岸辺家の朝
一、屍である
二、しかし生前と同じである
三、時間と共に存在が希薄になる
四、それ以外のことは不明である
五にいつでも死んでいい、があるが、それは生きている時と同じ条件なので気にしなくてよいとのことだ。
あと、希望を叶える、と言うので金を要求したら輪廻も転生も聞こえないふりをして部屋の窓からそそくさと出て行った。
眠れるか心配だったが、横になるとすぐに瞼が重くなってゆく。
このまま朝になっても目が覚めなかったら、今までのやり取りは死ぬ前の俺の妄想になるのか。
眠りに落ちるのが怖くないのは、今までの出来事に実感が湧かないからだろうか。
───ジリリリリリ
目覚まし時計がいつもの時間にアラームを鳴らした。
俺は思いの外、気持ちのよい目覚めに驚く。
朝は頭が働かないのが常で、しばらくはソファベッドの上でじっと座っているのだが、今朝は頭が冴えていて、すぐに行動できる。
トイレをすませ、顔を洗って歯を磨く。
洗面所の鏡に映っているのは間違いなく俺だ。
部屋に一旦戻り、制服に着替えてリビングへ向かう。
「ふへへ……」
すでに食卓についた弟の壮が、牛乳に浸したコーンフレークをすすっている。
スマホの画面を見ながらニヤニヤしているので、唇のまわりが白く汚れていた。
「きたねぇな……」
カウンターに置かれている俺の分の朝食を取りながら壮を睨む。
「行儀が悪いよっ」
焼きあがった目玉焼きを俺と壮の前に置き、母さんがため息をつく。
「じゅくじょ~ふへへ…」
まったく聞いていない壮は、スマホから目を離さず目玉焼きに箸を突き刺した。
半熟の黄身が破れて、トロリと液が流れ出る。
自分の朝食を持ってテーブルについた母さんが俺に目配せをした。
たぶん、壮がエロサイトを閲覧してると思っているのだろう。
うんざりしながら壮のスマホを持っている手をつかむ。
「わおっ時雨」
つかまれた手と、目玉焼きをつまもうとしていた箸を壮は驚いて交互に見る。
「誰?」
俺は手を離し、冷たく訊く。
スマホの画面に写っていたのは見知らぬエプロン姿の女性だった。
後ろには水色のスモックを着た子供が数人ピースサインをして写り込んでいる。
「え?楢橋せんせ」
キョトンとして壮は当たり前のように言う。
「楢橋?」
母さんが怪訝そうに眉間にシワを寄せる。
「こないだ、学校の職業体験で保育園だったっしょ?そん時の保母さん」
壮が口のまわりの牛乳を舌で舐めとる。
「……見せて」
母さんが遠慮がちな目線で、でも強気な口調で壮のスマホを指さす。
「ん」
壮はあっさりと画面を母さんに見せた。
「ちょっと……どこが熟女なのよ。まさか、付き合ってるの?」
母さんが顔色をさっと変え、画面から目をそらす。
確かに、まだ二十代くらいに見えた。
「え~付き合ってないし」
照れたようにスマホをテーブルに伏せ、壮がやっと朝食に集中し出す。
母さんは食欲が失せたのか、俺に手つかずの目玉焼きの皿を寄せて深いため息をつく。
俺は黙々と朝食を食べた。
昨夜からまったく腹が減っていなかったが、普通に食べられる。
横目で壮を盗み見ると、彼も俺を横目で見ていた。
「なんだよ」
「別に……」
ちなみに、なんだよ、と言ったのは壮だ。
そんなに警戒しなくても、おまえがまだ掛上を好きだと思ってなんかねえよ。
心の奥で毒づいた。