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死に際メリー  作者: gojo
第二章 2004
6/16

2004(1)

 飛び乗った電車は線路の途中で停止した。

 車内アナウンスが、近隣で人身事故が発生した、と告げる。乗客たちは一斉に懐から携帯電話を取り出し、忙しなくボタンを連打し始めた。到着が遅れる旨を誰かにメールで知らせているに違いない。窓は結露で濡れている。外は相当な寒さだ。待たされる側の人にしてみれば、堪ったものではないだろう。


 俺もメールしたほうが良いかな。そんなことを考える。

 しかし既に待ち合わせ時間を過ぎているので、いまさら事故のせいで遅れるとは言えない。かといって、本当の遅刻理由、それを告げるわけにもいかなかった。


 迷っていると、電子音による『世界に一つだけの花』のメロディが聞こえてきた。マナーモードに設定するのを忘れていた。この曲は現在使用している着信音だ。周囲から軽蔑の視線を向けられ、慌てて折り畳まれた携帯をポケットから取り出す。背面の小型ディスプレイには、『篠崎明美』と表示されていた。

 携帯を開いて耳に当て、口元を押さえながら送話口に向かって囁く。


「も、もしもし……」


 溜め息だろうか、微かに空気の音が聞こえた後、明美さんの声がした。


『直樹……いまどこにいるの?』

「悪い。電車の中なんだ」

『そっか。とりあえず良かった。人身事故って聞いたから心配しちゃった』


 一体なにを心配されたのだろうか。


「ごめん。電車を降りたらかけ直すよ。一旦切るね」


 彼女の相づちを確認してから通話終了のボタンを押す。同じタイミングで電車が徐行運転を始める。ただし先行列車がだいぶ詰まっているようなので、目的地に着くまではまだしばらくかかりそうだ。ならば、いまのうちに彼女との会話を頭の中でシミュレートしておくのも悪くない。まずは無難な世間話から始めるのが良いだろうか。


 話題を求めて辺りに視線を這わす。ドアに貼られた広告が目に留まる。まもなく、映画版『世界の中心で、愛をさけぶ』のDVDが発売されるらしい。そうか。年末商戦の始まりか。そういえば、明美さんはこの映画が好きだと言っていた。

 彼女にはミーハーなところがある。俺の携帯の着信音も彼女のセレクトによるものだ。俺自身は、BOOWYなき後、氷室京介、あるいはフーファイターズやニルヴァーナといった洋楽を好んで聴いてきた。ただし、いずれも着メロとして配信はされていない。


「愛を叫ぶか……」


 この話題は、なし、だな。世間話について神経質になる必要はないとは思うものの、さすがに恋愛に関する話題はデリカシーに欠けているように思えた。


 今日、俺は、明美さんに別れ話をする。


 学生の頃のバイト先で知り合ってから四年。自分で言うのもなんだが、とても仲睦まじく交際を続けてきたと思う。だけどもう終わりにしなければならない。

 なぜなら、いまの俺は無職だからだ。


 遡ること半月前、職場の上司から自主退社を要請された。振り返ってみると、あの会社は入社した頃から、少し、いや、だいぶ、怪しかった。

 学生の頃にメディア関係の仕事に就きたいと思い立ち、いくつもの出版社の面接を受けた結果、唯一、編集者としての内定を出してくれたのが、あの会社だった。学術誌のみ扱っている会社ではあったものの、編集のノウハウは身に付けられるだろうと考え、迷わず入社した。ところが蓋を開けてみれば、主な業務は大学講師や引退した技術者への共同出版の斡旋。限りなく営業職に近かった。騙されたかもしれない。そう思ったことも何度かあったが、マニュアル通りの業務をこなすだけで高額な収入を得られたので、それなりに充実した日々を過ごすことができた。

 それが半月前のこと、上司から、「君はもう逃亡したほうが良い」という、耳を疑う一言を告げられた。ずっと以前から異様にクレームが多かったことは承知していた。それも本の購入者ではなく執筆者、すなわち共同出資者からのクレームが。

 つまり上司の発言を噛み砕いて表すと、すべての責任を負って消えろ、という意味になる。有無を言わさぬ圧力を感じた。そして仕方なく提案を承諾したところ、即日退社、という現実にあり得るとは思いもしなかった対応により、無職となった。その後、出資者にどのような説明がなされたのかは知る由もない。ちなみに、「退職金は現物支給なら可能だ」とも提案をされたが、丁重にお断りした。


 翌日以降、ずっと就職活動をしている。今日もハローワークに行ってきたが、就職氷河期と呼ばれるこのご時世、まともな職はなかなか見つからない。ただ受付の行列に巻き込まれてデートに遅刻するという実績だけができた。


 明美さんに、職を失ったことを知られるわけにはいかない。

 一つ年上の明美さんは非常に面倒見が良く、いつだって俺のことを子供扱いする。そんな彼女のことだ。無職と知れば、最大限の援助をしてくる可能性が高い。ましてや、具体的には口に出していないものの、お互いに結婚を意識していた時期だ。『ヒモ旦那』という不名誉な身分を与えられる恐れもある。それだけは絶対に避けたい。


 実のところ、職を失うまでは、今日プロポーズをするつもりでいた。四十万円するティファニーの婚約指輪も用意したし、一ヶ月も前にレストランを予約しておいた。しかしそのレストランは、プロポーズどころか、いまや別れの舞台となろうとしている。

 再就職さえできれば問題のない話ではあるが、いまのところ、その兆しさえ感じられない。今後にしても、不器用な自分が良い職を見つけられるとは思えない。

 別れる。それが最善だ。少なくともいまは。

 そうはいっても、いまだ婚約指輪は持参した鞄に入れっぱなしだった。未練がましいというか、自分らしいというか、とにかく情けない。


 電車はようやく駅に着いた。レストランの予約時間には間に合いそうだ。

 ホームに降り立つと、電話するまでもなく、明美さんの姿があった。わざわざここまで迎えにきてくれたようだ。俺は手を合わせて頭を下げた。


「遅くなって本当にごめん!」

「大丈夫? 仕事が忙しかった?」

「あ、うん、まあね……」

「ちゃんと連絡くらいしてよね」


 そう言って彼女は、俺の左腕にしがみ付いた。

 最後の晩餐くらいは、心から楽しもう。


 結局、世間話についてはいつも通りに行なうことができた。「今日の服装はエレガントだね」やら、「この料理の可食部位はどこまでだろう」やら、他愛もない言葉を自然と交わせた。

 どういう流れからか、こんな話もした。


「……都市伝説といえば、わたしが子供の頃、『メリーさんの電話』っていうのが流行ってたかなあ。直樹はこの話、聞いたことある?」

「え、あ、うん。俺の地元でも流行ってたよ……全国に広まっているんだろうね」

「この話ってさ、固定電話しかない時代だったからこそ怖く感じられた部分もあると思うんだよね。例えば、ほら、ゴミ捨て場とか電話がないはずの場所から電話がかかってきたり。でも、携帯が普及したいまとなっては、不思議でもなんでもないよね」

「確かに味気なくなったと思うよ」

「すれ違いのドラマにしても、携帯のせいで成立しなくなってしまったと思うの。事細かに待ち合わせ場所を決めなくても会うことができちゃうし」

「そういえば、駅の伝言板って気付いたらなくなってたね。もうXYZって書けない」

「いっそのこと携帯を投げ捨てちゃったほうがドラマは面白くなるんじゃないかな」

「携帯を投げ捨てるドラマってなんだよ」

「違う違う。わたしが言いたかったのは、物語上の世界から携帯という設定を取り除いてしまったほうが良いんじゃないか、って意味だよ」

「分かってるよ。からかっただけだよ。それにしても、明美さんが子供の頃の話をするなんて珍しいね」

「え? そうかなあ……」


 そして、コースメニューの最後、ムース状の甘いなにかが振る舞われた時、俺は覚悟を決めて今日の本題を切り出すことにした。


「あ、明美さん……」


 真剣な顔でそう言うと、明美さんは居住まいを正した。


「な、なあに、直樹……」


 唾を飲み込み、慎重に言葉を紡ぐ。


「俺たち、今日で、終わりにしよう。俺と別れてくれ」


 明美さんは一瞬だけ目を見開き、それからうつむいて、細く声を発した。


「まさか今日、そんなことを言われるとは思わなかった……」

「本当にごめん。理由は聞かないでくれ。ただ、もう決めたことなんだ」

「謝らないで……」


 明美さんは顔を上げて俺の目をじっと見つめた。そして、更に呟いた。


「ちょうど良かった。わたしも別れようと思ってたの」

「……え?」


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