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死に際メリー  作者: gojo
第一章 1988
2/16

1988(2)

 次の日になろうと、代わり映えのしない生活が繰り返される。


 結局のところ『子供』という職業を引退しない限り、僕は家族やら教育機関やらから苦しめられ続けるのだ。あと何年? 五年? 十年? 考えると憂鬱になる。

 せめてもの救いは、日中の数時間をほぼ一人で過ごせるということだった。姉ちゃんはいつも部活か遊びで夕方まで帰ってこない。今日は母さんもパートで留守にしているのでグチグチとお説教をされる心配もない。


 密かに心躍らせながら学校から帰宅すると、期待通り部屋は静まり返っていた。そしてテーブルの上に、『おやつ代』というメモと共に百円玉が置いてあった。普段であればビスケットやチョコレートなどが置いてあるのだけれど、お菓子のストックを切らしてしまったのか、現金でおやつが支給されたようだ。

 なんにも買わずに百円を懐に入れてしまおうか、と考える。けれど帰ってきたばかりで暑かったせいもあり、冷たい物を食べたかった。ポッキンアイスなら十円だ。そこで、近くの駄菓子屋に行くことにした。


 駄菓子屋は家から歩いて数分のところにある。目的地に着いた僕は、当初の予定通りチューブに入ったソーダ味のアイスを買い、その場で噛り付いた。

 店内の一角は小さなゲームセンターになっていて、この駄菓子屋への出入りは学校から禁止されている。おそらくクラスメイトに会うことはないだろう。そう思い、息抜きにアイスを咥えながらゲームの物色を始める。最新のゲームだと一プレイ五十円か百円。せっかく節約したおやつ代を使い切ってしまうのも惜しいので、僕は、入口に置かれた十円ゲーム、イーアルカンフーの前に立った。東京に住んでいた頃にやり込んだ格闘ゲームだ。


 そうしてしばらくゲームをしていると、突然、背後から声をかけられた。


「あれー、直樹じゃん。なにやってんの?」


 振り返るよりも先に、その声の主は僕の隣にやって来た。


「大輔くんこそ、なにしてんだよ。ここは出入り禁止のはずだろ」


 不満げにそう言うと、彼は画面を覗き込みながら当たり前のように言った。


「お前だって出入りしてんじゃん。ってか、その『大輔くん』って呼び方、やめね? 大輔で良いよ。『くん』なんて付けんなって」

「僕たちは呼び捨てで呼び合うほどの仲じゃないだろ」


 言い返してみたものの、大輔はまったく動じることなく自分勝手に喋りだした。


「新しいゲームがあるのに、いまどきイーアルカンフーかよ。まあ、でも、これ面白いよな。おっ、凄え、百三十万点? しかも一度も死んでねえのかよ」


 その言葉を聞き流し、ゲームに集中する。


「マジか! 二周目の扇使いにパーフェクト勝利!」


 大輔は隣で見ているだけにもかかわらず、まるで自分のことのように興奮していた。ゲーム中に茶々を入れられるのは非常に迷惑だ。これでは息抜きどころではない。


「大輔くん、続きやって良いよ」


 そう言って僕は、その場を離れた。するとTシャツの裾を掴まれた。


「おい待てよ、直樹」

「離してくれよ。服が伸びるだろ」

「なに怒ってんだよ」

「怒ってないよ。とにかく離してくれ」


 どうにか解放してもらえる。でも、その顔はまだなにか言いたげだった。

 僕は警戒するように大輔のことを睨んだ。大輔はポケットに手を突っ込んで冷めた面持ちをした。


「お前さ、俺たちのこと見下してんだろ?」


 僕は黙り込んだ。ゲーム機からゲームオーバーの音楽が聞こえてくる。


「……直樹。お前の考えてること、いつもバレバレだぞ」


 ひどく馬鹿にされた気がした。僕は、口を閉ざしたまま勢いよく大輔に背を向け、家へと早足で歩き始めた。


 最低だ。最悪だ。忌々しい。涎まみれの野良犬に顔を舐められた気分だ。分かった風な顔しやがって。見下されるのは見下されるほうが悪いんだろ。みんな、いなくなっちゃえよ。メリーさんにでも殺されてしまえ。


 家に着いても苛立ちは収まらず、できるだけ早くいつものCDを聞きたかった。ところが、子供部屋に辿り着くよりも先に、一つの音が僕の足をとどめた。


 ジリリリリ、ジリリリリ……


 黒電話のベルが空気を震わせている。家にいるのは僕一人。だけど、いまは誰とも話をしたくない。しばらく放置すれば相手は諦めて電話を切ることだろう。意味もなく息を殺し、様子を見守る。けれどジリリリリという音がやむことはなかった。


 根競べはこっちの負けだ。こんなやかましい音が鳴っていたのでは音楽を堪能することもできない。


 僕は、仕方なく受話器を手に取って耳に当てた。


 空気の擦れるような音だけがする。ほかにはなにも聞こえず、一向に言葉が発せられる気配はない。受話器を握る手に汗が滲んだ。


「も、もしもし?」


 尋ねても返事はない。イタズラ電話だろうか。そう思った時、ようやく、か細い少女の声が聞こえてきた。


『……あたしメリーさん、いまゴミ捨て場にいるの』


 心臓が大きく一つ跳ね上がった。本物のメリーさんだろうか。いいや、クラスメイトからの嫌がらせかもしれない。いずれにしても動揺を悟られたくはないので、なにも言わずに相手の次の言葉を待つ。するとガチャリという音がして、電話が切れた。

 誰かの嫌がらせに決まっている。そうに違いない。心の中で呟いて、僕は受話器を置いた。直後、またベルの音が響いた。


 ジリリリリ、ジリリリリ……


 唾を飲み込み、再び受話器を持ち上げる。


『……あたしメリーさん、いま駄菓子屋にいるの』


 その言葉だけを残し、再び電話が切られる。

 僕が駄菓子屋にいたことを知っているのは大輔だけだ。大輔たちはメリーさんの話で盛り上がっていたし、こういうイタズラをしたとしても不思議ではない。けれど電話の声は明らかに女の子のものだ。彼らが女子と結託するなんてことがあり得るだろうか。


 ジリリリリ、ジリリリリ……


 考えている最中に、またベルが鳴る。


『……あたしメリーさん、いま玄関の前にいるの』


 電話が切られる。すぐそこの鉄の扉が禍々しいものに見えた。向こう側になにかいる気がする。玄関を開けさえすればイタズラかどうか確かめることはできたけれど、どうにも気乗りせず、ただ立ち尽くす。

 そうしているうちに、またもやベルが鳴った。


 ジリリリリ、ジリリリリ……


 もしこれが本物のメリーさんからの電話だったとしたら、次は。

 覚悟を決めて受話器を持ち上げ、力強く問いかける。


「もしもし!」


 少し間があってから、電話口の声は、僕にこう告げた。


『……あたしメリーさん……いま……あなたの後ろにいるの』


 背後から何者かの足音と息遣いが聞こえた。玄関には鍵が掛かっているので少なくとも大輔たちのイタズラではない。じゃあ、もしかして。

 恐るおそる後ろを振り返ると、そこには、青白い顔をした同い年ほどの少女が立っていた。僕は受話器を投げ出して、腹の底から叫んだ。


「うわああああああああ!」

「うわああああああああ!」


 おかしい。僕の声だけではなく、もう一つ叫び声が聞こえる。

 その疑問に答えるように、目の前の少女が話しだした。


「ちょっと、いきなり大きな声を出さないでよ。ビックリして思わず叫んじゃったじゃない。だいたいレディの顔を見てそんな反応をするなんて失礼しちゃうわ」


 状況が飲み込めず、慌てて尋ねる。


「き、君は誰だよ。ど、どこから入ったんだよ」


 そんな口ごもる僕とは対照的に、目の前の少女は、落ち着いた顔付きで肩をすくめた。


「誰って、『メリーさん』って名乗ったでしょ。けっこう有名人なんだけど」


 僕は彼女の頭の天辺から足の爪先までを何度も眺めた。


「メリーさんは、西洋人形のお化けだろ。き、君は、どこからどう見ても、日本の、えっと、日本の田舎娘じゃないか」


 メリーさんを名乗る少女は、おかっぱ頭で、赤いワンピースを着ていた。メリーよりもむしろ花子や猫娘といった呼び名のほうが相応しく思える。


「あのね、確かに元は西洋人形だけど、さっきも言った通りあたし有名人なの。それも日本限定のね。だから姿かたちは日本式にローカライズされているわけ。分かる?」

「え、あ、よく分からない……」

「とにかく、あたしメリー。メリーさんなの。よろしく」


 そう言われても納得できやしない。


「本物のメリーさんなら会った瞬間に死ぬはずだろ。でも、僕はまだ無駄に元気だ」

「あー、それねー、誤解されがちなんだけど、会った瞬間ではなくて、あたしに触られた瞬間、正確には接触した瞬間に、ターゲットは死ぬの」

「接触ってことは、つまり、僕から君に触れたとしても死ぬってこと?」

「そういうこと。ねえ、怖いでしょ?」


 その返答を聞き、僕は迷わず彼女に向かって手を伸ばした。

 彼女は驚いた顔をして、後ろへと跳ねて下がった。


「ちょっ! ちょっと、なにしてんのよ!」

「君に触ろうとしたんだ」

「触ったら死んじゃうのよ? 馬鹿じゃないの」

「その言い方は適切じゃないよ。僕は死にたいから死のうとしたんだ。予定通りの行動に対して『馬鹿』という評価はして欲しくないな」


 淀みなく一息でそう言うと、彼女は眉間に皺を寄せて腕を組んだ。


「あたしも一応はモノノケの眷属。人間から恐れられることこそが生業みたいなものなのよね。だから死のうとしている子を殺すのは不本意だわ」

「ってことは、殺してくれないんだ?」

「いいえ。あたしは、あなたを、ターゲットに選んだの。殺すわ。あなたが幸せを感じて死にたくないって思った時、必ず、呪い殺す」


 彼女は口角をゆっくりと引き上げた。その薄気味の悪い表情は、なるほど、確かに人間のものとは思えない。けれど恐怖を感じることはなかった。むしろ拍子抜けした。


「それは殺さないって言っているようなもんだよ。残念ながら幸せを感じる日が訪れるとは思えないね」

「そんなの困るわ。醜く命乞いして欲しいから、さっさと幸せに……そうだ。相談に乗ってあげる。どうして死にたくなったのかを言いなさい」


 偉そうな態度が腹立たしいけれど、手っ取り早く彼女を諭すため、いまに至るまでの経緯を、世間が如何にくだらないかを、説明することにした。

 彼女は腕を組んだまま僕の話に耳を傾け、何度も細かく相づちを打った。



「……だから、僕は、この世に未練はないんだ」


 説明を終えると、彼女は一際大きく頷いて視線を上に向けた。


「ふーん、要するに生き甲斐を感じられないってことね」

「簡単にまとめるなよ」

「世間に流されるだけじゃつまらないって思ってるんでしょ?」


 間違ってはいない。返事に困ってうつむく。


「あたしが思うに、楽しいことを見つければ良いんじゃないかしら。例えば、友達を作るとか、恋人を作るとか、守りたいものを作るとか? ほかには……」

「簡単に言うなよ」

「難しく言うことでもないでしょ」

「君を頼って損したよ。君も野良犬たちの仲間だったんだね」

「それはあなたの考え方次第よ」


 澄ました顔の彼女に苛立ちを覚え、僕はそっぽを向いた。

 短い静けさの後、深い溜息の音が聞こえる。


「……まあ、今日のところはお開きにしましょうか。誰かが帰ってきたみたいだし」


 その言葉に促されて玄関に視線を向けると、鍵をいじる音が聞こえてきた。

 おかっぱ頭の少女は僕の横を通り過ぎ、ぶら下がったままの受話器を拾い上げた。そして、首を傾げて微笑んだ。


「この出会いによって不幸のための幸福を得られるよう祈ってるわ。じゃ、またね」


 受話器が電話機本体の上に置かれる。チンッという音がすると共に、彼女の姿はふわりと消えた。ずっと半信半疑だったのだけれど、これでようやく確信できた。


 いまの少女は、本物のメリーさんだ。


 呆然と黒電話を眺めていると、玄関の扉が開かれた。


「お母さん、いるー? ねー、やっぱりラケット買ってよー」


 ジャージ姿の姉ちゃんは、帰ってくるなり愚痴を零し始めた。もちろん僕は母さんではないし、姉ちゃんの小っちゃな悩みに興味はない。


 いまの僕の関心事は、死ぬこと、だけだ。


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