表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界探偵  作者: かえる
10/13

異世界探偵 前編

 薄暗い部屋の中、机の上のランプが灯っている。部屋には豪勢な飾りなどない。夜の暗がりを映す大きな窓が一つと、幾本かある柱に小さな絵画が飾られている以外、壁の全てが本で埋め尽くされていた。それは、この部屋の主が悠久にも近い時間を生きてきた証にも見える。その、書斎とも言える部屋の、窓の手前にある机に、この部屋の主であるドワーフが座っていた。潤沢に蓄えた白い毛をランプの黄色に染めている。

 「この度は、ご連絡ありがとうございます、タレス様」先程部屋に通されたパトリックは仰々しく頭を下げた。

 「いいえ、協力することは当たり前よ、テュポーン」レイラ・タレスはパトリックを労った。「しかし、十年間も行方をくらませていたあのフレイヤが、記憶喪失で出てくるとわね。居なくなったと貴方から聞いたときはどうなることかと思ったけれど」

 パトリックはそのレイラの苦言に、眉一つ動かさずに無言だった。その様子を不審に思ったものの、レイラは続ける。

 「今回の、フレイヤ暗殺の案件、これは一応、私から、と云うことにしておいてあげる。依頼もなしにクライム・ヘイヴンが動いたとあれば、他の領主達が黙ってないでしょうからね」


 パトリックは溜め息を吐いた。そして口を開いた。「本日は、警察官として参りました」

 その言葉に、きょとんとした様子でレイラが鼻をひくひくさせた。「…警察官?どういうことかしら。フレデリカの遣いで来たということ?」

 「ある意味では、そうです」パトリックはそう言うと、隣で浮いている自分の使い魔の口に手を突っ込み、腕輪のようなものを取り出した。それを見て、レイラは血相を変えた。

 「…何のつもり?手錠なんて出して、それを誰に使うというの。…フレイヤ?彼女に関しては暗殺依頼を─」

 「貴女を、逮捕するのです。レイラ・タレス様」

 その言葉にレイラは固まった。その強張りも徐々に解けてくると、疑問を投げつけた。

 「この、私を…逮捕すると?一体どういう了見で」

 「罪状は、特殊指定組織との癒着容疑、となります」

 「…と、なります、ではないわ。特殊指定組織?それは貴方達のことでしょ?クライム・ヘイヴン。怪王テュポーンパトリック・ヴァルト。その癒着、これを表沙汰にするということは、貴方達もその罪を認めるということよ」全く、冗談にしては三流よ。苛立ったレイラは、その大きな耳をぱたぱたと忙しく動かした。片方だけにした、赤いピアスがちらちらと光る。

 「その通りです、タレス様」何処までも冷静沈着に、パトリックは静かに言った。その返答にレイラの耳がぴたりと止まる。

 「…どういうつもり?」

 「どうもこうもありません、タレス様。そもそも私は、“ヴァルト”ではない」

 「何を…言っているの…?」

 パトリックは再び、溜め息を吐いた。レイラは理解が追い付いていないらしい。たばかるのは容易いが、思い込みが激しいのも考えものだな。自身が既に詰んでいることにも気付けないとは。

 パトリックはおもむろに話し始めた。

 「これは初めから決まっていたことです、タレス様」

 「…初めから?…初めからとは、いつから」

 「初めから、です。五十年前、私があの、『箱庭の牢獄』にいた時点から既に、あなたをクライム・ヘイヴンを組織した人物として検挙することは、決まっていたのです」

 レイラは唖然とした。開いた口の閉じ方を忘れてしまったようだった。

 「私はあの日から、クライム・ヘイヴンに潜入するように仰せつかっていた。私は、レイクダイモン第一課第一課長、パトリック・キーロニウス。これまであなたの前で装っていたことは全て、今日のためだったのです」

 「キーロ…ニウス…。あなたがあの、第一課長…。フレデリカの─」

 「ええ、嫡男です」

 パトリックはレイクダイモン領主、フレデリカ・キーロニウスの息子だった。それを今まで他の領主には隠していた。全てはこの日のため。フレデリカの真意をひた隠すため。

 「…あなたがフレデリカの子…。けれどあなたは半エルフには見えないわ。どう見ても少し成長の早い─」そこでレイラは思い至ったらしい。目を見開き、信じられない、となじってきた。「それは禁忌ではなかった?アルフヘイムの、エルフの掟としてそれは─」

 「アルフヘイムは既に滅びましたよ、レイラ様」

 「……まさか…まさかフレデリカは…始祖となるつもり?」

 「あなたにはもう、関係のない話ですよ」パトリックはふん、と鼻を鳴らすと続けた。「レイラ・タレス、あなたを逮捕する。無駄な抵抗はしないでくださいね」

 パトリックはレイラに歩み寄った。


 「そのピアス、戴きます」





 目が覚めると、真っ白い、明るい天井が見えた。心地よさと、居心地の悪さを感じる。窓からだろう、柔らかい風が頬に当たる。その心地のよさはいいのだが、やはり馴れない場所という感覚がリラックスの邪魔をする。

 馴れないどころか、見覚えのない場所だった。寝起き早々、言い様のない不安に駆られるのはいい気分ではない。


 ベッドの、自分が寝ている位置から左下の方に気配があった。少し首を起こして確認すると、ユッコがベッドの脇に座って、うつ伏せになってうたた寝をしていた。その寝顔を見て、何故か急に安堵を覚えた。まるで遠い異国から故郷に戻ってきたような、温かいものが胸に差し込む。

 また視線を真っ白な天井に戻す。さっきまで見ていた夢のことを思い出していた。


 何だか妙な夢を見ていた。

 フランケンシュタインみたいな大男と巨大な兎と、ユッコみたいな性格の白人女性に囲まれたところから、ケンタウロスの馬車に乗せられて病院まで連れていかれる道中に殺人事件に巻き込まれ、病院では不思議な検査を受けた後に少女に殺されかけ、守ってくれた警察官が死に、兎の国に飛ばされてそこでも殺されかけ、大蛇に睨まれたかと思うとそれを兎が蹴散らして、と思ったらそれがドラゴンに…。


 夢の細部に至るまで詳細に覚えていることに違和感はあるものの、やはりあれは夢だ。この脈絡のなさ、奇妙奇天烈な展開は、現実には起こり得ない。理性ではそう思うのだが、あの死の感覚の現実味がいつまでも消えなかった。あの少女、あの大蛇、ソフィアの泣き声、彼女の血塗れの顔─。


 「─あ、起きた!?アンディ大丈夫!?」

 急に騒がしい声がして、俺の意識が現実に引き戻される。さっきのところを見ると、ユッコが充血した目をこちらに向けていた。

 「ユッコ…おはよー」

 「あ…うん、おはよー。…じゃなくて!大丈夫なの!?急に倒れ込むんだもん!目も覚まさないし!心配したんだから!」

 「…ごめん。ありがと。でも俺、急に倒れたのか。あんま覚えてないんだけど…」最後の記憶を探そうとすると、ドラゴンの金色の鱗が出てきた。それじゃない、と慌てて首を振る。

 「覚えてないの!?昨日、大変だったんだから!絵里愛ちゃん拐われたとか言うし、桃地さんとこ行ったと思ったら急に倒れてきて…」ユッコは言っているそばから顔を赤らめ始めた。最後の方は尻すぼみのようになって不明瞭。しかし聞き流せない言葉のせいでそれどころではない。

 「絵里愛が拐われた!?いつ!?誰に!?何の話だよそれ!?」

 「ままま待って!待ってよ、近いったら!」ユッコにそう言われて、彼女の肩を両手で掴んで揺すっていたことに気付いた。いつ体を起こしたのか、自分でも分からない。ごめん、と再び謝って手を離す。ユッコは顔を真っ赤にしながら目を逸らした。

 「顔…赤いけど、大丈夫か?」

 「あ─赤くないよ!ばか言わないでよ、ばか!」

 さっき、無意識に力が入っていたから、もしかして力強く揺すりすぎて、そんなことで血圧が上がるとは思えないけど可能性もなくもないので、申し訳なさを含んで訊ねたのだが、馬鹿と言われて立たない腹はなかった。

 「何で急に馬鹿って言われなきゃいけないんだよ。揺すったのはその…悪かったけど」そこまで言って、揺すった理由を思い出す。「そうだよ。そんなのどうでもいいんだ。絵里愛が拐われたって何の話だよ」

 「お…覚えてないの?アンディが自分で、言ってたのに?」俺と目を合わせるのが怖いのか、ユッコがちらちらとこちらを見る。

 「俺が、自分で…?」

 「昨日、桃源神社で言ってたよ。だから絵里愛ちゃんを助けに来たんだって」

 ユッコが何を言っているのか分からなかった。

 訝しげな表情のまま固まった俺を見て、ユッコが何かを悟った。「─あ、もしかして記憶喪失!?記憶喪失中に、また記憶喪失になったわけ!?」

 「記憶喪失って何だよ」そんな設定、どっかで聞いたな。

 「昨日のお昼に言ってたじゃん!絵里愛ちゃんに殴られて、それで記憶喪失になったって!それで、あたしに…」そこでまたユッコが赤くなる。しかし構っていられない。

 絵里愛に殴られた…?確かに、そんな記憶がないこともない。朧気な洗面台での出来事が思い出される。だが、あれはいつの話だ?

 徐々に冷静さを取り戻し、ようやく自分がいる部屋に視線を走らせた。

 白いカーテン。白いシーツ。部屋の中は清潔感のある白で統一されている。夢で見た、医療都市国家とかいうところに似ている。ただあそこと違い、へんてこな球体は浮いておらず、ベッドの脇に幾つかの機械が置かれているだけだった。

 「…ここ、病院?」

 「…そうだよ」見れば分かるでしょ、とユッコは赤らんだ顔に三角の目で言ってきた。

 「…絵里愛に殴られて、それでここに来たわけじゃないのか?」

 「違うってば。昨日の夜に桃源神社で倒れて、絵里愛ちゃんも起きないし、それで病院に、だよ」

 「絵里愛が…起きないって、拐われてってこと?」あまり想像したくなかった。絵里愛が拐われた、という言葉から、何のために?という疑問の答えはすぐに見つかる。ただ、それを考えるだけで、戸惑いと焦りと怒りが湧いてくる。そんな自分に戸惑った。

 「命に別状はないって。被害を受ける前みたいだったし。悪い奴ら、アンディがぶっ飛ばしたんでしょ?」

 「…ぶっ飛ばした?俺が?」空手の有段者の絵里愛なら分かるが、俺に格闘技のセンスはない。

 「記憶喪失だったね、聞いても仕方ないか。…え、でもちょっと待って。あたしのこと分かるの?」

 「どういう質問だよ」なかなか混乱が収まらない。ユッコとの会話が噛み合わない状況に困惑する。

 「だって昨日は…あたしのこと……」またごにょごにょと言い澱む。いつものような溌剌さは何処に行ったのか。まさか、まだ夢の続きとか…?

 「昨日、何って?今、フィアぁ何たらって言ったのか?」

 「な、何でもないよ!…とにかく!昨日はあたしのこと、覚えてなかったんだって!」

 「俺が?ユッコのことを?」忘れてたのか?こんな騒々しい人物を?あまり現実的ではない気がする。

 が、そこで引っ掛かりを覚えた。というより、目の前に引っ掛かってぶら下がっていたそれから、意識的に目を逸らしていただけなのだが。しかし、それを直視しないと、その可能性を検討しないといけない気がした。

 「…なぁ、ユッコ。…昨日って、何日?」

 「…はい?」

 「いいから。何日だった?」言いながら自分のスマートフォンを探す。ポケットだろうか。視線を泳がせていると、ベッドの脇のキャビネットの上に見つけた。手に取って電源ボタンに触れる。

 「…今日が16日だから、15日なんじゃない?9月15日」

 スマートフォンの画面が点くと同時に、ユッコの答えが返ってくる。画面にはユッコの答えと同様に16日、7時3分と表示されていた。

 やっぱりだ。一日飛んでいる。俺の、夢の前の最後の記憶は、葛原さんに恨みを買った日。それが昨日の記憶だと思っている。そう思いたい。けれどそれは14日だ。つまり15日、昨日一日中、俺は夢を見続けていて、その間この体はユッコと神社に行っていたことになる。俺は夢遊病のようになっていたのか、それとも─。

 「…フレイヤ」考えいたことが口を突いて出た。

 「フレイヤ?…ああ、有平あるへいさん?…何で呼び捨てにしてんの?」ユッコの言葉に棘が生えた。

 「あるへいさん?誰それ」

 「ほら昨日の…あー、ええと転校生だよ。フィンランドとのハーフとかってコなんだけど。赤い髪の…そういえばあのコ、どこ行ったんだろ?神社にいた筈なんだけど」

 「赤い髪?」そういえば夢の中で、視界の端にいつも赤い髪の毛が見えていた。夢の中では自分は女の子、という受け入れ難い状態だったので、なるべく見ないようにしていたが、この状況では考えなければいけない。「…ん?でもそれだと、フレイヤがこっちにいたってことになるのか?…ん?」

 「こっちって何?てか、だから何で、下の名前で呼び捨てにしてるわけ?何なの?そんなに親しくなったの?」ユッコががみがみと噛み付いてくる。長い付き合いだから怒っていることは分かるが、何に、かは見当がつかない。とりあえずユッコは放っておいて、考えをまとめようとした。スマートフォンの画面の上、ステータスバーに見たことのないマークが出ていた。無意識にスライドさせて、表示する。


 頭の中では、この体があの夢の誰かと入れ替わっていたのではないか、という可能性を考えていた。常識的に考えればあり得ない。むしろ妄想に近い。そんなことを考えている自分が信じられないが、残念ながら矛盾が見つからない。馬鹿げた空想を否定する証拠でもあれば良いのだが…。そう思いながらも可能性を探ってしまう。入れ替わっていたとすれば誰だろう。あの夢の中で、常に不在だった人物。フレイヤか、あるいは─。

 「─アンディ・レイ、か?」

 「…何で自分のフルネーム言ってるの?」ユッコがひとり首をかしげた。


 スライドした画面には、“録音が完了しました”と出ていた。何のことか分からない。分からないが、押してみる。


 突然、大音量で笑い声が上がった。その音に怯み、慌てて音量を下げる。おいおいマジかよ、とか、お前バカだろ、などの言葉が品のない嘲笑と共に流れてきた。

 「…え、何?何かの動画?」ユッコが耳を塞ぐポーズをしながら不機嫌に聞いてきた。

 「…分かんない。動画じゃなくて録音みたいなんだけど」


 『吹き飛べ、ウェルテクス!』


 急に別の声が聞こえた。背中に寒気が走る。うわーやられたー、と小馬鹿にしたような声が続いた。

 「今のアンディの声だよね」ユッコが言う。

 「…俺の声?あんなんなの、俺の声って」鳥肌が治まらない。何だか恥ずかしいような、おぞましいようなものを聞いた気分だった。


 『吹き飛べ!ウェルテクスっ!!』


 再び呪文が聞こえた。心の底から止めてほしいと思った。

 「ほらやっぱり、これアンディだよ」うぇるてくすって何?と聞いてくる。知らないよ!

 スマートフォンの向こうが静かになった。これは一体何の音声データなんだ。そう思っていると、今度は女性の声がした。

 『─アンディ?』

 ユッコと顔を見合わせる。誰これ、という俺の無言の質問に、ユッコが「これ有平さんじゃない?」と答えた。

 『…大丈夫、アンディ?何だか今、魔法を使おうとしていたみたいだけど』その控え気味な言葉に心臓が飛び跳ねた。

 「何で有平さんがアンディのこと、アンディって言ってるわけ?」ユッコはどうでもいいところを指摘した。けれど問題はそこじゃない。


 今、魔法って言ったよな。無闇に鼓動が早くなる。

 ユッコの言う通りなら、これが有平さん、有平フレイヤ。それは夢の中で散々聞かされた名前に似ている。エルフの王女で、俺が勘違いされ続けていたフレイヤ・アルフヘイム。そこに魔法。これらを関連付けるとつまり…夢の住民が現実世界に干渉してきた、ということになってしまう。


 『ごめんなさい。私、勝手に手を出してしまって。でも上手く使えないみたいだったから』音声データは続く。

 「さっきの、下品な人たちはどうしたんだろう。静かになったけど」

 「分からないよ」そう答えたがすぐに思い至る。「あれじゃないか?絵里愛を拐ったとかいう」

 「あー!あの伸びてたの!?え、じゃあ今、もうやっつけちゃったってこと?…どうやって?」

 「分からないよ」同じ言葉で答えたが、今度は既に分かっていた。さっきのウェルテクスとかいうものだろう。あれが何らかの魔法だったのだ。だが、それをユッコに伝えるつもりはない。自分の口から出たらしい魔法の言葉で倒しただなんて、そんな説明したところで、ユッコに白い目を向けられるだけだからだ。

 長い沈黙がある。本当は数秒のことだったのかもしれないが、とても長く感じられた。やがて、また有平さんが話し出す。


 『アンディ。私、きっとあなたに─』

 『─その赤毛。その顔。今は亡きエルフの国、アルフヘイム。その王女、フレイヤ・アルフヘイムとお見受けする』

 ユッコの目が疑問符に変わる。けれど俺にとっては想定内だった。確信を強める。頭の中で積み木の城が出来上がるようだった。真実は恐らくこうだろう、という推測の城。だがそのあとに流れた自分の声で、その城はいとも簡単に崩れ去った。

 『我はクライム─。クライム・ヘイヴン。汝のお命─頂戴致します』

 「クライム・ヘイヴン!?」俺は絶句した。積み木ががらがらと音を立てて崩れる。大蛇に崩された気分になる。あるいは白い少女の足に。

 「何?クライム・ヘイヴン?罪の楽園ってこと?」ユッコが訊ねてくるが、返答する余裕もない。

 クライム・ヘイヴンが俺の中にいた…?この体を乗っ取っていたのは、アレックスを殺し、ソフィアに暴力を振るい、俺を殺そうとしたあの少女の仲間?急に悪寒がした。気味の悪い毒虫に身体中を蝕まれていたような気分になった。

 だがそこで、有平さんの語調が変わった。

 『クライム・ヘイヴン?あなたまさか、プロテウス?何でこんなとこに居んのよ』

 声は変わっていないのに、まるでさっきとは別人だ。お淑やかな、控えめな性格の女性をイメージしていたのに、その実、姉御肌の口調に切り替わった。ユッコを見ると彼女も言葉を失っていた。

 『…あー、なんだ。スキュラかよ。もう少しで攻撃するとこだったじゃねぇか、紛らわしい』

 有平さんが地をさらけ出すと、それに呼応するように、昨日の俺も言葉が砕けた。その砕け方に記憶が反応する。癖のある黒髪の男の顔が浮かんだ。さっきまで見ていた夢の、あの図書館で会った、偽警官(ドリス)。あの男の口調にそっくりだった。

 『仕事よ。し、ご、と。あんたは?何その格好。てか何その体?エルフでもないよね』イメージが崩壊した有平さんは会話を続ける。

 『現地人のだよ。転魂魔法?っていうやつだ。ちらっと調べただけで、詳しくは知らねぇんだが』

 『何それ』有平姐さんが呆れた声を出す。俺は、まるで自分が呆れられているような錯覚に陥り、思わず方をすぼめてしまう。自分の声が呆れられているからだろうか。『ちゃんと調べて使いなさいよ。そんなんだからミスして、パト…テュポーンにどやされるんじゃないの?』

 『おいおい、コードネーム以外で呼ぶのはマズいんじゃねぇの?』俺が囃す。

 『うっさいわね!ワザとじゃないわよ!揚げ足ばっかり取って。もうちょっと真面目にやりなさいよ』

 『あーうるせーなぁ。ハイハイわかりましたよ、スキュラさん』


 「ねぇ、これ何の話?」ユッコが横から口を挟んだ。「これ、アンディじゃないの?」

 「…多分、俺だけど、俺じゃない」どうにかそう言う。

 「何それ。どういう答えなわけ?」

 何と説明すれば良いか分からない。この会話から、あの夢が、トロールだとかドワーフだとかエルフだとか魔法だとか毒の鶏だとか大蛇だとかいう話が、実際にあったことなのだと、理解できた。できたのだが、それがどれだけ現実離れした話なのかも分かっていた。そのことを口にするのが怖い。


 これまでの人生で、散々に確認して、確信していたこと。例えば、空は上にあり、地面は踏んでも大丈夫。朝には毎日太陽が昇り、夜には沈んで暗くなる。そんな当たり前のこと。その当たり前が実際は全て間違いで、地面は踏めば簡単に穴が開き、その穴の先には真っ黒に燃える太陽とドス黒い空が覗いていて、その空に落ちていく。実は世界はそのようにになっている。地球は丸くなんかなく、空は下にあるんだ。そんな、突拍子もない話をされている気分だった。

 実は別の世界があり、そこには魔法があって体を入れ換えられたりする─。この会話データと自分の記憶を照らし合わせて、それが事実だと、自分の脳が言っている。だがそれは、今までの俺の人生、常識、認識を根底から覆しかねず、そのことに俺は得体の知れない恐怖を感じていた。


 そんな俺の気持ちを置き去りに、クライム・ヘイヴンの会話は続く。

 『で?仕事って何だよ。どいつからの依頼?』

 『あいつよ。あのいけ好かない女。レイクダイモンのハーフエルフよ』

 『ああ、フレデリカか』

 『ミーミル石を取ってこいって。アンディって奴が知ってるんじゃないかって言ってたんだよね』

 『アンディ?』俺の声が繰り返す。

 「アンディ?」ユッコも反応する。

 『モモからの情報なんだって。フレイヤが姿を消す前に、あの人のとこからミーミル石を盗んでるんだけど、そのミーミル石とのパスの定期検査の時に、言ってたんだって、“アンディ”って』

 『モモが、そんなことを…?』

 『無理に口を割られたんでしょうね。裏切り者だからって、半エルフに仲間の情報を売るような人じゃないもの』

 昨日の俺が静かになった。先程までの闊達さは鳴りを潜め、有平さんの歯に衣着せぬ物言いだけが聞こえる。

 『でも、あの人も大変よね。私たちが捕まるよりずっと前からこんなとこに島流しにされて、ずっと一人でミーミル石の面倒見てたんでしょ?それを十年前にフレイヤに持ってかれてから楽園が不安定になって、それまで祭壇から楽園全体に散っていた罪の意識があの人にも降りかかってきてるんだってさ。今も現地人からちょっかいを出されて困ってるって。正体バラすわけにもいかないから、魔法で追っ払えないし。ホント、何というか不幸体質よね』

 『そうか…そんなことが……』俺の、何故か気落ちした声がする。

 『何?何でしんみりしてんの?調子狂うんだけど』

 『…で、どうしてお前がそんなこと知ってんだよ』俺の口調は戻ったが、張りがない。黒髪の男の印象が薄くなった。

 『どうしてって、そりゃ本人から聞いたんだけど。こっちは正規ルートで来たんだから。あんたみたいに力業じゃないの』

 『なるほどねー。で?その生真面目スキュラさんは、どうしてここに戻って来てんだ?』

 『あなたに用があったの。あなたというか、その体の方。それ、アンディっていうんでしょ?』

 『あ、そういやそーだな。…でもこいつじゃねぇんじゃねぇか?だってこんなにデッカく……』そこで俺の声が止んだ。思わず息を飲む様子が窺えた。

 それに有平姐さんは目敏めざとく反応した。『ん?今、こんなにデカくなかったって言った?言ったよね?あんた何か知ってんの?』

 『…おいおい、人の揚げ足取りはするもんじゃねぇって、さっき言ってなかったかよ』俺の口の端が苦々しい。

 『どういうこと?何を知ってるのよ。さっさと答えなさいよ』静かに、けれど緊張を孕んだ有平さんの声がした。そこに、俺の開き直った声が重なる。

 『まーいっか。聞きたかったことは聞けたし』

 『…まさかやろうっての?あんたが私に敵うわけないのに?』

 何だか嫌な雰囲気だ。気付けばスマートフォンを握る手に汗をかいていた。スピーカー越しの、昨日のやり取りに息を殺して聞き入っている。ユッコも変な合いの手を入れなくなっていた。

 『そーだな。ここらが引き際か。─我はクライム──』急に俺の声が沈む。

 『それはさっきも聞いたって─』

 『──クライム・ヘイヴン、アステリオス』

 『ア、アステリオス…!?……あなた、まさか─』有平さんが驚きの声を上げた。だが俺は、構わず言葉を続けた。

 『─我が偽りの名の元に、展開せよ!ラビュリントゥス!!』

 突然、突風でも吹いたような、ざらざらとした轟音がスピーカーを埋め尽くした。やがてそれが止むと、誰もいなくなったような静寂が訪れた。




 「…つまり、今までの話をまとめると」ユッコは混乱する頭を宥めるように、両手で抱えている。「有平さんは異世界から来た人で、アンディもそうってこと?」

 「俺は違うよ。俺の体が異世界の人と入れ替わってたんだ」

 「入れ替わる?アニメとかであるやつ?てか異世界って何。アンディ何言ってんの?」ユッコがわけもわからず攻撃してきた。

 「俺だって知らないよ。目が覚めたらフランケンシュタインと喋る兎と白人女性に囲まれてたんだって。てっきり夢だと思ってたけど、こんな音声データがあったら信じないわけにいかない」手にあるスマートフォンを振ってみせた。データは丸々一時間あり、最後の方では救急車の音や慌ただしいユッコの声などが入っていた。

 「じゃあ、そのデータが嘘なんだ。だってあたし、そんな声してないし」

 「してるよ。これユッコだろ」俺は音声データの、再生時間を表示しているバーのめぼしいところをタップした。

 『…いや!いやいや!どうしんだい、はこっちの台詞だから!』ユッコの声が再生される。

 「やめてよ!何か恥ずかしいから!」実際のユッコが両腕を擦りながら抗議してきた。

 「ほら。ユッコじゃないか」俺は再生を止めた。


 ユッコは苦悶の表情を浮かべている。「…わかった。百歩譲って、その声があたしのものだってことにしよう」

 「譲る余地はないと思うけど」

 「でもだからって、異世界はないでしょ!ないない!あり得ないって!」

 「俺だって信じられないよ。でも今までの話を総合すると、そういうことになるじゃないか」

 俺も半信半疑だったが、ここまで出揃ってしまうと信じざるを得ない。


 クライム・ヘイヴン。エルフ。ミーミル石。全部夢の中で聞いた言葉だ。これが独りだけで聞いたのなら、夢の続きということになるのだろうが、今はユッコがいる。彼女の昨日の話、それに昨日の音声。このユッコ自身が俺の夢の産物という可能性もあるが、それならそれで話を進めても問題はない。俺が未だ夢の中なら、好きなように過ごしても現実には関係ない。だから、これが夢であろうがなかろうが、異世界があると仮定して行動することには何の不自由もない。


 「さっきの会話で出てきたミーミル石、あれはウチにあったんだ」俺は話を続けた。「正確には俺の机の引き出しの中」

 「引き出し?何でそんなとこにあるの?てかミーミル石って何?」

 「あっちの世界の秘宝なんだって。向こうの図書館で絵を見たんだけど、それがそっくりだったんだ」

 「図書館?異世界にも図書館ってあるんだ。初耳」混乱を来しすぎたのか、ユッコが自棄になっている。

 「どうやら有平さんと俺の中にいた人は、そのミーミル石を取りに来たらしい」

 「ちょっと待って。それ異世界の秘宝なんでしょ?何でこっちにあるわけ?おかしいじゃん」

 「話聞いてたろ。フレイヤが盗んでこっちに隠したって。フレイヤってのはあっちの、元王女様?らしい」

 「泥棒はよくないよね、うん」

 「悪いのはクライム・ヘイヴンの方だと思うけどね」

 「だから何なの、クライム・ヘイヴンて?」

 「犯罪組織。殺人も辞さないような」

 「ヤバいじゃん。警察に通報した方がいいね」

 「向こうの警察も追っていたみたいなんだ」

 そこでユッコはきょとんとした。「…異世界に警察がいるの?」

 「いたよ。さっき言った、フランケンシュタインと兎と白人女性がそうだったんだ

 「へぇー、まともに機能しなさそうな警察だね」

 「そんなことないよ。実際、さっきだってクライム・ヘイヴンを二人も…」そこではたと気付いた。「─そうだよ。あり得ない。俺の中にあいつが居たなんてのはあり得ないんだ」

 「…え、今度はなに、どうしたの」ユッコの反応が若干引き気味だ。

 「今のデータの、俺の口調には覚えがあるんだ。クライム・ヘイヴンの一人なんだけど。でもそれはおかしいんだ。あいつは俺の目の前にいた。だからこっちの世界で、俺の体の中に居るなんてのはあり得ないんだよ」

 「…つまり、どういうこと?」

 「つまり、昨日の俺の中に居たのは、あのクライム・ヘイヴンじゃなくて、それに成り済ましていた別人だということだ」

 そう考えれば最後に、仲間割れのような状態になったことも説明がつく。正体がバレそうになり、手を打ったのだろう。だが、だとすればその正体は誰なのか。成り済ませるということは、少なくともあの男を知っているということだ。秘密裏な犯罪組織を知っている…。そういえば、クライム・ヘイヴンはエルフの─。


 その瞬間、俺の中で考えが繋がった。


 「急に押し黙って、どうしたの」ユッコはもう、他人事のようになっている。

 「分かったかもしれない」

 「何が?」

 「俺は昨日…フレイヤだったんだ」

 「…ごめん、もう何言ってるか分かんないや」ユッコは途方に暮れたような声を出した。





 幼馴染みの言うことを理解できなくなったら、どうしたらいいのだろう。ユッコはそんなことを考えていた。


 アンディが目を覚ました。それは良かった。たいへん喜ばしい。けれどその後、どうにも様子がおかしい。あたしのことは分かるっぽいのに、昨日のことは覚えていない。しかも異世界がどうたらと、真面目な顔で言ってくる。

 あたしは病室の出口の方を見やった。ここ、心療内科とかあったかな。


 「ということは、アンディ・レイは関係ないのか」アンディは、また自分のフルネームを口にしながら考え込んでいた。

 「アンディ・レイは関係なくないでしょ」とりあえず会話をしようと試みる。

 意味不明な会話であっても、手を離しちゃいけない。そう思った。

 「何で関係なくないんだ?俺はフレイヤだったはずなんだけど」アンディが真面目に返してくる。アンディのそんな様子に、何だか悲しくなってきた。

 とはいえ、返事を考える。自分は有平さんだとか、訳のわからない思い込みを捨てさせるには、どうすればいいんだろう。自分のことをちゃんと認識できるようにするには、どうすれば…。必死に頭を回転させて、どうにか理屈を絞り出す。

 「だって…えーっと、ほら!昨日、自分のことアンディって言ってたじゃん!あたしとかがアンディって呼び掛けたら、何で名前を知ってるんだ、って問い詰めてきたし」

 するとアンディが、目を見開いて固まった。

 途端に絶望しそうになる。何か、間違えた?アンディをどうにかしたい一心で、トドメを刺してしまったかもしれない。アンディの心を壊してしまったかもしれない、と。

 「…昨日、そう言っていたのか?」アンディはなおも、まじまじとこちらを覗き込みながら訊ねてくる。その眼差しには狂気が宿っているように見えた。

 「いやー…いや!言ってなかったかなー!?うん、言ってなかったと思う!気のせいだよ、きっと!」軌道修正を図ろうともがいてみた。けれど、もう遅かった。

 「…そうか。─つまり、アンディ・レイはフレイヤだったんだ」


 アンディが壊れた。本気でそう思った。今度は自分をフルネームで呼んだ上でフレイヤと同一人物だと言い始めたのだから。

 あたしのせいだ。引き留めようと手を伸ばしたら、背中を押してしまった。あたしがあそこで手を伸ばさなかったなら─。涙が溢れそうになる。


 「昨日、トーマスが言ってたんだ。俺はフレイヤじゃないって。何故なら、記憶喪失にもかかわらず、自分の名前は覚えていたから。俺が怜って自分で言ったから」アンディは淡々と言葉を続けた。…てかトーマスって誰?

 「だけどそれは間違いだ。あの時は夢だと思って否定しなかったけど、今ならはっきりと否定できる。俺は体が入れ替わっていた。あの体はフレイヤだったんだ。俺を殺しに来たクライム・ヘイヴン達は間違っていなかった」

 「ごめん…アンディごめん。あたしが悪かった。だからお願い、正気に戻ってよ」

 いつの間にか涙が溢れていた。ごめん。ごめんなさい。知らずに何度も謝っている。あたしが壊してしまった。あたしが殺してしまった。アンディの心を。もう二度と、あたしの知っているアンディには会えない。そう思うと、涙が止まらなかった。


 気付けばあたしは、アンディの胴回りにしがみついていた。そんなこと、今まで一度もしたことはなかった。それが何故か悔しくて、悲しかった。アンディがアンディの時にしていれば良かった。どうしてあたしは─。

 頭にアンディの手が触れた。アンディの手のひらはじんわり温かく、あたしは思わず目を閉じてしまう。

 「大丈夫だ、ユッコ。俺は正気だよ。自分でも信じられないから、ユッコがそう思っても仕方ないけど」

 あたしは目を上げた。そこにはアンディの優しい目があって。あたしは射竦められて動けなくなる。

 「だから、泣かないでくれ。ユッコが笑ってないと、何だか調子が狂うんだ」

 アンディの頬に赤みが差している。

 「─うん」あたしの喉が鳴った。え、今あたし、どっから声出したの?


 「あと…あの悪いんだけど、少し離れてくれないか。心配してくれたのは、う…うれしいんだけど」アンディが顔を赤くしていた。

 途端に自分が今していることがとても恥ずかしくなって、慌てて離れた。「ご、ごめん」


 変な空気が流れる。病室を満たす空気が、全部ほんのりとピンク色になって粘度を増したみたいだった。息が吸いづらい。吸っても吸っても入ってこない。

 そんな空気を無理矢理破ったのは、アンディだった。

 「と─とにかく!正気のままに話を続けるけど、俺とフレイヤは体を入れ替えていた。思えば最初にトーマスと会ったときもおかしかったんだ」

 「えとー…やっぱり正常には見えないんだけど……トーマスってだれ?」

 「警察官だよ。兎の」


 アンディは、異世界の話を滔々《とうとう》とし始めた。イグドレイシア、アルフヘイム、七賢人、領主、都市国家、警察の国、エルフにドワーフにトロールにケンタウロス。

 耳を塞ぎたくなるのを必死に堪える。どう聞いても作り話。でも本人は本当にあったことだと思っている。あたしが聞いてあげないと、きっと誰も耳を貸さない。さっきアンディに撫でられた感触が生々しい。アンディの味方でいたい。今まで散々助けてもらったんだ。何があってもアンディの味方でいよう。今、そう決めた。


 「牢獄で、一番最初に会ったとき、彼が言ったんだ。俺を記憶喪失だって。そして彼は元々、ドワーフの国の…何だっけ……防衛庁長官?だった。どれだけ偉かったのか知らないけど、少なくとも元女王とその後も懇意にするくらいのポストだ。その頃は、今の体制になる前だから、アルフヘイムもあったはず。他国の重役、しかもアルフヘイムの王女を知らない方がおかしい。つまり、彼は初めから嘘をついていた。ソフィアの家でも、問い詰めた後でさえそうだ。だけどそれで俺を陥れようとかは考えていなかったはずだ。実際、俺達がクライム・ヘイヴンに襲撃されているとき、助けてくれたのは彼だった。彼の目的は、フレイヤを守ることだったんだろう」

 「てことは…お姫様になったアンディを、そのウサギさんが守ってくれたんだ」

 不思議の国のアリスを思い出す。時計を持った慌ただしいウサギが、アンディを守って奮闘する。そんな想像をすると何だかおかしかった。

 「そう言われると…大変恥ずかしいのだけれど……。でも、そういう状況だな。で、問題はその、お姫様の方だ」

 「ウサギさんじゃなくて?そのコだって頑張ったのに」あたしの中ではもう、慌てん坊の時計ウサギが、可愛らしいナイトに昇格している。

 「そのコって…。まぁいいや。お姫様の方、フレイヤが何のために俺と体を入れ替えたのか」

 「それはさっき言ってたよね。何ちゃら石がどうって─」

 そこまで言って、自分の血の気が引くのが分かった。こんな支離滅裂な話、少し前の話と噛み合わないこともあるはず。なのに、またやってしまったかもしれない。また余計なことを。貧血を起こしたみたいに、地面がふわりとする。

 「そう、ミーミル石だ」アンディは何事もないように首肯した。その様子に、安堵のため息が漏れた。

 「…?ユッコ、大丈夫か?」

 「うん…大丈夫、ちょっとふらついただけだから」

 「そうか…。その、ミーミル石をどうして取りに来たのか。体を入れ換えてまで。それは、ミーミル石を検査するためだと思う」

 「検査?ミーミル石が本物か調べたってこと?」

 「じゃないな。ミーミル石に残った魔力を見たかったんだと思う」

 なるほど、今度は魔力ですか。もう、理解が追い付かないから、普通に飲み込んでしまった。

 「図書館でクライム・ヘイヴンが言っていたんだ。ミーミル石の痕跡を調べようってフレイヤが提案した、みたいなことをさ」

 「……えーっと、どういうこと?…つまり……お姫様は…犯罪者の仲間…ということ?」

 あたしは我慢しようと思った。話の粗を、矛盾点を突かないようにしないといけないと、思っているのに、…我慢できませんでした。その努力の証のように、語尾が消え入りそうになった。もう、ホント自分の性分がイヤになる。

 「そういうことになる。それはトーマスも否定していない」

 「…え、ウサちゃんも認めたってこと!?ナイトなのに!?」

 どういう咀嚼をしているんだ、とアンディは苦々しげに言った。「彼は、俺がクライム・ヘイヴンではないということを、俺がフレイヤではないという点で否定した。けれど俺がフレイヤだったとなれば全部ひっくり返る。しかもクライム・ヘイヴンは俺のことを、フレイヤのことを裏切り者と言っていた。つまり、フレイヤはクライム・ヘイヴンの元仲間で、それをトーマスも知っていた可能性が出てくる」

 「じゃあ…警察官のウサちゃんが犯罪グループと、癒着していたってこと?」

 「それはないと思う。フレイヤは“元”仲間だ。トーマスは寧ろ、フレイヤの脱退を手伝ったんじゃないか?そして、そこまでして手に入れたかったものがミーミル石。その魔力を調べて何が分かるかは見当もつかないけど、あれはアルフヘイムの遺産だということらしいから、きっとフレイヤは滅んだ祖国に執着しているんだと思う。だけど今回、フレイヤは悪手を打っている」

 「悪手?」

 「俺と体を入れ替えたことだ。彼女は十年前に姿を消し、恐らくその間アンディ・レイとして振る舞っていた。それで追っ手の目も掻い潜っていた。そうする必要があったんだろう。なのに俺が向こうにいる間、あの体はずっとフレイヤだった。お蔭で俺が命を狙われることになったんだけど、最後の詰みの前に姿を晒す理由がないんだよ」

 「晒すところまで作戦だったのかも」

 「それも考えにくい。こっちの世界に亡命するんだったら、もうバレてもいいと思うけど、彼女は向こうに戻っている。まだやり残したことがあるんだろう」

 「やり残したことって?」

 「たぶん、祖国の再興か、名誉の挽回」

 「その、なんちゃら石持って帰ったら、国を元に戻せるの?」

 「分からないけど、裁判には持っていけるかも」

 「裁判、ね」今度はずいぶんと現実的なワードが飛び出した。これは症状が良くなっているんじゃないかな。あたしは少し嬉しくなる。

 「向こうには警察もあったし、法の整備もされていると思う。そこで証拠を持って、アルフヘイムはこうして滅んだんだって証明できれば、世論を動かせるかもしれない」

 「…でもお姫様って、犯罪グループにいたんだよね。世論とか動く?元犯罪者の言うことなんて信じてもらえないんじゃない?」

 「だからこその変装だったんじゃないか?アンディ・レイとして振る舞っている分には証言も幾らか通るだろうし。なのに、フレイヤというのがバレてしまった。向こうにいる間、俺はフレイヤだったんだから。ここまで仮定するとつまり、彼女は今、絶賛大ピンチ中、ということになる」

 「…でもそれって、あくまで仮定の話だよね?そんなこと、なってないかもしれない。お姫様は無事だし、国も元に戻ってパッピーかもよ?アンディがこんなに考える必要もないかも。大体、夢でしか行けないとこなんだし、ピンチだったとしても、どうしようもないよね」

 また自分を有平さんと言ったり、自分のことを他人事みたいにフルネームで呼び出した。だから急に否定したりせずに、緩やかに軌道修正しようと試してみる。

 すると、アンディが不敵に笑った。

 「夢でしか行けないとこ、じゃないんだな、これが」

 「…い、行けるの?どうやって?」

 「行き方は知らないけど、行き来できる人がいるじゃないか」

 「誰?…いないでしょ、そんな人」

 「いるよ。ユッコも知っている人だ」言うが早いか、アンディがもぞもぞとベッドから出ようとした。

 「待って、どこ行く気?勝手に出ちゃマズいって」

 「行くとこは決まってる。勝手に出ても大丈夫だろ。書き置きとかしといたら」紙とペンある?とアンディに訊かれて、あたしは仕方なしに鞄に手を伸ばした。


 昨日、病院までアンディに付いていって、アンディのおばさんに連絡入れてからずっとここにいるから、服も鞄も昨日のままだった。おばさんには帰ってもいいよ、明日学校でしょ?と言われたけど、気が気でなくて結局ここに残った。汗だけ流したくて病院のシャワーを借り、後はずっとここにいる。おばさんは家の事しないと、と一時的に帰っていた。旦那さんは家事は何もできないし、一通り家の事ができるアンディも、絵里愛ちゃんもこんなことになって、おばさんは帰るしかなかった。何かあったら連絡してね、と憔悴しきった笑顔を思い出して、やっぱり引き留めようと思い直した。勝手に出ていくのはやっぱりダメだ。


 「ねぇ、やっぱやめよ。せめておばさんが戻ってくるまでさ」

 「でも事は切迫してるよ。人の命も関わるかもしれない」アンディは既にベッドの端に腰掛けていた。真面目な顔で言われるほどに恐怖が増していく。

 「それは…そうかもしれないけど……」どこまで否定して良いか分からず、押しが弱くなる。


 結局、あたしはアンディに紙とペンを渡した。強く引き留めるのが怖くて何もできなかった。おばさんには連絡しておこうと、スマホを取り出してラインを起動する。

 「どこ、行くんだっけ」何とはなしを装って訊いた。

 すると立ち上がったアンディは、ズボンのポケットにスマホを仕舞いながら言った。

 「もちろんあそこだよ。桃源神社だ」





 「何で、ここに、また来ないと、いけないの」長い石の階段で喘ぎながら、ユッコが喚いている。

 その隣で俺は手に持った金色のヘアピンを眺めていた。


 病院から出る前、ユッコに頼んで絵里愛の病室に行っていた。

 絵里愛は静かに寝ていた。昨日怖い思いをしたろうに、その顔は穏やかだった。普段、不機嫌な顔が当たり前だからか、眉間に皺の寄っていない所を見るのは、何だか新鮮だった。

 その、絵里愛が寝ている隣には、やはりキャビネットがあり、そこにヘアピンがあった。金色のそれは確か、あのペンダントと一緒に貰ったものだ。それをくれた人の顔を、もう俺は覚えていないが、あのペンダントがあちらの物なのだったら、これも返した方がいい気がした。だからそれを持ってきた。


 「ここに、何が、あるって言うの」ユッコがぜえぜえとうるさい。

 「テニス部なのにそんなにしんどいのか?サボりすぎなんじゃないか」ヘアピンをポケットに仕舞いながら、指摘した。

 「サボってませんー!昨日バカみたいに走らされただけですー!お蔭で筋肉痛で、階段がすごい辛いだけですー!」

 「そうか、それは悪かったよ。何だったら戻って待っててもいいよ」

 「ダメ!それはダメ!絶対一緒にいるからね!」

 必死の形相で階段を上るユッコに、思わず笑ってしまう。

 「笑うな、こんにゃろう!あたしの苦労も知らないで!」

 「ごめんごめん。でも、もうちょっと急ごうか」そう言って先に行く。

 こら、置いてくな!というユッコの声を背中に聞きながら歩みを進める。すると階段の上に人影が見えた。それを見て、間に合ったと胸を撫で下ろす。


 その人物は俺達の姿を認めて、驚いた表情を作った。

 「どうしたの、こんな時間に。病院に行ったんでしょ?大丈夫だったの?」

 「ありがとう、心配してくれて。でもこの通り、大丈夫だったよ、桃地さん」

 そう返事をすると、桃地さんは安心したように微笑んだ。けれどすぐに怪訝そうに眉をひそめた。

 「それで、どうしたの?私は今から朝練があるのだけど」

 「おはよ、桃地さん。昨日、ありがと」遅れてきたユッコが肩で息をしながら挨拶した。

 「実は桃地さんに連れていって欲しいところがあるんだ─」

 すると横から袖を引っ張られた。見るとユッコが懸命に首を横に振っていた。

 「どこかしら。私、遅刻するのは不味いのだけれど」

 「ご、ごめんね!アンディ、ちょっとアレなんだ!」

 「ユッコ、邪魔するなよ。時間ないっていっただろ」

 ユッコがぐいぐいと引っ張ってくる。どういうつもりなのか。

 「…行ってもいいかしら。また放課後にでも話聞くから」そう言って、桃地さんは先を急ごうとする。こちらに向かって階段を降り出した。だから、慌てて単語を投げた。

 「─イグドレイシア」

 すると、桃地さんの動きが止まった。ユッコも凍ったように動かなくなる。


 「桃地さん、君は─」

 桃地さんは大きな目を見開いて、こちらを凝視していた。それがもう、答えているようなものだった。


 「─君は、クライム・ヘイヴンだね」

第十一話「異世界探偵 後編」は7月25日公開予定です

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ