一話 俺の日常を壊すヤツ
ドクン⋯ドクン⋯ドクン⋯ドクン。
階段を一段一段登っていくごとに、心臓の鼓動が速くなっていく。
「まさか⋯こんな俺が告白される日がくるなんて⋯」
お父さんお母さん!ここまで育ててくれてありがとう!俺、大人になります!
言うまでもないが、今まで生きてきて彼女など出来たことは一度もない。そう、彼女いない歴=年齢の童貞野郎なのだ。どや。
だが、もう違う。細かく言えばもうすぐで違う。
俺は、今までの人生を振り返り、あんなこともあったなあ⋯俺もガキだったなと感慨に浸っていた。
だが、そこでふと、ある一つの疑問が頭に浮かんだ。
⋯あれ? 俺って⋯本当に一度も告白されたこと⋯なかったっけ?
頭に、白いワンピースを着た、小さな女の子の残像が映る。
「誰だ⋯この子」
思い出せそうで思い出せない。なんだかむず痒い気分になった。
小さく、白のワンピースを着た、髪の長い女の子⋯。
もしや⋯⋯⋯こころ!? ⋯⋯⋯⋯⋯いや、違うな。
こころとは、小さい頃から遊んでいたが、あんな雰囲気ではなかったと思う。あと、あいつの髪は昔からショートだし。
じゃあ一体誰なんだよ! と、俺は頭を抱えた。
そこで俺はふと気づく、これ以上登る階段がないことに。
つまりここは、最上階だ。
とうとう来ちまったか⋯⋯よし⋯思い出すのは後回しだ。待ってろよ、恋の待ち人!
俺はこのテンションのまま、屋上の扉をバン! と開け放とうかとも思ったが、それでは相手をびっくりさせてしまうし、俺がバカなやつだと思われてしまう可能性もある。そしてなにより、紳士っぽくない。
俺は、なるべく紳士っぽさを出し、あくまでも冷静かつ少しの期待を含んだ表情でゆっくりと扉を開ける、という作戦に決め込んだ。
コホン⋯と一度咳払いし、大きく深呼吸。
なんとか気持ちを落ち着けた。
よし。
俺は少しひんやりしたドアノブに手をかけ、例の作戦通り、ゆっくりと扉を開けた⋯⋯だが、
⋯⋯⋯⋯⋯⋯!?!?
「嘘⋯だろ⋯」
誰も⋯いない。
周りを見渡して見るが、目に映るのは、夕方のオレンジ色に染まった空と、屋上のフェンスと家々が並ぶ街並みだけ。
「だ⋯⋯騙された⋯⋯⋯」
さっきまでの興奮した気持ちは一瞬にして消え失せ、俺は意気消沈した。
どうせこんなことだろうとは思ってたよ⋯。わかってたよ⋯。期待してなんかなかったもん⋯。
そして俺が、泣こうかな⋯帰ろうかな⋯両方かなと考え出したその時ーー
「騙してなんかないわよ」
ーー!!!
声がした後方斜め上に視線を向けると、そこには、凛として整った顔立ちと澄んだ瞳、腰まで伸びた繊細で綺麗な黒髪が特徴的な女の子が、屋上入口上のスペースに悠然と佇んでいた。
⋯⋯⋯あっ! こいつは⋯! 今日の帰りのHRで目がバッチリ合った視線少女じゃないか!!
まさかこいつが俺にねぇ⋯⋯。まあ顔は悪くないが、正直性格に至っては全然知らないし、静かで控えめそうだなっていう印象しかないな⋯。
「今そっちに行くわ」
「お、おう⋯。て、え!?」
ジャンプだ。
彼女は、横にハシゴがあるというのに、高さ4メートル弱はあるであろう場所からジャンプをした。
俺だったらハシゴを使う。当たり前だろ足痛くするもん。
彼女はスタッと、彼女自身の身の軽さがわかる綺麗な音を立てて着地した。
降りてきた時の風の影響でスカートが思い切りめくれ、白に水色のラインが入った可愛らしいパンツが露わになったのも気にしていない様子で悠々としている。
「⋯⋯!」
⋯と思ったが、そうでもなかったようだ。よく見れば顔は真っ赤で、微妙にモジモジしている。
やはりこういう姿を見るとなかなか心にグッとくるものがあるな⋯⋯うんうん。
彼女は仕切り直すようにコホンと咳払いをすると、恥じらいの顔から、キリッと表情を変え俺に向き直った。
騙してなんかない⋯⋯てことは、いよいよくるのか! 愛の告白が⋯!
意識すると余計に緊張して、体中から脂汗が出てくる。
俺はぎこちない笑みを浮かべながら、彼女の話を聞く体制をとった。
「あ、あのね、前々からあなたに⋯伝えたいことがあったの⋯」
おぉやばい!このフレーズが人生で聞ける日がくるとは!生きててよかった!ばんばんばんばん万々歳だぁ!!!
「わたし⋯あなたを見てると⋯胸がズキズキして⋯苦しいの⋯。そ、それで⋯!つまりね?」
俺は息を飲んだ。
「わたしは⋯あなたのことが⋯⋯⋯」
⋯来る!!!
「⋯⋯⋯大嫌いなの」
「は?」
「大嫌いなの」
「聞こえてるよ!!!」
俺はふぅと息を吐く。
「まったく⋯そんなこと二回も言うなんて、ひどいやつだ⋯⋯⋯って、えええぇぇぇぇえ!!!!」
「⋯!! な、なによ大声出して⋯」
「いや出すよ!出さざるおえないよ!!」
告白じゃ⋯なかったのか⋯。⋯⋯⋯うぅ。
「ショックを与えるというのはわかっていたのだけれど、まさかここまで落ち込んでしまうとはね⋯」
俺は膝からガックリうなだれ、死んだ顔で屋上の床をぼうっと眺めていた。
なにが⋯? 俺のなにがそんなに嫌いなんだ⋯⋯?
「いや⋯そもそも⋯! なんでそんなことを言うんだよ!」
「嫌いなやつを呼び出して、直接嫌いだって言うなんて⋯⋯そんな性格悪いことするやつ普通いないぞ⋯!」
頭の中を混乱させながら、俺はか細い声で彼女に言う。
「こ、こんなこと生まれて初めてだ⋯。こんなことなら、来ない方が良かったよ⋯⋯。」
嫌いと言われた衝撃で、しっかりと考えがまとまらない。
そんな状態である俺の口からは、無意識にボロボロと文句がこぼれ出していた。
彼女はそんな俺の言葉を、何も言わずにただ黙って聞いていた。
俺の文句が続く中、彼女は意を決したように顔を上げ、突然パンッ!!と手を叩いた。
俺はその音に驚き、言葉が止まる。
「あなたの人に対する態度を見ていると⋯腹が立って仕方がないの⋯⋯。頭にくるわ⋯⋯。あなたを見ているとなんだか⋯⋯イライラして、ムカムカして⋯本当にぶん殴りたくなって⋯⋯そしてなんだか⋯悲しくなるわ⋯⋯」
俺は確かに傷ついていた。実際俺の心中はもうボロボロだ。今すぐ家に帰りたい。
だが、今、そんなことがどうでも良くなってしまうような光景が、俺の目の前にあった。
「⋯⋯なんでお前⋯泣いてんだ⋯?」
そう彼女は泣いていた。嫌いだという俺への罵倒途中で泣いていたのだ。
彼女は、ハッとした顔になり、目をゴシゴシと擦った。
「じゃあ、そういうことだから。 よろしくお願いするわ」
「いやいやいやいやいや!ちょっと待て待て!」
帰ろうとした彼女の腕を掴む。
「まだ何かあるの?」
彼女がやれやれといった感じで聞いてくる。
「わからん」
「わからん?」
「わかんないです」
「いや、敬語にしろって言ってるんじゃないのよ」
彼女の目が早くしろとでも言わんばかりに鋭くなる。
「えーっと⋯そ、そもそも! 俺にそんなこと言ってどうするつもりだったんだよ⋯! ただ言いたかっただけってわけじゃないんだろ?」
普通に考えて、嫌いなやつにわざわざ手紙を書いて呼び出して、悪口を言うなんてことはありえない。⋯ありえない⋯はずだ。
「そうね⋯⋯」
彼女は腕を組み考え出す。
「言いたかったから⋯っていうのもあるんだけど⋯」
あるんかい。泣きたくなるわ。
「⋯でもやっぱり、その性格を直して欲しい⋯というのが一番の理由かしらね」
「そ、そうか⋯」
だが正直、俺のこの性格については、俺が一番よく知っている。
一番よく知っているからこそ、あの罵倒には反論できなかったわけで。
俺だって簡単に直せてたら苦労しねーよバーカ!と言おうとした瞬間、俺に一つの疑問が生まれた。
嫌いなやつを呼び出して、性格を直してもらおうと悪口を言う⋯なんてやついるだろうか、と。
普通の人は、性格を直すどうこうではなく、単に嫌いなやつだから悪口を言う、だと思うんだ。
ハッ⋯!もしやこれは⋯⋯極限状態のツンデレ⋯!なのか⋯!?
まだデレてないけど。
そうだといいなぁ⋯と考えながら、彼女の方を一瞥する。
すると彼女は、今にも俺を噛み殺しに来そうなくらいの殺気で一言呟いた。
「⋯⋯ない」
「ですよねー」
俺が頭に手を当てて、あははあははーと言っているうちに、彼女は屋上を出ていってしまった。
⋯結局、クラスに友達にはなれないやつが一人出来たってことかよ⋯。
⋯一人でもないか。⋯クラスの連中も本当に友達と呼べるのか⋯。
「てか、さっきのツンデレのくだり、俺、口に出してなかったよな⋯」
あいつには人の心を読むという超能力があるらしい。
「あいつ⋯色んな意味で怖いなぁ⋯⋯」
カバンを持ち、俺も帰るか、と歩き出したとき、俺はあることに気づく。
「俺⋯結局あいつの名前知らねーな⋯⋯」
同じクラスである以上いつか知るだろう。
⋯だが俺は、次に会ったときに直接聞いてみようと、なぜか、そう思っていた。
教えてくれるかはわからんがな!ハッハッハ!!
そんなことを考えている今の俺には、まさかあいつがあんなことを考えているとは、考えもしなかった。
☆
次の日の朝。
「⋯⋯⋯ななな、なんでお前がここにいる!!??」
「あら、なんで私がここに居てはいけないのか、ちゃんと理由を述べてほしいわ、隆悟くん」
あろうことか、朝、俺の家の前で待ち伏せていたのは、昨日俺に嫌い宣言をしたばかりの、ヤツであった。