ、あ、篠崎さんいますか?って……」

「あ、そう……分かった……」


 言づてを終え、それ以上なにも言わずに店を後にした。ただ、どうしても胸騒ぎが収まらない。俺は、明美さんの退勤まで、カフェで時間を潰すことにした。


 二時間後、店から出てきた明美さんに声をかけると、なにかを察したのか、彼女は覚悟を決めたように頷いて、俺に黙ってついてきた。

 どこかの店に入ろうかとも思ったが、誰もいないところが良いと思い、公園に入る。彼女は、再び大きく頷いた。


「直樹……ここで話をするの?」

「寒くて申し訳ないけど、静かなところが良かったんだ」

「分かった。で、聞きたいことって、なあに?」


 わざわざ誘ってはみたが、なにから聞けば良いのか迷う。


「あ、えっと、その……そうだ。さっきの電話って、なんだったの?」

「聞きたかったのはそんなこと? あれは親戚からの電話だよ。いとこが結婚するから式に顔を出せって命じられたの。そんなことで職場に電話してこないで欲しいよね」


 明美さんは引きつった笑顔を見せた。そんな彼女に対し、俺は、真剣な顔で告げた。


「親戚じゃないだろ。お母さんだろ。電話でそう言ってたよ」

「なんだ、知ってたんだ。意地が悪いな」

「どうして嘘をついたんだよ。ひょっとして姓が違うのは……」


 続く言葉が出てこない。時間が止まったかのような静寂が広がる。

 明美さんは、その静寂を少しずつ埋めるように、ポツリ、ポツリと言葉を零した。


「工藤っていうのは、わたしの旧姓だよ。わたし、結婚してたの」


 つまり俺との交際は不倫ということになる。考え得る中で最も質の悪い事実だ。

 あからさまに落胆した顔を見せると、明美さんは慌てて両手を振った。


「違う違う! なにか勘違いしてない? 結婚してたのは大昔のことだからね? それこそ、直樹と出会うよりも、えーっと、何年も前に離婚してる」

「え、あ、そうなの?」

「元旦那はヤンキーだったんだけど、若かったわたしはそういうのがカッコ良く見えちゃったんだよね。で、駆け落ちして結婚した。でもすぐに離婚した。その際の一連のゴタゴタのお陰で家族とはいまだに半絶縁状態。携帯番号さえ親に教えてないの。そんな状態だから旧姓に戻すのも申し訳なくて、いまも篠崎を名乗ってる」


 メリーさんが言っていた、嘘、というのは、このことだろうか。

 しかし、これは嘘というより隠し事だ。


「どうして、そのこと、教えてくれなかったんだよ。まあ、確かに驚きはしたけど、そんなことで明美さんのこと嫌いになったりしないよ?」


 そう言うと、明美さんは視線をそらして、囁くように言った。


「離婚の話をすると、時系列的に、嘘が、バレる恐れがあったから……」

「嘘? 嘘って?」


 明美さんは大きく息を吸ってから、俺の目をじっと見つめた。


「わたし、直樹より年上なの」

「そんなこと知ってるよ。明美さんは俺より一個上だ」

「ゼロが足りない」

「は?」

「ゼロが足りてない。わたしが離婚したのは十五年以上前の話。わたし、直樹の一個上じゃなくて、十個上なの。しかも早生まれだから、もうすぐ更に一個……」

「学年で考えると十一個上……」

「ねえ、それ学年で計算し直す必要あった?」


 信じ難い。確かに明美さんは、落ち着いていて、大人っぽくて、母性的な雰囲気のある人だ。しかし、どう見ても二十代にしか思えない。


「……とりあえず、なんで、そんな嘘をついたんだよ」

「ちょっとした出来心だったの。直樹に初めて会った時、まさか付き合うことになるなんて思わなかったから、冗談交じりに、同年代だね、って言っちゃったの。それが、どんどん、引くに引けない状況になっちゃって……」

「聞きたいんだけど、それが、別れを、選んだ、理由?」


 慎重に尋ねると、明美さんは黙ったまま深く頷いた。


「いや、俺には理解できないな。幸せなら年齢なんてどうでもいいだろ」

「わたしもそう思ってたよ。だから何年も付き合ってきたの。でもさ、直樹、最近になって、わたしと結婚したがってたでしょ?」


 できるならば、プロポーズという形でもって結婚したいという意思を伝えたい。かといって、ここで否定をしたら話がややこしくなる。仕方なく、俺は頷いた。


「ああ、俺は、明美さんと結婚したいよ」

「だから、それは駄目だなって思って、別れることにした」

「なんで!」


 思わず声を荒げてしまう。明美さんは、落ち着いた、それでいて優しさに満ちた表情を浮かべ、ゆっくりと話しだした。


「結婚は無理だよ。年齢的に出産は厳しいし、一度目の結婚を大失敗してる。そしてなにより、直樹の世間体っていうのがあるでしょ? 考えてもみてよ。わたし、バツイチのオバサンだよ? 直樹のお姉さんよりも遥かに年上だからね?」

「俺は、そんなこと気にしないよ」

「わたしは気にするの。それに直樹だって、わたしと別れるって言ってたじゃない」

「それは、明美さんに迷惑をかけたくなかったから……」

「わたしも同じ。直樹に迷惑をかけたくない。直樹のこと好きだから、直樹には、直樹に相応しい人と一緒になって欲しい」

「お、俺さ、俺、俺さ、本当に、明美さんのこと大好きなんだよ。なのに、どうして、どうしてそんなこと言うんだよ……」


 声を震わせながら訴えると、明美さんは、俺の頭を撫でた。


「ごめんね。ごめん。直樹は同年代の女の子と幸せな家庭を作って。祈ってる」


 そして、俺に背を向けて、振り返ることなく公園を出ていった。


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