捨て猫
忘れたくても忘れられないことがある。
私もかくいう、人生で何度、忘れられない出来事に直面してきたことか……。
しかし、その殆どが大人になってからのものが多く思う。
子どもの時の記憶など曖昧で、抜け落ちていても可笑しくない。
ただ、ふと、思い出すことがある。
それは子どもの頃の記憶で、唯一、今も思い出しては、その時の感触まで鮮明に覚えていること。
私が、十歳の頃のこと。
その日は、毎週欠かさず見ていた、アニメの日で、何事もなければすぐさま家に帰る予定だった気がする。
友達と別れた後、いつも通り、家と家の間の、裏道を抜けて、下校していた。
ふと、知らない家の軒下に、ダンボールがあるのに気づき、その側面に、『拾ってください』と、書かれているのに気づいた。
私は好奇心から中を覗くと、灰色の毛が、不揃いに生えた仔猫が一匹、なーなー、と鳴いていた。
当時の私は、産まれたばかりの仔猫など見たことはなかった。だけど、この子は、目をうまく開けていられないのか、目を細めているところから、おそらく産まれて間もないのだろうと思った。
私が警戒心を解こうと、なーなーと、近づくと、つられて仔猫もなーなー、と鳴く。
私も面白くなりなーなーと続けると、やはりなーなー、と鳴く。
産まれたばかりの仔猫なら、よく分かっていないのかもしれない。
私は何度もなーなーと続けていると、その奇妙な光景に口元が緩む。
日の陰りが早くなってきていたのか、夕月がもう見えていて、淡いパステルカラーの雲は、下から赤色に、上はみ空色にグラデーションを綴っている。
空をキャンパスとしたならば、これ以上の絵を私は知らない。
ふと、我に変えると、そういえば給食で余った牛乳があったのを思い出し、ランドセルから取り出す。
今にして思うと、ランドセルに入れておくのは、かなりリスクの高いことだったな、と苦笑してしまう。
取り出した牛乳を開ける。
その頃は、瓶に、プラスチックの蓋がされていたので簡単に開けることができた。
私は仔猫が飲みやすいように、プラスチックの蓋に、並々と牛乳を注ぎ、仔猫の前に置いた。
仔猫はそれを、警戒せず、ぺろぺろと舐め始めた。
お腹を空かせていたのかもしれない、
喉を枯らせていたのかもしれない。
はたまた、寂しかったのかもしれない。
ありったけの牛乳を飲ませているうちに、私は、頑張ってそれを飲もうとする仔猫に愛着すら湧いてしまい、どうにかして家に連れて帰れないかと思考する。
母を説得するしかなかった。
そういえば、見たいアニメがあったことを思い出し、私は結論を早めた。
今日はとりあえず帰ってから、母に相談して、明日にでも連れて帰ろう、と。
子どもの考えは浅はかで、どうしようもない。
次の日の、夕方。
私は昨日の通り、友達と別れ、一人、いつも通りの通学路を下校して、件の軒先を通りかかる。
朝、登校する時には仔猫のことをすっかり忘れていて、帰る直前で、そういえばと思い出した。
昨日と同じように、ダンボールはそこにあった。
しかし、近寄って行っても、なーなー、と鳴く声は聞こえない。
どうしたものかと中を覗き込むと、仔猫はダンボールの中で、身体を濡らして動かなくなっていた。
私はその光景を見た時、初めは寝ているのかな、と、思ったが、次第に事を理解した。
死んでしまったのだ。
仔猫の身体は、ひどく冷たくなっていて、生物の、生をまったく感じられない。
その感触は、後にも先にも、忘れようがない。
手に残った温もりと言うには低すぎる温度。
その日の空は灰色で、今にも雨が降り出しそうな曇天だったことを、無駄に覚えている。
子どもだった私には、身近に感じたことの無い生き物の死を、よく分からないでいたのだ。
その時の感情は今でも、忘れたくても忘れられない。
大人になった今でも、それを言葉にしようとしても、表せないでいる。