叡智都市国家の襲撃
部屋に明かりが点いていない。だから自分が今、どこにいるのか、いつ移動したのかも、分からなかった。腰掛けていた布団がいつの間にか冷たい。部屋の中はほんのりと甘い香りがした。暗闇はその濃さを増している。
「…アレックス?」暗がりに声を投げてみる。が、何の返答もない。先程目の前に居たらしい少女の気配もない。空気は凍りついたように、しんっとしている。俺以外には誰もいないようだった。
手の中の手鏡を握り締める。アレックスがしばらく少女と姿を消していた間、すぐにソフィアに連絡が取れるようにと持っていたものだった。あの時、何が起きていたのか全然分からなかった。ただ、何かに縋っていないと、押し潰されそうで怖かった。
その言い知れぬ不安はまだ続いていた。苦しそうなアレックスの喘ぎ声、必死な声、それを嘲笑うかのような少女の声、誰かが倒れる音。それらが耳から離れない。
何が起きたのか。アレックスはどうしたのか。自らセイズ級兄貴と豪語していた彼の、変わり果てた気配は、俺を混乱させるには十分だった。
ソフィアの手鏡を握り締めたまま、しばらくじっと息を潜めた。いつどこから少女の声がするだろうかと、怯えていた。
どのくらいそうしていただろう。数分のような気もするし、数時間のような気もする。不意に近くで扉の開く音がした。体がびくりと反応する。
「ふいぃ~」女性の、荒い溜め息が聞こえ、部屋に明かりが点いた。その明るさに目が眩み、体を縮こませる。近付いてきたその気配は、突然息を飲んだかと思うと、ばたばたと騒々しい音を立てた。
「レレレ…レイ!??…何で、私の部屋にいるの…?」
「…ソフィア…?」過度な光に目を細めながら見ると、確かにソフィアだった。彼女は今入ってきたであろう入口の、縁に掴まったままこちらを見ていた。ソフィアの顔を見て、急に心が弛緩する。
「…ソフィア……ソフィア、俺…!」
「ちょっと待って!」混乱した頭のままで、言葉を紡ごうとした俺を、彼女は制した。「…本当にレイなの?レイは今、ミュテイネラにいるはずよね。…本物?」
ソフィアとのあまりの温度差に、俺は少し冷静さを取り戻した。「…じゃあ、合言葉を」
「えっと…何だっけ……確か粉がどうとかって…」ソフィアが斜め上に目を泳がせながら、瞬きする。
「…コナン」
「あ!そうそう!コナン!コナン・ドウトカ!」
「ドイルだよ」全く意味がない。
「あ、そっか。そっちね、ドイルドイル!」ソフィアは思い出した、と明るく連呼した。その明るさに心が幾らか軽くなる。
「…じゃなくて!大変なんだよソフィア!アレックスが…!」
俺の必死な声に、ソフィアはきょとんとした。
「大丈夫ですよー!心配しすぎですって」ソフィアはからからと明るく戯けてみせた。それを不安げな俺と鼻をひくつかせるトーマスが聞いている。俺はソフィアのベッドの端っこに腰かけて、ソフィアが貸してくれた膝掛けらしい布を羽織っていた。借りてから気付いたが、膝掛けから漂ってくるソフィアの匂いが鼻について、とても落ち着けなかった。
「ていうか…何で警部まで来るんですか!私の部屋ですよ、ここ!プライバシー!いや、セクハラ?」
彼女の言う通り、ここは彼女の部屋だった。薄茶色の板張りに白い漆喰の壁。インテリアは全て木目の目立つものが揃えられており、さながらどこかのお洒落なコテージのようだった。
そんなコテージ風のソフィアの部屋で、俺は先程起きた出来事を懸命に伝えた。しかし彼女は、そんな大事なわけはないと、まともに取り入ってくれなかった。それでもしつこく俺が食い下がるものだから、ソフィアは仕方ないと、トーマスに連絡し、するとそれを聞いたトーマスが飛んできた、という状況だった。急に部屋の中に巨大な兎が現れるものだから、思わずひっと息を飲んでしまった。
「セクハラの概念あるんだね」どうでもいいところが気になって声に出してみると、どういう意味、とソフィアが睨んでくる。
「いや、かなり危機的状況の可能性があるから来たのだ」どこにも腰を下ろさず、部屋の真ん中に突っ立ったままのトーマスは鼻をひくひくとさせて喋った。相変わらず異様な大きさの兎の姿に、違和感と圧を感じる。
「そんなことないですって!あれでも仮に課長ですよ?危機だなんてないですよ!むしろ、レイが危機的状況でしたよ!」彼女はダイニングらしいテーブルから引っ張ってきた椅子の、背もたれに両肘を並べて座っている。「あんなの護衛につけるだなんて、なに考えてるんですか、警部!」
「ミュテイネラ管轄の警察官、更にミスを犯した君の代わりが勤まる上に、最高戦力たる課長。これ以上の人材はいないと思うが」
「そーいうとこですよ、警部!デリカシーがないんですよ!あれはね、アレックスは、どうしようもない女誑しなんですよ!女の敵ですよ!それを、ソフィアの護衛に…しかも一人だけで!ダメでしょ、そんなの!」
俺は端で聞いていて、凄い、と思った。ここまで上司に強く出れる部下って、恐らくそういないんじゃないか。
「今回もどーせ、暇だからとか、そういう理由で勝手に、妹に送りつけてやろうみたいな、そんな感じですよ、きっと!あの阿呆兄貴はどうしようもないんですよ!」そういうソフィアは勝手に決め付けた。
「私はそうは思わない。先程君も言ったが、彼は仮にも課長だ。最優先事項であるエルフの彼女の身元を、そのような悪ふざけで扱ったりはしないだろう」トーマスは淡々と鼻をひくひくさせる。「それでは職務放棄。彼はああ見えて責任感の強い男だ。レイさんを送って寄越したには、何か理由があるはずだ」
「責任感が強いってのは…まぁ、そうですけど」ソフィアは不服そうに、渋々と肯定した。
「レイさん、一体何があったのだ」トーマスがひくつく鼻を俺に向けた。
「…突然、女の子がやって来て…アレックスも来て…と思ったら急に消えて…」もうすっかり落ち着いているだろうと思っていたのだが、口に出してみるとあまりにも支離滅裂としていて、自分で狼狽する。
「女の子…子どもか」
「何、レイのお見舞いかなんか?」
「たぶん違う…刃物みたいなの持ってたし」
「刃物ぉっ!?子どもが!?危ないじゃん!保護者は!?迷子か何かなの!?」
「いや…フレイヤ?…を殺すとか何とかって…」
トーマスは耳をぱたぱたとさせた。ソフィアは一瞬固まると、「……フレイヤって、…誰?」と疑問を口にした。
「俺も知らないけど…」
「…だよね。記憶喪失だもんね」
「…その子どもは、何というのだ?名乗ったのか?」
「ええと、確か…クライム・ヘイヴン…だったと思います」
今度はトーマスがこちらを見ながら固まった。いや、こちらを見ているのかはよく分からない。焦点はどこなのか。
「クライム・ヘイヴン?男みたいな名前だね。…あ、まさか女の子みたいに可愛い男の子とか!?」
「…そうか。分かった、ありがとう、レイさん」
「え、何が分かったんですか、警部」
「私はすぐに病院に行く。君達はこのままここで待機だ。ソフィア、君はレイさんの護衛を。何が何でもここから出てはならん。出来るだけ、普段通りに生活を送り、就寝時間が来たら明かりを消すように」
「…ん?どういう指示ですか?護衛なのは分かったんですが…」
「私から連絡があるまで外出禁止だ。いいな」
「それは…いつまでですか?」ソフィアは目を瞬かせる。
「分からない。最悪明日の朝になるかもしれん」
「…分かりました。もう寝るだけですし…」
「寝てはならん」
「え!何でですか!?」もう眠いんですけど!とソフィアが不平を口にする。
「護衛だと言ったはずだ。最大限の警戒をするように」
「何でですか!?」ソフィアはまだぶうぶうと言っている。
「そんなに…危険な状態なんですか?」俺は堪らず質問した。アレックスの苦しげな息遣いと少女の声を思い出す。
あの、異様な空気感。それを否定して欲しかった。もしかしたら、俺のせいでアレックスは危険にさらされているのではないか。それに向き合うのが怖かった。
しかし、トーマスはすぐさま首肯した。俺の裡で黒いものが広がっていく。それに埋もれて、息が苦しくなる。
「…私はもう行く。後の事は任せたぞ、ソフィア刑事」そう念を押すと、トーマスはその場の空気に吸い込まれるようにして、消えた。
「まったく…人をなんだと思ってんだ、あの上司は」ソフィアはぶつぶつと文句を垂れながら、頭を掻きむしった。
「…ごめん」責められている気がして謝ってしまう。
するとソフィアは取り繕うように笑った。「あ、いや、ちがうちがう。レイは悪くないよ。レイがここにいてくれるのは良いって言うか、そもそも護衛続けたかったんだし、だからむしろいてくれて嬉しいと言うか…ん?嬉しいは違うのか?まぁともかく…コーヒーでも飲む?」
はい、どうぞと、ソフィアが温かいマグカップを渡してくれた。肩からかけている布の間から手を出して、その温もりを受け取った。じんわりとした熱が手を伝って、震える心まで届こうとする。その熱から逃げるように、胸に痞えた心配事が口をついて出た。
「…アレックス、大丈夫かな…」
「心配しすぎだって!課長なんだから。あ、課長ってのはね、レイクダイモンの最高戦力なんだけど」
「あ…うん」それは何となく。
「全部で10人いるんだよ。刑事課は2つあるんだけど、第一刑事課に4人と第二刑事課に6人」ソフィアは先ほどまで座っていた椅子に、先ほどと同じように座ると、自分の分のマグカップを持ったまま欠伸した。
「半々ではないんだ?」
「そうそう。管轄が違うんだよ。第一刑事課はレイクダイモン、つまり本国直轄で、第二刑事課は他の6ヶ国それぞれの担当なんだ」
ソフィアはぺらぺらと刑事課の説明をした。
「イグドレイシアの7ヶ国は役割分担がされてるんだけど、それでも一応それぞれ別の国だからさ、独自の軍事力を持ってるんだ」
「そうなんだ?てっきり合衆国みたいになってるのかと思ってたけど、そういえば軍事を司る国はなかったね」
「ガッシュウ…国…?そんな国あったっけ?」
「あ…いや、…物語に出てくる国なんだ。忘れて」なるほど、アメリカは無いらしい。事ある毎に思うがやはり、無駄に細かい設定の夢だな。
「ふーん…。まいいか。んで、レイクダイモンにおける軍事力は警察官が担ってるんだ」ソフィアは説明を続けた。
ソフィアの話の内容は俺の心配事からどんどんと離れて脱線していった。課長はその中でもトップクラスの実力を誇るだとか、その上には偉そうな人たちがいるだとか、偉そうと言えば一課は何だかいつも偉そうだとか。
俺の気を紛らわしてくれているだろうか。それともたまたまなのか。あるいはソフィア自身が…。
ソフィアの脱線は続いた。「それでね!警部が…あ、トーマス警部ね」
「うん」
「警部がね、その時もアレックスに協力要請したんだよ!信じられる?犯人が逃げ込んだのが悪いんだけど、それでも“ちょっとお邪魔しますよ”っくらいでいいのにさ、わざわざ律儀に要請しちゃってさ」
「うん」手の中のマグカップの触感を確かめる。熱はいつの間にか無くなっていた。
「んでアレックス来るし、んで捜査の相談とか言いながら雑談し始めてさ、私の失敗談とかし始めたんだよ!しかも、幼少期の!」
「仲良いんだね」
「だからどこがよ!どこをどう聞いたらそうなるの?!あー、何で伝わんないかなあ。あの阿呆兄貴の阿呆っぷりが─」
そこでふとソフィアが宙に視線を投げた。「お、噂をすれば何とやらだよ」
「…え、アレックス!?」
「残念、違います。トーマス警部の方でしたー」ソフィアが手を視線の先に伸ばした。「警部、遅いですよ!何やってたんですか?またあれですか?雑談ですか?人の話題で勝手に盛り上がるとか、やめてくれませんか!」
「…ソフィア、落ち着いて聞いてほしい」
「何ですか?また私がトイレに落ちちゃった話ですか?何回その話するんですか!笑い事じゃないんですからね!あれ結構トラウマで、今でも波の乙女苦手なんですから!」
「…ソフィア刑事」
「それともあれですか?祖母に貰ったAIを強化魔法で誤って割っちゃったヤツですか?あれも子どもなんだから仕方ないじゃないですか!魔力の加減が分かんなかっただけで─」
「ソフィア・ストレングス刑事!」トーマスの張り詰めた声が部屋に響き、ソフィアは肩をびくりとした。「な…なんですか…」
「ソフィア…アレックス課長が─」
俺は耳を塞ぎたかった。しかし手は冷めた珈琲でいっぱいだった。
「─アレクサンドロス・ストレングス第六課長が、亡くなった」
部屋の明かりは点いたままなのに、急に暗くなったように感じた。…死んだ?アレックスが…?
視線が自然とソフィアの方へ流れた。彼女は固まったまま口をぱくぱくとさせていた。
「…私が到着したときには既に…。連絡が遅くなってしまってすまない。課長が亡くなるというのは緊急性が高すぎて、先に本国に─」
「─何の」ソフィアの目は宙を見つめたまま止まっていた。「何の冗談ですか?笑えないですよ、それ。警部、センスないですね。もうちょっと面白いことを…」
「…ソフィア……」俺は彼女を見ていられなかった。
「アレックスが…?死なないですよ。あれは殺しても死なない。死ぬわけない。だってあの阿呆は─」
「…ソフィア刑事、酷なことは分かっているが、どうか落ち着い─」
「落ち着いてますよ!!」ソフィアは大声を出しながら立ち上がった。その拍子に手に持ったマグカップが落ちた。床に激突して、鈍い割れる音がする。珈琲が板張りに、黒い血のように広がる。
ソフィアは肩で息をしていた。目は意味もなく、珈琲の血溜りを見つめていた。
「…私はまだ少しやることがある。それが終わればそちらに戻る。それまで指示通りに、頼む。…すまない、ソフィア」
トーマスの声は途切れた。
部屋の中は沈黙で溢れていた。ソフィアは珈琲を見つめて動かない。
俺はどうすればいいのか、分からなかった。
俺のせいでこんなことになったのに。そんなことが頭をよぎる。俺が襲われなければ、病院に長居しなければ、病院に行かなければ、記憶喪失だなんて事にならなければ。こんな夢を、見なければ─。
アレックスの朗らかな笑い声を思い出す。ソフィアとの楽しげな会話を。風邪を引くぞと、服を乾かしてくれたあの温もりを。数時間程度しか共に過ごしていなかったのに、何故か心にぽっかりと穴が開いたような感じかした。
俺でさえこうなのだ。ソフィアの気持ちなんて、とても推し量れなかった。
彼女はまだ床に視線を落としている。何を見つめているのか分からない。
「…ソフィア」俺は堪らず声をかけてしまった。
しかし、彼女は何も応えない。部屋自体が深く、沈み込むような沈黙ののち、そっと彼女は唇を動かした。
「……ごめん…少し、ひとりにして…」
そうしてソフィアは、暗い廊下へと姿を消した。
俺は返事もできず、その背中を眺めるだけだった。
部屋の中は、初めのようにまた、ひんやりと静まり返った。さっきまで温かいもので溢れていたような気がするのに。
無くなった温もりを探すように、手に持ったマグカップの中身を飲み干した。けれどそこにあったはずの、ソフィアの淹れてくれた温かい珈琲はもう無く、冷たい黒い液体が胃の中へと流れていき、俺の体の芯に冷えて沁みた。
「ソフィアは、…大丈夫か?」トーマスがひくひくと尋ねてきた。
あれからどれだけ時間が経ったろう。トーマスが部屋に戻ってきた。出ていったときと変わらない出で立ちに、さっきの連絡は嘘だったのではないかという気がしてならない。
「ソフィアは…あっちに行ったきりで…分かりません」
ソフィアはまだ戻ってきていなかった。トーマスが部屋に現れるまで、張り詰めた空気の中で、俺は一人で震えていた。時折、遠くに啜り泣くような物音が聞こえて、ただ胸を締め上げられるだけだった。
「そうか。…だがあまり時間もない。私はまたすぐに出なければならない。それまでに君達には安全な場所に移ってもらわないと」
そう言いながら割れたマグカップを見下ろしていた。
トーマスは、戻ってくるとすぐに床の珈琲に気がついた。ソフィアの部屋の中にティッシュのようなものは見当たらず、片付けようにも処理の仕方が分からずに、途方に暮れて放置していたものだ。珈琲は床板に染み込んだらしく、割れたマグカップの下に黒い跡を残していた。
「…安全な場所って、なんですか」俺はトーマスに向かって噛み付くように声を出してしまい、自分で驚いた。
「ここはソフィアの家だ。マークされている可能性もある」
「マーク、ですか」
「ああ、犯人の狙いは恐らく君だ。君はフレイヤという名前に心当たりはないようだが、今回の犯行といい、君をそのフレイヤと間違えていると思われる」
トーマスは軽く指を振った。するとマグカップの破片が宙に浮き、元の形に戻っていった。更に黒い染みの場所から黒い液体が引っ張り出され、直ったマグカップに吸い込まれていった。この夢の中には“覆水盆に帰らず”という言葉はないらしい。床の染みは見事に消え、トーマスは直したマグカップをテーブルにおいた。
「犯人は…何者なんですか?エルフ狩りですか?」そう言ってから思い出した。そういえばあの少女は、あんなものと一緒にしないでと言っていた。
「分からない。しかし君を守らなければ」
俺はトーマスの言葉に違和感を覚えた。彼の言葉のどこに引っ掛かったのか。取っ散らかっている頭で、それでも思案した。
急に言葉少なになった俺を、トーマスはしばらく眺めていたが、やがてソフィアを探すように暗い廊下の方へと移動した。
考えがまとまらない。トーマスは廊下を覗き込んだ。ソフィア、と声をかけている。疑問を覚えた感覚はあるのだが。トーマスは出入口をくぐろうとした。
このままではトーマスが向こうに行ってしまう。ここで引き留めなければ、この疑問は解消されない気がした。だからまとまりのない思考のまま、思いついたことを口にしてみた。
「…嘘ですね?」
するとトーマスはぴくりと反応して振り返った。「何の事だ」
「あなたは今、犯人を知らないと言った。けれど、知ってますよね」口にしてみると、かちりとパズルが噛み合うように、頭の中がすっと落ち着いた。そうだ。トーマスは知っている。何故なら彼はさっき、クライム・ヘイヴンと聞いて突然出ていったのだから。
トーマスはじっと黙っている。まるでこちらを試すように、焦点の分からない目で見つめ返してきた。
確証があるわけではない。だから、鎌をかけた。「クライム・ヘイヴンとは、…何ですか」
トーマスの耳がぱたぱたと動いた。
誰、と言うべきか悩んだ。さっきソフィアは男の子のような名前だと言った。だがアレックスはお嬢ちゃん呼ばわりしていた。
お嬢ちゃんというからには少なくとも外見的特徴は少女だったということだ。ソフィアの言う通り、少女のような男の子だった可能性も、性同一性障害や女装癖、あるいは変装という可能性もある。しかしその場合、折角女性の格好をしているというのに、これから殺す相手に対して男性名を名乗る必要性がない。となると、クライム・ヘイヴンとは団体名と考えた方がしっくりくる。
個人名のような団体名。その前例を知っていた。江戸時代初期のキリシタン、天草四郎、この名前は団体名であったという説があったはずだ。
つまり、クライム・ヘイヴンという名前が個人を指すものではないという考えは、強ちあり得なくもない。
トーマスはしばらく黙っていた。やがて耳をぺたりとすると溜め息を吐いた。
「…お見逸れした。ソフィアの報告書には君の洞察力が凄いということが頻りに書かれていたが、確かに侮れん。いや…失礼、侮っていた訳ではないのだが」
「いえ、大したものではないので…」
「そんなことはない。しかし…ふむ。知らない方が君達の安全のためだと思っていたのだが、見抜かれてしまっては仕方ない。これは私の落ち度だ」
トーマスが廊下の方から戻ってきた。そして俺の前に来ると、重たそうに口を開いた。
「君の言う通り、私はクライム・ヘイヴンを知っている。いや、長年追ってきたと言う方が良いか。だから彼らの全てを知っているわけではない」
「“彼ら”ということは、やはり複数人なのですか?」
「ああ。5人程の小さなものだがな」
「5人?」
「彼らは犯罪代行集団だ。殺人、強盗、隠蔽、詐欺…あらゆる犯罪を請け負っている」
「5人で、ですか」だとすると随分と小規模な活動なのだろうか。
「まだいるかもしれないが、今確認できている人数はそのくらいだ」
「そこまで分かっているのに逮捕できないのですか?証拠がないとか?」
「そうだな、それもある。だが、厄介なのは彼らのスポンサーが…各国の有力者だということだ」
「ああ」政治家が雇っている殺し屋、というイメージが自然と沸いた。確かにそれは、逮捕が難しい印象がある。トーマスの口も重くなるわけだ。この事実は命を狙われる危険がある。
「でも…じゃあ何で俺が狙われるのですか?フレイヤって一体…」その名前を口にしながらも、どこかで聞いた覚えもある気がした。
「フレイヤ。本名はフレイヤ・アルフヘイム」
「アルフヘイムって─」
「そう。フレイヤとは、100年前に滅んだエルフの国、アルフヘイムの最後の王女の名前だ」
アルフヘイムの王女。そんな人と間違われているのか…。目の前に自分の手のひらを並べてみる。この体はもしかして、王女のもの、という設定だったりして…。もしそうだとしたら、そんな夢を見ている俺って…。
いや、いやいやいやいや。そんな願望持ったこともないし、てか考えたこともないし、ないない。…うん。ないない。
俺はそう一人相撲していたが、ふと視線を感じそちらを見ると、トーマスが興味深げにこちらを見ていた。見透かされているようで、大変居心地が悪かった。
「でも…じゃあやっぱり、エルフ狩りなんですか?」取り繕うようにまくし立てて言ってしまう。
それに対してトーマスは落ち着き払っていた。「いや、それはない。エルフ狩りに関しては、彼らは寧ろ被害者だ」
「被…害者…?」それはつまり─。
「彼らは…クライム・ヘイヴンは全員エルフなのだ」
…エルフ?クライム・ヘイヴンが?…でもそれだと、おかしいことにならないか。
「…クライム・ヘイヴンがエルフというのはおかしくないですか?だってエルフは、保護の対象なのでは…」
「その通りだ。エルフは絶滅危惧種族。だから保護対象とされている。しかし、エルフの犯罪集団、クライム・ヘイヴンが存在していることもまた事実だ」トーマスは後ろ手に組んで、ふむ、と溜め息を溢した。「主な犯行動機は分からない。アルフヘイムの崩壊、およびエルフ狩りにより一族が滅んだ。しかもエルフ狩りはこの世界によるものだ。それに対して対策がなされたのは、取り返しがつかないところまで狩り尽くされた後。今更保護などと謳う世界に対しての憤り、復讐が要因ではないかと考えてはいるのだが…。本当のところは─」
そのとき、トーマスの背後、暗い廊下の中に人影が見えた。
「あ…ソフィア」俺のその声に反応して、トーマスが振り返った。「ソフィア…。大丈夫か」
ソフィアの目は赤く腫れていた。その目を大きく見開いてトーマスの方を見つめていた。その姿が痛々しく、見ているこっちが苦しくなる。
「…警部…今の話は、本当なのですか?」
トーマスは黙っている。ソフィアが言葉を続けた。「…じゃあ、警部…。レイは、そういうことなんですか」
そういうこと?どういうこと?
「…そうだ。だからまだ腕輪は外せない」
「え?どういうことですか?腕輪って…」そう言いながら左腕を見る。今まであまり気にしていなかったが、その左手首には腕輪が嵌っていた。
「レイさん。君は記憶を失っていて身元不明。だからクライム・ヘイヴンの可能性があるということだ」
「な─」俺がクライム・ヘイヴン!?まさか、そんな─。
視線を感じる。見るとソフィアの赤い目が、俺を見つめていた。「レイが…クライム・ヘイヴン…?アレックスの…」
「俺は…俺が…?」
「だが今回の一件で、その可能性は低くなったと、私は考えている」
トーマスの言葉にソフィアが機敏に視線を向けた。
「ミュテイネラを襲撃した犯人は、フレイヤを殺すと言って刃物を持っていた。そうだったな?」
「そう…です。」
「ということは、その犯人はフレイヤを殺害するためにミュテイネラに来たということ。レイさんが仮にクライム・ヘイヴンなのだとしたら、犯人がミュテイネラに、レイさんの病室に顔を出すのは、レイさんを救出するためか、あるいは口封じということになるだろう」
「た…確かに」それもそうだ。あの少女は俺に刃物を向けてきた。フレイヤと言いながら─。そこで俺はある考えが頭に浮かんだ。
「しかし犯人はフレイヤを殺すと言っているのだ。レイさんではなく。つまり犯人はレイさんと面識はなかった。ということは、レイさんはクライム・ヘイヴンではないということだ」
確かにそうだ。俺が“レイ”という存在であるならば。そこでソフィアが声を上げた。
「でも…!じゃあ、レイが“フレイヤ”ってことはないんですか!?だってレイは記憶喪失なんですから!」
そう。その通り。俺の頭にはさっき必死になって否定した考えが、現実味を持って再び浮かんできていた。この体はひょっとして、王女のものではないのか、という疑念が。しかし、トーマスはさらりとその考えを否定した。
「それはない。レイさんは記憶喪失だが、自身の名前はしっかり憶えていた。名前を訊ねた時、はっきりと“レイ”だと答えたのだ。本名がフレイヤだったならばそうはいかない」
「じゃあ…じゃあレイは…?」ソフィアは混乱したように頭に手を当てた。
「ああ。レイさんはクライム・ヘイヴンではないし、フレイヤ・アルフヘイムでもない。まあ、彼女の記憶が戻るまでは断言はできないのだが」
ソフィアはその場にへたり込んだ。そっか、そうだよね、と小声でぶつぶつと呟いている。トーマスが大丈夫かと、ソフィアの隣に膝をついた。
「すまないソフィア。本来ならば君を休ませてやりたいのだが、コリンソス領主殺害事件の捜査と今回の件で人手が足りない。大変心苦しいのだが、レイさんの護衛を任せられないだろうか」
そのトーマスからの非情とも言える言葉に、ソフィアは弱々しく微笑んだ。
「…いえ。大丈夫です。やらせてください!私が…私がレイを守ります…!アレックスの…兄の分も必ず…」
その様子をトーマスはじっと見ていたが、やがて意を決したように立ち上がると、ソフィアの肩を強く叩いた。「すまない…頼んだ」
そして俺とソフィアを交互に見ながら言った。
「では二人にはこれより、すぐに移動してもらう。場所は叡智都市国家、ミトレシアだ」
「お疲れ様。トーマスから、大変だったと伺っているわ」白くもふもふとした赤目の兎が、優しい女性の声でそう話しかけてきた。青を基調とした清楚なドレスを身に纏い、胸元には豊かな白毛を蓄えていた。女性の兎らしい彼女はミトレシア領主、レイラ・タレスと名乗った。
「領主様、この度は突然の謁見をお許しいただき、ありがとうございます」ソフィアが隣で膝を着き、頭を垂れた。だから俺もその隣で同じような姿勢をぎこちなく取ってみる。
「いいえ。そう改まらなくともよいですよ。トーマスの部下の方と、保護されているエルフの方と伺っています」レイラは慈愛を籠めるように赤い目を細めると、優しく鼻をひくひくとさせた。「トーマスとは知らない仲ではないですから。どうか頭を上げて、リラックスされて」
俺とソフィアはトーマスに連れられて、ミトレシアまで瞬間移動で飛んできていた。
私につかまるようにと、言われるがままにトーマスの服の端を掴んだら、気付くとそこはもうソフィアの部屋ではなく、見知らぬ絢爛な応接間のような部屋になっていた。俺はしばらく開いた口が塞がらなかった。こんなことになるとは思っていなかったため、ソフィアに借りていた手鏡を置いてきてしまった。
ここで少し待っていてほしいと、トーマスが大きな扉から部屋を出ていき、俺とソフィアは近くにあったソファーに腰を下ろした。
「一瞬でこうやって移動できるんだったら、病院行くときも連れてってくれたらよかったのにね」俺は何とはなしに声を出してみた。
「…そうだね。でも空間転移って結構魔力使うし…、それに複数人まとめて送ろうとしたら、結構制限とかあったと思うよ」
ソフィアは最初こそ口数が少なかったものの、空気を和ますようにいくつか会話をしてくれた。だがその顔に浮かばせる微笑みは痛々しく、彼女が笑う度に俺の胸を締め上げた。
やがてトーマスが、出ていった扉から戻ってきた。
「私はもう行かなくては。タレス様には私の方から話を通しておいた。だからレイさんの保護には全面的に協力してくれるだろう。」トーマスは足早に近づきながら鼻をひくひくとさせながら言った。「…悪いがソフィア、後のことは頼んだぞ」
「は!お任せください!」ソフィアがきびきびと敬礼を返した。トーマスも敬礼を返す。それから俺の方に向き直った。
「それと…レイさん。これを渡しておこう」そう言って木の札のような物を手渡してきた。
「これは?」渡された物をしげしげと眺める。薄茶色で薄い木目が入っている。サイズはスマートフォンに近い。スマホでいう画面の、中心のところに黒い輪っかの模様が入っていた。よく見るとそれはいくつもの細かい黒い線を何重にも描き込んでいるらしく、あみだ模様のようになっている個所もあった。どこかに仕舞おうかとも思ったのだが、囚人服にはポケットが見当たらず、仕方なく手に持っておくことにした。
「それは我々ドワーフに伝わるお守りのようなものだ。肌身離さず持っておいてほしい」
「ドワーフ…?え、トーマスってドワーフだったんですか!」俺は驚きの声を上げた。
「…レイ、今更何言ってんの?」ソフィアが静かに訊ねてきた。
「いや、だって…え?そうなの?」
するとトーマスは軽く溜め息を吐いた。「まあ、レイさんは記憶喪失だからな。無理もないか。因みにここミトレシアはドワーフの国だ」
ドワーフの国。ということはつまり─。
「─兎さんばかりってこと?」
すると、ソフィアとトーマスはきょとんとした雰囲気を浮かべた。
「…ウサギ、て何?」とはソフィア。
「私も聞いたことがないのだが」トーマスもその兎らしい耳をぱたぱたとさせた。
「い、いや…何でもないよ。…その、ある物語に、ね」俺はまたそう言葉を濁した。
そうして俺はその、兎の国の女王に謁見していた。
「トーマスとはその、親しい間柄なのですか?」言葉遣いが正しいか分からないまま、質問してみた。
「ええ、そうですね。彼はかつて私の臣下でしたので」
「そうだったのですか」驚いてはみたものの、それがどれだけ珍しいことなのかは分からなかった。
そこでふと、俺の隣で腹の虫が鳴くのが聞こえた。見ると、ソフィアが顔を赤くしていた。
「何か食べられますか?詳しいお話はまた後でということにして」レイラがそう、優しく声をかけた。
「申し訳ございません、領主様」ソフィアは料理を前にレイラに頭を下げた。
「いえいえ。この度は大変なことだったと伺っています。きっと食事をする時間すらなかったのでしょう。さ、大したものは用意できなかったのだけど、よければ召し上がって」
「ありがとうございます」
俺とソフィアは揃って席に着いた。
朱色の壁紙にふかふかの絨毯、天井からはシャンデリアが吊るされている。長いテーブルは濃い茶色の木製で、表面がつるつると反射している。その上には銀食器にパンやスープ、フルーツと思しきカラフルな果実、大きな肉の塊などが並んでいた。一目見ただけで豪邸の、富豪の食卓だと分かる設えだった。
俺は遠慮なく目の前に並べられた料理に手を伸ばした。思えば、お昼にコカトリスを食べて以来の食事だったということもあるが、俺が手を伸ばした方がソフィアも手に取りやすいのでは、と思ったことも確かだった。
レイラは長テーブルの端に腰かけ、俺とソフィアが食事を取るところを確認し、徐に口を開いた。「レイさんでしたね。貴女の身元は我々ミトレシアで一時的に保護させていただきます。ここにいる限り、身の回りのこともさせていただくわ」
「ありがとうございます。ご迷惑をおかけします」おれはもごもごと返答した。
「いいえ。トーマスからの頼みですもの。彼はこの国がかつてドヴェルグヘイムと呼ばれていた頃の国防兵長だったの」
「ドヴェルグヘイム?」
「ええ。100年前、イグドレイシアが現在の体制になる前はね」
「トーマスはそれ以降警察官に?」
「ええ…」レイラは急に歯切れが悪くなり、立ち上がった。「私はこのあたりで失礼いたしますね。ささやかな用意しかできませんでしたが、お寛ぎ下さい。食後は図書館にでも。ミトレシアにはそんなものしかないのだけど。その際はそこのクレハに申し付けて下さいね」それだけ言うと、レイラは大きな扉から出ていった。その扉の近くに別の兎、もとい別のドワーフが一人立っており、おそらくクレハという人であろうと思われた。
俺とソフィアはクレハに見守られながら食事を続けた。
「こんなときなのに…お腹ってすくんだね」ソフィアがスープを飲み込んだ後、ぼそっと言った。
「ソフィア…」
「…あ、ごめんごめん。空気悪くなっちゃうね。せっかく用意してもらったのに」
「無理しなくても…」
「ううん!無理してでも食べるんだ!アレックスの分もレイを守らなきゃだし!」そう言うものの、スプーンを持つ手は弱々しく震えていた。「…私、最低だよね」
「…なんでそんなこと」
「…アレックスが大変なときに、私悪口ばっか言って…。今だって悲しいはずなのに、お腹鳴らしてさ…。さっきだって私、レイのこと疑ってた……」ソフィアの震える手に涙が一粒落ちた。
「…ソフィア」自然と体が動いた。俺は彼女の肩をそっと抱きしめた。せずにはいられなかった。
ソフィアはわなわなと震えて、くしゃくしゃになって、しゃくり上げた。
俺はそれを見守ることしかできなかった。
涙にぬれた遅めの晩餐の後、俺とソフィアはクレハに言って図書館まで案内してもらった。ソフィアは打って変わって空元気を振り回していた。レイは私が必ず守ると、張り切って見せた。
クレハはどうも女性のようで、妙に甲高い声で案内してくれた。クレハに導かれるままに部屋を出、階段を下り、上り、廊下を進み、また下ると突然大きな空間に出た。
巨大な本棚がずらりと並び、迷宮と化していた。本棚には本がぎっしりと詰め込まれており、蔵書数も計り知れない。
「こここそが、我ら叡智の国、ミトレシアの誇る大国立図書館です!」クレハは自慢げに胸を張った。
「すっごい…」
「まあ、ミトレシアだからね。で、レイ。ここで何か調べるの?」
「ああ…ちょっと歴史を知りたいな、と思ってさ」
「歴史?」ソフィアは首を傾げた。
「では私はここにいますので、御用があればお呼び下さい。この図書館内であればどこにいても聞こえますので」私、耳だけは自信ありますから、とクレハは耳をぱたぱたとさせた。
「ありがとうございます。歴史に関する書棚はどこになりますか」
「それならあっちの奥の方です。棚の上に標識がありますから、分かると思います」
では、いってらっしゃーい、と手を振るクレハに背を向けて、俺とソフィアは本の迷宮へと足を踏み入れた。
「何で歴史が知りたいの?」道すがらソフィアが訊ねてきた。
「ほらトーマスが、クライム・ヘイヴンは虐げられたエルフ達だって言ってたでしょ?でもその理由が分からないって」
「うん。言ってたね」
「だからさ、そのエルフの歴史を見てみたら、何か分かるんじゃないかなって」
「うーん、でもさ調べてすぐ分かることなら、トーマスだって思い至るんじゃない?」
「それもそうだけど…でも何もせずにいるよりもいいかな、と思って」
なるほどねー、それは確かに、と頷いたソフィアが急に「あ!」と声を上げるから、飛び上がりそうになった。「な、なにどうしたの?」
「いやーね、ちょうどレイに聞きたいことがあってさ。レイの頭脳をお借りしたいなって」
「頭脳?」
「私が引っ張り戻された案件あったじゃん。ほらあのコリンソスの領主殺し」
「ああ…それがどうかしたの?」
「犯人の目星がつかなくてさ。あのね、領主のリック・ぺリアンドロスは自室で殺されていたんだけどね。首がスパッと刎ねられてたんだけど」
「う、うん」スパッとね…。
「不審者の目撃証言とかもないんだよね。領主の部屋に入るなんて、簡単なことじゃないと思うんだけどさ」
「じゃあ…内部の犯行とか?」
「んーそれもねー…みんなアリバイがあるっぽいんだよねー」
「そうなんだ」それで聞かれても困るんだけど…。「他に手掛かりとかないの?盗られた物とか」
「あ、それならあるよ。領主がいつも身に着けてたペンダントが」
「ペンダント?」
「そう。それが無くなったって、領主の側近とかが騒いでたよ」
「へー。大切なものだったの?」
「何か、代々受け継いでたヤツなんだって」
「じゃあ犯人はそれが欲しかったってこと?」
「っぽいんだけど…みんなちゃんと教えてくれないんだよねー。口が堅いっていうか」
「協力的じゃないのか。それじゃあ捜査とかできないんじゃない?」
「そうなの。だから他のところから、て話になったんだけど…なんか突破口とかないかな」
今の話で解決策を見つけられたら、頭脳どうこうではない気がするけど。「んー…。ごめん、分からないや」
「…そうだよね。あ、この本棚じゃない?」
いつの間にか目的の書棚に辿り着いていたらしい。見上げると棚の上の方に“歴史”という意味の見慣れない文字があった。なぜ読めるのか相変わらず不思議だ。ソフィアが歴史の通路へと入り込んでいった。
「えーっと、アルフヘイムの歴史でいいんだっけ?」
「うん。たぶん」と返事しつつ、ソフィアを追いかけて棚を見上げる。この中から探すのか。途方に暮れそうになる。
「じゃあ、ちょっと待っててね」ソフィアはそう言うと、指を振った。
「あ、魔法でどうにかなるんだ?」
「魔法っていうか、使い魔なんだけどね。背表紙にある“アルフヘイムの歴史”に関係しそうなのをいくつか選んでもらうの」
「へー。便利なんだねー」俺は目に見えない妖精みたいなものが、棚の前を行ったり来たりしている様子を想像した。そうして棚を見上げていると、いくつかの本が抜き出されて、ふわりと浮いて降りてきた。
「見つけたみたいだね」それらの本がソフィアの手元に集まってくる。「じゃ、読もっか。あっちに机があったから、あっち行こ」
ソフィアが持っていた本をどかっと机の上に置いた。俺は椅子に座りながら、一番上の本を手に取った。表紙には『エルフの国の秘密』とある。
「“アルフヘイム”も“歴史”も書いてないのに、こんなでも検索に引っかかるんだね」
「ケンサク?…うん、そうだね。使い魔チョイスではあるんだけど」
俺は本を開いてみた。中にある文字はやはり見覚えのないものだったが、なぜか内容がすらすらと頭に入ってきた。ソフィアも隣で同じように本の山の中から一冊を取り出し、読み始めた。
アルフヘイムは三千年ほどの歴史を持つ国だったようだ。千年ほど前に起きた戦乱の後、最後は人間の国ミズガルズと争い、これに勝利した。それ以降、繁栄と衰退の波はあったものの、イグトレイシアの頂点に聳え続けた。だが、それも最後の王、滅亡王デイン・アルフヘイムの手によって幕を閉じた。デイン王が国を丸ごと生贄として、月を喰らう狼を呼び出した。これをいわゆるイグドレイシア七賢人が倒し、現在に続いているようだ。
フェンリルは、イグトレイシアに伝わる神話に登場する神が産み出した三体の魔物の一つらしい。本来はこの世に存在し得ない化け物なのだが、数多のエルフの命をコストにすることによって無理矢理発生させたそうだ。途中から何を言っているのか分からなくなったが、そう書いてあるから仕方がない。
このアルフヘイムの虐殺により、エルフの国は滅んだ。その後、イグトレイシアにはエルフ狩りが流行する。それに関しての記述の中で、筆者が疑問を呈していた。
“エルフは生来、魔法に秀でており、幼子でも中級、魔法学に精通していない大人でも上級魔法を扱え、訓練さえ積めばセイズ級に到達することも容易である。にもかかわらず、祖国を失ったとはいえ、各地に散らばったエルフ達が、所謂エルフハンターに対してほとんど損害も与えずに捕縛、殺害されている。更には被害者は必ずと言っていいほど神隠しに遭っている。これは不自然である。”
俺は数時間前に遭遇したクライム・ヘイヴンを名乗る少女のことを思い返していた。殺伐とした雰囲気を漂わせていた彼女が誘拐される場面を想像しようとしてみる。が、上手くいかなかった。あれはどちらかというと誘拐する側のタイプだと思う。そう考えると確かにエルフ狩りとは不自然な気がするが、エルフが皆、ああであったとも限らない。知っているエルフが彼女だけなため、これ以上考察することもできない。
そんな考えに耽っていると、隣から腕をばたばたと叩かれた。見るとソフィアが視線を本から上げないまま、俺の腕を叩いていた。「─レイ、レイ!これ見て、これ!」
「なに?」
「これ…ほらここ!ここにペンダントが載ってるんだけど!」
「…ペンダント?」そう聞いて、さっきのソフィアの話を思い出した。コリンソスの領主が殺害されたとき、ペンダントが無くなったと。
そのことかと思っていると、まさにそうで、「これ、犯人が持ってったヤツじゃない!?」とソフィアが興奮した様子で言ってきた。
そんなの見せられても、俺分かんないけど。そう思いながらも、急かされるままにソフィアの手元を覗き込んだ。
そこに“三種の神器”という表記を見つけた。それぞれ世界樹の根、叡智の結晶、願望剣とある。グングニルは聞いたことがある。確か槍の名前とかではなかった。そんなことを思いながら、視線を動かした。すると、その隣のページにはそれぞれのイラストが描かれていた。その中の、ミーミルの首に目を奪われる。それはペンダントの形をしていた。
「これ…」頭の中で何かが光った気がした。
「ね!どう?これ、もしそうだったら、お手柄じゃない!?」ソフィアのはしゃぐ声がするが、それどころじゃなかった。
…これ、これは─。
その時、背後の少し離れた位置で、足音がした気がした。俺は何気なく振り返ると、途端に動けなくなった。全身が粟立つ。背中に氷の塊を入れられたようにぞっとした。
「…どうしたの、レイ?」そう言いながらソフィアも振り返った。
「─こんなところにいたのね。ようやく見つけたわ」小さな影が巨大な書棚の間を悠々と闊歩してきていた。思い出すんじゃなかった。因果関係はないはずなのに、そう思わずにはいられない。その声を聴いただけで、数時間前までの恐怖が蘇ってきた。
「もう逃がさないわ。フレイヤ。─フレイヤ・アルフヘイム」少女は嬉しそうに口角を釣り上げた。
「では、行って参ります」愛しい我が子はそう言うと部屋から出ていった。私が打つ最後の一手。
後は全て待つだけだ。もう少し。あと少しで─。
長男が出ていった扉を見ながら、椅子の上で伸びをする。視界の右上には使い魔が浮いていた。頭でっかちの黒いカラスの姿をしている。宙に漂ってはいるものの、その翼はしかし、畳まれたまま、体の軸も傾けていた。それが不意に羽を広げた。飛び出した目がぎょろぎょろと動く。そしてふと、口を開いた。
「─検査結果が出たわ。…速報だけど」
私の口角は自然と上がった。「あら、早かったわね。で、どうだった?」
「損傷している箇所はなかったわ。つまり…ええ、記憶障害の可能性は低いということよ」
「ふふ、やはりね」予想通りの結果だ。「じゃあ─」
続けようとした私の言葉を、カラスが遮った。「まだ断定は出来ないわ」
「どうして?記憶喪失というのは嘘なのでしょう?」
「可能性は低いってだけよ。血液検査の方は出てないもの。病魔性のものの可能性もまだ─」
「魔力の具合はどうだった?」私はカラスの言葉を最後まで待たずに切り出した。「私の見立てでは制御出来てないと思うのだけど」
「…ええ、そうね。魔力は駄々漏れ。まるで生まれたての赤ん坊のように」
「なら決まりじゃない。転魂魔法でしょう」笑みが溢れるのが自分でも分かる。
「だから断定は出来ないと言ってるでしょう」カラスは苛立たしげに嘴をぱかぱかとした。「病魔性による健忘症でも魔力調整障害の症状が出る場合があるわ」
私は暫し沈黙した後、「そう、分かったわ。血液検査の方はいつ出るの?」
「明日の晩には確実ね」
「そう。…ならそれを待つわ」待つ気など更々ないが、そう言って通話を切った。
使い魔のカラスはまた先程のように、羽を仕舞ってふわりと漂い始めた。
さて、後は─。一息つこうと体を起こしかけると、またカラスが騒ぎ始めた。次は別の者からだ。─これは。
私が通信を繋ぐと、カラスは息継ぐ間も無く、第一声を上げた。
「─領主様。ミーミル石を手に入れました」
第7話『ドヴェルグヘイムの英雄』は鋭意作成中です。3/25完成予定です。




