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藍微塵  作者: 依流かえる
22/36

あの頃と

千秋は思い出しながら、一人くすりと笑った。

幼い頃の勘違いは、今なお千秋の中にある。そして、千秋はそれを例え勘違いだったとしても『特別』だと認めている。馬鹿みたいに意地になって『特別』を認めたくなかった過去を懐かしみながら、千秋は歩を進めていた。

外廊下へと出たとき、千秋は自らの目を疑った。

外廊下に腰掛けているのは、清雅。7年前と寸分たがわず、湯飲みでお茶を飲んでいる。

―――昔の幻でも見てるのかな。

そう思ってしまうほどに、あの頃と同じだった。

「こんばんは」

清雅が千秋に気付いて湯飲みをおいて会釈をしながらそう声を掛けてきた。まるで過去を再現しているようで、千秋は不安によく似た不思議な感情に襲われる。

「こんばんは。夜桜ですか」

「ええ」

そういって庭の隅にある桜を見やる。満月の近付いた月は桜を照らすには十分で、闇夜の中に桜を浮かび上がらせている。それに引き寄せられるかのように千秋は外廊下から庭へ降りて、置いてあった下駄を履いた。

「近くへ、行きませんか?」

今回は千秋がそう言った。すると、清雅は少しも迷うそぶりを見せずに「そうしましょう」と言い立ち上がった。彼はすでに草履を履いており、最初からそのつもりだったようだ。

「やっぱり、昼の桜とは違いますね」

使用人たちの明るい声に包まれていたことが嘘のように静かな庭で佇む桜。冷やりとした夜の空気に厳粛な様子でその枝を晒している。

「ええ。また違った美しさがあります」

そういうと、清雅はするりと枝に手を這わせた。何も言わずにしばらく枝をなぞる手を見ていたが、ぐっと枝をつかんだのを見て、声を掛けた。

「欲しいんですか?」

握った手を解きながら清雅が答える。

「折ったら、終わってしまいます」

千秋が7年前に言った言葉を、寸分たがわず清雅が口にする。落ち着いた声で発されたその言葉に、不思議と心臓がはねた。

「命あってこそ、です。その美しさは」

千秋も、寸分たがわずとまではいかないが、清雅を真似て言った。すると、枝から手を離した清雅が千秋を見て微笑む。

「よく覚えていますね。7年も前のことを」

清雅が言った。

「清雅様の方こそ」

「私にとっての7年と姫にとっての7年は、違いますよ」

言葉の意味が分からず、千秋は首をかしげる。千秋の疑問を察して清雅が言葉を続ける。

「姫にとっては生涯の半分でしょうが、私にとっては四分の一です」

重ねた年月の長さが違う、と言いたいのだろうか。

「もう7年もこの屋敷に居るのですね」

懐かしむように清雅が言う。

「7年も、清雅様たちと一緒にいるんですね」

生涯の半分です、と付け加えると清雅はくすりと笑って「そうですね」と言った。

「それにしても、今日の桜は格段と美しく見えますね」

清雅が何気ない調子でそういった。千秋の心臓がとくんと鳴った。千秋は過去の自分の真似をして夜桜に目を遣った。

「私がこの後言った言葉、覚えていますか」

清雅が言った。どこか懇願するような響を含んだ声に千秋は清雅を向く。月の光を受けた彼の瞳はいつも以上に黒が深く、艶やかに見えた。

その瞳に吸い込まれそうで、思わず目をそらして俯いた。

「おぼえて、ます」

思い出し、顔に熱が集まる。それを知ってかは定かではないが、清雅が言葉を紡ぐ。

「姫が隣にいらっしゃるからでしょうか」

寸分違わず同じ声で、同じ言葉を。

「そんなわけ、ないです」

以前はここで2人とも口をつぐんでしまった。しかし、今は。

「わ、たしも。いつもより桜が綺麗に見えます」

千秋が言い返すように言う。清雅は不意を突かれたように目を少し見開いたが、何も言わずに千秋の続く言葉を待った。

「き、清雅様が、隣にいるから」

千秋は言いながら恥ずかしくなり、言葉は尻すぼみになった。聞き届けた清雅は、千秋の真似をするような声で言った。

「そんなわけ、ないですよ」





「本当に、7年は、長かった」

独り言のように呟かれた清雅の言葉に、千秋は顔を上げ清雅を見る。桜に向いている清雅の目は、どこか遠いところを見ているようだった。

「7年もあると、変わるものですね」

そういうと清雅は千秋に目を向けた。ばちり、と視線が絡みあう。清雅の瞳に浮かぶ感情は何か、千秋には分からなかった。喜びとも悲しみとも、懐かしみとも、何とでも取れるような、どれも違うような瞳だった。

その瞳に見つめられ、千秋は少し不安になった。だが、それと同時に『特別』がひょっこり顔を出す。

「すき」

掠れるほど小さな声だった。しかし、静まり返った庭で清雅の耳に届くには十分だったようで、清雅の目が見開かれる。瞳に浮かぶのは動揺だろう。

ここでごまかしてもよかった。「桜のことです」とか「冗談です」と言ってしまえば清雅はそれ以上追求することは無いだろう。だけれど出てしまった言葉に、千秋自身驚いたものの取り消すつもりは無かった。取り消したところで『特別』は消えてはくれない。だったらいっそのこと伝えられたらどれほどいいだろうか、と思っていたこともあった。

「姫?」

清雅が心配そうな響を含んだ声で言う。いつものような微笑は浮かんでおらず、驚いた表情のままだ。「清雅様のこと、すき、です」

はっきり、清雅に聞こえるように意識して、告げた。言ってしまってから恥ずかしくなり、視線を下げる。

―――言った。言えた。言ってしまった。

清雅は何も答えず、身じろぎひとつしない。千秋はいたたまれなくなり、部屋へと逃げ帰りたくなった。

「すみません、気にしないでください」

そう言おうと空気を吸い込むと、清雅の声が聞こえた。

「お気持ちは、嬉しいのですが」

続く言葉は、千秋にも容易に推測できた。

「お応えすることはできません」

千秋はじわりと涙が滲むのが分かった。ここで泣いてはいけない、と歯を食いしばり瞬きをせずに地面を見つめた。

「そう、ですよね。すみません。気に、しないでください」

声が震えているのが解る。それでも必死になって言葉を紡ぐ。

「戻りましょうか」

清雅の言葉に千秋は何とかうなずいて、顔を上げずに清雅に続いて歩き出した。

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