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死に際メリー  作者: gojo
第三章 2020
15/16

2020(5)

 かつて十歳の頃に歩んだ道を、三十年以上過ぎたいま、十歳の少女のために走る。

 あの頃はまだ体が小さくて遠くへ行くのに苦労をしたが、大人になったいまならば、もっと早く、進むことができる。


 いまだ涼しさの残る初夏ではあるが、一時間、二時間と走ると、さすがに全身が汗で濡れそぼった。私は見覚えのある公園に立ち寄り、手酌で水をあおった。

 だいぶ遠くまで来た。美月の足の速さを考えると、ひょっとすれば途中で追い越してしまっているかもしれない。だが、ここにくるまでに彼女の姿はなかった。一体どこにいるのだろう。

 考えを巡らせていると、音が、聞こえた。


 ジリリリリ、ジリリリリ……


 懐かしいベルの音。私はその音の出処へと足を向けた。


 鳴っていたのは、タバコ屋の前に置いてあるピンク色の公衆電話だった。とても長い時間が経過したにもかかわらず、まだ現役で使われていたのだ。

 その電話に歩み寄り、受話器を持ち上げる。


『……あたしメリーさん、いまタバコ屋にいるの』


 後ろを振り返ると、そこには、メリーさんが腰に手を当てて立っていた。


「メリーさん、会いたかったよ」

「んー? なにか用があるのかしら?」

「うちの娘、美月が、どこにいるか知らないか?」

「さあ、なんのことかしら」


 肩をすくめて首を傾げている。私は語気を強めた。


「惚けんなよ! 君は、美月にちょっかいを出してただろ。なにするつもりだよ」


 すると、メリーさんは目を細めた。


「あら、バレちゃったのね。じゃあ仕方ないわ。教えてあげる。あたしが人間に接触する理由は一つよ。あなたのお嬢さんは、あたしのターゲット……殺すわ」

「ふざけんな!」


 叫ぶと、彼女はひどく冷ややかな表情を浮かべた。


「ふざけてなんかいないわ。だいたい、あなたには関係ないことでしょ?」

「俺の娘なんだよ。関係ないはないだろ」

「でも捨てようとしてたじゃない。お嬢さんを残して一人で死のうとしてたでしょ。それなら別にどうでも良くない? あなたは死ぬんでしょ? 残された人たちはどうなっても構わないんでしょう?」

「違う! 捨てるつもりなんてない! 俺は辛かっただけだ。明美がいなくなった景色を見続けることに耐えられなくなっただけだ。俺は、俺のわがままで彼女の延命を望み、長く苦しい思いをさせて、俺のわがままで今度は治療を打ち切って、あれほど愛した人なのに、彼女の命を、まるでおもちゃでも扱うかのように自分勝手にもてあそんで、その浅ましさ、醜さが、憎いんだ、もう嫌なんだ……」


 言葉に詰まった瞬間、メリーさんは耳の奥に刺さる声を発した。


「違うわ。あなたは自分の醜さを消すために死のうとしているんじゃない。怖くて逃げただけよ。自分に乗っかる責任を果たす自信がなかっただけ」


 そして話しながら、こちらに向かって歩いてきた。


「あなたは、より醜くなろうとしている。なんて自分勝手なのかしら。好きよ、そういうの。そんな素敵なあなたには、真っ赤に染まるお嬢さんをプレゼントしてあげるわ」


 チンッと音がする。と同時に、メリーさんの姿がふわりと消えた。


 止めろ。止めなければならない。


 かといって方法が分からなかった。美月の居場所を闇雲に探しても見つけられる望みは薄い。それに対して、メリーさんは、あらゆる回線の中を自由に行き来できる。これほど優位性に差があったのでは分が悪過ぎる。

 そこまで考えが至った時、あることに気が付いた。


「いや、メリーさんは、簡単には殺せない……」


 なぜなら、美月のタブレットは回線に繋がっていないからだ。


 自宅や姉の家ではいくらでも回線に繋ぐことができるが、外においては携帯WiFi端末あるいはフリーWiFiが必要になる。そして、その端末の代わりとして使用しているスマートフォンは私が所有している。つまり、出先では私と一緒の時にしかネットワークを使用できない。

 メリーさんは、回線が繋がらない限り手を出せやしない。

 とはいえ美月も接続が切れていることに時間の問題で気付くだろう。幼い頃からタブレットを使用しているので多少の知識ならある。では、どうするか。繋がる場所を探すに違いない。美月の目指す場所は川の上流なんかではない。むしろ、逆。


 美月は、街にいる。


 私は大通りへと走り、タクシーを止めた。実家近くの繁華街、そこへ急ぐよう運転手に伝える。車窓に映る景色が後方へと勢いよく流れた。


 人の足で移動できる距離などたかが知れている。二時間あまりの道のりも車では三十分もかからなかった。繁華街に到着した私は、さっそくフリーWiFiのありそうな場所を求めた。

 美月は現金を所持していない。カフェなどの飲食店にはいないだろう。そうなると、図書館や地域センターなどの公共施設、あるいは。


 私はまず駅に向かった。改札をくぐらなくとも、その周辺ならばネットワークを利用できる。しかも各社のWiFiサービスが揃っているので、複雑な設定も必要としない。

 順にめぼしい施設を当たるつもりでいた。見当がついているとはいえ、街の中から人ひとりを探すのは容易なことではないはず。ところが、その必要がなくなった。

 幸いにも、駅前で、美月の姿を補足できたのだった。


 美月は小さな広場のベンチに座っていた。タブレットを操作している。どうやら回線は既に繋がっているようだ。すぐにでもそばに駆け寄りたい。しかし、彼女との間には大きな通りがあった。信号は赤だ。まだ渡ることはできない。

 ほんの一秒さえ、もどかしかった。早く青に変われと願う。私は舌を打ち、美月に視線を定めたまま片足を忙しなく揺すった。

 すると、美月が視線を上げた。なにかの力によるものか、偶然なのかは分からない。とにかく、彼女は私の姿を見つけたのだった。


 小さな体が立ち上がる。その表情はどことなく虚ろだ。一歩二歩と足が前に出る。美月は私のもとに来ようとしていた。だが、ここに来るためには川のように流れる車列を越えなければならない。

 正気を失っているのか。そう思った時、彼女の背後にある空間がグニャリと歪んだ。その歪みの中心に黒い渦が生じる。それは次第に大きくなり、やがて赤いワンピースの人影が見えた。両腕を広げ、中空に浮かび、うつむいている。メリーさんだ。

 メリーさんは、じわりじわりと、おもてを上げる。次第に露わになる顔は青白い。口の端は裂けそうなほど吊り上げられ、見開かれた瞳は赤く爛々と輝いている。


 その姿、異形。


 少女の姿に化けていようと、やはり本性はモノノケ。表情からは慈悲の欠片も感じられない。なにも言葉を発さずとも、ひしひしと明確な意思が伝わってくる。殺す気だ。メリーさんは宙を漂い、美月の背中に向かって手を伸ばした。いまこの状況でその手に命を絡め取られれば、おそらく表向きには車に轢かれたということになるだろう。

 美月が更に足を前に出す。通りまではあとわずか。背後にはメリーさんの魔手。死なせたくない。これ以上守るべきものを失いたくない。奪わないでくれ。

 私は、必死の思いで、喉が潰れるほどの叫声をあげた。


「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


 瞬間、時が止まった気がした。否、止まったのは美月の歩みだった。


 先程まで美月は虚ろな目をしていたが、いまでは我に返り、私のことを冷静な面持ちで見つめている。目の前を車が通り過ぎる。気を付けろ、と言わんばかりにクラクションが鳴る。メリーさんの姿は消えていた。なにが起こったのか分からなかった。

 その時、背後から声がした。


「やればできるじゃないの」


 それはメリーさんの声だった。私は振り返ろうとしたが、即座に制止された。


「後ろを向かないで。あたしの姿はほかの人には見えていない。声も聞こえていない。だから、そのままの自然な姿勢で話を聞いて」


 私が指示に従ったと認めたのか、メリーさんは言葉を継いだ。


「……あなた、基本的なことを忘れてるわ。あたしは、死のうとしている子を、殺したりしない。言いたいのはそれだけ。じゃあね」


 フッと、背後にある気配、あるいは圧と呼べるものが、消えた。


 信号が変わる。私は美月に駆け寄った。美月は無表情だ。


「美月……ごめんな、気付いてあげられなくて……」


 死のうとしている子を殺したりしない。そう。美月は、死にたがっていたのだ。それも私が死のうと考えるよりも先に。

 メリーさんは人を殺すために現れる。明美が病で苦しんでいる最中にメリーさんは美月に接触した。すぐに殺さなかったということは、その時には既に美月は死にたがっていたのだろう。母親が間もなくいなくなってしまうという状況に、小さな体と心は、耐えることができなかったのだ。それでも、人前では冷静に振る舞っていた。少しでも油断をすれば決壊してしまうとでも考え、必死に感情を出さないよう努めていたに違いない。


 美月の顔には、いまもなお表情がない。

 私は、彼女と視線の高さを合わせ、華奢な両肩に手を置いた。


「強がらなくても良いんだよ。そんなの苦しいだけだ。いいか? 強ければ良いというわけではないし、弱ければ悪いというわけではない。本当の自分のままでいられることこそが幸せへの近道なんだ。美月。お父さんが、お前の理解者になるよ。すべてを受け止められる、うん、理解者になる……」


 柔らかな頬の上を、雫が滑り落ちていく。


「わたし……わたし……お母さんに会いたい……」


 美月は、顔をクシャクシャにして、声を出して泣いた。

 その体を抱き寄せ、そして、耳元で囁く。


「お父さん、頑張るよ。お母さんの分まで頑張るよ。頼りないかもしれないし、すぐには上手くいかないかもしれないけど、それでも、頑張るよ……」


 美月は、涙を流しながら、頷いた。


 アラート音が聞こえる。タブレットを受け取ってその画面を見てみると、ゲームのチャット欄に、『メリーちゃん』からメッセージが届いていた――





 むかし、お前と同い年の頃、『メリーさんの電話』という噂話が流行っていたんだ。いまで言うところの都市伝説ってやつかな。

 お化けのメリーさんが、「あたしメリーさん」と何度も電話をかけてきて、最終的に電話に出た人の背後に立ち、その人の命を奪ってしまう。そういう話だ。怖いだろ?

 ちなみに、メリーさんは西洋人形のような少女の姿をしていると言われている。


 でもね、本当は違うんだ。

 本物のメリーさんは、おかっぱ頭で、赤いワンピースを着ているんだよ。笑っちゃうだろ? メリーって名前なのに和風な出で立ちなんて。


 ある日、一人の死にたがり少年が、そんな彼女にお願いをした。「僕を殺してくれ」ってね。だけど、メリーさんはその願いを叶えてはくれなかった。

 どうしてだと思う?


 メリーさんには、こだわりがあったんだ。

 そのこだわりを聞かされた死にたがり少年は納得できなかった。死にたいのだから死なせてくれと食い下がった。それでも、メリーさんは首を縦に振らなかった。そこで少年は自ら死ぬことを考えた。誰もいない遠くの世界へ行こうとしたんだ。それも、何度も何度も行こうとした。けれど、その度に、メリーさんに阻止されてしまった。


 メリーさんのこだわりはね、幸せな人間しか殺さないというものだったんだ。


 そのために彼女は、死にたがり少年のことを幸せにしようと手を尽くした。ある時は諭し、ある時は騙し、ある時は脅した。それはもう、手段を選ばずって感じかな。


 少年がその後どうなったかって?

 さあね。たぶん幸せになっていると思うよ。だけど、もっともっと幸せになれるかもしれないから、メリーさんは殺すことができないんじゃないかな。


 メリーさんはいまごろ、ほかの死にたがっている人を探しているだろうね。死にたがっている人を探しては、メッセージを送っていると思うよ。

 そう。かつて少年が受け取ったメッセージと同じ内容をね。



 ――死にたがりの少年と少女たちへ。

     幸せになりなさい。

       死ぬほど幸せになりなさい。



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