カラスの唄
カラス なぜ鳴くの
カラスは山に
可愛い七つの子が
あるからよ
可愛い可愛いと
カラスは鳴くの
可愛い可愛いと
鳴くんだよ
山の古巣へ行って見てごらん
丸い目をした
いい子だよ
ひとりぼっちの夜の公園は怖かった。
けれど、植え込みの裏に身を隠すと自分の体が闇の中に消えたような気がして、少しだけ平気になった。だからそこでカラスの唄を口ずさんでいた。
終わりまでいけばまた最初から、何度も繰り返した。この歌は、いつも子守唄でママが歌ってくれる。ママは違う歌も知っているけれど、いつもカラスの唄を歌う。アタシが歌ってとお願いするからだ。
ママの声は優しくて、心地よくて、フワフワと気持ち良くて、だからずっとママの歌を聞いていたいのに、フワフワと気持ち良すぎて目がトロンとなって、まぶたが重くなってきて、いつも途中で寝ちゃってしまい気がついたら朝になっている。そして目の前には朝ごはんとママの笑顔が並んでいる。
なのに今は、何度も何度も歌っているのに、寝れないし朝になってくれない。
お空を見上げると、ちょっとだけお星さんが光っていた。お月さんはどこだろう? 前に教えてもらったオリオン座はどれかな? いつかママと見た時にはもっとお星さんがいっぱいあったのに……。
風が吹いて、ブルブルっと体が震えた。誰も乗っていないブランコも寒そうに揺れて、ビニール袋が氷の上を滑るように飛んで行った。アタシはお星さんを見るのをあきらめ、できるだけ体を縮こませた。しゃがんだ足にまでセーターを被せる。それでも体がブルブルと震えるから手で体のあちこちを擦って、その手にはハァーとあつい息を吹きかけた。
カサカサと音がなった。パッと振り向いたけど何も無い。風が吹いているだけ。だから風が葉っぱを揺らしたんだ。だってたまに強い風が吹いているもん。そうに決まってる。でも本当に風の音かな? 恐い犬だったらどうしよう。アタシはここでママを待ってるだけだからね。だから噛みつかないでね。
恐い犬と目が合わないようにと思って、下を向いたら、アタシの足下に小さなお花が咲いていた。とっても可愛い。今は夜だからよく見えないけど、色もキレイな気がする。こんな隠れた場所じゃなくて、もっと明るい場所に咲いていたらいいのに。そしたら、みんなに見てもらえるだろうにな。みんなから、可愛い可愛い、キレイキレイ、て言ってもらえるだろうにな。でもアタシは知ってるからね。ちゃんと知ってるからね。今度、この公園に来たら、みんなに教えてあげるからね。だからその時まで、ちゃんと咲いててね。可愛く咲いててね。
また、カサカサと音がした。アタシは怖くならないようにカラスの唄を歌い続けた。ママみたいに上手く歌えないから、目がトロンとしてこないし、まぶたも軽いまま。いつまでたっても朝が来ないで、ずっと、ずっと、夜のまま。早く眠りたいのに、早く朝ごはんとママの顔が見たいのに。いつまでたっても夜のまま。寒いし、怖いし、さみしい。お布団に入りたい。ママの笑顔が見たい。ママの歌が聞きたい。
また風が吹いて頬をさした。冷たい風。
両手で両方の頬を擦った。その頬が冷たくて固い。体も冷たい。手も冷たい。心臓まで冷たくなってる気がする。
暖めないと凍っちゃいそうだから、カラスの唄を口ずさみながらリズムをつけて腕や足や顔を擦った。すると、たすきにかけたポシェットもリズム合わせて揺れた。
ポシェットの中にはお金が入っている。ママがこの公園でアタシに渡した。
おこづかいでくれる百円玉じゃなく、ママがスーパーで出す紙のやつ。それもたまにしか出さないやつでお釣りがいっぱい返ってくるやつ。これであめ玉が何個買えるんだろう。チョコレートもいっぱい買えそうだ。けれどここには駄菓子屋さんはないし、どこに行けばいいのかも分からない。知らない場所だし、暗くて道も分からない。ここってどこだろ? とっても遠い場所な気がする。
今日はいっぱい歩いた。朝からずっと。
朝、起こされた時には朝ごはんが無くて、ママの顔も、泣いてるような怒っているような変な顔で、すぐに服を着せられて家を出た。ママからは少しお酒の臭いがしていた。
ずっとママと手を繋いで歩き続けた。駄菓子屋さんの前を通った時、アタシはついつい足を止めてしまったけど、ママは振り返りもせず急ぐように手を引っ張り前に進んだ。
ずっと、ずっと……。
ママは無言で、前だけを見てて、でも時おり誰もいない所でキョロキョロと辺りを見回して、悲しそうに首を振ると、また前を向いて歩き出して、早くなったり遅くなったり、同じとこを何度も歩いたり、行き止まりになって引き返したりもしながら、ずっとずっと歩き続けた。
アタシは疲れたし足が痛くなってきたから休みたかったのに、ママはアタシの手を引っ張ってずっとずっと歩き続けた。アタシが話し掛けても、振り返ってもくれず笑ってもくれず、前だけを見てて時々キョロキョロしてて、町の隅っこで立ち止まってどこかを見てる時も、誰かが通ると慌ててその場を離れてまた歩き出して。
話し掛けても返事をしてくれないし、アタシも歩き疲れてお喋りするのをやめたけど、それ以上にあの時のママは恐くて話し掛けづらかった。いつもの優しいママじゃなくて、怒っている時のママで、ううん違う、怒っている時なんかよりももっともっと恐かった。おやつを勝手に食べちゃった時よりも、お水をこぼしちゃった時よりも、お洋服を汚しちゃった時よりも、もっともっと恐かった。
だからアタシはごめんなさいて言った。なんで怒っているのかわからなかったけど、ママが笑ってくれないから不安で、ごめんなさいて言った。
いつもはアタシがごめんなさいを言うと、ママは笑ってアタシを抱きしめてくれたけど、今日は笑ってくれなかった。
アタシがごめんなさいを言ったら、ママは立ち止まって震えてた。でも振り返ってはくれず、苦しそうな声を出してただ下を向いて震えてた。だからアタシは捨てられるんだと思った。
いつかママが言ってた。オモチャを買ってほしくてアタシが泣いておねだりした時だ。ママは一生懸命働いているけれど、それでも家にはあまりお金がなくて、だからオモチャが買えないのはわかっていたけど、それでもアタシはどうしてもそれが欲しくて、そうしたら知らないまに涙が出てきちゃって、だから泣いてるのが恥ずかしいのと、家ではオモチャが買えないのが悲しいのと、それでもやっぱりオモチャが欲しいのとで、泣きながら大声でおねだりした時だ。
「言うこと聞かないとお家へ入れませんよ」ってママが言った。
「アタシをお外へ捨てるの?」って聞くとママは怒った顔のまま「そうよ!」って言った。
だからママはアタシを捨てるんだ。
あの時は、ごめんなさいて言うと家に入れてくれたし、後であのオモチャを買ってもくれた。でも今日は違う。
ごめんなさいを言っても許してくれずに歩き続けているし、それに、ママは歩きながら泣いていたもん。雨も降っていないのに繋いだアタシの手には冷たい水が何度も落ちてきてたもん。やっぱりママも、アタシを捨てるのはちょっとは悲しくて、だから泣いてるんだ。
冷たい風がビュービュー吹いてきた。寒くてずっと体を擦っているけど、どんどん体が冷たくなっていく。はぁーと吹き掛ける息が、つぶつぶの氷みたいになった。
カラスの唄を歌いたいのに歯がカチカチと震えるし、口も上手く動かせなくて、それに歌詞が思い出せなくなってきて歌が続かない。お空を見たら、さっきまではちゃんとあったはずなのに、全部のお星さんが隠れてしまっていて真っ暗闇。お空まで寒そうだ。
夜になって暗くなってから、ようやくこの公園でママは止まってくれて、振り向いてアタシを見てくれた。やっぱりママは泣いていた。涙がぽろぽろこぼれていて、顔をくしゃくしゃにしていた。ママがあんなに泣いているのは初めてみたから、アタシも悲しくなって涙が出てきて、だから、ごめんなさい、ごめんなさい、て何度も謝った。
ママは笑ってはくれなかったけど、抱きしめてくれた。ギュウーてとっても強く抱きしめてくれて、ママも、アタシに何度も何度もごめんなさいて謝ってた。
だから、やっぱりアタシは捨てられるんだって思った。そうしたら涙が止まらなくなって、捨てられるのは嫌だからママにしがみついてごめんなさいを言い続けた。なのにママは笑ってもくれず、許してもくれなかった。
怒っているのかと思ったけど、ママも、ごめんなさいごめんなさいって、言い続けて泣いていた。
寒い。
もう体を擦る事も出来ない。体がブルブルと震えるだけで、手も足も動かせない。風を避けて体を小さくしてたけど、今は体を伸ばそうと思っても凍りついたみたいに体が動いてくれなくなった。本当に凍っちゃったのかなアタシ。
カ……ラ……ス…… カ……ラ……ス…… や……ま……に……
カラスの唄を歌いたいけど、言葉が続かない。頭がぼぉーとして、気づいたらまぶたが閉じてて、眠たくなってきた。あんなに寒かったのに、だんだん寒くなくなってきて、体は動かないまま、まぶたも開かなくなって、ママの子守唄を聞いているときみたいにトロンとしてきて、このまま眠れそう。
目が覚めた時には、朝ごはんとママの笑顔があるかな?
風が吹いて、音がして、ママの声がした。そんな気がした。冷たい水がフワフワ落ちてきた。ママの涙だ。そんな気がした。
確かめようと思って顔を上げようとしたけど、体が動かなくて、どうしても動かなくて、それでも頑張って顔を上げようと思ったら、体がコテンと倒れた……ような気がした。
痛みもないし、倒れた感覚も薄かった。体は小さくしゃがんだ格好のまま。本当に倒れたのかもよくわからない。でも半分開いた目には、右の端に地面、左の端にお月様が一つ見えた。
それっておかしい。地面は下で、お月様は上。右に地面、左にお月様はおかしい。だからやっぱりアタシは倒れて横になってるんだ。
まんまるいお月様。アタシの目とおんなじだ。体を起こしてちゃんと見たかったけど、もう力が入らなくて、まぶたも閉じてばかりで、眠たくて……眠たくなってきちゃって……。
お月様、ごめんなさい。
でも嬉しい。さっきはお星さまも全部隠れちゃったのに、お月様一つだけでも出てきてくれて。
それにとっても明るくて、とっても暖かくて、とっても優しくて……ママみたいで。
でも、もうあまり見れなくなってきた。まぶたがもう開かないの。開けてもお月様がかすんで見えるの。
ねえ、お月様。カラスの唄を歌って。
そしたらアタシ眠れるの。安心して眠れるの。
七つの子があるからよ
可愛い可愛いと
カラスは鳴くの
ねえ、お月様。ママ、迎えに来てくれるよね?
だって、ママ言ったもん。バイバイも言わずに走って行く前にアタシに言ったもん。
「ここで、いい子にして待っててね」って。
アタシのポシェットにお金を入れながら、そう言ったもん。
だからアタシ待ってるもん。いい子にして待ってるもん。
だから、ママ迎えに来てくれるよね?
ねえ……お月……さ……
可愛い可愛いと
鳴くんだよ
山の古巣へ行って見てごらん
丸い目をしたいい子だよ
ふわり、ふわり、と舞っていた小さな雪が風に吹かれて渦を巻くと、とたんに大きな雪となって、まるで辺りを白く塗り変えていくかのように、いくつもいくつも降り落ちてきた。屋根を、道を、木々を、公園を、白く染めていく。
眠る女の子の上にも、白い布団を被せるように、ゆっくりと降りそそぐ。いつもは布団を蹴飛ばす女の子も今は静かに眠っている。安らかに、おとなしく。雪は、子守唄を歌うように、ゆっくりと優しく、女の子の上に降りそそぐ。
女の子は眠る。安らかに。寝言も言わず、寝息もたてず。雪は降りそそぐ。白い布団を被せるように。子守唄を歌うように。
いつまでも。
いつまでも。