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3 メリザと上着

「隣、座っていい?」

 などと言いながら青年はさっさと座った。メリザは思わずキャリーバッグを引き寄せ、青年と距離をおいた。

「それ、イケてるよね。なんていうか、君にぴったりだ」

 青年はメリザのキャリーバッグを見ながら言った。もしやこの男、置き引きかなにかかと警戒する。

「そう怖がらなくていいよ。君の荷物をひったくったりしないから。ただ君がこの場所とはなんか雰囲気が違うから、気になっちゃったんだよね」

 青年はなおも気さくに話しかけてくる。メリザは無言でキャリーバッグを見つめる。淡いオレンジ色の、大きくもなく、小さくもない、長い取っ手と小さめの車輪が付いた、どこにでもあるキャリーバッグ。自分の物ではないが、確かに自分にはお似合いなのかなと思った。

「そのバッグの中身、何か当ててあげようか」

 その言葉に思わず青年の方を振り向いた。

「服」

 なんのひねりもない予想が出たので思わず溜息が出た。

「馬鹿馬鹿しい。列車に乗って移動するなら服の一着や二着は入ってて当然でしょう?」

 青年は苦笑しながら頭を掻く。

「でも君、ちょっと驚いてたよね。服っていうのは少し違うかな。衣装と言った方がいいのかな」

 なにをわけの分からぬ事をと思っていると、青年がいたずらっぽく笑う。

「さっきの反応で君の正体もほぼ分かっちゃった。当てて見せようか?」

 メリザは相変わらず怪訝な目つきで青年を見る。

「ずばり、コスプレイヤーさんでしょ」

 自信たっぷりに出た、そのあまりにも的外れな予想にまたも大きく溜息をついた。

「あれ? 当たっちゃった? そう警戒しなくていいよ。今時コスプレなんて珍しくないから。それに俺も日本のゲームやアニメが好きで結構見てるんだ。そこらへんのマナーは心得てるつもりだよ?」

 どうやらメリザの溜息を図星を刺されたものと思っているようだ。面倒なので話を合わせることにした。

「ええ、そうよ。だからあまり人とは関わりたくないの。放っておいてくれると助かる」

「やっぱり。なんか嬉しいなあ。こんな近くにコスプレイヤーさんがいたなんて。で、なんのコスプレ? やっぱりハリウッド映画? それともジャパニメーション? 個人的にはゲームのコスがいいなあ。君に似合ってると思うよ」

 軽くあしらったつもりが、ますます食いついてきてしまった。完全に対応を誤ったと後悔した。

「どこでそんなイベントあるの? 俺も行ってみたいな。一度、日本にも行きたいと思ってるんだ。コスプレイベントってよく聞くけど、実際に参加したことないから」

「残念だけど、カレントから乗り継ぎで国外に出るの。そこでお別れね」

「はあ、やっぱりな。でもまあ、そこまでは一緒なわけだ。退屈な道程と思ってたけど、君と一緒なら時間なんてあっという間に経ちそうだ。どう? カレントまで色々話を聞かせてくれないかな?」

 どうせこの男とはここでお別れするのだ。メリザは少し意地悪な気分になった。

「ええ、いいわよ。ただし、あなたが私の迷惑にならない範囲内でなら」

 この返答に青年はガッツポーズをとる。

「よしっ。なんでも言ってみるもんだ。ぶしつけついでに君の名前を教えてよ。あ、俺はカート。よろしく」

「メリザよ。よろしくね、カート」

 言ってすぐに本名など名乗らなくてもよかった、とも思ったが、なんの不都合もないので大して気にしなかった。

「それで、君はなんのコスプレをするの?」

「ニンフの森の魔女よ。ご期待に添えなくて悪いけど」

「ああ、あの大ヒット映画ね。あれのファンの人も多いよね。まあ、ファンの人なのか、ただコスプレしたいだけの人なのかはよく分かんないんだけど。で? 君は誰になるの?」

 カートは悪気もなさそうに聞いてきたが、正直困った。メリザは映画を見たわけではない。ただニュース映像で映画の試写会かなにかで多くのコスプレをしたファンを見たことがある、というだけだったのだ。だが、ここで嘘を通すヒントをカートが与えてくれたことに気付いた。

「えっと、ごめんなさい。実は私、あの映画は見たことないの。あなたがさっき言った、ただコスプレして騒ぎたいだけの人なの」

「ああ、そうなんだ。いや、決して悪気があって言った訳じゃないんだよ? 俺もあの映画見たことないから。でも、大体主人公のコスプレをみんなするよね。君もその口?」

「ええ、まあ、そんな感じ。あの黒い衣装のね」

「まあ、定番だよね。それじゃあ、普段はなんのジャンルのコスプレしてるの?」

 慣れない嘘などつくものではないと後悔した。すぐにボロが出てしまう。カートの質問の意味すらよく分からない。コスプレにもジャンルがあるとは知らなかった。返答に窮していると、うまい具合に列車の到着を告げるベルが鳴った。ホームに並ぶ人の列にうねりが出始める。次いで列車の到着のアナウンス。

「間もなく、三番線にカレント行き列車が到着いたします。お乗りのお客様は白線の内側にてお待ち下さい。なお、お乗りの際にはお降りのお客様の妨げにならないよう、お願いいたします」

「列車だ。いつも退屈な時間だけど、君と話してたらあっという間だな。この人数じゃ座席には座れないだろうけど、通路で話の続きを聞かせてもらっていい?」

「いいわよ。どうせ私も座れるとは思ってなかったし」

「やった。じゃあ、はぐれないようにしないとね」

 カートとメリザがベンチを立ち、しばし目の前の人の壁が開けるのを待つ。最前列では殺気立った空気すら漂っている。

 だが、線路の奥から列車の近付く音がかすかに聞こえ始めた頃、目の前を塞ぐ人の壁から今までとは違う、不穏な空気が流れ始めた。それはホーム全体に伝播し、最後尾に立つメリザとカートにもその気配が伝わった。

「なんだろ? 妙にざわついてるね。誰か貧血でも起したのかな?」

 だが、貧血程度で起きるようなざわつきではないことは明らかだ。メリザに焦燥が走る。まさかこんなところでトラブルなど想定外だ。計画に齟齬が生じてしまう。そんなことを考えていると、列の前方から叫び声が聞こえた。

「大変だ! 人が落ちたぞ」

 この一声でホーム全体がどよめき始める。列車はもうそこまで来ている。その中にあって一人、メリザは胸を撫で下ろした。列車に轢かれるかどうかは別として、よくある事故だ。このタイミングでは死亡事故になるかもしれないが、今更一人や二人死んだ所でどうということはない。だが、カートの表情がさっきまでとは打って変わって真剣なものになり、上着を脱いだ。

「ちょっとこれ、持っててくれる?」

 言いながらもカートは丸めた上着を半ば強引にメリザに押し付けた。メリザは反射的に上着を受け取ってしまう。

「ちょっと、一体なにするつもり?」

「大丈夫だよ。少し様子を見てくるだけだから。すぐ戻るから」

 そう言ってカートは前を塞ぐ人の壁をこじ開け、無理矢理体を突っ込んでいった。

「ちょっと、通してください。ちょっとでいいですから」

 体をねじ込むカートを気にする者などほとんどいない。皆、前方に意識が行っている。

 とり残されたメリザは持たされた上着のポケットに何かが入っていることに気付いた。四角くて硬いものだ。恐らく財布か、パスポートの類だろう。なんというお人よしか。今さっき会ったばかりの女にこんなものを預けて、このまま自分が持ち逃げするとは考えないのだろうか。冗談ではない。ここまで来てこんな面倒を押し付けられるのはごめんだ。メリザは思わず人波に消えたカートを追った。持たされた上着を手に、キャリーバッグを置いて。

「ちょっと待ちなさいよ! あんたが行って何ができるって言うのよ。戻りなさい」

 だがメリザの前を塞ぐ人の壁は容易にはどかない。前を行くカートの背中がわずかに見えるばかりだ。

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