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4 メリザとヒーロー

「老婆が落ちたようだぞ」

「意識はあるのか?」

「自殺か?」

「動かないのか?」

 雑音に混じってそんな声が周囲から聞こえてくる。その間にも列車がどんどん近付いているのが分かる。やっと人の壁を掻き分け、メリザが最前列に到達。瞬間、血の気が引いた。目の前はすでに線路があり、あと一歩踏み出していれば自分も転落してしまうところだった。人の壁はホームぎりぎりまでせり出していたのだ。そして線路上には騒ぎの原因となった老婆がうずくまっていた。体が小刻みに震え、意識はあるようだがパニックを起している。押されて線路に落ちたのは想像に難くない。

「おいばあさん! 早くこっちにこい! もう列車が来る!」

 一人の男が手を伸ばしたが、とても届くものではない。後ろに並ぶ者たちが男のコートを掴んで後ろに引っ張っているのだ。もう列車の音はすぐそこまで迫っている。悲鳴にも似た声が聞こえ始めた。

 メリザはカートを探した。見当たらない。途中で追い越したのだろうかと後ろを振り向くと、また誰かが叫んだ。

「おいよせ! もう無理だ!」

 その声に再び線路の方を振り向くと、そこには老婆の元にしゃがみこむカートがいた。周囲の制止を振り切って線路に飛び降りたのだ。カートが老婆に声をかけ、立たせようとしたが老婆はパニックを起して立とうとしない。その二人をライトが明るく照らし始めた。もう列車がホームに入ってきたのだ。

 ままよとカートが老婆を無理矢理線路から引き剥がし、引き摺りながらホームに近付く。周囲の人間も声を掛け、二人を励ます。列車の音はもうすぐそこだ。メリザはその場に佇み、成り行きを見守るしかない。もう少しでホーム。だが、そこで再び老婆が倒れこんだ。もういい、諦めろ。お前だけでも戻れ。そんな怒号のような叫びがあちこちから聞こえる。だがカートにそんな様子は全くなかった。ホームに列車が入ってきた。もう間に合わない。運転手が急ブレーキを掛けたのか、ホーム内に甲高いブレーキ音が響く。だがそれで列車が止まるわけはないのは誰の目にも明らかだ。メリザは思わず目を背けた。いや、メリザに限らず、その場に居合わせた者数人がそうしただろう。

 が、次の瞬間、更に数人の男が線路に飛びおり、カートに協力し始めた。老婆の体を起こし、数人がかりで一気にホームまで到達。と、同時に無情にも列車が不快な金属音と共に老婆と、カートと、数人の男たちを呑み込んだ。

 さっきまでの騒がしさは嘘のように収まり、ホーム内には列車のブレーキ音だけが不気味に響き続けた。

 それも時間と共に収束し、列車も停車。だが、その下にはさっきまで生死の境で必死にもがいていた数人が、おぞましい肉片になっていることを皆が確信していた。

 人で埋め尽くされたホームが静寂に包まれる。まるで映画のワンシーンのような出来事だったが、現実は映画のようにうまくいかないことを、皆が感じていた。

 やがて女のすすり泣くような声が聞こえてきた。またある者は列車のボディを叩いていた。電話で今の出来事を報告している者もいる。そうこうする内に駅員数名が駆けつけ、状況の確認をし始めた。ホーム内には重苦しい空気が漂っていた。

メリザもその空気に呑まれ、しばし茫然自失していたが、静まり返っていたホームがざわつき始めた。

「声がするぞ」

「列車の下からだ」

「生きてるぞ」

 そんな声があちこちから聞こえ始め、再びホーム内が息を吹き返した。

 確かに、列車の下からカートを始め、複数人の声が聞こえていた。

 ホームに辿り着いたものの、這い上がる時間はなかった。だがちょうど目の前に転落した時のためのエスケープゾーンがあった。カートはそこに老婆と共に逃げ込もうとしたが意外にも手間取り、間に合いそうになかった。だがエスケープゾーンの存在に気付いた数人が飛び込み、列車の通過より早く避難に成功したのだった。

 この事実を知るやホーム内は歓声に包まれた。口笛が鳴り、拍手が起き、見ず知らずの人間が抱き合って喜びを分かち合った。やがて駅員の指示に従い、列車が動き、無事、老婆と共に助けに入った数人の男たちが引き上げられると、まるでフットボールの優勝チームのように迎えられた。

 そのホームの熱狂とは逆に、メリザは放心してその場に佇んでいた。カートから預かった上着を抱きしめ、なぜ、自分がこんな場面に居合わせてしまったのか、その疑問ばが頭の中に渦巻いていた。

 その歓声も少し落ち着き始めると、メリザははっとしてもと居た場所に戻った。歓喜の声を上げる人々に阻まれ、多少もたつきながらベンチに辿り着くと、置いていたオレンジのキャリーバッグがなくなっていた。この騒ぎの中で探し出すのは不可能に近い。

 メリザは力なくベンチに座り込んだ。周囲は相変わらず歓声が響いている。なぜ、自分ばかりがこんな目に遭うのか。なにをやってもうまくいかない。世界はこれほどうまくいっているというのに。そんな思考がメリザを捉えていた。

「あ、やっぱり戻ってた。びっくりしたよ。すぐここに戻ったのにいなくなってたから。君、しっかりしてそうだけど、結構無用心だね」

 カートの声がした。顔を上げるとカートが立っていた。Tシャツがよれよれになっており、手にはメリザのキャリーバッグを持っていた。

「置き引きに遭わないよう、俺が預かっといたよ。大事なものなんだから、しっかり持ってなくちゃ駄目だよ。はい、これ」

 そう言ってカートはバッグをメリザに差し出した。

「……ありがとう」

 メリザがバッグを受け取ると隣にカートが座った。

「お礼なんていいよ。そもそも俺が上着なんか預けちゃったのがいけないんだし。もし君のバッグが盗まれてたら俺のせいだ。謝っても謝りきれないよ」

「別に、いいのよ。こんなもの、そんな大事なものじゃない」

 メリザは上着をカートに渡しながら言った。

「そんなこと言うもんじゃないよ。君の大事な衣装じゃないか。それに俺も君がコスプレしてるとこ、見てみたいし」

「物好きね。そんなもの見て何が楽しいの?」

「そりゃ楽しいよ。君すごく可愛いし。コスプレ姿、きっと素敵だよ」

 見え透いたお世辞だと思った。メリザは生まれてこのかた、可愛いなどと言われたことなどない。

「それにしても災難だったね。このぶんじゃ次に列車に乗れるのはいつになるやら。君が参加するイベント、間に合う?」

「いいのよ。イベントはもうおしまい。間に合わなくてよかった」

「変なこと言うね? 参加したいんじゃなかったの? だからわざわざ電車を乗り継いで国外まで行くんでしょ?」

「私がやってたのはただの自己満足よ。世の中に必要とされてもいない。そんなイベント意味ないわ」

「そんなことないよ。君たちコスプレイヤーさんは見る者を幸せにしてるじゃないか。それが巡り巡って世界を平和にしてるんだよ? そのコスプレイヤーさんがそんなこと言っちゃいけないよ」

「そう。私、今までそんな風に考えたこと、一度もなかった」

 二人はしばし目の前を行きかう人々を眺める。気まずい空気を紛らわせるためか、カートが口を開く。

「でもさ、ここにいなかったってことは、君も現場に行ってたんだね。もしかして、見てくれてた? 俺の勇姿」

「まあね。あなたも見た目に反して結構無謀ね。あまり褒められた行動とは言えないわ。ドラマや映画じゃないのよ。今回はたまたまうまくいったけど、自分も巻き込まれるとは考えなかったの? そうなったらもっと多くの人に迷惑かけるって思わないの?」

「真摯に受け止めます。でもさ、あんな現場に居合わせたら動かずにいられないでしょ。そこまで考えられないよ」

「それを後先考えないって言ってんの。アクション映画のスーパーヒーローにでもなったつもり?」

「そこまで子供じゃないつもりだよ。ただあの時思ったんだ。ここで動かなきゃきっと後悔する、助けられるのに助けなかった罪悪感に一生苛まれるって」

「自分が嫌な気分になりたくないがために人助けをするの? それって傲慢ね。独りよがりとしか思えない」

「まあ、それは否定できないかな。実際、あの場にいたほとんどの人がそう考えたと思うよ。だから動きたくても動けない。他にいい方法があるんじゃないかと考えてしまう。それが正しいのかもしれない。でもいいじゃない。一人くらいおかしな行動に出る奴がいたって。みんながみんな正しい行動ができるわけないよ」

「それで命を落として、誰にも迷惑がかからなければね。そもそもこの世には誰にも助けてもらえず命を落とす人なんていくらでもいるわ。見殺しにしたって咎める人なんていないし、罪悪を感じる必要なんてないのよ」

「やけに突っかかるね。もしかして俺のこと心配してくれてる? 後先考えない子供っぽい奴が気になっちゃったとか?」

「それはないわ。でもまあ、あなたの行動は結果だけ見れば正しいことだったわけだし、非難するつもりはない。けどこれに味をしめてまた同じことやったり、どこかの誰かがあなたと同じことをやって命を落としたりしたら、そう考えるとやっぱり賞賛はできないの。少なくとも私はね」

「そうだね。君の言うとおりだ。肝に銘じておくよ。次に同じ場面に出くわしたらどうするかは分からないけど」

 すると二人の前に数人の駅員が近付いてきた。

「さっき、ホームに飛び降りて転落した方を救助された方ですね? 申し訳ありませんが、警察の立会いの下、現場検証にご協力願えないでしょうか? あまりお時間は取らせませんので」

「ああ、そう。じゃ、ちょっと行ってくるよ」

 そう言ってカートが立ち上がると、周囲の人間がまた活気付いた。

「おい、この若者が今日のMVPらしいぜ!」

「すまないが、一緒に写真撮らせてくれ。是非今日の出来事を家族に伝えたい」

 そんな声と共にたちまちカートは大勢の人間に取り囲まれた。半ば強引に引っ張られながら、カートはメリザの方を振り向いた。

「あ、そうだ。カレント行きを取りやめるなら、もう少し待っててよ。連絡先を交換しよう。約束だよ」

 そう言い残してカートは連れられて行った。二人の仲を勘繰った野次馬達が口笛を吹く。

 メリザはキャリーバッグを転がし、足早にその場を後にした。

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