36.覚醒シーンは胸が高鳴る
荘厳たる雰囲気を漂わせている王の間で二人の男が戦っていた。その様子を第三者が見たら決して真剣勝負をしているとは思わないはずだ。一人の男が拳を繰り出し続け、もう一人の男が息をするようにそれを躱し続けている。何かの舞踊かある種の鍛錬か。殴りかかっている男が憤怒の形相でなければ、誰しも勘違いしただろう。
「こんなエクササイズを続けて、僕を倒せるのかい?」
何の変哲もない右ストレートを少しだけ首をずらして避けながら、康介が退屈そうに問いかけた。
「はぁ……はぁ……うるせぇよ……!!」
汗一つかかずに涼しい顔をしている康介とは対照的に、クロは全身汗だくで息も上がっている。王の間に来てからずっと当たらぬ拳を振るい続けているのだから、それも仕方のない事だった。
「……少し買い被りすぎていたのかもしれないね。色んな人から期待されている男なんだからひょっとしたら、とか思ったけど」
初めの頃から比べて明らかに動きが悪くなっているクロを見ながら、康介が冷たく言い放つ。
「やっぱり日陰者はこの程度だ、って事だね。ある意味、安心したよ」
「うるせぇ、って言ってんだろうがっ!!」
怒声を上げながら康介の顔目掛けて、拳を突き立てた。だが、渾身の一撃も無様に空を切る。この城一帯に魔法陣を無効にする魔法がかけられているため、今のクロは魔法の加護もなしの生身で戦っていた。それでは、'バトルマスター'のスキルに加え、魔力で強化されている康介に歯が立つわけもない。そんな事は理解しているクロであったが、拳を止める事はなかった。
「無駄だよ。魔法陣が使えない君じゃ、絶対に僕には勝てない」
「勝手に決めつけんな……!! 俺はてめぇをぶちのめして……大事なもんを取り返すんだよ……!!」
「人生、諦めが肝心なのさ。無理なものは無理なんだ」
自分に対しての発言だというのに、どこか別の人物に対して言っているような違和感を感じたクロであったが、そんな些細な事はすぐに頭から消し飛ぶ。今、彼の脳を支配しているのは、目の前に立つ野郎をぶちのめす、という激情だけだった。
「……ここまで退屈だと、苛立ちすら覚えるね」
「知るか……! さっさと俺に殴られやがれ……!!」
「好き好んで殴られる趣味はないね。例えダメージを受けないにしても」
そう言って、クロの攻撃を躱した拍子に康介が僅かに足を出す。その足に引っかかったクロが受け身もとれぬまま、前のめりに倒れこんだ。
「踏ん張ることもできないとは……もう体力の限界かな?」
「ぐっ……んなことは関係ねぇ……!! 俺はお前をぶちのめす……だけだ……!!」
よろめきながらも立ち上がったクロは、再び康介に殴りかかる。フラフラのクロを見てため息を吐いた康介は、グッと踏み込み、クロの腹部に自分の拳をねじ込んだ。
「がっ……!!」
一瞬息が止まる。そのまま崩れ落ちるように倒れこんだクロを、康介は路傍の草に向けるような目で見ていた。
「……あの魔族の女は一体何が狙いだったんだ? まさか魔法陣抜きで、この男が僕に勝てると本気で思っていたのか?」
この戦いをけしかけたセリスの思惑がまるで分からない。もしかしたら、彼女は魔法陣を無効化する魔法の存在を知らなかったのではなかろうか。だとすれば、あの悪魔が、魔法陣で戦えばクロが勝利する、という幻想に囚われても無理はなかった。
「結局のところ、この男は魔法陣を作ることが出来ないまま、当然の様に倒れたんだけどね。大どんでん返しも大番狂わせも何もない」
もはやクロに興味を失った康介が背を向けて歩いていく。だが、その左足が何者かに掴まれた。歩みを止め、ゆっくりと足元に視線を向ける。
「はぁ……はぁ……!! お前を……ぶちのめして……セリスを……!!」
「……馬鹿の一つ覚えの様にそれを言うね。耳障りだよ」
地面に這いつくばるクロに苦々しげな顔で吐き捨て、容赦なくその身体を蹴り飛ばした。そのまま何の抵抗もなく地面を転がっていく。
「なんかどうでもよくなったからこのまま捨て置こうと思ったけど、やっぱり止めを刺さないとダメみたいだね」
不愉快さを前面に出しながら、康介は魔力を練り上げた。そして、徐に手を挙げると、頭上で炎を操り、巨大な槍を形作っていく。
「僕の世界で最も有名な槍……とはいえ、僕はゲームや小説の中でしか見たことないけどね。だから、少しアレンジを加えちゃった」
飛翔することに特化したフォルム。その大きさは扱えるものがいないほどに巨大。槍というよりも矢に近いそれが放つ、全てを灰燼に帰すが如し炎により、王の間が激しい熱気に包まれた。その照準が向けられたクロは、うつ伏せに倒れたまま、なんとか顔だけ動かして死を穿つ槍を目視する。
「これで本当にさようならだ──"揺れ動くもの"」
康介の声と共に射出された炎槍。一直線にこちらへと迫りくる槍が、クロの目にはスローモーションで映っていた。動かなければ死ぬ。頭では理解しているというのに、鉛のように重くなった身体が言うことを聞かない。
こんな所で終わってしまうのか? 大切なものを取り返すこともできずに、朽ち果てる運命なのか?
クロの中で飛来する槍よりも更に激しく怒りの炎が燃え上る。それはセリスを奪った康介に対するもの、そして、奪われた自分に対するものだった。血が出るほどに唇を噛みしめ、射殺すように康介を睨みつける。あの男を地獄に叩き落とさなければ、自分は──。
──なに熱くなってんだよ。らしくねぇんじゃねぇの?
突然、頭の中に誰かの声が響いた。それと同時に周囲の時間が停止する。
──キャラじゃねぇだろ? お前は軽口叩いてひねくれてるくらいが丁度いい。
異常ともいえる状況に頭が混乱する一方、なぜだか気持ちは落ち着いていった。
──そもそも、誰の命をもらって生きてると思ってんだよ。碌でもねぇ死に方なんてしたら、許さねぇぞこら。
聞き覚え何てほとんどない。だが、この気障ったらしい声は、胸に刻みついている。
──やれやれ……もう俺様の出番はねぇと思ったのによ。本当に世話の焼ける奴だぜ。
鼻につく話し方。いけ好かないのにどこか安心してしまう。
──さっさと立ち上がってあのバカ野郎をぶっ倒してこい。魔王軍指揮官ならわけねぇよな?
自然と口角が上がった。身体に力が宿っていく。
──そうだろ? 相棒。
「…………"頭が上がらない先輩"」
小さな声で呟いた。その瞬間、右手に漆黒の剣が現れる。それを力強く握りしめたクロは、立ち上がりながら目の前まで迫っていた獄炎の巨槍をいとも容易く真っ二つに斬り裂いた。
「なっ!?」
康介が驚愕に目を見開く。あの禍々(まがまが)しい剣は紛れもなく魔法により作られた物。だが、そんな事は魔法陣を封じられているこの場では不可能なはず。
そして、何よりも気になるのがクロの変化だ。黒一色だった彼の髪が、黒と金のメッシュになっている。見た目だけではない。その身体から溢れ出る威圧感が、今までとは比べられないほど強大なものになっていた。
「"埋め尽くす脅威"!!」
すぐさま頭を切り替えた康介は次なる魔法を唱える。この空間を埋め尽くすほどの矢が一斉に射たれた。逃げ場などない矢の軍勢を相手に、クロは不敵な笑みを浮かべながらゆっくりと手を前にかざす。
「"精力全開"」
クロの掌から放たれた無数の光弾が、康介の作りだした矢を悉く打ち砕いていった。僅か十秒たらずで全ての矢を迎撃された康介は、あり得ないと言わんばかりの表情を浮かべる。
「馬鹿な……!? この城の中では魔法陣が使えないはずなんだぞ……!? なのにどうして魔法が撃てるんだよ!?」
先程の余裕など一切感じられない怒声。焦りを隠せない康介に、クロはアロンダイトの感触を楽しみながら、悪役じみた笑みを向けた。
「──性属性魔法って知ってるか?」




