牧村一家を取り巻く風景
私は牧村洋子、あの牧村誠司の妹です。私は西山大学医学部の3年生で、まだ学生ですが兄のマドンナを使う枠が欲しい人が多くて、私の兄へのコネを期待してもう2年の時から西沢先生の生命医学研究室に入れてもらっています。
実際に、兄は私には甘いので西沢先生もハッピーだし、私も世界最先端の研究に噛ませていただいてハッピーです。西沢先生の研究は、アンチエイジングですので、これにはゆかり姉さんが強く食いついています。ゆかりさんは、「私も誠司さんの8つ上でしょう、せめて誠司さんより先に老けたくないのよ」そう正直に言ってくれます。
西山大学は私が入学したころは、普通の地方の国立大学だったのですが、今や理系においては日本では最難関になってしまい、研究が主体の西山大学技術開発研究所を含めて、世界中から優秀な学生、院生、社会人が集まっています。
特に技術開発研究所には、大学の研究者や社会人の研究者も多く、博士号を持っている研究者のみで千人を越えると言われています。
すでに、ノーベル賞級の、世界を一変させるような研究は山ほどこの大学・公社から世に出されており、例えば新しい原子に関する理論構築に基づく核融合発電や超バッテリーや画期的なレールガン、巻線の要らない高効率モーター、新しい空間と重力に関する理論に基づく重力エンジン、超空間に係る理論構築と超空間通信とジャンプの実用、地震の完全な予知、がんの完全な治療法と予防法、また、これはごく最近のものですが人間を越える判断力とスーパーコンピュータの計算速度を持った人工知能「地球頭脳」の開発などがあります。
これらは、いずれも兄さんが主体になって開発したか、大学の研究者がマドンナの力を借りて実現したかのものです。その中でも、すでに世界を変えつつあり、成果がはっきりしていて大勢の命を救ったことが明らかな地震の予知法に対して、山科教授と准教授の狭山先生がノーベル賞を昨年受賞しています。
兄さんが密かに教えてくれたことによると、兄さんにも核融合発電の発明と基礎理論に対してノーベル賞の選定委員から話があったそうですが、あれは自分の発明とは言えないということで断ったそうです。でも、重力エンジンについては自分の発想でマドンナを使って実用化したものと言っておいたので、あっちではもらえるかもね、と言っていました。
さらに、西山大学技術開発研究所社自身も多大な研究費を使っていますが、大学へも研究所からとんでもない額の研究費が流れ込んでくるので、少なくともどこの研究室も研究費が足らないということはなく、常に先端的な研究がされています。
そのため、学生も大体3年生になれば、研究室に入って何らかの研究を受け持たされていますので、ノーベル賞級とは言わずとも世の中を変えるレベルの開発は日常茶飯事でなされています。
研究費は西山大学だけでなく、日本の他の大学に2千億円、海外の大学にやはり2千億円が研究費補助として支出されているそうで、それによって成された発明については公社がその関与の度合いによって、1/2〜1/10の特許料の権利を持つことになっています。
この他大学への研究費補助については、今のところトータルとしてはそれほどの収入面の貢献は無いようですが、現状ですでに研究費支出の1割程度のリターンがあり、これは指数関数的に増えているそうですから、2〜3年後には補助金を上回る収入があることになると予想されています。
このことを見ても、研究費の支出は社会にとって明らかにメリットがあるということになります。しかし、このように成果があるのは、公社から補助金を受けている研究機関はマドンナの助けを借りるのに優先権を与えられるということも大きな要因でしょう。
マドンナは誠司兄さんしか使えませんので、質問内容はメモリーに入れてくるとしても、一旦画面に出して、答えも一旦画面に出たものをメモリーに落とすことになりますからどうしてもある程度の時間がかかります。
兄さんのノルマは今では、週5日で日に3時間をこのメモリーによる質問の受け答えに費やしています。この質問を選ぶのに、現在では公社内に専門委員会が出来て、社会的な貢献度、学問的重要性等を重み付けして、全体で25人の委員が5人ずつ週ごとに輪番で点数付けして選びます。
質問を回答するについては、結構な費用が徴収されますが、それは研究費になるわけですね。
兄さんはこの作業で年間2億円を貰っていますが、この金額が個人にとって高いのか安いのかわかりませんが社会全体にとってはものすごく安いでしょう。兄さんは、そのおかげで『せいうん』で長期宇宙に出ていた時も、同じノルマで質問に答えていました。
「俺も、マドンナという存在とパートナーになって、当面はあまりそういうことは考えていなかったが、宇宙の世界のことを知る前だったらともかく、知ったいま、地球全体の力を底上げしないといけないということはすごく感じている。
力の源泉は知識と技術だから、マドンナをいろんな人が使って様々な新開発を行うことは、現状の所少なくとも必要なことだと思うし、なにより俺のところを通過していく様々な質問とその答えは世界の最先端のことばかりだぞ。これらの内容はなかなか面白いよ。だから、続くんだね」
兄さんはそういいます。そういえば、兄さんは昨年物理学で博士号を取りました。結局ドクターコースを終える歳で、重力エンジンの理論をまとめたものでA4で僅か40枚だったようですが、後の世界の大学の教科書にも載った内容であり、中身からすれば十分でしょう。
西山大学も学科が増え、学生も増えかつ研究所も出来たため、研究所と宇宙に関連する学科は全て銀河宇宙港の隣接地に移りました。
大学から宇宙港まで20kmありますが、1時間ごとに重力エンジンを積んだ無料のシャトルコミュータが飛んでおり、わずか10分で結んでいますので、構内を移動する方の時間がかかるぐらいです。
医学部は宇宙医学を目指す一部以外は移らなかったので、私は父と大学の隣接地に新しくできた、セキュリティを要する人々のための住宅地の一戸建てに入っています。この中には山科教授も兄の指導教官だった重田教授も入っていますが、こうした人々はみな特許料による手当でリッチな人ばかりなので、自分で購入しています。
父も西山機工㈱の副社長で、会社はどんどん大きくなっているので、兄が家を買うと言ったのですが、父が「これは父親の甲斐性だ」と言って買いました。でも1/3くらいはローンみたいですが。
父も、母が無くなって随分たちますが、どうも秘書の星野綾子さんと怪しかったのです。
彼女は未亡人で今中学生の男のお子さんが一人いるのですが、余り美人とは言えないものの大変感じのいい人です。
そして、父はとうとう私と兄さん夫婦と昼食をしようと誘って、その際に星野さんを連れてきて、結婚したいと言いました。誠司兄さんは殆ど星野さんと知り合うこともなかったので、父の爆弾発言の後で私の顔を見ます。
「私は大歓迎です。星野さんの人柄は存じていますので、父を幸せにしてくれると思っています」私が言うと兄も歓迎する言葉を述べます。
「僕は、余り星野さんのことを存じないのですが、父もいずれ洋子が出て行ったら一人になる訳ですから、父と結婚して頂けるのならありがたいです。
また、弟が出来るのと言うのはいいのですね。それにまだ弟やら妹が出来るかも知れないし」
その言葉に、星野さんは頬を染めて頭を下げて言います。
「ありがとうございます。皆さんの母親の立場になるわけですが、未熟な面がいろいろあると思いますがよろしくお願い致します。誠司さんも洋子さんも本当に優秀で、ちょっと務まるか心配しています。特に誠司さんは本当に世界的に有名になってしまって、誠司さんは息子の恵一の憧れなんですよ」
「いやあ、ご存知のようにあれは、多くはマドンナのおかげで、僕は至って普通の人間ですよ」
兄が言うのに妻のゆかりさんも、綾子さんに頭を下げて言います。
「誠司さんは確かに普通の所もありますね。でも、綾子さんは私の歳に近いからいろいろ相談に乗ってもらえそうで嬉しいですわ。よろしくお願いしますね。
ちかく、西山市の家に私も星太を連れてくるので、綾子さんも息子さんを連れてきて食事でもしませんか」
実際に、ゆかりさんと綾子さんでは綾子さんが4歳年上ということで歳はあまり変わりません。でも、ゆかりさんはあっけらかんとして付き合いやすい人ですが、研究畑であまり世間にもまれてきたとは言い難い人で、綾子さんはお子様も居てご主人とは死別するなどの苦労もされているので、相談に乗ってもらえるという面では頼りになりそうです。
このようにして、父の結婚も決まったのですが、綾子さんは父と次のような会話をしたそうです。
「お子さんは、お二人とも超優秀ですし、息子さんの奥さんも同じレベルで私は気おくれしてしまうわ」
「うーん、優秀と言えば優秀なのだけど、その分世間にもまれていないから、世間知らずの所はあるな。その意味では僕も含めて、君が一番世間を知っているかもしれないな。たぶん、綾子は皆の良きお義母さんになるよ」
このようにして、私の家族が増えました。まもなく、お父さんと綾子さんはひっそりと結婚式を挙げて、弟になる恵一君と一緒に住むようになりました。
恵一は可愛く甘え上手な子ですが、一人っ子の鍵っ子だったので余計そういう人懐かしい面があるのでしょう。綾子さんは、まだ、お父さんの秘書を務めていますのでちょっと主婦兼任は無理なので、中野順子という名前の派遣のお手伝いさんを雇いました。
恵一は学校の成績はかなりいい方ですが、トップとは言えません。
ちょうどこの頃、私の隣の研究室で、知能を向上させる研究が進んでいて、殆ど完成段階に近づいており、後は実証という段階に来ています。
その研究室では、それに近い研究をしていたものを、宇宙において星間帝国の存在がはっきりしてきたときから、人類の知能を伸ばす必要があるだろうということで、少なくともG7+1の国々では国が旗を振って進めてきており、それらの国の大学では真剣に取り組まれてきました。
西山大学が圧倒的に有利なのは、兄さんとマドンナの存在で、国の後押しがあるということでマドンナの割り当ても有利になって研究はどんどん進んだようです。
過去に頭の発達に良い食品などは俗説も含め数多くありましたが、真剣に考えているときの血流が集まる部位とかの研究から、知的思考を司る部位についてはすでに特定されており、この部分を発達させるために何をすればいいかという段階にありました。
この方法として、一つは栄養剤の投与として10種類程度の薬剤、振動による刺激、電磁波による刺激等が候補に上げられ、これらがマドンナへの質問になってあげられ、何度か回答についてトライアンドエラーを繰り返した結果、意外に特定の振動を選択的に与えること、さらにある薬品を血管注射することにはっきり効果があることがわかりました。
しかし、この効果は若くないと効果は薄いということで、20代を超えると殆ど効果はないということがはっきりしています。
この2法を併用しての効果は、チンパンジーによる実験では一ヵ月ではっきりした当該部位の発達が確認でき、さまざまな反応の検査により知能が向上したことが確かめられました。
次いで、これはすでに西山大学で開発されたダウン症の子供の治療で、容貌や体のゆがみは治療できているのですが、知能については向上がはかばかしくなかった子供について、親の同意のもとで5名のこうしたものへ施療しました。
親が祈りながら見守っての試験をした結果は、2週間で明らかな効果が出始め、一ヵ月で効果の上昇が止まるという結果で、一ヵ月後には健常児と少なくとも劣らない知能を示すことがわかりました。
これで、画期的であったが、効果が中途半端と言われた、西山大学のダウン症の治療法が完全なものになったわけです。
いよいよ、健常児への臨床試験ですが、これはなかなか難しいことになります。全く健常な子供を今以上の知能にするということでの施療ですから、まず失敗して、被験者を害することはないでしょうが、実際にどう実施するかでもめています。
たぶんオープンに被験者を募集すれば希望者は殺到するでしょうが、倫理面で非難する人も出るでしょう。大学で、そうした議論をしていた時に、たまたま、恵一がいて、懸命に自分を被験者にするように頼みます。
「洋子姉さん、その試験は是非僕に一号でやらしてください。お願いです。僕は誠司兄さんに憧れていて、是非同じような仕事、少なくとも宇宙に出る仕事につきたいのですが、僕の能力ではどんなに勉強しても無理だということは判っています。
でも、その知能を伸ばす施療を受ければ十分可能性があると思うのです。お願いです」
「いいんじゃない。最初はせいぜい被験者は5人程度で考えていたから、研究に関係のある人の縁者でいいじゃない。牧村誠司君の義理の弟だったら十分よ」その席にいた、プロジェクトの副リーダーの早良みどり准教授があっさりいう。
「お姉さん、ありがとうございます」恵一が早良准教授に走り寄って頭を下げる。
「美味いわね、お姉さんてね。でもおばさんと言っていたら取り消しだったかな」と笑いながら、恵一の頭をなでる。
恵一は5人の被験者の一人に選ばれ、2週間後には比較のため試験前の知能指数101から165に上がったことが確認され、さらに始めて1か月後には182までに上がった。これはしかし、年齢を加味したものであるが、大人としても指数152に相当する。
他の4人は上昇の度合いは50%止まりであり、恵一ほどの伸びは示さなかったところを見ると、『熱意が効くのかな』というのが、早良准教授の言葉である。いずれにせよ、これによって、人の知能を伸ばすことができることが立証され、その方法が確立された。




