表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死に際メリー  作者: gojo
最終章 2070
16/16

2070

 目の前に着信を知らせる通知ウィンドウがふわりと浮かぶ。発信者は『荒木結花』となっている。私は、『通話』と念じた。

 すると三十代の女性が現れた。荒木結花、私の孫娘だ。現れたといっても、実際にそこにやって来たわけではない。これは立体映像だ。しかも網膜に映されたものではなく、視神経に直接電気信号を送られたことでもって結ばれた像。


「直樹お爺ちゃん、今日さ、そっちに行くね」


 まるで目の前に本人がいるかのようだ。


 私の脳にはインプラントコンピュータが埋め込まれている。五年前、新世代デバイスとして一気に流行し、多くの人がこのコンピュータを頭に埋め込んだ。その頃、既に八十代なかばとなっていた私からしてみれば、いわゆる流行りものに抵抗感があったし、なにより体に埋めるということ自体に、分かり易く言えば、恐怖があった。

 しかし寝たきりとなったいまでは、埋め込んでおいて良かったと思う。

 人の脳波を読み取って概念を抽出することにより、念じるだけで、かつての平面デバイス、パソコンやスマートフォンなどと同じことができるのだ。

 いや、同じではないな、それ以上のことが容易にできる。言語を越えた概念抽出なので、例えば異国の言葉しか使えない人とも、インプラントコンピュータを介せば、なんら不自由することなく会話できてしまう。要は万人がテレパシーを使えるようなものだ。


「……あ、そうだお爺ちゃん。うちの息子も一緒に行くから」

「それは珍しいな」

「あの子が面白い物を買ってきたのよ。そうしたらお母さんが、直樹お爺ちゃんに見せに行きなさいって、そそのかしたの」

「美月が? なんだよ、面白い物って」

「それは見てのお楽しみ。じゃあ、あとでね」


 結花の姿が消える。通話を終えると、辺りは静まり返った。


 病室には私しかいない。見舞いに来る客人もほとんどいないので、こうして孫たちが連絡でもしてこない限り、静寂だけが親しげに寄り添ってくる。致し方のないことだ。既に大半の知人は他界してしまっている。もちろん母も父も、そして姉も。

 私よりも長生きしそうだった大輔に至っては、亡くなったのは二十年も前のことだ。もともと気管支が弱く、少し体調を崩したと思ったら、そのまま帰らぬ人となった。

 

 二十年も前。そんなに時が過ぎたのかと、ふと、感慨が込み上げる。

 大輔は、生涯において最も親しい友人だった。お陰で人生の節目には必ずと言っていいほど彼の姿があった。孫が生まれた時、娘が生まれた時、結婚した時、自作の歌とフェンダーのギターを引っ提げて、尖った髪を振り回しに来たものだ。

 そんな彼も晩年にはジャズミュージシャンに転向していたのだから、人生、最期まで何が起こるか分からない。思えば、私の人生に予想外のことが起こるようになったのも、大輔がきっかけだった。


 どこまでも伸びる遊歩道と、小さな花火。

 少女の姿が頭をよぎる。


 つられて、これまでの様々な記憶が蘇ってきた。

 新たな家族との同居、娘との二人きりの暮らし、妻との死別。


 一つひとつの思い出を噛み締めるように振り返っていると、ドアを叩く音が聞こえた。


「どうぞ」


 そう言うと、少年が入ってきた。


「ヒイちゃん、元気!」


 ひ孫の平太だ。平太は私のことを、ひい爺ちゃんではなく、「ヒイちゃん」と呼ぶ。


「お母さんは一緒じゃないのか?」

「母ちゃんはあとで来るよ。俺は急いで走ってきたから先に着いた」


 私は鼻で笑った。急いで来たということは、面白い物を、見せたくて仕方がないのだろう。せっかくならば惚けておいたほうが良さそうだ。


「で、今日はなにをしにきたんだ?」

「学校の遠足に行った時に良い物を買ったから、見せに来たんだ」

「へえ、なんだろうな」

「これ」


 平太は小さなマスコットキーホルダーを取り出した。


「これは……」


 赤いワンピースを着たおかっぱ頭の人形が、目の前で揺れる。


「これさ、いま流行ってんだよ。メリーア様っていうお化けなんだ。回線の中に潜むお化けでさ、『あたしメリーア様』って通信を送ってきて、いつの間にかに背後に立ってるんだってさ。怖くね?」

「それは怖いな」


 メリーさんのことだろう。思うに、長い時間の中、人から人へと噂話が伝わっていく過程で、徐々にその呼び名が変化していったのだろう。


 メリーとは、聖書由来の英語圏の名だ。同じ由来でも、フランス語ではマリー、ドイツ語ではマリーエという名になっている。そして元々のラテン語では、マリア。図らずもメリーさんの名は、語源に近付きつつある。


「こら、平太。うるさくしないの。廊下まで声が聞こえてるよ」


 遅れてやってきた結花に叱られて、平太は黙り込んだ。


「……直樹お爺ちゃん、平太の相手をさせちゃってごめんね。疲れたでしょ?」


 結花は私の身の回りの世話を始めた。着替えを交換し、見舞い品を片付け、最後に、空気を入れ換えるために窓を開けた。中庭の花が見える。


「今年の桜は綺麗だな」

「そうね。でも毎年、同じように綺麗じゃない」

「……ああ、そうだな」

「窓は開けたままにしておくね。肌寒くなったら看護師さんに閉めてもらってね」


 結花はそう言い残し、平太を連れて病室を出ていった。

 開け放たれたままになっていた内開きの扉がパタリと閉じる。すると、いままで死角になっていた場所に、一人の少女が腕を組んで立っていた。


 これは通信による立体映像だろうか。

 そう疑問を抱いたことを察したかのように、少女は、ゆっくりと述べた。


「……あたしメリーさん……いま……あなたの目の前にいるわ」


 懐かしい声。

 微笑みながら言葉を返す。


「久しぶりだね。メリーア様じゃなくていいのか?」

「どちらでも良いわ」

「実はね。そろそろ君が訪れる頃だと思っていたんだ」

「あら、じゃあ、待っていてくれたのかしら?」


 そう言って、彼女も笑った。


「君が来たってことは、殺しに来たんだね?」

「そうよ。あたしはモノノケですもの」


 ひどく落ち着いた口調にもかかわらず、その声は、耳の奥、頭の中心まで染み込むように届いた。私は口元を引き締め、それから静かに尋ねた。


「なあ、聞いても良いか? 君は本当に存在するのか? 君は、私が死にたくなるたびに目の前に現れ、あらゆる手段で、私のことを救ってくれた。ひょっとして、君は、私自身の生きたいという意思が生んだ幻なのではないか?」

「さあ、どうかしらね。そんなこと、どうでもいいんじゃないかしら。いずれにしても今日、あたしが、あなたを殺しに来たってことに変わりはないんだから」


 これ以上の返答は得られないだろう。得たところで、彼女の言う通り、結果は変わりはしない。彼女は殺しに来た。ただし。


「君は、幸せな人間しか殺さないんだろ?」


 そうよ。だから確認するわ。あなた、いま幸せ?


「ああ、良い人生だった。幸せだったよ。いや、幸せだ」


 死にたくない? 怖い?


「ああ、死にたくないな。怖いよ。この幸福に満ちた世界から、消えなければならないなんて。でも、もう長く生きたからな。仕方がないことだ」


 じゃあ、殺してあげるわ。


「私のほうから手を繋ぐのでも良いかな?」


 良いわよ……


 私は右手を前に差し出した。

 その手は、小さな手を握り締めた。

 

 

 挿絵(By みてみん)

 死に際メリー 了 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=95340204&si
― 新着の感想 ―
[良い点] ついに、最後まで拝読しました。 遅ればせながら、感想を残させていただきます! これは、なんともスケールの大きな、人生一代記的なハートフル・ホラーでしたね。ホラーを飛び越えて、もはや人生ド…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ