逆恨みのトロール
「大丈夫か、レディ」
トーマスと名乗った兎が混乱を増長するように話しかけてくる。レディ…俺が?石造りの部屋に置かれたベッドの上で体を起こしていた。目の前には鉄格子。その向こうから喋る兎と白人女性とフランケンシュタイン似の男に見つめられていた。その内の、ソフィアと呼ばれる女性がまた指を差してきた。
「警部、この子どう見ても“レディ”ではないと思います!どちらかというと“ガール”では」
「ソフィア、人に対して指を差すな。君は報告書を読んでいないのか。彼女はエルフだ。見た目こそ若いが100歳を超えていても不思議はない」
「え、エルフってまだ居たんですか!てっきり絶滅ものかと」
「ストレングス刑事、失礼だなー。目の前にいらっしゃるだろー」
「…あのー、エルフって…何すか」俺は恐る恐る発言した。自分の喉が震えて女性の高い声が出る度に、びくびくとしてしまう。
「エルフが何かとは…まさか君!」兎のトーマスが勢いづけて鉄格子を掴んだ。その迫力に気圧される。「…まさか、記憶が…?」
「警部、記憶がどうかしたんでしょうか」
するとトーマスがすぐさま振り返る。「ソフィア、君が殴ったせいではないか」
「な…何がです?」
「君が殴り飛ばしたために、彼女は記憶喪失に陥っているのではないのか」
「えぇ!?そ、そんなことは…!」
「ぬお、記憶喪失かー。なら刑事の拳が原因っぽいなー」
「…いやいや!まだ記憶喪失とは決まってませんよ!そう装ってるだけってこともあるじゃないですか!」
「確かに。確定するには精密検査が必須だろう。とは言え、警察官の行動でその可能性が生じたという事態が問題なのだ」
ぐうの音も出ないという様子でソフィアが黙り込む。
「彼女はこの後レイクダイモンへ移す予定だったが、先にミュテイネラで検査した方がいいかもしれないな」トーマスはふむふむと鼻を動かす。「では名前も分からないかな、レディ」
随分変わった夢だな。自分の想像力が恐ろしい。そんなことを考えて呆けていた。
「ねえ君、名前は?」ソフィアに話しかけられてはっとする。「…あ、俺か」
「君以外に誰がいるのさ」
「…怜」自分の名前を口にする。
「レイちゃんね。いいじゃん、短くて」
「刑事ー、短いといいのかよー」
「短い方がいいの!あんたみたいに長ったらしいと、覚えるの大変なんだから、ゼッポレ・ディ・サンジュゼッペくん」
「そんなパンみたいな名前じゃねぇよー。ゼンポール・ジョセフ・ペランドールだよー」
「レイさん、ファミリーネームは」トーマスは二人のやり取りを無視して質問を続けた。
「…安藤」
「…アンディ?」トーマスは訝しげに耳をぱたぱたさせた。
「─って今、アンディ・レイって言わなかった?言ったよね!やっぱりこいつがアンディ・レイなんだ!」
「それはないだろー刑事。アンディ・レイは男だぜー」
「いや、安藤」
「…少し混乱しているのかもしれないな。やはりミュテイネラへ先に行くべきか」
流石は夢。話が全く通じない。
「とりあえず…レイさんと、呼ばせてもらおう。レイさん、ミュテイネラが何か分かるかな」
俺は黙って首を振る。発声しても聞き慣れない声しか出ないし、話もまともに聞いてもらえない。声を出すだけで疲れてしまう。
「そうか…。ソフィア、彼女の護送は君に任せる。行き先はミュテイネラだ。私は一旦レイクダイモンへ戻る。道中、彼女の記憶を刺激するようになるべく話しかけてやってくれ」
「へ?私だけですか!エディも呼んでくださいよ!」
「エディはここに残っておくべきだろう。誰も居なくなってしまってはまずい。手が空いているのは君だけだ」
「そんな、人を暇人みたいに言わないで下さい!」
「というわけだ、レイさん。一度ミュテイネラで検査を受けてもらう。分からない事は彼女に聞くといい」
「…分かりました」これいつになったら覚めるんだろうな。まずそれが知りたい。
「では私はこれで。ソフィア、後は頼んだぞ。またな、ゼップ」兎ことトーマス警部は口早にそう言うと、いそいそと出ていった。
「わっかりましたよー、もう」
「お疲れ様でしたー、キャロット警部ー」
「じゃあ出ますか、レイ…レイさん」
「…怜でいいです」
「そう。女の子らしい、いい名前ね」大変複雑な褒められ方である。
「あ…ありがとう、ソフィアさん」
「私もソフィアでいいよ。100歳以上じゃあ、どう考えてもあなたの方が年上だし」いや、若干17歳です。
「あ、そうだ。服、どうする?元のやつ着とく?」
「服…ですか」視線を下ろすと地味な緑色のシャツが見えた。胸の辺りに膨らみがあり慌てて視線を上げる。
「その服、一応囚人服なんだよ。勾留の時点で着せるのはおかしいんだけど、治療の後またあれを着せるのはさ…元のあれ、派手すぎるし」
「派手すぎる…?」
「…ああ、そか。覚えてないんだよね。じゃあ持ってくるよ」ソフィアは右手へと引っ込んだ。
フランケンシュタイン似のゼップさんと二人きりになる。にしても背高いな、どれくらいあるんだろう、とぼうっと見ていると、何を勘違いしたのか「あ、着替えさせたの、俺じゃねーから。安心していいぞー」と弁解してきた。
「レイ、持ってきたよー」ソフィアの声がした。何かわしゃわしゃという音と共に。
「はい、これ」そう言ってソフィアが見せてきたものに驚愕する。
紫だ。キラキラとした紫を基調としている。が、首周りを何かの羽がカラフルに囲っている。腕は細いが袖口にはやはり羽。胴体のところはしゅっと締まっており、中央に黒いラインが入っていた。下の方は燕尾服のように広がっており、パンツは足首タイトな紫。そして極めつけに、赤いマントが付いていた。ソフィアの左手には付属品なのか、目元だけ隠す黒いマスクが。
「………え、これ着てたの」まるで中世ヨーロッパの仮面舞踏会でも行くかのような服装だ。
「そう。アンディ・レイの…コスチュームっていうのかな。こっちに着替える?」「いや、このままでいいです」即答した。
「だよねー。これはヤバイよね」そう言いながら、怪人の服を持ってきた方へと投げ捨てた。仮面か、からんと軽快な音がした。
「じゃあ、ゼッポレ。出所の準備して」
「だからパンじゃねーよ、ゼンポール・ジョセフ・ペランドールだよー」
ゼップがのそのそと鍵を取り出した。
「じゃあ何も覚えてないんだ」
がたがたと揺れる車内でソフィアが訪ねてきた。ゼップが用意してくれた馬車だ。いや、馬車なのか。ちらと見た感じだと馬のようではあったが、馭者の位置がおかしかった気がする。見間違いだろうか。
自分の手を見ると片方の手首に腕輪が付いていた。その表面には円形の落書きのようなものと、ミミズがのたくったような文字が書き込まれている。
「そうですね…ここが何処かも」どう見ても17歳以上のソフィアに、自然と敬語になる。
「敬語じゃなくてもいいよ。ここはコリンソスの領地。コリンソス…も覚えてないか」
俺は首を横に振った。聞き慣れない横文字ばかりで覚えきれない。
「さっきのレイク何たらとか、ミュテ何たらとか、コリンソスとか…何の名前なんだい」自分のものとは違う声が出る度に夢であることを実感する。
「国の名前だよ。この地域には全部で7つの国があるんだけど…そっから?」
「…すみません」
「いや、ごめんごめん。記憶喪失は私のせいかもしれないし…うん。仕事だし、ちゃんとやるよ」夢でしかないのだから、ソフィアが悪いわけでもなく、申し訳なくなる。
「この辺り一帯の地域はイグドレイシアって言うんだ。100年くらい前は元々一つの大国だったらしいんだけど、独裁的な王様の時代に7人の賢者が立ち上がった、ってのが始まりということになってるんだよ」
「7人の賢者?」
「そ。イグドレイシア七賢人」
「七賢人…」
「その7人がこの7つの国の体制を作ったんだって」私もこういうの疎いんだけど、とソフィアは頭を掻く。
「体制…」
「うん。それで国を7つに分ける時に、互いを牽制するためってことで、それぞれの国に役割を割り振ったんだ。このあたりは賢人ぽいよね」
「なるほど…争い事とか起こりにくそう」
「そうそう。んで、その役割ってのが、金融、交通、市場、産業、知識、医療、警察。そして私達の国がその中の警察、警察都市国家レイクダイモン」
「へぇ、面白いね」夢にしては良く出来ている。
「まぁ珍しいよね。こんなことしてるの、イグドレイシア一帯だけだもん」
「他にもあるんだ、国」
「そりゃあ、あるでしょうね。隣の大国、ロテイマ帝国とか、ペンテロト王国とか。後はこまごまとしたのが」
「こまごまって…。その、イグドレイシアでは国同士で物事を決めてるの?」
「そう。イグドレイシアの中央にある緩衝地帯、中央都市ヴァルハレアで評議会を開いてね。7ヶ国の代表者が集まって、行政、立法、司法を執り行ってる」
「平和的だね」
「確かに。大国の時は周辺国と戦争もあったんだけど、この体制になってからは外交も上手く行ってたし。ただここ10年くらいはきな臭いんだけどね」
「へー」
そこで会話が途切れた。しばらく馬車の揺れに身を任せていると、突然ソフィアがこちらに身を乗り出してきた。顔が近付いて、思わず息を呑む。
「レイさ、エルフなんだよね」
「…よく分かんないけど、そうらしいね」
「魔法とか何か覚えてないの」
「…魔法?」この夢は魔法まで使えるのか。夢と魔法とは、どっかのアミューズメントパークみたいだ。
「…覚えてないよねー。そうだよね。エルフってのも分かんないんだもんね」
「…何かごめん」
「いやいや、だからレイが謝ることじゃないって。ただエルフって言ったら魔法が凄いって聞いてたから」
「魔法が凄い?」何てアバウトな表現なんだ。
「私も歴史なんかでしか知らないんだけど。その逸話の中でセイズ級の変身魔法とか召喚魔法とか、凄い話がいっぱいあったから、本物のエルフに会えたし、ちょっと期待しちゃったんだ」
「エルフって昔はたくさんいたの?」
「らしいよ。それこそ大国の時代の逸話は数知れず」
「でも今は数が少ないんだよね」
「あー…それはね…」そこでソフィアの歯切れが悪くなった。
「何か…善くないことしたとか?」
「え?あー違う違う。違うんだけど…さっき独裁者が現れたって言ったでしょ。その独裁者がね…エルフの国を滅ぼしたんだよ」
「国を滅ぼした…」
「そう。100年くらい前のその大国の時代も幾つもの国々が集まって出来てたんだけど、今と違うのはそれぞれの国の代表者が政治に関わるんじゃなくて、一番強い国の王が政権を握ってる感じだったんだ」
なるほど、まるで江戸時代のようだと思った。日本の江戸時代には幕府の下に地方の国々があった。100年前にあったという大国は江戸幕府政権下のようだったのだろう。それに比べて現在は古代ギリシアの都市国家のようだ。競い合っていない分、それよりも平和なのだろうが。この夢の設定はこのあたりの知識から来ているのだな、と勝手に納得した。
俺が独り合点している間にもソフィアの説明は続いている。
「エルフの国もその中の一つだったんだけど、当時の王、滅亡王デインがその国を召喚魔法のコストにしたんだって」
「…え、コスト?」それはつまりどういう事?
「そう…。当時エルフの国にいた1万人の国民を生贄にして怪物を召喚したんだ」
「な─」
「それが、アルフヘイムの虐殺」
アルフヘイムの虐殺。召喚魔法とか言うものの生贄にされることがどれほどの苦痛を伴うものなのか、全く見当も付かない。だがそれが非常に非人道的、非倫理的であるということは、ソフィアの表情から伝わってきた。
「この暴挙に立ち上がったのが、さっき言った七賢人。それでデイン王は倒された。でも召喚された怪物は強力過ぎて消滅させることが出来なかったから、バラバラにして七賢人がそれぞれ封印したんだって」
「じゃあまだ現れる可能性があるんだ?」
「だね。でも七賢人とその子孫がいる限り、あり得ないだろうね。怪物を封印した物は7つの国の王の管理下だし」
「そっか」
「当時国内に居たエルフは全員行方不明。だからさ、私もエルフはもう居ないものだと思ってたんだ」
車輪の振動が尻の下から響く。外の景色を見ると、緑がどこまでも続いていた。日本の田舎の風景とはまた違う。田圃などは見当たらず、誰が所有者かも分からない野原が広がっていた。一見のんびりと平穏そうなその景色の中に、召喚されたという怪物を想像してみる。しかし上手くいかない。こののんべんだらりとした爽やかな野原に怪物とは、御伽話でも似合わない組み合わせだろう。
ソフィアのお陰でこの世界のおおまかな構造は分かった。随分と手の混んだ設定だ。ちょっと眠りについている間に思い付くには不自然なくらい。だが魔法だ怪物だというのは非現実的に過ぎる。だからこれはやはり夢なのだ、と思う。そう思いたいだけなのかもしれない。
視線を空に移す。鮮やかな突き抜けるような青が広がっていた。大地の緑に天空の青。これらだけ見ると、現実の世界と見分けが付かないな。
そろそろお腹空かない?隣から声がした。振り返るとソフィアが自分の腹を擦って、苦笑いしていた。
「すみません、食堂でもないのに」ソフィアが鶏肉らしきものに齧り付きながら、この家の家主にあやまっている。
「気にするな。この村に食堂なんて、そんなもんねぇからよ」ドスドスと足音を響かせながら、家主は火の通った肉を運んで来た。「あんたら公職の人等だろ?謝礼さえ弾んでくれりゃあ、いくらでもご馳走するぜ」
通りがかった村に寄っていた。ソフィアが、腹が減ったと言って馭者に停めさせたのだ。降りる時に馭者を観察しようと思っていたのだが、ソフィアに腕を引っ張られ、あれよあれよと連れられてしまった。
村はそれほど栄えているようには見えず、大きさの揃っていない石畳の上にぽつりぽつりと木製の民家が建ち並んでいるだけだった。看板のようなものは何処にも無く、村民が助け合いながら暮らしている様が窺えた。ソフィアはそんな家々の群れに飛び込むと、こっちからいい匂いがする、と一軒の敷居を勝手に跨いだのだった。
「レイも食べなよ。君が食べてくれないと経費で落とせないから」等と脅してくるので、骨付きの腿肉を手に取った。そして改めて店内、もとい民家の中を観察した。
ここはダイニングのようだ。木目の目立つ板張りに、同系色のテーブルが1つと2つの椅子が置かれている。窓はあるものの光が十分に取り込めていないのか、天井から吊るされたランプには火が灯っていた。玄関の他に扉は2つあり、その片方の奥からじゅうじゅうと肉の焼ける音がしている。
基本的には質素な家という印象で特筆すべきこともないようだが、異様な点が1つあった。家全体、家具も含めた全てが、自分が知っている家よりも一回りほど大きいのだ。ここの家主のサイズに合わせてあるのだろう。次々に肉を持ってくる家主は屋内であることもあってか、随分大きく見えた。さっきまで一緒にいたゼップと同じくらい。フランケンシュタイン似のゼップ同様彫りが深いが、彼よりも面長だ。
「彼、ゼップに似てるね」前の椅子に座っている、いや膝立ちになっているソフィアに小声で話しかけた。
「ゼップ?ああ、ゼッポレ?まあトロールってみんな似てるもんね」
「トロール!?」思いがけない返答に声が大きくなった。
「あん?どうした、お嬢さん」トロール家主が奥の部屋から顔を出してきたので「いえ、何でもないです」と誤魔化す。
「うん。…え、トロールも覚えてないの?」
「トロールって何か聞いたことあるけど、こんな感じなの?」
トロールと言えば、巨体に棍棒、野蛮で知能が低く、大変凶暴なモンスターというイメージだ。なのにさっき会ったゼップもここの家主も、体躯こそ巨大だが話も通じているし、文化的な生活を送っている。
「なに?こんな感じって。レイちゃんさ、そういうの偏見だよ。あ、差別主義者なの?」
「いや、そういうわけじゃ…。でも偏見はあったな。申し訳ない」
するとソフィアは嬉しそうに笑う。「私に謝っても仕方ないんだけど。でも、素直でよろしい!レイは良い子なんだな」
邪気もなくそんなことを言われると反応に困る。
「あ…ありがと」視線を逸らす。顔が熱い。
「何?照れてんの?褒められるの苦手かー?」ソフィアがにやにやしながら顔を覗き込んでくるので慌てて目が逃げる。逃げた先に家主の大きな靴が見えた。踵の内側に湿った落ち葉がくっついている。
「人の家でいちゃつくのは止めてくれねーかな」家主が追加の肉をどん、とテーブルに置いた。
「いやー、食ったね。美味かった美味かった」民家を出ると、ソフィアが腹をぽんぽん叩いていた。
「ほんとだね。ところであれ何の肉だったの」気になっていた事を恐る恐る口にした。普通の人かと思ったらトロールだったのだ。普通の鶏肉だと思ったらとんでもない物かもしれない。
「へ?何って─」
「刑事、お疲れ様です!」
突然隣から声がして、飛び上がる程驚いた。見ると全身黒の制服を纏った青年が敬礼していた。制服は金色の刺繍が一本、左胸の方から縦に入っていてスタイリッシュだ。
「あー、ここの担当の方ですか。お疲れ様です!」ソフィアも同じように敬礼を返した。
「警察国の人?」
「そうだよ。レイクダイモンのお巡りさん」
「は!警察国レイクダイモン所属、コリンソス領アブア村駐屯署のドリス・カッペリーナ巡査であります!」
「おおー」よく噛まずに言えるものだ。
「レイクダイモン国第二刑事課巡査部長のソフィア・ストレングスです!」
ソフィアの自己紹介の後、ドリスがこちらをじっと見た。
「…ああ。えと…怜です。どうぞよろしくー…」
「ソフィア刑事。こちらは…囚人ですか」あ、そういえば囚人服だったな、これ。
「ああ、そうじゃないんですよ。一応重要参考人ってことで護送中です」
「…!これは、重要な任務中に申し訳ありません!」ドリスはぺこりと謝罪した。
「いや、いいんです。大した仕事じゃないですから」大した仕事じゃないとはどういう意味だ。ソフィアを睨むが何事もないように話を続けられた。「それで、どうかされたんですか」
「は!…あ、いえ。つい先程、事件というか、事故がありまして。現場検証のために本国に連絡を取ったところでしたので、もしかしたら応援の方かと思ったのですが」
「事故、ですか」
「は!村民が森に足を踏み入れて、亡くなっているのが発見されました」
「え、それ事故なんですか?」
「現場の状況から…そう判断致しました」ドリスは自信なさ気な声になった。
ソフィアはうーんと少しだけ首を捻る。「現場、一応見せてください」
森は村の外れにあった。というより、森に隣接するように村があった。何か危険でもあるのか、森と村との境界には柵が設けられていて、出入り口として簡易な扉が1つ備えられている。その扉から入り、少し行った泥濘みに人が仰向けに倒れていた。現場から村の方を見ると、木々の隙間から微かに柵が見えた。
「うわちゃー。酷いねこれは」ソフィアは泥濘みに足を踏み入れると屈んで遺体を確認した。後に続いてドリスと俺も侵入する。「1時間ほど前、山菜取りに来ていた老夫婦が見つけました」
泥濘みは踏み荒らした様に凸凹していた。だが人の足にしては大き過ぎる。人のものでないならモンスターとかか。この夢ならあり得る。
「顔が分からなかったので、そこからは被害者の特定は出来ませんでした。ただ村民の話だと、村長が見当たらないとの事でしたので、恐らく─」
顔が分からないってどういう事か。気になって覗き込もうとしたが「あー、レイは見ない方がいいよ。さっき食べたのが出て来るかも」とソフィアに遮られた。
「顔がどうかしたのか?」
「あー…うん、溶けてる」
「…顔が溶けるって何?」その質問にソフィアは答えない。「これはコカトリスですか」
「恐らくそうです。この辺りの魔獣はコカトリスしかいませんし」
「コカトリスって?」
「さっきレイも食べたでしょ、コカトリス」
え。
「状況から考えて、この森でコカトリスに襲われたのでしょう」
ちょっと待って。さっき食べたのって。
「そうですね。この顔の毒傷。ドリスの言う通り事故っぽいですね」
「…コカトリスって何?食べれるの?」
屈んでいた二人が同時にこちらを見上げた。
「コカトリスが何とは…。まぁ毒はありますが、適切に処理すれば食べれますよ」とドリス。
「今更何言ってんの?さっき美味しいって言ってたじゃん」とはソフィア。
「言ったけど…。て言うか毒!?処理って河豚みたくってこと?」
「フグ?何それ美味しいの?」
「確か毒腺を取るんでしたか。詳しくはないので何とも言えませんが、コカトリスの毒は少量でも服用すれば即死ですので、現在問題ないのであれば大丈夫だと思います」
「即死!?」
「大丈夫だって。さっきのおじさんちゃんと処理してるよ。あそこってお肉屋さんでしょ。心配ないって」
まぁ、もう食べてしまったのだし、信用するしかないのだが。
「先程お二人が出てこられた家ですか?であればそうですね。あそこはこの村で唯一食肉処理を営んでいるフラウゴの家です」
「あのおじさん、フラウゴって言うんだ」
「はい。コカトリスを処理出来るのも、この村ではフラウゴだけです」
「へー。あのおじさん凄いんですね」
「はい。フラウゴには感謝しているのです」
「感謝、ですか」
ドリスは立ち上がると感慨深げに辺りを見渡した。
「この森はコカトリスが多く棲息していまして、昔から被害が絶えませんでした。コカトリスは捕まえたところで適切に処理しなければ食料にもできませんし、貧しい村では仕事を放って対策を行う余力も無く、困っていたんです。しかし彼がここへ来てくれて変わったんです。彼が毒を処理してくれるお陰で、コカトリスの肉を街に卸すことが出来るようになりました」そしてこちらを振り返り「ですから安心して下さると幸いです」と笑顔を見せた。そこには自身の村への誇りと、それを踏みにじることは赦さない、という警告とが入り混じって見えた。
「…分かりました。信用します」としか返しようがない。
「この村長さんの死亡推定時刻は分かりますか」話題を変えるようにソフィアが質問した。
「そうですね…10時間程だと思います」
「私の方もそんな感じですね。だから早朝頃かな」
「お巡りさんって検死とかも出来るんだ?」てっきり鑑識とかがするものと思っていた。
「検死?」
「ほら今、死亡推定時刻がどうって言ってたじゃないか」
「それくらい出来るでしょ。これ使えば」そう言ってソフィアは空を差すように指を立てた。その先を見上げる。空しかない。
「どこ見てんの?これだよこれ」言われて視線を落とすが、その指先には何も見えなかった。「これって何?何もないけど」
「え!」ソフィアが目を見開いて固まった。「レイ、見えないの?使い魔。エルフなのに?」
使い魔?
「ストレングス刑事、こちらの方はエルフなのですか」
「へ?……あ。…気にしないで下さい。違う違う。そういうんじゃないから」ソフィアはばたばたと慌てふためいた。
何が違うのか。俺がエルフということは隠しておきたかったのだろうか。だがもう口にしてしまった以上、無かったことには出来ない。
「…はぁ。分かりました」え、分かったのかドリス。
「…こほん。えーっと…使い魔っていうのはね」あ、無かったことにしたぞ。「初級魔法の1つなんだけど、術者のサポートをしてくれるものかな。今回みたいな簡単な分析とか、他の使い魔を通じて意思交換とか。魔法初心者から使えるとても便利な魔法。何だけど…見えないの?」
首をぶんぶん横に振る。「見えない見えない」
「魔法が使えない方には見る事は難しいものです。使い魔は術者の魂に由来するエネルギー体ですので。レイさんはそういう理由で見えないのではないでしょうか。…しかし、エル…いえ、何でもありません」ソフィアの視線を感じたのか、ドリスは押し黙った。
「魔法が使えないと見えないのか」なら見えるはずもない。生まれて此の方魔法など使えた例はなかった。まぁ…幼い時分には使ってみようと試みた事はあったが。「その、使い魔でどうして死亡推定時刻が分かるんだい?」
「えっとね、魔力の残存量を見るんだよ。魔力っていうのはヒトも含めた全ての生物が元来持ち合わせているものなんだけれど、死亡すると魔力は徐々に漏れていくんだよ。漏れた魔力はやがて拡散しちゃうんだけど、しばらくの間はその場に留まるの。だからその遺体に残った魔力量と漏れた魔力量から、どれだけの魔力が漏れたかっていう割合を出してだね」
「なるほど、そこから逆算するわけだ」ソフィアの説明が長ったらしく、思わず先回りしてしまった。
「そうだよ。そうだけど…最後まで聞いてよ」ソフィアが膨れ面で睨んできた。
「まぁ、このような使い方をするのは警察だけでしょうけど」
「警察の方はみんな使えるんですか、魔法」
「そりゃあね。初級魔法クリア出来ないと成れない職種だからね」ソフィアが上から目線でやり返してきた。が「へー凄いんだ」と受け流す。「じゃあ、致命傷とかも分かるんですか」
「ちょっと!もうちょっと反応の仕方とかないの!?」ソフィアがわあわあと異議を唱えてくる。それを眺めながら、性格のモデルはユッコだな、と確信する。夢の住人を知人の中からピックアップしたのだろう。
「致命傷は、これですね。左肩から胸部にまで達している傷。恐らく顔面に毒をかけられ、怯んだところをやられたのでしょう」
左肩から胸部までの傷だって?
「ちょっと、見せてもらっていいですか」そう言って二人を押し退けた。「ちょっとちょっと!」とソフィアが抗議を続けたが、気に留めなかった。
村長と思われる遺体が目の前に露わになった。
遺体は仰向け。ドリスの言う通り、左肩から胸部にかけての深い傷があり、ズボンまで血で赤黒く染まっている。そして顔はどろどろに焼け爛れていた。顔の皮膚、筋肉は形を崩し、骨が少し見えている。おどろおどろしい光景に吐き気を催すかと思ったが、そうはならない。作り物じみていて、実感が沸かないからだろうか。
ソフィアが心配そうに横から様子を窺ってきたが、構わず屈み込み遺体に顔を近付けた。
両掌は綺麗なもので、目立った傷はない。衣服は少し崩れているが血痕以外の汚れも少ない。暴れたわけでもないようだ。反撃する間もなく絶命したらしい。ズボンに目をやると膝頭の辺りに血が付いていた。その血には幾らか砂粒が混じっている。そのまま足先まで視点を動かす。革靴。裏には泥はあまり付いていない。
「どうかされましたか?」怪訝そうにドリスが後ろから声をかけてきた。それには応えずに「村長は身長どれくらいですか」と聞きながら遺体の頭の方へ移動する。首回りを確認するが泥は付いていない。頭頂部は髪が薄く、そこに泥が付いている。
「5から6フィートくらいでしょうか」訝しりながらもドリスが教えてくれる。フィート。フィートって何センチだっけ。「それは目測ですか」
「え」
「その使い魔では長さを測ることは出来ませんか」
「あ…えっと、ちょっとお待ち下さい。……5フィート7インチです」
「靴のサイズは?」
「靴、は……11インチですね」
「ねぇ、それがどうしたの?」ソフィアが堪らず、という調子で訊いてきた。
「ではここの泥濘みの凹みはいくつですか」
「ここは……20インチですね」
「ありがとうございます。この村にコカトリスについて詳しい方は居ますか?」
「それなら、第一発見者の老夫婦が詳しいです」
「ちょっとレイ!何してるの?」ソフィアが苛つきを隠そうともせずに声を荒げた。だから、まだ確証はないままに答えた。
「これは事故じゃない。事件の可能性がある」
「事件てどういうこと?殺人てことなの?」森から離れてもソフィアはしつこく詳細を聞こうとする。
ドリスの案内で老夫婦の家の前まで来ていた。家というか小屋のようだ。ドリスがノックと共に声をかけると、中からはーい、とくぐもった返事があった。
「まだ確定したわけじゃないから、詳しいことは言えないよ」
「何でよ!はぐらかさなくったっていいじゃない!」ソフィアはぎゃーぎゃーと喚いた。俺はドリスを見る。不確定な状態で不用意に犯人がいるだなどと言うべきではない。そんなことを口にすれば、ドリスは訊ねてくるだろう。そうなる前に必要な情報は集めておかなくては。
やがて目の前の扉が開いた。「はいはい。ドリス?どうかされたの?」中からは上品な老婆が現れた。いや、服装はお世辞にも上品とは言えず、継ぎ接ぎが目立つよれよれの布だったのだが、その物腰は丁寧なものだった。その上品な老婆は俺の姿を認めると目を大きく見開いた。目玉が溢れるのではと怖気が─いや、心配になるほどだった。
「あんれまぁ!これは驚きました!あなた、エルフ様じゃあないかしら?」
「婆さん、この方は本当にエルフ様なのか」今度は目の前で老翁が、目の玉を落とそうとしていた。
老婆に誘われて家の中へ上げてもらい、茶まで出して貰った。家の中は外見から想像した通り、小屋のようだった。くすんだ板張りの上に質素なテーブルと椅子がちょこんと置かれている。椅子は4つしか無く、老夫婦とソフィア、俺が座った。ドリスに勧めたのだが、いいえ、どうぞレディが、と断られた。大変複雑である。
「エルフを知っているんですか!」ソフィアがぐいぐいと身を乗り出す。
「ええ、勿論です。この辺りは昔アルフヘイムの外れに位置していましたから。私も幼い頃に何度かお見かけすることがありました」老婆はゆったりと静かに言葉を紡いた。
確かエルフの国が滅んだのは100年前ではなかったか。このお婆さん、何歳なんだ。そう思いながら老夫婦を見比べる。夫の方が年老いて見える。ということは老翁の方が年上。しかし、さっきの物言いだとエルフを見たことがないようだったが。
老婆は俺の顔を見てにっこり微笑むと「私、エルフの血が少し入っているんです」と、まるでこちらの考えを読んだように言った。
「エルフの血が!?」ソフィアが仰け反った。
「ええ、私の母方が昔、アルフヘイム家の方に仕えてたそうで、曾祖母が見初められたらしいの」老婆は微笑みをソフィアの方に向けた。
「え、じゃあ今お幾つなんですか!?」
「ええと、今年で137になったのかしら」
「137歳!?」ソフィアは反応がいちいちオーバーだな。
「この辺りにアルフヘイムが?」俺は興味本位で口を開いた。
「ええ。…エルフ様なのにご存知ないのですか?」
「あ、えっとぉ…」
「すみません!レイさんは今、ちょっと…記憶喪失で…」
「あら!そうでいらしたの!これはとんだ失礼を!」老婆は老人らしくない機敏さで椅子を引くと深々と頭を垂れた。老翁も隣で同じ体勢を取った。
「あ!いえいえ、そんな!」俺は慌てて立ち上がった。「どうかお顔を上げてください」若干17歳のただの高校生の身で、人生の大先輩に頭を下げさせるなんて、おこがましいにも程がある。
「こちらに伺わせて頂いたのは別の要件がありまして」ドリスが助け舟を出してくれた。だから、ばたばたとその舟に乗り込むことにした。
「そうです!教えて頂きたいことがありまして。だからどうかお顔を」
「分かりました。何でしょうか」
「あの、お二人がコカトリスにお詳しいと聞いたもので、よければ教えて頂きたいなと」漸く本題に入れる。ドリス、グッジョブ。
「コカトリスですか。…ああ、先程私共が見つけた村長の件でしょうか」
「そうです。村長がコカトリスに襲われたという話なのですが、コカトリスは人を襲うものなのですか?」
「そんなことを…。あ、いえ、記憶喪失を患われているのでしたね。そうです。コカトリスは人をしばしば襲います」
「それは、どのように」
「時と場合にもよるとは思いますが、一番多いのは毒だと思います」
「毒、ですか」あの顔を思い出す。焼け爛れたように溶けた顔。「毒を吐きつけるとか?」
「そうです。毒が付着した箇所は溶け、その傷口から毒が入り、全身に回ると言われています」
「傷口から毒が入るということは、出血を伴うということですか」
「はい。体内に入ってしまうと、薬等を用いなければ数分もかからずに死亡します。そして皮膚には紫色の斑点が全身に現れます」
皮膚に紫色の斑点。「薬があるのですか」
すると老婆は微笑んだ。「私共の仕事はそれですから。コカトリスが棲息する一帯は、水場や土壌などが毒で汚染されて、基本的に他の生物は生存出来なくなります。しかし、コカトリスの毒に耐性のある植物は自生します。コカトリスは草食なのでそういう植物があるところでしか生きられない、という側面があるのです。あの森には毒に耐性のある植物がある。私共はその植物から薬を作ることを生業としているのです」
ふむふむ。「では、コカトリスが人を襲うのは捕食のためではないのですか」
「そうですね。彼らが人を襲うのはあくまで縄張りを守るためです」
「ちなみに、コカトリスは、最大でどれほどの大きさになりますか」
「せいぜいこれくらいだと思います」そう言って老婆は自らの両手を小さく動かした。予想していた通りの大きさだ。
「分かりました。ありがとうございます」俺は頭を下げた。
「ああ…!そんな、このくらいのことで頭をお下げになられるなど」
「いえ、大変参考になりました」俺はにっこりと笑顔を返した。
ありがとうございました、と老夫婦の家を後にする。
「さっきので何が分かったの」ソフィアの苛立ちは治まらない。
「コカトリスの生態がよく分かったじゃないか」
「だから、それがなんだって言うのよ」
「事故じゃないってはっきりしたろう」
「え、どこら辺が?」
「ドリスさん、この村で村長より背の高い方は何人ほどいますか」俺はソフィアを放置した。
「4、5名でしょうか」ドリスはソフィアの不平不満をBGMにしながら答えてくれる。
「では、その中で大きめの刃物を持っている方は」
「刃物、ですか。この村でまともな刃物を持っているのはフラウゴだけ…」そこでドリスは固まった。「…まさか!レイさん、あなた!」
「へ?ドリス、どうされたんですか」ソフィアはまだ状況が飲み込めていないようだ。
「あなた…フラウゴが犯人だと仰っしゃりたいのですか!」
「あんた達、警察だったのか」自宅で作業中だったフラウゴは、苦虫を噛み潰したような表情で出迎えてくれた。巨体に、血が大量についたエプロンと革手袋という出で立ちで、大変肝が冷やされる。
「フラウゴ!あなたもしかして、村長を…!」ドリスが血相を変えて詰め寄った。するとフラウゴの顔からさっと血の気が引いた。
「な!…何言ってんだ!俺が村長をどうしたって!?」
あーもう、順序がぐちゃぐちゃだ。「あのー、家の中を見させて頂けないでしょうか」とりあえず下手に出てみる。
「あん!?一体何の権限があって、んなこと口にしてんだ!」はあ。そりゃそうだよね。
するとソフィアが毅然とした態度で一歩前に踏み出した。「レイクダイモンの捜査権限です!家の中を拝見させて頂きます!」
屋内に踏み込むと、先程見た部屋の光景のままだった。俺は迷わず奥の部屋へと突き進んだ。
「おい!お前!勝手に人の仕事場に踏み入ってんじゃねぇぞ!」フラウゴのドスの利いた声が背中を叩いてきたが、気に留めない。
奥の部屋、先程はじゅうじゅうと美味しそうな音を奏でていた部屋に入る。料理店の厨房さながらだった。素早く視線を走らせる。フラウゴの体を考えると、部屋はそれほど広くない。横長で壁には金属製の作業台が備わっていた。その上に赤、紫、緑、黃と毒々しくカラフルな雄鶏が置いてあった。コカトリスだ。その奥、目の前の壁には木製の壁掛けがあり、あらゆる種類の刃物が掛けられている。左手はすぐ壁になっており、皮の剥がされた鶏肉が幾つも吊るされている。隣の部屋とは違い床は石畳だ。水で濡れている。右手奥に裏口の扉が見え、床はそちらに向かって勾配を作っているらしい。その裏口の手前に大釜が置いてあった。その前の壁には四角い換気口。反対側の壁には大きな革袋が2つ吊るされており、片方は血が染み込んで変色している。
俺は目の前の作業台に近付いて背伸びをする。作業台の表面がどうにか見えた。表面は毒の影響か、凹凸が目立つ。今度はその下に屈み込み石畳を念入りに観察する。そして床の中央に点々とした変色箇所を見つけた。ボーリングの玉1つ分くらいの空白の外側に、アーチ状に広がっている。
「てめぇ!聞いてんのかよ、あ!」背後から声がして振り返ると、フラウゴが立っていた。こちらが屈んている分、より一層巨体に見える。
「フラウゴ、待ちなさい!私の質問に答えなさい!」ドリスの刺々した声が響いた。俺は立ち上がり、見上げた。
「フラウゴさん、ここで殺しましたね」
「てめぇ、ふざけんじゃねぇぞ!」近藤さんも昨日同じ言葉を口走っていたが、迫力が違うな。
「ふざけてないです。至って真面目です」
「ちょっとレイ、大丈夫!?」フラウゴの向こう側からソフィアが言った。フラウゴの巨体が邪魔でこちらに来れないようだ。
「村長は、あれは事故だろうが!」
「その話はどこで聞かれたんですか」
「どこって、村中で噂になってるさ!森でコカトリスに殺られたってな!」
「それは変ですね。村長さんは森に行っていないのに」
「はあ!森で死んでんだろうが!森に行かないでどうやって森で死ぬんだよ!」
「村長さん自身は森に行ってないんです。死後、誰かに運ばれたんです」
「何で、そんなことが…!」
「遺体の靴です。村長さんは泥濘みに倒れていました。なのに靴の裏には泥は一切付いていなかった。彼が自分の足であそこに向かったのなら、そんなことはあり得ない」
フラウゴは口をつぐんだ。そんな点、気にも留めていなかったようだ。狼狽し、閉口している。これは皆まで言う必要はなさそうだな。
「あれは明らかに他殺だ。コカトリスに殺られたのなら、最初の一撃は毒でしょう。それくらいはあなたも知っている。だから顔にコカトリスの毒をかけた。ただコカトリスの毒を受けると全身に紫色の斑点が出るんです。これは恐らく内出血。顔を溶かす程の毒が血中に入れば、行く先々で血管を溶かすでしょうから。しかし村長の遺体にはそれがなかった。それは死後、心臓が動いていない状況で毒をかけられたから。つまり、犯人はコカトリスではないんです」
「だからって、俺が犯人ってことにはなんねぇだろうが!」
「ドリスによると死因は左肩から胸部にかけての深い傷。当たり前ですが、これはコカトリスによるものではない。そこに吊ってあるようにコカトリスの大きさはせいぜい0.5メートル…いや、あの程度。体重もそれに見合ったものでしょう。そのサイズの生物にあの傷は作れない」一瞬メートルを使ってしまった。この夢ではインチらしいから伝わらないだろう。
「では誰なら作れるのか。それは村長よりも身長が大きく、力の強いもの。この村でまともな刃物を所有しているのはあなただけだそうですね、フラウゴさん」
フラウゴはぐうの音も出ないといった様子だった。
「フラウゴ、どうしてこんな!」信じられない、と巨体の影からドリスの悲痛な声がする。
フラウゴは大きな体を縮めて意気消沈していた。これ以上の追求は不要だな。フラウゴの横から呻き声を上げながらソフィアが顔を出し、フラウゴを見上げた。
「殺人の容疑で逮捕します、フラウゴ」
フラウゴと少し二人きりにしてもらえますか。ドリスがそう申し出てきた時には不思議にも思わなかった。
フラウゴとドリスを屋内に置いて、俺とソフィアは表へ出た。
「まさかあのお肉屋さんがなー」
「フラウゴに手錠かけてたけど、あんなので良いの?」
ソフィアはフラウゴに手錠をかけた。金属製のそれは、しかしフラウゴの体躯を鑑みると軟弱で心許ないものに見えた。
「あれ、物質強化魔法がかかってるんだ。トロールは見た目通り怪力だからね、ただの手錠じゃ足りないよ」
暫く二人で快晴を眺める。そういえば一昨日は台風で、昨日はこんな感じの空だったな。
「最近嵐とかあった?」何とはなしにソフィアに訊ねる。
「嵐?ここ暫く雨降ってないよ。何で?」
「…いや、聞いてみただけ」現実世界の天気は採用されてないのか。
二人で他愛ない天気の話をしていると、やがてフラウゴが現れた。
「では連行します。フラウゴ─フラウゴ…何でしたっけ」
「フラウゴ・ディエ・グロンドール」フラウゴはぼそぼそと名前を口にした。
「そうそう!フラウゴ・ゴディンドール!」
「ソフィア、最初しか合ってない」
「あ、そういえばドリスは?」ソフィアは俺の言葉に耳を貸さない。
「さっき一人で駐在署に戻ってったよ」そう答えるフラウゴはどこか落ち着きがなかった。
「そう。じゃあ行こっか」
ソフィアはフラウゴの手錠に繋がった鎖を持つと歩みを進めた。しかし引っ張る必要もなくフラウゴはついてきた。
「ドリス、大丈夫かな」俺は隣のソフィアに話しかけた。ドリスはフラウゴを信頼していた。それがこんな結末となった。この村はフラウゴのお陰でコカトリスを街へ出荷出来ていたのに。
「大丈夫でしょ。この村を守るお巡りさんなんだから」
「そういえば、レイク…えっと警察国の人なのに他国の村に愛着があるんだね。お巡りさんは皆あんな感じなのかい」
「まぁ、別の国って感覚が薄いのかな。イグドレイシア一帯で一つの国って感じだし」
「ああ、そうだった。7つの国が協力しているんだったな。じゃあ国籍を変えるのも簡単なのかい」
「そうだね。ただ警察官とか医者とか、公職に就こうと思ったらその国に所属してないと」
なるほど。だからドリスは警察国の人間なのか。どれだけ村に愛着があったとしても、お巡りさんでいるためには国籍は変えられない。
そうこうしているうちに馬車が見えてきた。馭者が馬の上で寛いで…いや、違う。あれは、まさか─。
「─え、ケンタウロス!?」馭者は上半身しかなかった。白いシャツの上から薄茶色いジャケットを羽織り、首元には赤いスカーフを結んでいた。肌は白く栗色の髪を撫で付けて、チェックのハンチングを被っている。だが下半身は馬の首から下だった。濃い茶色の美しい毛並みをしていた。
「レイ、今更何言ってんのさ」
「おう、おかえんなさい、お客さん」ケンタウロス馭者はハンチングを取り、気怠そうにお辞儀した。そしてフラウゴの姿を認めると顔をしかめた。
「トロールって…。そんなん乗りませんよ。てか乗せないでください」
「ちょっと!客を色好みする気?」
馭者は舌打ちすると「そんなの乗ったら動けないっての。無茶言わんで下さい」
「えー!…困ったなぁ。応援呼ぶしかないか」“応援”という言葉で思い出す。
「応援って、ドリス呼んでなかった?」
「呼んでたっけ」
「最初に言ってたじゃん。結構時間経ってる気がするけど」
「…なぁ。俺…犯人じゃねぇよ」フラウゴが突然告白してきた。「へ?!」とソフィアと二人で声を揃えてしまう。
「見たんだ。朝、仕事場に行ったときに、俺の包丁がふわふわ浮いて、外から戻ってきやがったんだ。血がべっとり付いててさ…。わけ分かんないし、見間違いか何かかと思ってたら、あんたらが来るし…。なあ、信じてくれよ!」
反論しようと思ったら、ソフィアが先に口を開いた。
「戻ってきたってどういうふうに?」
「…ひとりでに、壁掛けに収まったんだ」
ソフィアは溜め息をついた。「それはない。あなたは今、浮遊魔法の可能性のことを言ってるんだろうけど、浮遊魔法は基本的に術者の目の前の物にしか使用出来ません。あなたの言い分だと術者は近くにいない。投げつけるとかなら分かるけど、ふわふわとひとりでに戻ったならそれはあり得ません」
俺は少し引っ掛かりを覚えた。
「なっ─!嘘じゃねえって!本当に、包丁がひとりでに」
「ソフィア、それじゃ無理なの?」そう言いながらソフィアの肩上くらいの宙を指差した。
「…それって?」
「使い魔だよ。それって物を運んだり出来ないの?」
「2、3ポンドくらいなら…え、使い魔で運んだって言うの!?」
今度はポンドか。「使い魔って魔法が使えないと見えないんだろ?それで包丁が運べるんだとしたら」
「…確かに、使い魔になら簡単な作業とかは頼めるけど…。え、じゃあ犯人は─」
「ドリスに話を聞かないとね」これは思わぬ方向に話が転がり始めたぞ。
「…ドリス?何でドリス?」
「この村で魔法が使える人が誰なのか、聞く必要があるじゃないか」
それに、今のところ魔法が使えると判明しているのは、ドリスだけだし。
ドリスは村の駐在署にいるとのことだった。コカトリスの森を北とすると駐在署は西の外れの方。道中フラウゴの表情は幾分か明るかった。
駐在署は他の民家とは違い、白く四角い大きなコンクリート建築だった。村には全く溶け込んでいない。大きな口を開けたような入口の上にはレイクダイモンと書いてあった。見たこともない文字だったが何故か読める。夢だからか?
「ドリス!聞きたいことがあるんだけど!」ソフィアの声は洞窟の中のようにこだました。しかし反応はない。「…ドリス?」ソフィアは一歩足を踏み入れた。すると、うっ、と言って鼻をつまんだ。
どうかしたのかと訪ねようとしたが、自分の鼻もすぐに体験した。
信じられない程の刺激臭が駐在署の中から立ちこめていた。物が腐っている臭いだ。
「ドリス!ちゃんと掃除してるの?すごく臭いんだけど!」鼻をつまんだままのソフィアが、ぶうぶう文句を口にし歩みを進めた。俺とフラウゴも後に続く。
中に入るとすぐ目の前に壁のようなカウンターがあった。交番には行ったことはないが、ドラマとかでよく見るようなそれにそっくりだ。サイズ感はおかしいが。窓はあるが屋内は薄暗く、天井に吊るされたランプも灯っていない。カウンターの向こうには簡易な机や書類を納めた棚やらが置いてある。カウンターの向かって左側は動線になっているのか、大きくスペースが取られていた。フラウゴでも容易に通れそうだ。
ソフィアはそこから奥に進んだ。奥にある木製の扉も普通の物より一回り程大きい。
「なんか、全体的に空間が大きいね」鼻をつまみながらソフィアに声をかけると、「トロールの警察官もいるからね」と鼻が詰まったような声で答えてくれた。
ソフィアが木製の扉を押した。「ねぇ、ドリ─」扉の向こうを見た彼女は硬直した。
「…ソフィア?」彼女の肩越しに部屋を覗くと、硬直の理由が分かった。
休憩室なのか、その部屋は簡単な調理台と大きな寝台、そして机と椅子が置いてあった。その、椅子の上にドリスがこちらを向いて座っていた。彼の周りには蝿が飛んでいた。
その場にいた全員が絶句した。どれくらいそうしていたろう。暫くしてソフィアがドリスの遺体に近付いて確認した。
「…嘘…死後、2、3日って…」
「2、3日?でもさっきまで…」さっきまで一緒に居たのは…誰だったんだ。俺とソフィアが愕然としている中、フラウゴが急に口を開いた。
「ほら!さっきの奴が犯人なんだ!俺じゃねぇんだ!あんたら、間違えたんだよ!まんまと犯人取り逃がしてよ!」大男の高笑いが響き渡る。
「そんな…さっきのドリスが犯人だったの…!?」
「…違う。それは違うよ、ソフィア」
縋るようにソフィアがこちらを見た。高笑いも止んだ。
「何が違うんだよ!こいつ数日前に死んでんだろ!だったらさっきまでいた偽物が犯人だろうが!」
「俺が言ってるのは、村長殺しの方だよ」俺は諭すように静かに言った。
「…だからさっきも言っただろう!包丁が一人で浮いて帰ってきたって!魔法が使えりゃ出来るって言ったのはお前だろうが!だったらさっきまでいた偽物が─」
「いや、どう考えても村長を殺したのはあなただ、フラウゴさん」
「お前…自分の考えが間違ってたことを認めたくないだけじゃないのか!」
仕方ない。ふぅ、と俺は溜め息を吐いた。
「フラウゴさん、では全部一からつまびらかにさせて頂きます。まず先程も言いましたが、村長は自分であの森には行っていない。靴の裏がその証拠」
「それもどうせ、魔法で浮かせてったんだろ!」
「次にあの場に運ばれた方法ですが、あなたの仕事場にあったあの革袋ですね?」フラウゴの表情にひびが入った。
「あそこにあった革袋、二つのうち一つは裏返ってべっとり付いた血が見えていた。村長の血を早く乾かしたかったのでしょう」
「…ち、ちが─」
「あと、村長が殺されたのはあの森ではありません。遺体の膝には砂粒の混じった血が染み込んでいた。泥濘んだ森ではあり得ない。あれはあなたの仕事場ですね?肩への一撃を受けた村長は、飛び散った血の上に膝をついた。その証拠です」
「…あ……な」
「コカトリスの毒を顔へかけたのもあの仕事場。あの床に寝かして上からかけたんだ。寝かした上からかけたことは遺体の襟に、顔を溶かした毒が垂れた跡がなかったことから。あの床に寝かしていたことは、床に残ったアーチ状の染みから分かります。村長の頭の周りにコカトリスの毒が飛び散った跡だ。それから見に行った時、あの床は濡れていた。水を流して証拠隠滅を図ったようですが、あんな風通しの悪い所では床がすぐ乾かなかったのでしょうね」
もうフラウゴは口をぱくぱくさせるだけだった。
「あとはあの革袋とあなたの靴ですね。あなたのその靴、踵の内側に落ち葉が付いてます。最近雨は降ってないそうなので、その落ち葉が付くとしたらあの森でしょう。濡れていない落ち葉は靴には付かない。それと同じようにあの革袋の表には泥がこびり付いているんじゃないですか?村長を頭から泥濘みに出すときに擦り付けた泥が」
フラウゴが膝から崩れ落ち、地響きがした。ここまで言えば再起不能だろう。ソフィアを見ると、彼女も呆然としていた。
「─あ、ありがとう、レイ」
「このくらいのことなら」あの、世界で唯一の顧問探偵ならもっと上手くやるんだろうが。
「にしてもドリスは…一体どうなってるの?これもフラウゴ?」
「これは違うんじゃないか。フラウゴに偽物は用意出来ないだろうから」
「…違う…違う違う違う!俺は悪くない!俺じゃない!違う違う!!」突然フラウゴが喚き始めた。
「─レイ!!」体に衝撃がある。部屋の奥に向かってソフィアに体を押されたようだ。「…ソフィア?」確認しようと視線を動かすと、今俺がいた場所を巨大な腕がもの凄い速度で通り過ぎた。凄まじい崩壊音と共に右側にあった調理台が吹き飛び、壁に大きな穴が空いた。ソフィアはいなくなっていた。
「ソフィア?ソフィア!?」どこに行ったんだ?壁に空いた開口から外の明かりが入ってきて、室内が明るくなった。
「俺じゃない!俺はわるくない!おれは!おれ、お、おレハチガウ!」フラウゴは口角に泡を作りながら唾を飛ばしてきた。目が血走って焦点が合っていない。
何だ?何が起きて…?知らず後退りしていた俺は、足を絡ませて尻餅をついた。
「おまエが!オマえのせイデ!!」フラウゴの両手を繋げていた手錠がはじけ飛んだ。あれ、魔法で強化してるとか言ってなかったか。フラウゴが雄叫びを上げた。そして尋常ではない速度で掴みかかってきた。
あ、死んだ。冷静にそう思った。夢だから実感もないのか。ここで死んだら目が覚めるのか。それなら良いのだが。それでも目を瞑ってしまった。目前に迫る死を直視出来なかった。
…何も起きない。もう死んだのか?その時、声が聞こえた。
「─おじさん、警察舐めたら駄目だよ」
恐る恐る目を開く。すると目の前に、ソフィアがいた。彼女の体は光で燃えて揺らめいていた。炎ではない。光だ。その彼女がフラウゴの巨大な両手を、自らの両手で押し返していた。彼女の足下の床が割れて沈む。
「ふんぬおお!!」ソフィアは肘を曲げながら一歩前に踏み出した。足下がまた割れる。そして直後両腕を、縮めたばねを戻すのように伸ばした。するとフラウゴの巨体が消え、ソフィア越しに何かが崩れる音が響いた。フラウゴの呻き声がし、すぐに雄叫びに変わる。
『正義を我に、光を我が拳に!』ソフィアが大声を上げるとその右拳が放つ光を強くした。
獣の咆哮が駐在署内を揺らす。そんな中、ソフィアは果敢に前進した。彼女の足下が吹き飛び、破片がこちらに飛んでくる。反射的に両手で顔を庇いながら、それでも惹きつけられるようにソフィアを目で追った。
『ユスティーツィア─』ソフィアが拳を振りかぶる。その右手から光が迸った。彼女の向こうに影で黒ずんだ巨体が見えた。掴みかかるように両手を振り上げている。
『─プグヌス!!』その瞬間、光と音が爆発した。閃光と爆音が爆風と共に俺を襲った。とても目を開けていられなかった。
全てが落ち着くまでどれだけ掛かったのだろう。辺りは臭気の代わりに砂埃が立ち籠めており、思わず咳き込んだ。そしてこわごわと瞼を開けた。
室内は明るくなっていた。駐在署の入り口は広くなり、天井が少し崩れている。その中に、瓦礫と化したカウンターの上にソフィアは立っていた。先程まで纏っていた光はもうなかった。
「…す、すごい…」それ以上の言葉が出て来なかった。ソフィアが振り返った。右側の瞼の上から出血していたが、それを気にする素振りもない。
「へへ、惚れんなよ。…なんちて」そうソフィアは微笑んだ。
男は厳かな扉の前に立った。ここの家主に呼ばれたのだ。その扉をノックしようと手を上げると、視界の右上に漂っていた使い魔が連絡が来ていることを知らせてきた。ノックの手はそのままにその連絡に対応する。
「どうした?」
「は!一通り完了致しました!」真面目な声が返ってきた。
「…何だ、その喋り方は」
「は?…ああ、ごめんごめん。さっきまでお巡りさんの役をやってたもんでさ」真面目さは一瞬で崩れ去り、口調は砕けた。
「で、どうだった」
「何だよつれねーなぁ。もうちょい楽しもう、とかないのかよ」
「仕事に快楽は必要ない。要件はないのか?正体は分からなかったと?」
「せっかちだな。すみませんすみません、と。正体はビンゴだったぜ。大当たりー」
男の口角が少し上がった。「そうか。つまりあの女が─」
「そう。名探偵アンディ・レイだ。あの洞察力、間違いないね」
「しかし、何故今頃?」
「何か、記憶喪失らしいぜ?一緒に居た刑事が軽々と口を滑らしてた」ははは、と軽快な笑い声が付いてきた。
「刑事が…。そんなことで仕事が全う出来るのか」失言など信じられない、と男は思った。
「あいつだよ。剛腕のソフィアだ。あいつ、腕は立つんだろうが、頭の方がさ」
「ああ、ストレングスか。なら仕方ないな」
「だろ?だからさ、ちょっと遊んでやろうと思って、トロールをけしかけてやったんだ」
「トロール?あの村のか」
「そうそう、俺の本来のターゲットの方。あのトロール、派手に吹っ飛ばされてたぜ」声がまた笑う。
「無駄に遊ぶな。今、『楽園』は正しく機能していないんだ」
「…分かったよ、悪かった」
「報告は以上か?探偵の正体が判明したことは収穫だった。手を煩わせたな」
「やめてくれよ、気持ち悪い。じゃあな、そっちの領主様によろしく」そう言って連絡は切れた。
男は浮かんでいた笑みを殺し、扉をノックした。「失礼致します」
「ああ、お前かクライム」
中に入ると低いしわがれた声が出迎えた。広い空間の真ん中に、きらきらと無駄に着飾ったケンタウロスが鎮座していた。
「それでどうだ、あの探偵は」ケンタウロスは心底苦々しいという様子で、探偵と口にした。
「はい。計画通り、警察に連行されております」
すると下品な高笑いが響いた。
「そうか!こりゃ愉快だ!あの野郎、俺の周りをこそこそ嗅ぎ回りやがって!良い気味だな!」
「このまま有罪判決が下るものと思われます」
「そうか!良くやってくれた、クライム!褒美をくれてやろう!好きな物を言ってみろ!」
「勿体なき御言葉、痛み入ります。では早速─」
「ほう、予め決めておったのか。抜かりがないな」ケンタウロスは嬉しそうに相好を崩した。
「はい。コリンソス領領主リック・ペリアンドロス様、どうか貴方様の─」
「うむ」
「─貴方様の、御命、頂戴しとうございます」
「…は?」そう言った時にはもう、ケンタウロスの首は体から離れていた。そしてその体は力なく倒れ込んだ。
「ありがとうございます。では、失礼致します」男は深々と頭を下げると、部屋を後にした。