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異世界探偵  作者: かえる
12/13

終焉を彩る者

 「な…なぁ、もうやめようぜ。…十分見ただろ?」小心者の鍵番の男が部屋の入り口付近で声を震わせていた。びくびくと部屋の外を気にしている。フレデリカにはその様子が可笑しくて堪らなかった。

 「そんなに心配しなくても、こんな所になんて誰も来ないわよ」

 成長期の、少女の体で、宝物庫の中を、ひらひらと歩く。


 だだっ広いアルフヘイムの宝物庫。そこには王家が代々受け継いできた財宝が納めてある。無造作に金貨が山積みになっていることはなく、それぞれの銘品がラベリングされ、規則正しく並べられている。


 フレデリカはその展示品の中を、花を移ろう蝶のように、軽やかに眺めて回った。白いドレスがふわふわと踊る。鍵番の男は許可なく宝物庫の鍵を使用していることにびくつきながらも、そんな少女の舞いに鼻の下を伸ばさずにはいられないようだった。

 フレデリカが横目でちらりと確認すると、男は鼻血でも出さん程にこちらを見つめていた。本当にどうしようもない男。フレデリカはそう、腹の底で嗤った。


 この男は、規則を破ったという良心の呵責を感じてすらいない。そんな繊細さはもう持ち合わせていない。ただ見咎められ、罰を受けることを恐れているに過ぎないのだ。祖国に対する忠誠よりも、自身の快楽にこそ忠実。でなければ、こんな半エルフ(わたし)に引っ掛かることもない。アルフヘイムは何故、こんな男に鍵を持たせているのか。この男を骨抜きにした張本人でありながらも、フレデリカは理解に苦しんだ。


 この男は以前からフレデリカに付きまとっていた。常識的に考えればあり得ない。王家の血をその身に流す、しかし忌むべき半エルフ。王子フレイ王女フレイヤの腹違いでありながら、王族には数えられない侍女。そんな存在に入れあげるなど、一般的な頭を持ったエルフなら恥ずべき行為と糾弾するに違いない。実際この男も、初めの頃は遠目に見るだけだった。その頃はまだ、なけなしの理性もあったのだろう。けれどフレデリカがそれに気付き、男が宝物庫の鍵を持っていると知って計画を練り、近付いて、体を寄せると、途端に堕ちていった。


 美しい高嶺の花。けれど競合相手はいない毒の花。それが自分にだけ微笑みかけ、寄りかかり、のし掛かっても受け入れてくれる。それだけで鍵番の男は、夢中になった。身も心もフレデリカに捧げてしまった。大国の鍵守は、フレデリカの犬に成り果てた。


 それもこれも全ては、この宝物庫に来るため。


 何気なさを装って、宝の山の中を散策するフレデリカは、目当てのものを探していた。この男の醜い手に身を委ねるという代償を払っても、余りあるほどの宝物。王の管理下にある叡知の結晶、世界樹の根に並ぶ三種の神器にして、災いをもたらすと疎まれる存在。その宝剣がなければフレデリカの計画は始まらない。

 フレデリカは目を皿のようにして、しかし、ひらひらと見て回った。


 そして見つけた。


 宝物庫の一番奥。祭壇のように床が盛り上がった場所。その邪悪さを治めるように、そこに安置されていた。けれどフレデリカから見れば、まるで自分の到来を待ちわびている聖剣のように思えた。


 切っ先を上に、円形のガラスのケースの中、魔法で宙に固定されていた。刀身は燃えるように赤く、揺らめいて見え、柄から伸びた金色の装飾がその炎の中に達して、焦げて黒く変色している。そのガラスケースの前に簡素な表札がある。


 願望剣ティルヴィング


 その所有者のよこしまな願いを三度だけ叶える宝剣。神話においては、持ち主の悉くが悲惨な最期を遂げたという、曰く付きの代物。これがあれば私の願いは成就する。フレデリカはその細く白い手を、ガラスケースに伸ばしていた。


 いつの間にか隣に、鍵番の男が立っていた。そしてフレデリカの細腕を鷲掴みにし、力ずくにガラスケースから引き剥がした。その痛みにフレデリカが非難の目を向けると、男は狼狽しながら手を離し、押さえた声で弁解し始めた。

 「そ、それはいけねぇって!それは触っちゃならねぇよ!」

 その慌てぶりが醜いゴブリンにそっくりで、フレデリカは思わず生理的な拒絶を感じそうになる。それをぐっと堪え、慈愛を持って男に身を寄せた。

 男の胸におでこを当てるようにする。

 男が生唾の飲み込むのが分かる。ホント単純。両手で男の胸に優しく触れ、体を密着させ、縋るように上目遣いで男を見つめた。

 「ちょっとだけ。─だめ?」

 男の鼻息が荒くなる。心音が手のひらに響いてきて気持ち悪い。けれどそんなことはおくびにも出さず、寧ろ好意すら窺わせ、フレデリカは先ほど掴まれ、じんじんと痛む右手をそっと、男の体に沿わせるように動かした。ぴくぴくと小さな反応がある。

 フレデリカの頭の中に嫌悪感が充満する。けれどティルヴィングは目の前だ。これを手に入れるためならば、この場で行為に及んでも構わない。それくらいの覚悟は持っていた。

 男は今にもフレデリカを押し倒しそうに見える。こんな現場、見咎められればただでは済まない。王家の宝物庫を勝手に開け、そこに半エルフを連れ込んでいるのだ。極刑もあり得る。けれどもうこの男には、そんな計算すら出来ないらしかった。男の目にはフレデリカしか映っていない。

 フレデリカは男の首筋に手を沿わせ、その耳を愛撫する。そして、下から見上げながら、見下すようにそっと、囁く。

 「言う通りにしてくれたら、ご褒美をあげるわ」

 男は鼻息を荒ぶらせ、自身の裡に秘めた欲望が爆発しそうなのを必死に堪えるように、びくびくと震えながら、懸命に首を動かして同意を示した。

 「じゃあ、これを取り出して。─これで良いことしてあげる」

 男は逡巡するように、苦悶の表情を浮かべた。フレデリカには男の心の機微が手に取るように分かった。


 決して負の連想をしているのではないだろう。頭の中はきっと薔薇色。今、危険な宝物庫で禁忌の半エルフと一緒。許さない状況で許さないことを行う。その禁断の蜜の匂いに、胸はときめいて仕方ない。その蜜を味わうか否か。それに悩んで、興奮しているに違いない。


 やがて男は自分の興奮に体を弾ませながら、ガラスケースに触れた。そして、みさおを奪うときのように、焦らすように、それを持ち上げた。

 持ち上がったケースの、出来た隙間から、禍禍しい魔力が熱風のように漏れ出てきた。それに男は怯んだ。ケースを落としそうになる。フレデリカは慌てて、けれど優しく、男の手に自らの手を重ねた。それで男は持ち直した。

 「一緒に、ね?」フレデリカが静かにそう言うと、男は興奮を取り戻した。その盲目さに、フレデリカは鳥肌が立つ。

 男はフレデリカと共に、慎重にガラスケースを取り払った。それを音が立たないように、床に置く。


 フレデリカはティルヴィングに手を伸ばした。その柄を掴む。禍々しい魔力が流れ込んでくる。体内から焦がすような拍動を感じる。満足感が心を満たした。


 遂に手に入れた。悲願が手の届くところまで来たという感慨と、もう後戻りできないという気後れが、心の中で鬩ぎ合う。


 男は隣で、健気に待っていた。神話に名高い三種の神器を使って、自分は一体何をされるのだろう。その背徳的な妄想に身をやつしていた。


 フレデリカは宝剣を手に、振り返った。そしてまた、男の胸に身をくっつけた。宝剣を、その未熟な胸と男の間に挟む。切っ先を上に。

 フレデリカは男を見上げた。心なしか、唇をすぼめて。男は我慢が利かなくなったのか、乱暴に唇を重ねてきた。フレデリカは汚物を啜っている気分になる。

 そのまま、男に求められるままになりながら、フレデリカはするすると宝剣を下ろしていった。切っ先が男の腹を撫でる。その鋭敏な感触に、男の体がぴくぴくと跳ねる。

 フレデリカは唇を離した。爛々と踊る男の目が見つめてくる。それに熱っぽい表情で応えながら、言った。

 「ご褒美、あげるね」

 男の期待が最高潮に達した頃を見計らい、フレデリカは思い切り腕を動かした。


 宝剣の切っ先を、一息に男の腹に突き刺す。


 刃がずぶずぶと入っていく。肉を裂く感触が両手に伝わってくる。


 男は最初、快楽的な身の捩り方を示したが、やがて絶望的な痛みに気付いたらしかった。くぽっ、こ、と変な喘ぎ声を漏らす。

 「…どう、し、て」男はどうにかそれだけ言えた。

 「どうして?いつも貴方が私にしていることよ?貴方がいつも、とても気持ち良さそうにしているから、一体どれだけ気持ち良いのか興味があったの」

 フレデリカは尚も深く挿し込んだ。男は痙攣を起こしたように揺れた。脚に力が入らないのか、崩れ落ちそうになる。フレデリカは強化魔法で腕に力を入れ、刺さった剣越しに男の体を支えた。

 「あら、もうダメなの?だらしがないのね」フレデリカは自分の口角が吊り上がるのを感じた。ずっと、こうしたかった。ずっと。ずっと。


 憎悪が、激しい情愛のように燃え上がる。


 「もう少し頑張って。私はまだ、満足してないんだから」

 フレデリカは宝剣を引き抜いた。ごぼごぼと鮮血が溢れてくる。床に血が跳ねる。


 腹の奥底から、むずむずとしたものが競り上がってくるのを感じる。


 男が倒れ込みそうになる。その腹に、フレデリカはすかさず刃を突き立てた。

 男が体を折って痙攣する。無様な悲鳴が響いた。

 「ダメよ、静かにしないと。誰かに聞かれてしまうわ」悶絶する男の耳に囁きかけて、また引き抜く。

 突き刺す。

 引き抜く。

 突き刺す。

 引き抜く。

 突き刺す。

 引き抜く。

 突き刺す。

 引き抜く。

 ────。


 気付くと男は動かなくなっていた。床一面に広がった血の池。その池に、仰向けに浮いている。腹部の服はズタズタになっていたが、出血が酷すぎて傷口がどうなっているのか、一体幾つあるのか把握できない。

 その死体を見下ろしながら、フレデリカは肩で息をしていた。池の真ん中で、白かったドレスは黒く染まっている。


 「こんなに汚して。しょうがない人」

 興奮は醒めていた。フレデリカは血のこびりついた手でドレスを撫でた。すると撫でた先から色が抜けていく。抜けた血が池に落ち、ばしゃばしゃと音を立てた。

 ドレスの全体を、両腕を、両脚を、宝剣を同じようにする。すると染み込んでいた血が面白いように落ちた。

 フレデリカの体がふわりと浮かび上がる。浮いた足先から血が、搾ったように落ちていく。

 自身に付いた返り血を、すっかり落としてしまうと、フレデリカは浮かんだまま後退し、血の池の畔に静かに降り立った。左手をすっと翳す。

 『湧き出し、溶かし尽くせ、ヴェネーヌム・パルス』


 倒れた男の辺りからぼこぼこと、溶岩が膨らむような音がした。黒い血の池を、黒い何かが侵食していく。池の中央で浮き島のようになっていた男にも異変が起きる。徐々に、けれど確実に細くなっていた。衣服は煙を上げて縮み、肉は溶け、白い骨が露になるが、それもまた消えるように溶けていった。


 やがて煙も見えなくなると、フレデリカは使い魔を呼び出した。真っ黒い、頭でっかちのカラスが、フレデリカの足元にちょこんと現れた。使い魔はその飛び出た目玉をぎょろぎょろと動かすと、不意にその嘴を黒い池に突っ込んだ。そのまま、ずるずると音を立てながら啜る。

 池はどんどんと小さくなり、全てカラスに飲み込まれた。後には真っ白い床が、染み一つなくあるだけだった。


 「すごいわ。流石ヴァルハレア。ちょっとした魔法くらいじゃ傷一つ付かないのね」フレデリカは一人感心した声を上げた。

 「これでおしまい。鍵番の男は宝剣を奪って行方不明。みんな、躍起になって捜すかしら。それとも、そんな暇もないかしら」

 フレデリカは手にしたティルヴィングを弄ぶ。足元のカラスがその口を大きく開けて上を向く。フレデリカは宝剣の切っ先を下に向け、手を離した。宝剣がカラスの口に、音もなく落ち、消えた。

 「さてと。それじゃあフレイヤを探しにいきましょうか。それにしても、三種の神器を盗むなんて、酷い人ね。あの鍵番。名前は─なんだったかしら」


 フレデリカはひらひらと、宝物庫を後にした。次の花のもとへ行くために。


 その白いドレスが、ふわふわと踊る。





 暑い。自分の耳が熱を持って、じんじんと響いてくる。何故か。恥ずかしいからだ。


 円形の、すり鉢状になった会場の、矢のような視線を一身に受け、俺は緊張していた。


 「─異世界探偵、アンディ・レイだ!」

 そう俺が叫んでから、一体どれだけ時間が経ったろう。しん、と静まり返る会場の空気が重すぎて、無数の矢に小一時間くらい射貫かれ続けている気がする。


 「アンディ・レイ……嘘よ、あり得ないわ」

 目の前の、会場の真ん中に備え付けられた演台の上で、一人の女性が似合わない狼狽を見せていた。この人には会ったことがある。医療都市国家での検査の後、俺とアレックスの前に現れた警察都市国家・レイクダイモンの領主だ。名前は確か─。

 「─その真の姿を現しなさい。『スペーシエ・ヴェリターティス』」その領主が俺に向けて呪文を唱えた。しかし、何も起きなかった。「変身魔法では…ない?」

 「何を言ってらっしゃるのか、領主様。あなたはただ、見当違いをしていたにすぎないのです」

 「そんなはずはないわ。貴方誰よ」

 「ですから、アンディ・レイですよ。正真正銘ね。どうやら領主様は幾らか混乱されているらしい」

 俺の物言いに会場がざわついた。領主は苛立ちを隠そうともしない。


 その時、背後から突然、腕を掴まれた。と、思ったときにはもう捻り上げられている。痛みに思わず体が歪む。気付いたときには座り込まされていた。

 「アンディ・レイか。コリンソス領主殺人事件の容疑で拘束する」

 背中をぐいぐいと押され、地面に押し潰されそうになる。痛みに耐えながらどうにか首を回すと、白く綺麗な顔があった。エルフだろうか。けれどその顔には表情と呼べるものはなかった。

 「…そうね。よくやったわ、パトリック。その男がアンディ・レイを名乗るなら、その罪もその男のものだものね」

 領主は冷静さを取り戻した。しかしその時、異を唱える声が上がった。

 「恐れながら申し上げます、陛下」

 全ての視線が、音を立てるようにその声の方に注目した。痛みにちかちかしながらも、俺も目だけでその方を見ると、トーマスがふわふわと白い体を折り畳んで平伏していた。

 「その者は犯人ではないと考えます」

 「…どういうことかしら、トーマス課長」

 領主はすぐに否定しなかった。俺を犯人とすること、それが現状の彼女の勝利条件のはずだ。そのために力尽くで異議を押し潰すこともできるはず。何故そうしないのか。周囲を見渡してすぐに気が付く。評議員か。確かに、彼らの心証を悪くすることは悪手だ。

 「は。それは私のところへも渡されている、この書類に基づきます」トーマスはそう言って、何もないところから一束の用紙を取り出した。「この書類の中の帳簿の欄、クライム・ヘイヴンが関与したとされる犯罪の一覧のところです」

 「これは私も先程引用したわ。これがどうしたというのかしら」領主は寛大にも先を促す。

 「ここにはこうあります。“─運輸都市国家コリンソス次期領主、リック・ペリアンドロスより、領主暗殺依頼。─”つまり、コリンソス領主殺人事件はクライム・ヘイヴンによるものだったということです。しかし、ここにいるクライム・ヘイヴンの二名は─」言いながらトーマスは手錠のかけられた二人のエルフを指し示した。「─この二人も、このアンディ・レイが入場した際に状況を理解できていませんでした。この二人も陛下と同様に、アンディ・レイとフレイヤ・アルフヘイムを同一人物と思い込んでいたらしく、二人を交互に見比べていました」

 「…それが、どうしたというの?」

 「つまり、アンディ・レイはクライム・ヘイヴンではないということです。私の調査したところによると、フレイヤ・アルフヘイムは十年前にクライム・ヘイヴンを脱退しております。そしてそれと同時に世の中には、名探偵アンディ・レイという人物が登場した。この二人、あるいはクライム・ヘイヴン全員がこの状況証拠のみで王女と名探偵を同一人物と見做してしまった。先程の反応から、そう考えられます。以上のことより、アンディ・レイはコリンソス領主殺人事件の犯人ではないと考えます」

 トーマスは平伏しながら、通る声で言い切った。それに会場がまたざわつく。

 「そう。…分かりました。ではこの嫌疑に関しては一時保留とします。パトリック、彼を放しなさい」

 領主の苦々しい言葉で、腕の痛みがほどける。肩がずきずきと疼く。けれど構っていられない。脚に力を込め、踏ん張って立ち上がる。

 「─そういえば先程、興味深いことを仰っておりましたね、名探偵さん」領主が微笑みながら話しかけてきた。しかしその目は笑っていない。「確か…私が、そういうことにしたかった…でしたか」

 冷たい空気が走る。クライム・ヘイヴンと相対する時に感じるような寒気。それはただの威圧なのか、魔力によるものなのか。判然とはしないが、とにかく飲まれまいと腹に力を込める。

 「はい。そう言いました。今回の一連の事は全て、あなたに起因するのです、領主…陛下、様」

 言葉尻が不格好に崩れる。それに領主は相好を崩した。

 「そうですか。今回の事…それが何を指しているのかは分かりませんが、名探偵さんの言うことですから、さぞや説得力のあるものなのでしょう」

 「はい。今、この場において、自らの罪をお認めになり、ここにいる全ての方に謝罪するのであれば、これ以上私の口からは申し上げずに…しておきましょう」

 敬語って難しい!慣れないものだから、上手く言葉が出てこない。そんな俺の様子に、すっかり見下したらしく、領主は余裕綽々と笑ってみせた。

 「私の罪ですか。さて、身に覚えがないのですが。そのようにしどろもどろとして、一体何が言いたいのですか」

 「あくまで、シラを切ると…?」

 「あらあら、はしたない言葉遣いですね。折角の紳士っぷりが台無しですよ」

 会場から笑いが起きる。領主はいつの間にか、会場の空気を取り戻していた。


 「さて、それで?私が何をしたというのですか」

 領主は強気にも、話を聞こうというらしかった。何ら痕跡を、状況証拠さえも残していない。そういう自負があるのだろうか。それをこのような愚鈍な人間風情に暴かれる筈がない。そう、高を括っているのだろうか。

 だったら暴いてやる。俺は背筋を伸ばした。

 俺はこの世界に関して、昨日今日に知っただけで、無知にも等しい。けれど俺にしかないもの、俺にしか出来ないことが必ずあるはずだ。

 「─仕方ありません。では全て、つまびらかにさせていただきます」

 俺は、きっと領主を睨んだ。目には目を、歯には歯を。国を奪ったのならば、自分の国を奪われる覚悟をするべきだ。


 「事の始まりは百年前、アルフヘイムが滅亡した事件に遡ります」

 「まあ、随分と昔の事ですね。アルフヘイムの時の王、ここにいる王女フレイヤの父であるデイン王が、自らの民草を生け贄に捧げて怪物を喚び出し、自国を滅亡へと追いやった」

 「それは何故なのでしょう」

 「…はい?」

 「その王がその怪物を呼んだ理由です」

 「それは現在でも不明なままです。諸説ありますが、一番有力なのは当時敵対していた他国に対しての強力な武器の確保、ですね。しかし、今その話は関係ないのではないですか。まさかとは思いますが、初手で私が罪を認めることしか考えていなかった、とか?その算段が外れたから、関連しそうな話で場を繋ぐつもりなのかしら」

 彼女の言葉に合わせて、会場からは嘲笑が沸く。

 「勿論、とても関係のある話です。事件の起こった背景を把握することは、事件への理解をより良くするのですから」

 「そう。名探偵さんがそう仰るのですから、そうなのでしょうね。ではどうぞ、続きを」

 「では。―自国の民を犠牲にして強力な兵器を得る、これが現在での通説ということでしたが、これは本末転倒というものでしょう。その兵器を以て守るべき民を、その兵器を生み出すために消費する。愚行と言わざるを得ない」

 「その通りです。だからデイン王は愚者として今もなお名を残している。当時、かの王に謁見する機会があったのですが、あの時既に耄碌もうろくなさっていた。そのような王を許していた、当時のアルフヘイムにも問題はあるのでしょうね」領主はずけずけと証言し、聴衆はその言葉に肯いた。

 「そうですか。では次に、エルフ狩りの件ですが―」

 「おや、もう滅亡王の話はよいのですか?貴方が何を仰りたいのか、分かりかねるのですが」領主の言葉に、会場が同調する。罵声が降りかかってくる。

 「ええ。今はそういう解釈をされている、それが確認できれば良いのです」

 「…そうですか」

 「では続けます。エルフ狩りというものがあったと聞いています。何やら、アルフヘイム崩壊以後、エルフを狙った犯罪が横行したとか」

 「その通りです」領主は今度は、慈愛の籠った表情をした。「残念なことに、エルフの血肉に万能の効能があると流言飛語が生まれ、イグドレイシア各地でエルフが行方不明になることが多発しました」残念なことです、と領主は眉尻を下げた。

 俺は構わず言葉を続ける。

 「凄惨な蛮行。恐ろしいことです。しかし、そのような地獄を生き残った方々が存在します。そう、ここにいるクライム・ヘイヴンです」

 会場の視線が、手錠に繋がれたフレイヤと、二人に向けられる。

 「彼らは地獄を生き残った。彼ら以外にエルフを見かけないほどに。では、彼らはどうやって生き残ったのか。その答えは簡単です。彼らにはスポンサーがついていたから。クライム・ヘイヴンの顧客は各国の領主。それはもはや、皆さん周知の事実です。しかし、それは別の事実を浮き彫りにします」

 会場がざわつき始める。領主は静かにこちらを見ているだけだった。

 「エルフ狩りの容疑者には著名な人物の名前も挙がっていたといいます。そこには領主や、それに近しい者も含まれていた、そう考えてもおかしくはない。つまり、クライム・ヘイヴンとは、エルフ狩りの結果、領主たちによって作り出された犯罪組織だった。そう言えるのです」

 「なるほど…。素晴らしい推論ですね。確かに今回、クライム・ヘイヴンと、それに関与していたとして、各国の領主を全て逮捕致しました。その結果が、今回の貴方の推論を後押しする」領主は微笑みを浮かべた。「けれどそれが?私もそれに関与したと?私はこのイグドレイシアの正義を司る者。あまり見くびらないで頂きたいものですね」

 「ここで、先程のアルフヘイムの崩壊に繋がるのです」俺は続ける。

 「デイン王の愚行と?」

 「はい。アルフヘイムの崩壊には腑に落ちない点が多々ある。しかし、ここにエルフ狩りの要素を加えることで、見えてくるものがあるのです」

 「見えてくるものですか」

 「あなたです。領主陛下」

 俺は領主を指し示した。しかし領主は、白々しくも首を傾げるだけだった。「さて、何を仰っているのか」

 「あなたは先程、デイン王にお会いしたことがあると仰っていましたね」

 「それが何か」

 「つまり、アルフヘイム崩壊当時、あなたもあの時代に生きていた。しかも、王にかなり近しい人物だったということが窺える」

 「ええ。そうです。私は当時、かの国で侍女をしていたので」

 「そしてあなたは領主だ。今回、クライム・ヘイヴンとの関与が判明した、領主」

 「勘違いされているようなので指摘しておきますが、今回、私の関与は示されていないのですよ。私以外の全ての領主の関与が判明したのです」

 「あなたは関与していないと?」

 「ええ。貴方は先程からそればかりですね、名探偵さん」

 「そうですか。―では、証拠を示しましょう」

 俺の言葉に、領主の表情に亀裂が入った。「証拠、ですか」

 「そうです」そう言って、俺は手に持っていたスマートフォンを、会場中に見えるように掲げた。

 「…それは、何ですか」

 「これはAIです。ある異世界の、アガシオン・インテリア」俺は堂々と嘘を吐いた。

 「AI…それが何だというのです」

 「このAIには特別な機能が備わっているのです」

 「機能…」

 「ある特定の空間の会話を記録することができる、という機能が」そう言ってから、俺は呪文を唱えた。『オッケーグーグル、録音を終了して』

 すると、どこからともなく、「録音を終了しました」という返答がした。

 「ロクオン…?何をしたのです?」

 「今から、このAIの能力をお見せしましょう」言いながら、俺はスマートフォンを操作した。メニューを表示し、録音が完了したというバーを押す。


 『と、いうことにしたかったんですよね、領主様』突然、大音量で俺の言葉が再生された。

 会場が凍り付く。領主も目を見開いて固まった。

 『誰ですか、貴方は』今度は領主自身の声だ。

 会場が騒がしくなる。

 「…これは、一体」領主が戸惑いを隠せないでいる。

 「これは今日の、これまでの会話の記録です」俺は平然と答えてみせる。


 その後も、ついさっきまで行われていた会話が再生され続けた。俺はきりの良いところで再生を止めた。

 「これが、このAIの機能です」

 「…面白いですね。しかし、それが何だと?私のことを摘発したかったのではなかったですか。そのようなお土産の玩具を見せて、何とするのです」

 その領主の言葉に、俺は満を持して答えた。

 「ええ、実はこの玩具で、昨日面白いものが録れたのですよ」

 俺は事前に編集しておいた音声データを表示し、再生させた。


 『―領主様。ミーミル石を手に入れました』

 男の声がした。それは明らかに俺の声だった。そしてその直後、女性の声が聞こえる。

 『…そう。でかしたわ、クライム。しかし貴女、声をどうしたのかしら』

 領主は無表情のまま固まっていた。会場が押し黙る。


 あの、桃源神社で録音されたもの。その途中を切り抜いたものだ。絵里愛を攫った連中とその後の有平さんとの会話、その直後に録音されていた箇所。


 「これは、貴方の声ですね?領主陛下」俺は駄目の一押しをする。

 けれど、領主は固まったままだ。


 『現地民に変身しておりますので』

 『まあ良いでしょう。ではその石を持って帰還しなさい。見つかってよかったわ。報酬はまた、レイラ経由でクライム・ヘイヴンに』


 俺は再生を止めた。

 「領主陛下。あなたはクライム・ヘイヴンに関与していた。お認めになりますね」





 フレイヤは唖然としていた。


 「─ふふ、ふふふ、うふふふはは─」

 あはははははははははははははははは!


 一人の女の、狂ったような高笑いが響いた。つい先程まで罵詈雑言が飛び交っていた会場の声達はすっかり鳴りを潜め、その高笑いだけが乱暴に、その空間を震わせるだけだった。


 領主は、フレデリカは腹を抱え、身を捩っている。

 「─はぁ、可笑しい。その異界のAI、そこから発せられた声が、過去の私のものと?ふふふ。面白いですね。それで?それが何だと?貴方が自身で、魔法で以て捏造したものではなくて?」

 「残念ながら領主様、それは有り得ないのです。何故なら私は、魔法が使えない」


 アンディ・レイのその返答に、領主は一瞬ぽかんとした表情を見せたが、またすぐに笑い出した。

 「─確かに、貴方からはまともな魔力反応がないですね。ふふ、本当に面白い」領主は目に浮かんだ涙を指で拭うと、微笑みを浮かべながら姿勢を正した。「─いいでしょう。ええ、ええ。貴方の面白さに免じて、段階を一つ進めましょう」

 「段階も何も、貴方の罪は示したんです。これ以上、何をするつもりですか」

 探偵の窘めるような言葉にも怯まず、フレデリカは不敵な笑みを絶やさない。

 「いいえ。確かに、貴方の仰ったことは認めましょう。私がアルフヘイムを滅ぼしたのです」

 フレデリカの宣言に、会場が騒々しくなる。予想だにしない展開にまごついているようだ。しかし、それはわたしも同じだった。突然現れた探偵が、あれよあれよとフレデリカを追い詰め、証拠を示し、そして今やフレデリカも罪を認めた。なのに何故彼女は余裕なのか。不気味な雰囲気が漂い始める。

 「しかし、それはもう些細なことなのです。穏便に事を進めたかったのは事実ですが、どちらにせよ結果は同じですから」領主は空中に使い魔を呼び出した。そのカラスの口に手を突っ込む。


 その時、視界の端で、白い塊が動いた。トーマスだ。

 「陛下。抵抗はせず、大人しくしておいて下さい。あなたを逮捕します」

 トーマスもまた自分の使い魔に手を突っ込んで、じゃらじゃらと何かを取り出した。状況から見て手錠だろうか。

 しかし、そのトーマスの前に誰かが立ちはだかる。

 パトリックだ。レイクダイモン第一刑事課総課長。そして、クライム・ヘイヴン、リーダー代理、怪王テュポーン、パトリック・ヴァルト・キーロニウス。フレデリカの右腕として、クライム・ヘイヴン発足の頃からその組織の活動をコントロールしていた、裏切り者。

 「キャロット課長、それを下ろしなさい」パトリックは、トーマスに命令をした。

 「キーロニウス課長、陛下は自らの落ち度をお認めになられた。自ら法を犯したと仰られたのです。私は一警察官として、これを聞き捨てることはできません」

 「それは違う、キャロット課長」

 パトリックの言葉にトーマスが歩みを止める。「何が違うと?今更弁解の余地など─」

 「弁解などないさ。そうではない。今からこの国は在り方を変えるのだ」

 「在り方を、変える…?」


 「その通りよ、パトリック」フレデリカの声がする。演台の方に目をやると、彼女が金色の平たいお盆のようなものを持っているのが見えた。その上には赤く輝く何かが乗っている。「今この瞬間より、この国は一つとなるのです」

 パトリックがフレデリカの方を振り返り、何かを投げた。それは赤く瞬きながら放物線を描いて飛んでいく。

 ああ、という小さな嘆息がした。辺りを見渡すと、手錠をかけられているドワーフの王、レイラ・タレスが、その放物線を眺めながら鼻をひくひくと動かしていた。「あれは─。貴女まさか、最初からそのつもりで…!?」

 レイラの疑問に、フレデリカは笑顔で応える。

 「愚問ですね、レイラ。叡智の国の長とは思えない。やはり代替案とはいえ、ドワーフの国に“叡智”等と付けるべきではないですね」

 見ると、フレデリカは既にその赤く輝く何かを受け取っていた。それを手の平の上で弄んでいる。「ミトレシアのピアス。これで全て。7つの魔石が揃ったわ」

 彼女は愉悦の表情を浮かべながら、弄んでいたそれをお盆の上に落とした。輝く赤が混ざるとき、かちゃりと貴金属のぶつかる音がした。その音はまるで、何処かに鍵を掛けたかのようにも聞こえた。


 「キーロニウス課長、今何を渡したのだ」トーマスが柄にもなく声を荒げた。

 「キャロット課長、上官に対する言葉遣いがなっていないぞ」

 パトリックが手をあげた。そのままトーマスを平手打ちする。鈍い音がして、トーマスが大袈裟に仰け反った。

 トーマスはつぶらな目を見開いたままよたよたとなり、尻餅をついた。


 その様子に、わたしは目を見張った。

 会場が静まり返る。トーマスは叩かれた頬を押さえて固まっていた。

 「……なんで?」いつの間にか、わたしの口から言葉が漏れている。「…どうしてトーマスを…殴れたの?トーマスは最強よ。黄金竜ファフニールなのよ。なのになんで、|物理防御魔法も発動していないの?《●●●●●●●●●●●●●●●●●》」


 高笑いが上がる。領主が機嫌良さげに体を揺すっていた。

 「当たり前よ。ここは私の領土となったのよ」彼女は最早取り繕う必要もないと判断したのか、本性を隠す素振りもない。

 手に持ったお盆を、見せびらかすように掲げた。

 「これらが何か知らない。それが貴方達、いいえ、この国の愚民の愚民足る所以よ」

 フレデリカの傲慢な言葉に、会場が活気を取り戻した。聞き捨てならない。我らが愚民だと。領主としてあるまじき発言だ。さっきまで擁護していた領主に対して批難の言葉が浴びせられた。しかし、そのただ中でも、彼女は涼しげな顔を崩さない。

 「やはり愚民ね。状況の変化にも気付けない。貴方達にはもう、私に意見する権利さえないというのに」そう、彼女はふふ、と笑った。「これらはイグドレイシア七ヶ国、その全ての領主の持ち物。かつてアルフヘイムを七つに割いたとき、私が各々に渡したもの。各国を支配するために必要な領主権限の源。膨大な魔力発生源、そのものよ」

 領主権限。このイグドレイシアを統治するに当たり、各国の領主が領主足りえる権力。その国における法律を、強制することが出来る力。それが七つ全て、フレデリカの手にある。つまり─。


 「つまり、最早このイグドレイシアにおいては、私の許可なく魔法を行使することは出来なくなったということよ。この力はイグドレイシア全土と繋がっている。もう誰も逃げられない。強化魔法による高速移動も、空中浮遊も空間転移も、何もできない。貴殿方の生き死にさえも、私の手の平の上、ということ」

 彼女は勝ち誇ったように言い切った。

 静寂に包まれる。評議会は今のフレデリカの言葉の、真意を図りかねている。ただの狂言と切り捨てることは簡単だ。だがトーマスの硬直した様子に、そう断言することが出来ず、誰も彼もが閉口していた。


 「─誰も、あなたに逆らえない。そう言いたいの?フレデリカ」

 わたしは口を開いた。フレデリカと正面から対峙する。

 「そうよ、フレイヤ。初めはもっと穏便に、この状況を作り出すつもりだったのだけどね。そこの名探偵のお陰で、少し予定が早まってしまっわ。まぁ、結果としては何も変わらないのだけど。だから、いい加減諦めなさい。貴女の最強の黄金竜も、最早ただの木偶の坊。私の許可がない限り、この土地では反抗すら叶わない。貴女には初めから、勝てる要素すら無かったということよ」


 評議会館は息を詰めて押し黙っている。やがて一人が、キーロニウス様、万歳、と声を上げた。

 そこからは皆が皆、我先にと領主を称え始めた。私は先程、あなたを批難しなかった。貴女こそ王に相応しい。どうか、お慈悲を。そんな声が絶えず続く。


 「パトリック」領主が、その右腕を呼んだ。「先程の国賊共の顔を覚えているかしら」

 「は、記憶しております」

 その返事に、領主は満足そうに微笑んだ。

 「よろしい。ではその者達を、死刑にしなさい」

 「御意」パトリックが右腕を振った。


 途端、会場から火の手が上がった。悲鳴が響く。しかしその悲鳴も、喉が裂け、血が飛び散り、止んでいく。

 あちこちから爆音がし、鮮血が噴き出した。

 わたしは血の気が引いた。


 会場中が阿鼻叫喚に包まれる。


 秩序が崩壊し、人々が我先にと動き出した。直ぐ様、パトリックから離れた位置の、奥の出口付近に人集りが出来上がる。しかし、その塊は大きくなるばかりで、萎む様子がない。

 何で開かないんだよ!押すな潰れる!早く出ろよ!

 喚く人々の騒音の中に、聞き取れない呪文が幾つも混じるが、何かが起きる気配はない。そんな間にもそこかしこから断末魔が上がる。


 そんな評議員達を、領主は嘲笑った。

 「─愚かしい。在るのは頭数だけ。その場の空気に飲まれて、どいつもこいつも右向け右の号令でも聞いたとばかりに、寄って集る能無しの案山子のよう。醜く気持ち悪い。ニンゲンもトロールもケンタウロスもドワーフも、エルフも。頭の悪い愚図ばかり。本当に、見るに堪えないわ」


 噴煙が、血煙が立ち上ぼり、会場を覆い尽くす。わたしはいつの間にか、拳を握り締めていた。フレデリカはまた、またこの国を、このイグドレイシアを殺戮で汚す気だ。


 絶対に、許さない。


 「やめなさい!」

 わたしは一歩を踏み出す。パトリックは冷めた目をこちらに向けたが、興味もないという風にそっぽを向いた。

 「フレデリカ、今すぐやめさせなさい!」

 「フレイヤ、聞いてなかったのかしら。何故滅亡した国の王女ごときが、私に指図をしているの」

 領主は笑みを湛えながらも、冷たい視線を寄越してくる。わたしは毅然とその目を睨み返す。

 「ええ。あなたの言う通り、わたしはもう王女でも何でもない。でもまたこの土地を、このイグドレイシアを蹂躙することは許さない。今すぐ、パトリックにやめさせなさい。でなければ─」

 「でなければ?今更無力な小娘である貴女に何が出来ると?」

 フレデリカはわたしの足元を見、小馬鹿にしたように問うてきた。


 今更、このわたしに出来ること。確かにわたしは無力だ。国を滅ぼされ、家族を殺され、真実も知らず犯罪者に落とされ、この女のために手を汚して働かされた。反撃しようと試みて策を練り、最強の騎士の協力まであったというのに敗北の一歩手前まで追い詰められた。

 でもまだ、わたしは生きている。奇跡のように助っ人が現れ、状況はひっくり返った。彼のお陰だ。あの探偵が、アンディが来てくれたから、わたしはまだ負けていない。

 まだ、このわたしに出来ること。それはまだある。圧倒的な戦闘力も、真実を見つける洞察力もないけれど、でもこの危機を乗り越えよう。なぜなら、譬え、どれだけ強力な領主権限でも、魂に由来する使い魔まで制限するものなんて、聞いたことはないのだから。


 「─この土地では敵わないのなら、その土地を変えればいいだけよ。『我はクライム、クライム・ヘイヴン、アステリオス─』」

 呪文を唱える。右手を翳す。それに呼応してわたしの隣に空間の罅が走り、そこから黒猫が顔を出した。体を震わし、頭でっかちな姿に、黒い牛の被り物が目立つ。

 『─否。は偽りの名。我はフレイヤ、フレイヤ・アルフヘイム。我が真名の下に、まことの姿をここに示せ─』

 黒猫が身震いを大きくする。体が徐々に膨張し始める。被り物がはち切れ、破れた。

 「貴様、何をするつもりだ」パトリックはその変化を見逃さなかった。評議員達に向けていた手を動かす。しかし、それをフレデリカが制した。

 「やめなさい、パトリック。フレイヤは生け捕りにするのよ」

 パトリックは躊躇うものの、その指示に従った。その判断が正しいのかどうか、見極める時間もない。

 その間にも黒猫はどんどんと大きくなり、やがて人が騎乗出来そうなサイズになる。潤沢な、柔らかな毛が、燃えるように揺れる。その姿はもう、不恰好な二頭身ではなく、すらりとした高貴な“猫”だった。その青い澄んだ瞳を静かに光らせている。

 わたしはその猫に魔力を注ぐ。もっとだ。もっと。使い魔の、別の空間へと繋ぐ力を最大限に使い、繋ぐのだ。

 『─其は希望。其は理想。彼方へと過ぎ去った栄光を再び。いざ、顕現せよ─』

 黒猫の魔力濃度が跳ね上がる。突然の変化に、誰も反応できない。フレデリカも目を大きく見開いているだけだった。

 ここにいる全員を連れていく。私の作り出した、わたしの故郷へ─。わたしは最後の言葉を紡いだ。


 『─いざ、顕現せよ、失われた理想郷イミタティオ・アルフヘイム


 途端、会場中が激しい光に包まれた。誰もがその光の中に飲み込まれていった。





 そよ風が頬を撫でる。そんな心地よい感触で目が覚めた。

 青い空が見える。それを尖った草の先端が縁取っていた。

 体を起こす。すると辺りには草原が広がっていた。草原のただ中で、俺は寝転がっていたらしい。


 悲鳴とも歓声ともつかない声が上がった。見ると、恐慌を来した人々が一つの大きな団子のように固まって、恐る恐ると辺りを見渡していた。その手前、俺とその塊のちょうど中間くらいのところに、領主が立っていた。冷めた顔で空を見上げている。

 そしてその更に手前に、赤毛を揺らす少女がいた。隣には黒豹のように大きな、けれど豊かな毛を蓄えた猫が寄り添って座っている。


 領主の近く、パトリックは他の人達と同じように辺りを見渡していたが、やがてまた人々の塊へと腕を振った。その指先から電撃が走る。

 「やめなさいって、言ってるでしょ!」

 フレイヤは叫び、同様に腕を振った。閃光が発し、電撃が飛んだ。人々の前でパトリックのそれとぶつかり、激しい光を放った。人々の慄きが大きくなる。

 その様子をフレデリカは静かに見ていた。

 「…なるほど。魂に刻まれた心象風景を空間魔法で具現化したのね。ここは滅びる前のアルフヘイム。貴女の心に中だけに存在する“思い出”」

 「そうよ」フレイヤはそれに答える。「わたしの中にある心象風景と使い魔を繋げて強制的に特異空間として成立させた場所。力業ではあるけれど、これでもう領主権限は発動しない。その力はあくまで本物のイグドレイシアに関連付けられたものだもの」


 「アンディ!」突然背後から呼びかけられた。振り返ってみると、ユッコがソフィアの車椅子…みたいなものを押しながらこちらに向かってきていた。その後ろから桃地さんも、ゆったりとした足取りでやってきている。三人には確か、扉の向こうで待っていてと言っていたのだが、どうやら一緒に連れてこられたらしい。

 「これ、どうなってるの?どうして急に原っぱに出てるわけ」ユッコが騒がしく聞いてくる。

 「そんなこと俺に聞かれても知らないって」肩をすくめてみせる。

 「たぶん、セイズ級の空間魔法だと思う。規模が理解できてないんだけど」包帯でぐるぐる巻きになっているソフィアが、自信なさげに答える。

 「その通りよ。お巡りさん」桃地さんが冷めた目で肯定した。


 「フレイヤさまーっ!!」

 遠くの方から女性の声がした。見ると、満面の笑みを浮かべた女性がこちらに走り寄ってきていた。緊迫した空気にはとても似つかわしくない。

 「ああ、アマリア」フレイヤはそちらを見て、頬を緩めた。

 アマリアと呼ばれた女性は、フレイヤに飛びつかんばかりの勢いで、フレイヤに迫った。「ここすごいよ!あのころのアルフヘイムにそっくり!私ったら一日中ごろごろしてしまったわ!」

 「そう。喜んでもらえてよかったわ」フレイヤはやや押され気味の様子で答えた。

 「お前…こんなトコで何やってんだよ」

 男のあきれた声がする。今までずっと黙り込んでいた、手錠につながれたクライム・ヘイヴンの一人の、偽ドリスだった。

 「うわ、ダニエル。あんたこそ、何よその手錠。もしかして、捕まったの?セシリアも一緒に?」

 「…ごめんなさい」偽ドリスと共に手錠をかけられている少女が、年相応のようにべそをかいた。俺を殺そうとしていた少女と同一人物には見えず、頭が混乱する。

 「セシリアは悪くないわ。ダニエルがどんくさかっただけでしょ」

 「うっせーよ!黄金竜相手にどうしろってんだよ」


 「あらあら、エルフの生き残りも全員集合、ということかしら」領主が微笑みながら言う。未だに余裕が消えない。

 「あの女…!」アマリアが語尾を荒げた。

 「おいアマリア、俺の手錠を外せ。あのクズ野郎をぶっ殺してやる」ダニエルがパトリックを睨みつける。「あいつが俺らを裏切りやがったんだ」

 「逆恨みにも程があるな、プロテウス。自身の力が足りなかっただけだろう」パトリックはこの期に及んでもなお、能面のような表情を崩さない。


 「フレデリカ」フレイヤが声を上げた。「あなた達の負けよ。領主権限はもう意味をなさない。そっちは二人。さっきの殺戮で、もうあなたの味方をする人もいない。こっちはエルフが五人と、黄金竜。あきらめて投降しなさい」

 その言葉に、フレデリカは口角を吊り上げた。

 「まだ私達に降伏を進めるのね。それは優しさかしら。それとも―。まあいいわ。ふふ…。貴女はやはり、詰めが甘いのね」

 「…?それはどういう―」


 領主は金のお盆を掲げた。評議会館で行った時のように。

 「まだ分からないのね、これらが何なのか。領主権限の発生源。無尽蔵の魔力の源。そのようなものが七つもあると?」

 「何を、言っているの…?」

 フレイヤの疑問に、フレデリカは微笑みを返した。

 「あり得ないわ。そうでしょ?そのような強力な宝物が七つも。本来ではあり得ない、存在し得ない代物。では、これらは何なのか」


 「言葉遊びかよ、半エルフが!ぐちゃぐちゃうっせーんだよ!」ダニエルが怒声を上げた。

 「愚かしいわね。犯罪者と警察官、それらを寄せ集めてもなお、吠えるだけしかできない烏合の衆なのだから。フレイヤ、今貴女言ったわよね。そちらはエルフが五人、こちらは二人。数で勝っているのは貴女方の方だと。でもそれは間違いよ。そちらは五人、こちらは―一万」

 「…はぁ?一万?お前何言ってんの?」

 「一万…まさか!」フレイヤの顔が青褪めた。


 「思い至ったようね。ふふ。ここまでするつもりはなかったのだけれど、仕方ないわ。切り札というものは使わないに越したことはないのだけどね。でも、ちょうどここはかつてのアルフヘイムであるようだし、百年前の再現といきましょうか」


 突然、空気が震えた。どこからともなく地響きが上がる。フレデリカの持つ金のお盆が禍々しく光りだした。

 「おい!何だよ、この魔力は!」

 「フレイヤ様、これは一体…!」

 エルフ達は慌ててフレイヤの方を見たが、肝心のフレイヤは口をぱくぱくとさせるだけだった。

 「あ…ああ」

 「姫、こちらへ!」トーマスがフレイヤに走り寄り、彼女を守るように立ちはだかる。『―神を恫喝したる者。財宝を護りし愚かなりゅう―』


 「―黄金竜ファフニール。その名も、これの前では霞んでしまうわね、トーマス。『―ああ、哀れなるや。愚かなるや。神の世は終わる。全て無へと帰す神々の黄昏(ラグナロク)。月を喰らい、この世を終焉へと導け―』


 フレデリカが残酷な笑みを広げる。


 『―終焉を彩る者(フェンリル)

最終話は9月25日に投稿予定です

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