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異世界探偵  作者: かえる
4/13

医療都市国家の刺客

 「申し訳ありませんでした!」ソフィアがベッドの隣で頭を下げている。しかし、その前方には誰もいない。そこに、どこからともなく声がした。トーマスの声だ。

 「レイさんを守りきったことは評価できるが、駐在所を吹き飛ばすのはやり過ぎだ。今年の査定にも響くものと覚悟しておくように」

 「え!?そんな…!」

 「そんな、ではない。警察官が殺されていた現場を瓦礫に変えたのだ。まだ理解出来ていないのか」

 するとソフィアは勢いよく頭を下げた。「大変、申し訳ありませんでした!」

 「あと、報告が遅いのも問題だ。ミュテイネラに着いてからとは、どういうことだ」


 俺達はあの後、応援に来てくれた警察官にフラウゴの身柄を預け、待たせてあった馬車、もといケンタウロス車に乗って、医療都市国家ミュテイネラに無事に着いた。ミュテイネラの中心地は大小様々な建物が白を基調とした外装で整えられており、到着したときには日の光を受けて輝いていた。俺はその中でも一際大きな建築物に連れ込まれた。そして精密検査を受けるために青い服に着替えるように求められた。俺は必死に拒否した。俺の固い意思に根負けした病院側は、囚人服のままでの検査を渋々承諾した。そして検査前の現在の状況に至る。俺は白いベッドの端に座って、ソフィアとトーマスのやり取りを聞いていた。

 病室と思われる室内は貸し切りらしく俺のベッドしかない。その回りには様々な大きさの水晶玉のようなものが浮いていた。小さいものはボーリングの玉くらいから、大きいものはバランスボールくらいのものまで。それぞれの水晶には見方が分からない線や図形が映っていた。


 「あー、それは課長が出なかったんです。だから後にしようと」

 「その後すぐ繋ぎ直したはずだが?」

 「だって馬車乗ってたんですもん」あれ、ガタガタうるさいじゃないですか、とソフィアは続けた。するとトーマスの嘆息が聞こえた。

 「もういい…。因みにだが、レイさんがエルフだと云うのは漏らしていないだろうな?」

 「は、勿論です!」

 「いや、話していたじゃないか」俺は思わず口を挟んだ。

 「あ!ちょっ、ちょっとレイ!」ソフィアはこちらを向いて、口に指を当ててしぃーっとしてきたが、既に遅い。

 「な─!ソフィア!」

 「は、はいぃっ!」

 「重要な点で嘘を付いたのか!誰だ!誰に漏らした!?」

 「えー…と、それは…ですね」

 「現地にいた半エルフのお婆さんと、あとドリスの偽物だね」

 ソフィアがこちらを睨んできた。目が半ば潤んでいる。

 「…なんと言うことだ。警官殺しの容疑者か。…しかもこの短時間に二人にも」頭が痛くなってきたと、トーマスが嘆いた。

 「でも、俺がその…エルフってバレるのがそんなに問題なんですか?」どこに話しかけたら良いのか分からず、仕方なくソフィアの少し前の方の空間に投げてみた。自分の口で“エルフ”等と言うとは、世も末な気がしてくる。

 「…レイさんは記憶喪失で知らないかもしれないが、その昔エルフ狩りと云うものがあったんだ」

 「エルフ狩り?」

 「かつてエルフの国があったのだが、それが─」

 「ああ、聞きました。アルフヘイムの虐殺でしたっけ」

 「そうか。…アルフヘイムの虐殺以降、エルフの数は減ったものの、それでも国外には一定数居たのだ。だがそんな時に噂が流れた。エルフの血肉には不老長寿の力が有る等と云う、根も葉もない流言蜚語だ」

 「…!何ですか、それは」俺は自分の耳を疑った。そんな前時代的なことがあるのか。

 「ああ。信じ難い話ではあるのだが、当時保護すべきエルフ族が各地で襲われるという事件が相次いだのだ」

 「そんな…」

 「国が滅び、その後はその流言が拍車をかけ、もうほぼエルフを見掛けることはなくなったのだ。エルフ族は絶滅したとの話すらある程だ」

 「あー、それで私、エルフはもういないって思ってたんですね」ソフィアが呆けた様子で言った。

 「はぁ…君はもう少し歴史を勉強したまえ。エルフ保護の意義が理解出来ていないから今回のようなことになったのだろう。少しは反省したまえ」

 「も、申し訳ありませんでした!」

 「…でも、それって昔のことですよね?ならそこまで厳重にする必要もないのではないですか?」

 「確かに。かつてのエルフ狩りは忌むべき現象であったと評議会でも結論が出ている。エルフ狩りも過去の歴史となり始めている。だが、この現象が収束し始めたのは評議会で挙げられる前だった。要するにエルフ狩りが途絶えたのは、エルフが大方狩り尽くされた為、ということだ。これは専門家の間でも定説とされている。エルフ狩りを行っていた連中は多くが罰せられたものの、一部権力者や検挙されなかった者が在ると云う話もある。つまり、エルフ狩りの連中はまだエルフを探している可能性があるのだ」

 まだエルフを探している。それを聞いて独りでにイメージが白昼夢のように膨らんできた。


 日の沈んだ頃、黒い木々の影の隙間に赤い光が揺らめいている。気色の悪い興奮した声が辺りで飛び交い、赤い光は近付いてくる。それは松明の火だと気付く。その松明を持った男の顔には品の悪い笑みが浮かんでおり、何かを探して火を振り回している。そして茂みに隠れていた俺に歩み寄ると、屈み込んで黄ばんだ歯を大きく見せた。その視線の先で俺の怯えた顔が炎に揺れた。


 俺はぞっとした。この立場でなければきっとここまで実感を伴わなかったろう。だが自分がエルフだと呼ばれている以上、とても身近な問題だ。この背景があるにも関わらず、殺人事件の容疑者に身元がバレているというのは全く穏やかではない。

 気付いたら膝の上においていた手が震えていた。これは夢だ。実際にはこんなことはあり得ないんだ。そう何度も自分に言い聞かせても、震えは治まらなかった。

 どうにかリアリティーの無いものはないかと探し、ふとソフィアの顔を見上げると、その顔は青褪めていた。額に貼られた血の滲んだガーゼが妙に生々しく、現実味を与えてくる。

 「私のせいで…レイが狙われるということですか?」ソフィアは口をぱくぱくと動かした。

 「あくまで可能性の話だが。だが、警察官を殺害し、数日間も成り代わっていた犯人だ。思考も思想も分かったものではない」

 「…別にソフィアのせい、と言うわけでも」ないこともないが。

 「でも!…警部、私今まで以上に警備を─」

 「いや、その必要はない」トーマスはすげなく言い切った。

 「…私にはもう、任せていただけないと…?」ソフィアの顔に絶望と諦観が広がった。

 「そうではない。そこはミュテイネラだ。コリンソスではない。つまり我々の管轄外だ。君のそこでの警察活動は認められていない」

 「…し、しかし!レイを危険な状況にしたのは私なので…!」

 「分かっている。だが決まりは決まりだ。間もなくそこにミュテイネラの警官が来るはずだ。以後の警備はそちらに任せて、君は入れ替わりでこちらに戻りたまえ」

 「警部、どうか─」

 「ソフィア、これは仕事だ。あまり感情的になるな。では、私はこれで。レイさん、何かあればご一報を」


 取りつく島もなく、トーマスの声は止んだ。ソフィアはしばらくその場に立ち尽くした。

 「ソフィア…あまり考え込まない方が」

 するとソフィアは振り向いて、勢いよく頭を下げた。

 「申し訳ございません!私の軽はずみな言動でこのようなことに…」

 「だから、ソフィアのせいと言うわけでも」ないこともないのだが。

 「…しかも、最後まで全うすることも出来ないで」

 「し、仕事なんだから、仕方ないって」

 「そうそう。仕事なんだから、そこまで気を落とすなって。ミスの1つや2つ誰にでもあんだからよ」

 「そうだよ。ミスなんて誰にでも…え?」


 突然会話に入ってきた声があった。慌てて視線を走らせると、病室の入り口に男が立っていた。ソフィアと同じ黒いジャケットを羽織っており、左脇には本を数冊抱えている。「よ!元気そうじゃないか、ソフィア」

 「ア、アレックス!?」

 「…アレックス?」

 その男は、その場で敬礼した。「レイクダイモン国第二刑事課第六課長、アレクサンドロス・ストレングスだ。これからあんたの警備を引き継ぐ。よろしくな」そして白い歯がキラリと光った。

 「…ストレングス?」というと、ソフィアと…。

 「えと…私の兄です」ソフィアは目を泳がせながら紹介してくれた。

 「兄…お兄さん?」そう言われれば目元など何処となく。そう思いながらぼうっと見上げていると、その目がぐいっと近付いてきた。俺は思わず女子の悲鳴を上げた。

 「にしても別嬪さんだな。エルフってのは皆こんなに綺麗なのかい?」

 「いや…えっとですね…」

 「こら、アレックス!レイが怯えてるでしょーが!」ソフィアが俺とアレックスの間に体を捩じ込んできた。「離れなさい!」

 「おいおい、俺はペットの猛獣か何かかよ。つーか一応上司だぞ?それに近付かないでどうやって護衛すんだよ」

 「うるさい、色ボケ兄貴!何で引き継ぎがあんたなのよ!」

 「トーマスから依頼されたんだよ。ミュテイネラは俺の担当だし、妹の尻拭いもあるしな」それを言われては返す言葉もないのか、ソフィアは悔しそうに押し黙った。

 アレックスは俺の方に視線を戻し、「それに課長直々に護衛にあたれば安心だろ」と胸を張った。

 「あんただから心配なんじゃない」

 「お前よりかは頼りになるだろ」

 「戦力としてじゃなくって、手癖の悪さの方よ!」

 「おうおう、警官に対して手癖が悪いたぁ、名誉毀損じゃないか?」そう言うアレックスは余裕の笑みを浮かべていた。「そんなに心配すんなって。俺だってTPOくらいはわきまえてる。それに年下は好みじゃねぇんだ」

 「レイの方がうんと年上よ」エルフなんだから、とソフィア。

 するとアレックス目を点にし、「あ、じゃあイケるか」

 「アレックス!」

 「冗談だって!冗談!ははは、ソフィアはほんと面白いよな」

 「面白くないわよ!」

 「あのー…課長ってつまり、トーマスと同格なのですか?」俺は兄妹が戯れている間を縫って質問した。

 「こんなのを課長にするのもどうかと思うけど」

 「当たりが強いな、ソフィア。こんなでもセイズ級だって使えるんだぜ。最高戦力枠には十分だろ」

 「…セイズ級?」

 俺の疑問にアレックスはきょとんとした表情を見せた。「エルフなのにセイズ級も知らねぇのか?」

 「レイは記憶喪失よ!資料読んでないの?」

 「そんなの読まなくったって護れるだろ?だいたい世の中、フィーリングで行けるんだって」

 それを聞いてソフィアは溜め息を吐いた。俺は兄妹らしくよく似ていると思った。アレックスは妹のその様子を気にもかけずに口を開いた。

 「セイズ級ってのは魔法のランクだ。とりあえず難易度って思っといたらいいぞ。魔法のランクは下から順に初級、中級、上級と続く。簡単な分け方で言うと、初級は体の一部分に作用する程度、中級は体全体に作用する程度、上級は複数人に作用する程度って感じだな。細かく分けると一概には言えねぇんだが、まぁ大体そんな感じで考えてたらいい」

 「…セイズ級は?」

 するとアレックスがまたも白い歯をキラリと光らせた。「セイズ級は上級より上、神秘すら可能にする領域だ。常人には辿り着けねぇって言われてる。ま、俺くらいになれば余裕なんだがな」俺は常人には収まらねぇからよ、と豪快に笑って見せた。「ちなみにソフィアは中級魔導師だ」

 俺は驚いてソフィアの方を振り返った。先程彼女は建物一つを崩壊させた。あれで“中級”なのか。あれでも十二分に度肝を抜かれたのだが。

 「だから何よ!中級取るのだって大変だったんだからね!」

 「ちゃっちゃと上級も取っちゃえよ」

 「簡単に言わないでよ」ったく、ほんとヤな奴、とむくれるソフィアの横でアレックスは快活に笑った。

 「仲良いんですね」

 「だろ?」

 「良くないわよ!どこ見たらそう思うのよ!」ソフィアがわあわあと俺に噛みついた。どっちが獰猛なペットか分からない。

 「つーわけだから、護衛はセイズ級兄貴に任せて、ソフィアは帰っていいぞ」

 「そんなわけにいかないわよ!レイを危険な目に遭わせたのは私だし、アレックスじゃ心配だし、帰れるわけないじゃない!」

 「おー?命令違反かー?…真面目な話、ミスは誰だってするし、それは周りがフォローするのが仕事ってもんだ。情報漏洩は痛いが、流れちまったもんはしょうがねぇ。それの責を負うべきは個人じゃなくて組織全体と、それから監督者だ。お前に責任がないとは言わないが、仕事はチームでするもんだからな。責任処理は監督者のトーマスに任せておけ」

 「でも…」

 「それからトーマスが俺に直に依頼してきたのはお前への配慮もあってだろ?上司の思いを無下にするもんじゃない」

 ソフィアは言い返せずにアレックスから目を逸らした。

 「…分かったよ。分かりました!でも最後に1ついい?」

 「何なりと」アレックスは茶化すように軽くお辞儀した。

 「その本、何なの?」

 「あ、これ?よく気づいたなー」

 「違和感しかないもん。趣味…じゃないよね?あんた本読まないし。資料?…読むんだっけ?」

 そこに俺は合いの手を入れる。「さっきフィーリングで生きてるって言ってたよ」

 「レイさん、よく覚えてんなー。あ…さては俺のこと、好きになっちまったか?」

 俺は顔が引き攣るのを感じた。

 「んなわけないでしょ。惚れるポイントが皆無よ。レイはね、観察眼凄いんだよ。さっきも一個事件解決したし」

 「そんなに凄いことでもないって」

 「マジかよ。アンディ・レイみたいだな。…あ、レイってことは、ご兄妹か何かか?」

 「いや、多分知らない人です」

 「レイのレイはファーストネームよ。ファミリーネームじゃないんだから兄妹なわけないでしょ」

 「なるほど、そいやそうだな。…で、この本なんだが、そのアンディ・レイの物なんだよ」

 「…アンディ・レイの?なんでまた」

 「何でまたって、そりゃおめぇ、アンディ・レイの事務所があるのがミュテイネラだからだろ」

 「そだっけ?」

 「お前、大丈夫かよ。…で、家宅捜索して怪しいもんをパクってきたんだよ」

 警察がパクってきたって、どうなんだよ。俺は口に出さずに思った。

 「警察がパクってきたって、どうなのよ」ソフィアは口に出した。

 「家宅捜索だからな。仕事だよ、しごと」

 「で?本も読まないあんたがパクってきた本て、どんだけ怪しいの」

 「いくつかあるんだよ、それが。セイズ級の魔法に関しての本とか、評会特別図書に指定されてもおかしくないもんが結構あったんだが、これとか特に」そう言いながらアレックスが脇から一冊抜き出して見せた。それを見て俺の心臓は飛び跳ねた。

 「…ん?なにこれ。読めないんだけど」

 「そうなんだよ。読めない文字で書かれてんだよ。怪しすぎるだろ」

 「この文字、やたらカクカクしてるし…右端の方なんて複雑怪奇ね」

 「…これ、あれだよ。…コナン・ドイルだ」俺は声を震わせながら言った。

 「コナン…?なに?レイ知ってるの?」

 知ってるも何も、ずっと探していた本だった。コナン・ドイル著『シャーロック・ホームズの冒険』だ。幼い頃に肌身離さず持ち歩いていた本だ。


 当時まだ文字もろくに読めなかった俺は、父がたまたまこの本を読んでいた時に飛びついて、朗読してほしいと懇願した。父が黙々と読んでいる物を共有したかったのだろう。その時に読んでくれたのは確か『まだらの紐』。短編集のようになっている中から父が何故それをチョイスしたのかは知らないが、俺はその物語に夢中になった。それから俺は、その本を常に持ち歩くようになった。文字は読めない。だから父か母の様子を伺って、構って貰えそうなタイミングを見計らっては、読んで、とせがんで回った。なのに、常に所持していた筈のその本をいつの間にか無くしていた。どこでなくしたのか、それも覚えていない。ただあの、古いクッキー缶のように派手な、赤や青や黄で彩られた独特な表紙の本を探し続けていた。

 それが今、目の前にあった。


 「レイさん、これ読めるのか?」

 「読めるも何も、それ日本語…」そう返答しながらも何処か違和感を覚えた。とても慣れ親しんだ文字のはずなのに、とても読み辛い。“シ”ってこんな字だったっけ、という具合。何度も見直したわけでもないのに、初端からゲシュタルト崩壊している気分だった。

 「ニホン語っていうのか、この文字」

 「どこの国の文字?見たこともないけど」

 「どこって…」そう言いながらこめかみの辺りを擦った。夢だから、昔無くしたこの本が現れたのか。でもだとしたら文字が読みにくいのは何故なのか。

 「…レイ、大丈夫?」ソフィアが心配そうに除き込んできた。「何か思い出しそうなの?」

 「え?…あ、いや、何でもない」そういえば記憶喪失っていうことになってたな。

 「レイさんが見覚えあるってんなら、これは古代エルフ文字とか、そういうやつなんじゃねぇか?」

 「古代エルフ文字…ニホン語」

 ソフィアの真面目なトーンに、俺は噴き出しそうになった。

 「でも、何の本なんだろ。古代エルフ文字で書かれてるってことは、ものすごい魔法が記されてるとか?」ソフィアはアレックスの持っている本を眺めながら言った。

 「それ、探偵小説だよ」

 「たんていしょうせつ…?」

 「探偵が活躍する物語が書かれているんだ」

 「探偵…なるほどつまり、アンディ・レイが活躍する本ってことか?」

 「…探偵って、アンディ・レイとか言う人しかいないんですか?」

 「まさか…!…あんな変人が他にもいるってのかよ」

 「え…だって“探偵”って職業じゃないですか」

 するとアレックスとソフィアが瓜二つなびっくり顔をこちらに向けてきて、びっくりした。

 「…あれって職業だったのか」

 「本人が言ってるだけだって聞いてたけど…。てっきり流行らしたい二つ名なのかと思ってた…」

 自称探偵って、一体どんな変人なんだ。

 「…えーっと、探偵っていうのは、ざっくり言うと何かを調査する仕事のことです」

 「調査?何の調査するの?」ソフィアが眉間に皺を寄せる。

 「…そういや、事件現場に勝手に来ては、魔力の分散がどうだとか、痕跡がどうだとかぶつぶつ言ってたな。あれが調査ってことか?」

 「呼ばれたわけでもないのに行ってたんですか」

 「ああ。いつの間にか来てて、現場うろうろしてたな」

 「それ、追い出されないんですか」

 「最初の頃は追い出そうとしてたんだがな。そうするとトーマスに許可を貰ってるとか言って、許可証見せてくんだよ。んで、トーマスに確認すると、実際に許可してるとか言いやがるんだな。で、何回かは確認したんだが、その度に許可証見せてくるから、めんどくさくなって途中からは確認しなくなったんだ」

 それって警察の怠慢なんじゃあ。

 「警部が許可してたの?訳分かんないね」

 「あいつ、たまにそういうことすんだよな。ろくに説明せずに勝手に決めて、こっちに押し付けたりすんだよ」

 「そうそう!今回も勝手に決めて、私に帰ってこいって言ったしね!」

 「いや、それは普通の判断だろ」

 「何でよ!」

 またその話に戻るのか。ほんとまるでユッコだな。俺は溜め息を吐きながら話を前に進めた。

 「探偵というのは、別に現場を彷徨く人のことではないんです。調査対象は基本的には人です」

 「…人?」兄妹が声を揃えた。

 「例えば浮気調査。自分のパートナーが浮気してるかどうか調査してほしいとか、あるいは行方不明の人を探してほしいとか、そういうのが探偵の仕事です」

 「…え、てことは、アンディ・レイは探偵じゃねぇのか?」

 「どういう活動をされてたのかは知らないので、何とも言い難いですけど。現場を彷徨いてただけなら探偵とは言えないですね」

 「何だよそれ。じゃああいつ何だったんだ?ただの殺人鬼ってことか?」

 「ただの殺人鬼にしては、気味が悪いけどね」警察の前で堂々とうろうろしてたんだし、とソフィアは付け足した。

 「アンディ・レイは殺人鬼なのかい?」

 「そうだよ。コリンソスの前の領主を殺しんだよ」ソフィアは平然と返した。

 「え─」

 「いや、まだ被疑者だからな。にしてもコリンソスも大変だよな。こんな短期間に領主を二人も殺されてよ」

 「…ん?二人?アレックス、それ何のこと?」

 「何だ、聞いてねぇのか?ついさっきだよ。コリンソス現領主リック・ペリアンドロスの遺体が被害者の自室で見つかったって言ってたぞ」

 「─な、何よそれ!!」

 「トーマス言ってねぇのかよ。今、コリンソス(あっち)てんやわんやしてるらしいぞ。領主暗殺を二回も立て続けだからな。警察も面子丸潰れだ」はっはっはっとアレックスは高らかに笑った。

 「笑い事じゃないでしょ!…え、待って、じゃあ私早く帰んないとってこと?」

 「まぁ、それもあんじゃねぇか?だからここはセイズ級兄貴に任せて早く帰れって」喋りすぎて喉乾いたな、レイさん何か飲むか?とアレックスは、あわあわする妹の横で朗らかに訊ねてきた。

 「…何かって何が」

 「ちょっとそこの売店で瓶ジュースでも買ってこようかと思ってよ。ソフィアまだ帰り支度出来てねぇみたいだし、ちょっと離れても問題ねぇだろ」

 リクエストなかったら適当に買ってくるぞ、と言ってアレックスは出ていった。ソフィアはばたばたと支度を始めた。

 このまま護衛を続けるつもりだったらしく、ソフィアは腰回りに付けていたポーチなどをベッドの脇の棚の上に置いていた。それを慌ただしく装着していく。

 「ごめん、レイ!私帰らないといけないみたいで」

 「仕事だからね。ここまでありがとう」

 「いや、お礼とか…。それこそ仕事だし、警察官なんだから。─あ、そだ」ソフィアはえーっとと言いながら、右手を挙手するように挙げた。すると手首から先がどこかに吸い込まれるように消えた。

 「え─、ソソ、ソフィア…手が」

 「え?あーそか。使い魔見えないんだったね。使い魔ってポケットみたいに使うこともできるんだ。ここと他の場所を繋げて。私は自宅のいくつかの収納とか引き出しに繋げてるんだ」繋げる先の空間の大きさで魔力消費量が変わるんだけどね、補足しながら右手をどこかまさぐるように動かした。

 「お、あったあった」そう言ってソフィアが取り出したのは、古びた可愛らしい手鏡だった。

 「…何、それ」見ると子供用の玩具の手鏡のように見える。

 「これ、アガシオン・インテリアだよ」

 「あが…?」

 「魔法が使えない人とかが他の人とコミュニケーションを取るための物。使い魔の代わりだよ。私がちっちゃい頃に使ってたやつだけど貸したげる」ソフィアはそれを手渡してきた。

 「使い魔の代わり…」つまり携帯電話みたいなものか。

 「鏡のとこを二回ノックしてから私の名前を言ったら私に繋がるし。何かあったら連絡して。特にアレックスに何かされそうになったときとか」

 「そんなに信用ないんだ?」

 「そらないわよ。あれ、ああ見えて昔、何股もかけてたこともあるんだから」

 「うわぁ、それは酷い」

 「でしょ?何かされたら殴ってもいいよ。許可しとく」

 「でも…セイズ級兄貴じゃん。どうしようもないんじゃないか」

 「こんな幼気いたいけな女子に魔法までは、流石に使ってこないでしょ。あれでも一応立場ある大人なんだし」

 「そこは信用してるんだ」

 「まぁ…家族だしね」照れ隠しなのか、ソフィアは鼻を掻いた。


 そこで俺は一つ気掛かりなことがあり、口にした。

 「偽物が現れたら、どうしようか」

 「…ん、偽物?ドリスのってこと?」

 「いや…ドリスに化けれたんなら、俺やソフィアにも化けれるってことだろ」

 「あ、そっか。…そうだよね」

 「今のところ、俺がこの状態になってから一番一緒にいたのはソフィアだろ」

 「…んー、そういうことになるのかな」

 「なるね。実際、あの犯人と会ったときも一緒にいたところだったし」

 「確かに」

 「ということは、あの犯人が俺のことを狙ってる場合、俺かソフィアに成り済ますのが得策ということになる。しかも今から別行動を取るわけだし、絶好のタイミングだ」

 ソフィアはしばらく考え込んだ後、みるみる青くなっていった。

 「じゃ─じゃあやっぱり、私も一緒にいた方が─!」

 「でも、コリン…ソス?の方が大変なんだろ?そっちに召集がかかっているんだし、ソフィアはそっちに行かないと」

 「でも…でもでも!それじゃあ犯人に付け入る隙を与えることになるじゃない!」

 「うん。だから、合言葉でも決めておこう」

 ソフィアは突然の言葉にきょとんとした。「…合言葉?」

 「ここからはしばらく会えなさそうだし、電話…じゃなくて、使い魔での会話がメインになると思うけど、そこでもお互いを確認できるように決めておいた方がいいと思うんだ」

 「…そうね。でも、どういうのがいいのかな」

 そこで俺は少し思案した。この夢の中で誰にもバレない言葉…ここにはない言葉…。

 「…シャーロック・ホームズとか、どうかな」

 「シャーロック…?」

 「さっきの、アレックスがパクってきたて言う本の登場人物、主人公の名前だよ」

 「なるほど!そうね、あの本、古代エルフ文字で書かれてるんだし、解読も難しそうだし、妙案だね!」

 「じゃあそれで─」

 「うん!シャー…何だっけ…?」

 「…長かったかな、名前」

 「んー…少し?」

 「ええーっと…じゃあ…コナン・ドイルは?」

 「コナン・ドイル!うん!短くていいね!」ソフィアはコナンドイルコナンドイルと連呼し始めた。

 「あんまり連呼するのは、良くないかな」

 「あ、そかそか、ごめん!じゃあ何かに書いて…もダメだね。んー…頑張って覚えるよ!」じゃあ何かあったら連絡してね!飛んでくるから!ソフィアはそれだけ言うと、何事かをぶつぶつ呟きながら病室を飛び出していった。廊下の方から「おう、危ねぇな!廊下は走んじゃねぇよ!」というアレックスの声がした。

 「あいつ大丈夫か?何か粉がどうとかってぶつぶつ言いながら走ってたんだが」アレックスは病室の入口をくぐりながら話しかけてきた。

 「いや、それはあまり…大丈夫じゃないですね」数分後には合言葉もバレてる可能性があるなと、俺は早々に戦戦恐恐とした。



 その後アレックスの護衛の下、俺は検査を受けた。白い割烹着のようなものを着た医者のような人に、頭から順に両手をかざされ、それが一通り終わった後、半透明な楕円形の巨大な容器に押し込まれた。容器には薄黄緑色の液体が投入され、俺は溺死するかと思ったが、息を止めていても不思議と息苦しさはなかった。他にも大きなお碗をひっくり返したようなものを頭に被されたり、髪の毛を数本抜かれたり、筒を腕に付けられたり外されたりした。


 検査が全て終わる頃には病室の窓から西日が差していた。夢の中でもしっかり夕日はあるのだな、と俺はしみじみ思った。にしても何時になったら目が覚めるのか。

 「お疲れさん、レイ。検査項目多くて悪かったな」傍らに待機しているアレックスが労ってきた。早くも俺から“さん”の敬称を外している。プレイボーイという言葉が頭をよぎった。

 着ている囚人服がさっきの液体で濡れている。体に貼り付いてきて気持ちが悪い。着替えることを拒否した代償と言えるが、この服の下にあると思われる肉体を直視する勇気がないのだから仕方がない。

 「そういやレイ、何で囚人服なんだ?着替えろよ。溶液染み込んで気持ち悪いだろ」アレックスが気にかけてきたが、「いえ、大丈夫です」と逃げた。

 「いやでもよ…何というか、ラインが出てるからよ」アレックスのその言葉で俺は顔が熱くなるのを感じ、急いでベッドの上の掛け布団を引っ張ってきて体を丸めた。

 「あー…悪いな。そんなに警戒しなくても護衛対象に手ぇ出したりしねぇって」

 「いえあの…何というか、この体を見るのが…怖くて」女性の声でこんなことを言うのは、それだけで何だかとても恥ずかしかった。

 「体が怖い?…あーなるほどな。記憶喪失ってのは自分の体がこれだ、ってのもよく分かんなくなるもんなのか」

 「それは…どうなのか知らないですが…」

 「でも体が怖いってのは、自分のものじゃねぇみたいな?心と体が分離してるみたいなっていうか?何かそんな感じなんだろ」

 「まぁ…はい」心と体が分離しているというか、もう全く俺の体ではないのだけど。

 「じゃあそういうもんだって割り切るしかねぇんじゃねぇか?その体はお前のもんなんだし、そのうち直ぐ慣れるだろ」アレックスは励ますように言ってくれたが、残念ながら一生慣れる気はしない。



 そんな時、入口の方から女性の声がした。

 「ごめんなさい。ちょっとよろしいかしら」

 「あん?ああ、別にいい─」振り返りながら返答しかけたアレックスが息を飲んだ。「─こ、これは、領主様!」アレックスはすぐさま敬礼した。

 「ごめんなさいね。突然声を掛けたりして」

 「いえ!大変なご無礼を!」

 アレックスが強張りながら挨拶するのとは対照的に、領主と呼ばれた女性はゆったりとした動きで入口を跨いできた。

 腰までありそうな金色の髪は軽くウェーブがかかっている。透明感のある白い肌は眩しいくらい。翡翠色の瞳には慈愛が籠っていて、こちらを見据えていた。20代後半から30代前半くらいだろうか。しかしその女性は人間とは思えない美しさを纏っていた。

 その後ろから別の男性がくっついてきた。これまた綺麗に整った顔付きをしており、女性と同様に透き通った肌をしている。アレックスはそちらに対してお疲れ様です、と声をかけたが、男性はちらりと視線を送るだけだった。

 領主の女性が俺に話しかけてきた。

 「初めまして、でしょうか。レイクダイモン国領主のフレデリカ・キーロニウスと申します。貴女が我が国が保護したエルフの女性ですね」

 「あー…えっと、はい…そうです」俺は呆然とした頭で答えた。

 「…トーマスから報告も上がっているのですが、記憶喪失なのですか?」

 「あー…ええ、そのようです」

 「我が国の警察官が原因と聞いております。この度は大変申し訳ございませんでした」フレデリカは深々と頭を下げた。後ろの男性も同じようにした。

 「あ─!いえいえ、そんな!どうか頭を上げて下さい!」俺は慌てて両手をばたばたと動かそうとして、布団にくるまっていることを思い出した。…これは大変失礼な格好なのではないだろうか。そう思い、布団を剥がそうかと手を動かしかけたが、その下は体に張り付いた囚人服。一体どちらの方が失礼なのか判断がつかない。

 俺があたふたとしている間に、フレデリカはゆっくりと頭を上げた。

 「先程エレナと…あ、エレナと言うのはここミュテイネラの領主です。エレナ・ピッタコンス。彼女と会談がありまして。それがミュテイネラに伺った主な理由なのですが、その際に貴女がこちらで検査を受けてらっしゃると聞いて来たのです」フレデリカは丁寧な言葉の中で所々砕きながら話した。

 「あ、ありがとうございます。わざわざ足を運んでいただき」

 「いえ、当然のことです。検査の結果は早くても明日になってしまうそうです」

 「はあ…」

 「原因さえ分かれば治療法も必ず見つかるでしょう。ここはミュテイネラでも随一の医療施設になっておりますので。だから気が急くかもしれませんが、もうしばらくご辛抱いただくことになるかと思います」

 「お気遣いありがとうございます。…ですがそこまで重く考えていただかなくても…」そもそも記憶喪失ではないのだし。

 「そうはいきません。貴女は大切なエルフの方。エルフ保護はイグドレイシアにおいて最重要事項です。そんな方にお怪我をさせて記憶障害まで患わせてしまったというのは、痛恨の極みです」

 まるで政治家と会話しているようだな、と感じた。これまでの自分の人生とはかけ離れているからか、どこか他人事のような気もする。

 「…折角、久しぶりに自分以外のエルフの縁者の方と出会えたというのに、こんなことになってしまって…とても残念です」

 「…え、…領主…様もエルフなのですか?」何と呼べば良いか分からなかったので、とりあえずアレックスに倣ってみた。

 「いえ、私は純粋なエルフではないのです。エルフの血は半分ほどです」フレデリカの表情が幾分か和らいで、少しほっとした。

 「やはり、エルフというのは珍しいのですか」

 するとフレデリカは少し思案するように首をかしげたが、ほどなく「…そうですね。貴女のような純血のエルフをもう見掛ける機会はなくなってしまっています」

 「そう…なんですね」

 「はい。しかし、貴女を見つけ、保護することができました。今回の検査と治療の費用に関してはご心配なさらないで下さい。全て我が国で負担させていただきます」

 「そこまで─」ご面倒をお掛けするわけには、と言いかけたものの、願ったり叶ったりであるのは確かだった。ここでは恐らく日本円は使えない。というか健康保険も使えない。ここで掛かった費用を用意できる気は全くしない。まぁ、夢なのだから踏み倒しても問題ないのだろうが。

 俺が独り思案を巡らせている間にフレデリカの後ろの男性が彼女に何かを耳打ちした。分かったわ、と返したフレデリカはアレックスに向き直った。

 「ストレングス課長。治療の間の警備は任せます。これ以上彼女に失礼の無いように」

 「は!畏まりました!」アレックスは勢いよく返事をした。フレデリカは俺に視線を戻した。

 「何かあればストレングス課長を使って下さい。私はこれで失礼させていただきます。ごめんなさい、ばたばたとしてしまって。本当はもう少しお話がしてみたかったのだけど、パトリックが五月蝿いの」フレデリカは後ろにちらりと視線を動かし微笑んだ。そして、姿勢を正すと「貴女の一日でも早い回復を心よりお祈りしております。では、ごきげんよう」と会釈した。

 何と返せば良いか分からず、俺は「…あ、ありがとうございます」とだけ言った。

 フレデリカは眩しく微笑むと、「パトリック、行きましょう」と声をかけ、後ろの男性と共に出ていった。



 俺はしばらく呆然とした。

 「…今のが、あれだ。…ウチのボスだな」アレックスもまだどこかかくかくしている。

 「何て言うか…スゴかった」

 「だろ。あれで150歳越えてるってんだからな」

 「─え!150歳!?」

 「やべぇだろ。エルフの血が半分であれだからな。あんたなんかもっと歳上なんじゃねぇのか」

 そう言われて、俺は何だか怖くなってきた。自分は一体何歳ということになっているのか。

 「…まぁいいや。ちょっと後ろ向いてくれるか」アレックスはおもむろに話を変えた。

 「…え?」まさかまた体が見えてるのかと思わず視線を落としたが、掛け布団の中はまるで見えなかった。

 「そのままだと風邪引くぞ。だから背中こっちに向けてくれや」

 アレックスに言われるままに俺は体を反転させた。すると背中に大きな手が触れるのを感じた。その触れられた部分からじんわりとした温もりが全身に広がり、俺を包んだ。得体は知れないものの、その唐突な心地よさに体の芯から弛緩し、いつの間にか目を閉じていた。

 「服、乾かしとかねぇとな。検査に来て風邪引いてたら、笑い話にもなられねぇよ」

 アレックスの声にうっすらと目を開けると、薄いもやが部屋中に立ち込めていた。自分の体に巻き付けている布団を見ると、なるほどそこかしこから湯気が立っている。改めて全身の感覚を確認すると、アレックスが温めているのは布地の部分のみであることが分かった。乾燥機みたいな感じか、魔法って便利なんだな、と思った。

 「よし、こんなもんか」アレックスが掌を俺の背中から離した。俺の身に付けている服や布団が天日干しの直後のように温かい。「ありがとうございます」そう言ってから不意に欠伸が出た。

 「これくらいいいってもんよ。このまま晩飯も食ってくか」

 「…まだ何か、検査とかあるんですか?」まだ病院に留まる理由があるのだろうか。

 「いや、検査はもう済んだな。もう帰ってもいいんだが、ついでだから飯食ってこうぜ。ここの結構旨いんだよ」

 「そんな自由なんですか、ここって」

 「いいんだって。まだ晩飯までは時間あるけどな。何ならそこでちょっと寝ててもいいぞ」そう言われると、少し横になりたい衝動に駆られた。

 「じゃあ俺は外出てるから、しばらくゆっくりしときな」そうアレックスは破顔すると病室から出ていった。

 俺はベッドの上に体を横たえた。アレックスが温めてくれた布団がとても心地いい。俺はすぐに微睡んでしまった。



 「フレイヤ、よく覚えておくんだよ」そんな声が聞こえた。

 視界には小さな手。それを皺に覆われた大きくごつごつした手が優しく包んでいた。その手の先に立派な白髭を蓄え、これまた皺だらけの優しい笑顔があった。まるでサンタクロースのようだな、と本物のサンタも見たこともないのに思った。

 「はい、おとうさま」快活な女の子の声がした。

 サンタのような老人は満足げに頷くと「では、もう一度言ってみてくれ」と促した。

 「えっとね…父は朝に目を覚まし…」

 「残念、頭から違うぞフレイヤ」老人は柔らかな笑みを湛えている。

 「え?あれ?ちがうかった?」

 「ああ、もう一度言うからよく聞いておくのだぞ。


 朝に父が目を覚まし

 昼に太鼓の囃子がす

 巨が足を踏み鳴らし

 黄昏に月が地を揺らしめる

 太鼓囃子は鳴り止みて

 嵐が木々を打ち鳴らす

 異国の旅人は進み出て

 大樹の根を指し示す

 すると日はまた昇り

 勝利の太鼓は高々と


どうだ、分かったかな」

 「うん!わかった!」

 「これは大切な詩だ。しっかり覚えておくのだぞ、フレイヤ」

 「はい、おとうさま」夢の中で元気な返事がした。



 気が付くと室内は暗くなっていた。どれくらい眠っていたのか。空腹を感じた。アレックスはどうしたのか。体を起こそうと体を動かすと、ベッドの脇に誰かが立っているのが見えた。小さな影が微かに揺れる。

 「あら、起こしてしまったのね」幼い声がそう言った。

 「えっと…どちら様かな」俺は起き上がりながら訊ねた。今見た夢のせいか、少女だろうと勝手に思った。

 扉の隙間から廊下の光が漏れ入ってきている。それでも部屋は薄暗く、目の前の少女はよく見えなかった。

 「あたしが分からないだなんて、聞いた通り、あなた記憶喪失なのね、フレイヤ」

 「…フレイヤ?」

 「自分の名前も分からないの?まぁ、そんなことはもう気にする必要もないけれど」そう言う少女の右手には何か握られていた。暗がりの中でも僅かに白いことが分かるそれは、小柄な子どもには不釣り合いな大きさのナイフのようだった。

 「…それは何?刃物かい?」寝起きのせいか、理解が間に合わない。いや、そもそもここも夢のはず。じゃあさっきの夢の続きだろうか。そんなふわふわとした思考の片隅に、昼間のトーマスの言葉が蘇った。


 『─つまり、エルフ狩りの連中はまだエルフを探している可能性があるのだ』


 俺は目の前の影を見つめた。「エルフ狩り?」と思いがけず口を突いて出た。

 「…は?あんなものと一緒にしないでくれる?」少女は心底心外だと憤慨した。そして目をぎらりを光らせ口を開いた。

 「我はクライム。クライム・ヘイヴン。あなたを殺すものよ。フレイヤ・アルフヘイム」

 少女は右手を大きく振り上げた。しかし、その時突然、少女の背後に大きな影が現れた。少女の右手は振り上げられた位置で止まった。

 「おいおい嬢ちゃん、随分と物騒なもん持ち歩いてんだな」少女の影の頭上で、アレックスの白い歯きらりと光った。

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