幸せ
「それで、どうしようか。あっ、お団子作る?楽しいと思うんだよね」
「うん。楽しそう」
結局、梓門は千秋が一通り泣いて落ち着いてくると、「守護者と姫でお花見しよう」と言い出し、それきり清雅の話題には一切触れなかった。それが気遣いであると感じ、千秋は情けなく思いつつも嬉しくなって、ついつい梓門の提案してくる「お花見」の案に、うんうんと頷く。
「幸樹にはさ、直行と飲み比べして欲しいな。僕たちは果物の絞り汁でも飲んでさ」
結果は見えてるんだけどね、ところころ笑いながら言う梓門を見ながら、千秋は幸樹と直行の飲み比べを想像する。真っ赤になりながらも意地になって飲むのを止めない幸樹と、黙々と酒を飲み下し酔う素振りも見せない直行が目に浮かんだ。
「面白そう」
千秋も釣られてくすりと笑った。
「僕は剣舞でもしてみようか」
目に自信を浮かべて言う梓門に、きっと綺麗に舞うのだろうと期待を込めて千秋は「うん」と頷いた。
「みんなで歌留多をするのも楽しそうだよね」
梓門が嬉々として言う。
「梓門くん、圧勝しそうだね」
千秋がそういうと、梓門は「当然」と自信ありげな顔をしながら笑った。それから一息つくと、立ち上がって「さてと。じゃあ、僕そろそろ部屋に帰るね」と言った。
「うん。あ、ありがとう。わざわざ部屋にまで来てくれて」
慰めに来てくれて、とは流石に言えず千秋は少し口をきつく閉じて、じっと梓門を見た。
「ううん。ちょっと好奇心もあったし、当然って言ったら偉そうだけど、これくらいしかできないからさ」
梓門は微笑みながらそういうと、障子を開けて「じゃあね」と手を振って部屋を出て行った。
千秋が夕飯は居間に行かなければと思い、部屋を出るといつもより不安げな顔をした直行と鉢合わせた。ばちりと目が合うと、直行の瞳が心配げに揺れる。
「あの、大丈夫ですか」
戸惑いがちに掛けられた言葉は心配で溢れていて、千秋はなんだか申し訳なくなってしまった。
「うん、大丈夫。ごめんね、心配かけて。ありがとう」
千秋が気掛けて明るく言うと、「いえ、俺はなにも」と慌てたように返ってきた。
「昨日は片付けで姫の手を煩わせるばかりか、きよ、守護者が無礼を」
清雅と言いかけたのだろう、途中詰まりながら、直行はすみませんでしたと頭を下げた。
「あっ、頭を上げて。片付けは私がしたかっただけだし、あまり役に立たなかったかもしれないけど。それに、清雅様のことは、本当に、全部私のせいだから。直行くんは何にも悪くないよ」
千秋があたふたしながら言ったものの、頭を上げた直行の顔にはまだ心苦しそうな色が浮かんでいる。
「直行くんは、宴のときも余興をしてくれて、お花見のときも準備もいろいろして、片づけまで、やってくれて。多分、直行くんが、一番頑張ってくれたと思う」
千秋の顔に自然と微笑が浮かぶ。そして、千秋は言ってしまってからはたと思った。今、すごく上から目線で言ってしまったのではないだろうか、頑張ってくれたなんて、偉そうに聞こえたのではないか、と。
「あ、ごめんね。何か、偉そうだったよね。本当に、宴もお花見も、直行くん、すごくいろいろしてくれて、その」
千秋が適当な言葉を探しながら口をぱくぱくさせていると、直行が俯きがちになりながら千秋の胸の前まで手を上げ千秋を制した。千秋はそれに従い、口を閉じて直行の次の動きを待つが、直行は手を上げたまま硬直したように動かない。千秋が不思議に思って名前を呼ぶと、直行がぱっと顔を上げた。困り果てたような、照れたような表情で目線だけは床に下げられている。
「身に余るお言葉です。俺は、本当になにも」
手を下げて発せられたのは、直行にしては珍しい上擦った声だった。どうやら千秋に返す言葉を必死で探していたため、固まっていたらしい。
「俺は、今も気のきいたことを言えず、姫の気を煩わせて、心苦しいばかりです」
申し訳なさそうな面持ちで言う直行に、千秋は嬉しくて思わず頬が緩んでしまった。そして、不謹慎だったと慌てて顔を引き締める。
「ううん。いつも気を使ってくれて、私のほうが申し訳ないくらい。本当にありがとう」
千秋がそう言うと、下げられていた直行の目線が千秋の目を捉えた。
「俺は、他でもない貴女の守護者であることが誇りであり、この上ない幸せでもあります。幸樹や梓門が何を言ったかは知りませんが、俺は、他の何よりも姫のことが大切です」
視線と同じくまっすぐな声で伝えられた言葉は、千秋の心にすっと入ってくる。大切、という言葉の嬉しさに引き締めた顔が再びふにゃりと緩む。ついでに涙腺まで緩んでしまい、意図せずして涙が頬を伝い床へと落ちた。それに気付いた直行が慌てて謝る。
「申し訳ありません。泣かせるつもりはありませんでした。何かお気に障ったのでしたらどんな罰でも」
「ううん。ごめん。嬉しかっただけ。ありがとう」
直行の言葉の途中で千秋が慌てて止める。そして手のひらで涙を拭い微笑んで見せた。そんな千秋を見て直行が何を思ったかはわからないが、狼狽の影さえ見せない普段通りの真面目な顔になった。
「夕餉はいかがなされますか」
突然変わった話題に千秋は一瞬たじろいだが「居間に行く」という旨を伝えると、「ではそのように言っておきます」と返ってきた。
「夕餉までしばらく時間が有ります。ゆっくりお休みください」
それでは失礼します、と丁寧に頭を下げて直行は居間の方へ去って言った。