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エニシ斬リ  作者:
2. ゲンペイコギク
9/24

かつての人、前のひと、今のヒト

今回は、ちょぴっとだけこの世界の謎について触れています。


 ゼンじぃの奇声が無人の道路に響き渡ってから、二時間ほど時間を下る。


 湿気が多くて火起こしは大変だというのに、リトル・ミスが何やかやと邪魔をしていたので、紅暁がようやく火をつけた時には雨さえ止んでいた。雲もいくらか散って星が瞬く空の下、ゆらゆら揺れる炎の先を見つめながら、タケルは今何時なんだろうと唐突に思った。目覚めてから、時間を気にするのは初めてではなかろうか。


 後ろには冷蔵庫やらタンスやらの不法投棄物が山を形成していた。今はもう闇に呑まれて見えないが、その山のあちこちに草や花が生えているのも確認できた。改めて自然の力には驚かされる。



 驚くといえば。



『どこだよここ……』


 炎を見つめ抱えた膝の上に顎を乗っけながら、隣で逆向きに座っているリトル・ミスに聞こえないよう小さく愚痴る。今の自分の意思疎通方法である思話とやらで、相手に聞こえないようにつぶやくということができるのかは不明であるが、そこのあたりの事情は置いておくとする。


 途中から、どれだけ回り道をするつもりか、と聞く気も失せた。どうしてもっと早くおかしいと思わなかったのか。気づくポイントならいくらでもあったはずだ。変な軌道を描いて飛ぶ道路標識、風を斬る誘導棒、なぜそうなったと言わざるを得ない蜘蛛足キリン、人面トラ、ダッシュババア。リトル・ミスの中で俊足の老婦人は動物のカテゴリーらしい。


 そして今である。



「マロそっちそっちそっち行った! 右! じゃなくてごめん左だった走れ走れ走れ走れ走れ周りこめ! そこのレンジ壁にして追いつめて! 行け行け行け行けもうちょっともうっちょっとってあぁああぁああああぁああ~~!! バカ竹光! 邪魔しないでよ、このあんぽんたんのおたんこなす!」



 たまたま薪用の枝を持って通りがかっただけでこの言われようである。しかし当の紅暁にとっては竹光呼びの方が癇に障るらしく、「いい加減名前で呼んでくれませんか」と言いつつぶんむくれている。その足と足の間をしっぽが長いネズミがにょろりと通り抜け、あとを追い今度こそと頭から飛び込んだマロは首あたりでつっかえてじたばたしていた。




 マロのばたつく様子を目を丸めて見ていたタケルだが、とりあえず放っておくことにする。それより現実問題に向き合おう。


 実にわざとらしい咳払い、

『あ、あの、』


 そのまま一回転しそうな勢いで首を捻じ曲げるリトル・ミス。


「なに?」


 とたんにタケルは赤面して怖気づいてしまい、


『あの、今ここって、あの小学校からどれくらいの距離なんでしょうか』

「わかんない」

 所詮ダメもとの質問だったが案の定だった。それでもタケルはめげずに、


『その、このあたりに見覚えは』

「ない」

『ええっと、き、北はどっちですか』

「あっち」

 北斗七星はリトル・ミスの後頭部の方向で瞬き、

『……明日はどこ向かっていくんです』

「棒転がして倒れた方向でいいとおもう」

 この辺で紅暁が炎に枯れ枝を突っ込み始めた。


 リトル・ミスは、がっくりうなだれるタケルの右回りのつむじを見つめながら、

「学校には、そんなに急いでたどり着く必要、ないとおもう」

 タケルは微動だにしない。

「それより、あなたのことを思い出していくほうが、大切なんじゃないかな」

『……思い出すために、学校に向かってるんじゃないですか』

 そのつもりだったんだけど、と言いつつ、リトル・ミスは体の向きを変えてタケルに向き合う。



「お昼ごろの、ちょっとだけ記憶を取り戻したときのあなたをみて、考えたの。あなたはなにか、記憶に関連するものを見るとかいうきっかけがあれば、けっこうすんなり思い出せるみたい。だったら学校に着く前に、その辺を歩きながら、記憶をある程度思い出す方がいい」



 彼女が言うには、意識体が死の自覚を持った時にいた場所こそが、最終日直前にいた場所――つまり死に場所なのだそうだ。つまり、タケルにとってそれは小学校であり、あの場所に戻れば、まず間違いなく死ぬ直前の記憶を思い出すことになるといえる。



「死んだときにいた場所。そこに至るまでに、自分がなにを考えて、どんな経緯を経てきたのか。それをちゃんとあなたのなかで整理してから、あの小学校に行っても、遅くないんじゃないかな」



 タケルはひどくゆっくりとした動作で頭を上げる。目を凝らしてよく見ないとわからないくらい、かすかに笑うリトル・ミスの顔がそこにある。



「それらしいこと言ってますけど、要は迷ったからその辺うろうろしながら目的地探そうってことですよね」

「言っちゃだめ」

『?』



 きゅうきゅう甘え声をたてるマロが、リトル・ミスに飛びついてくる。もはや完全に心を許しているようで、どうにかして背中を掻いてもらおうとして、彼女に身をよじりながらすり寄っていた。リトル・ミスはマロを抱き上げて炎に向かい合う。横座りしてその膝上にマロを乗っけ、ここ?と聞きながら右手を動かし始めた。


「とりあえず、今日はここまでですね。そっちもこっちも睡眠は要りませんし、万一があっても死にませんが、明かりもないのに歩くのはお嬢が危険ですし」


 言いながら、紅暁は腕ほども長さと太さのある木の幹を人差し指の先に乗せた。と思えば、予備動作を何ひとつ起こさなかったのに、幹はぱきりと四つに裂けて地面に転がる。ぎょっとするタケルを尻目に、紅暁はひとつひとつを拾いながら火の中に放り込んでいく。




 タケルは見なかったことにして、話題を変えることにした。


『ずっと、不思議に思っていたことがあるんですけど』


 特別知りたいと思っているわけではなかった。彼女と何か話したいという衝動が、頭の片隅に残っていた疑問と結びついただけだった。


『えっと、広瀬さんは崩壊音って言ってたんですけど、音響兵器による音を聞いたせいでおれたちは死んだんですよね? どうやって人類が全滅を免れたかっていうのも気になりますけど、おれはどうして、今の人たちが声で話せないのかという方が興味あります。音が聞こえなくなった、ならまだわかるのに』


 失言だった、と思った。


 表情も、場の空気も、ひとつとして張り詰めたものはなかったけれど、それはそれは長い沈黙が続いたのだ。リトル・ミスはまばたきもマロの背中を掻く手も止めて、踊る炎の向こうに広がる夜を見つめたまま動かなくなった。紅暁は切れ味の鋭そうな眼を細め、雲の多い夜空を見上げ静止する。どちらの顔からも、その胸中に浮かぶ思いを見て取ることはできなそうになかった。


 タケルは慌てて、

『す、すみません。深い意味はないんです。しょうもないことを聞いてすみませんでした』

 きっと今の人たちにとってはタブーなんだ、という結論に達して、それを疑いもなく飲み込もうとした矢先だった。




「今生きている人たちは、幸運なの」




 聞き漏らすかと思うほど小さな声だった。

 リトル・ミスを見る。紅暁があの手この手の妨害工作をさばきつつ、ようやっとともした朱色の炎が、下から彼女の横顔を照らしている。


「わたしは、この世界を望んだひとが誰か、どんな方法でこんなことをしたのかは知らない。でも、何をしたかったのかは、なんとなくわかる気がする」


 マロは既に、ぷー、ぷーと鼻息を鳴らしながら眠りこけている。



「終わりの音が消えてすぐからね、生き残った人たちはもう思話で話すことができたの。意思の疎通方法は変わったけど周りに話す相手がいないから、あまり不便を感じる人もいなくて、誰もそのことを気にとめなかった。それよりも大変な問題がいっぱい、いっぱいあったから。だけどね、みんながないがしろにしたこれが、人にとって一番大事なことだったの」



 広瀬のテレビ、見たよねと、確かめるように言う。



「あれと同じことが起こっていたことに、ほとんどの人が気付かなかった。今でこそ、思話は声なしの声だけど、ほんとの、ほんとの思話はね、相手の声なんてだれも聞いていないの。相手の身振りとか、目線とか、表情とかから、自分が勝手に解釈して、こう話しているのかな、って無意識に予想した言葉が、頭に直接聞こえる相手の声として、誤認されるようになっただけだったの」



 広瀬のテレビ。本筋から斜め上に突き抜けて語られる、しかし妙に画像とはつながっている物語。

 最終日直後の人たちが行っていたという、目の前の人が伝えようとすることが何であれ、徹頭徹尾、自分の中だけで完成される会話。


 意識体と同じだ。自分にとって都合のいいものしか見えないし、聞こえない。



「もちろん、相手と話がかみ合うわけないよね。気持ちのすれ違いが、なんとか生き残った人たちの間で次々と起こって、なくていい争いが起こって、散らなくていい命が散って。やっと出会えたじぶん以外の人と別れることがなんべんも、なんべんも起こったの。そうやって人の数はみるみるうちに減っていって。もう終わりだ、人はおしまいだ。……そう思い始めた時に、奇跡が起きたの」


 紅暁が口をはさむ。

「奇跡なんかじゃありませんよ、必然です。この地球に生まれた生き物がこれまで繰り返してきたことと、いっこも変わりませんよ。環境に適応できたものだけが生き残るんです」


 しばしの黙考のあと、リトル・ミスは頷いた。



「そうだね。ほんとにその通り。たぶん、今の付喪神も、そうして生まれたんだろうね。……あのね、いつからだったかはもう思い出せないんだけど、今みたいな思話ができる人が出てきたんだよ。相手の声を聞き取れる人が、ちょっとずつ増えていって。たぶん今は、生きている人の大多数がそうなんだと思う。それでもやっぱり、一旦減りすぎた数はもうどうにもならなくて。もうすぐかもしれないし、ずっとずっとあとかもしれないけど、わたしは人がいつか全滅する気が、すごく、すごくする」



 たぶん、この世界を望んだ人は、きっととってもひとりぼっちだったんだと思う。そうリトル・ミスは続ける。



「だから、誰も彼もを、ひとりぼっちにしたかったんじゃないかな。それで、自分のさびしい気持ちを分かってほしかったんじゃないかな。わたしはそう思う」

 マロの上に置いていた手を地面に下ろした時に、反魂鈴がかすかに鳴った。

「わたしが、この鈴の音を聞き取った人だけを助けるっていうのも、つまりはそういうこと。聞こえない人は、助けられないの」


 話を聞いているうちに、新たに生まれた疑問がひとつある。


 最初に出会った時に抱いているべき疑問だった。でも、会った時から今の今まで彼女に感じる不可解さが、それ以上先を考えることを許さなかった。「リトル・ミスだから」で完結する答えの方が、はるかに納得しやすかったのだ。



 幽霊の自分に触れる手。

 過去の人類の過ちを直に見届けてきたかのように語るその唇。

 なにより、のどから発せられる、本当の声。




 あなたは、なに。




 出し抜けに申し訳なさそうな笑みを向けられて、タケルは飛び上がらんばかりに驚いた。


「ごめんね。暗いときに暗い話、するものじゃなかったね。ほんとうにごめんね」


『え、……あ、あぁあぁ! い、いいんですいいんですこちらこそ! っていうか、おれが勝手に聞いたせいで、その、あの、こういう話になって、えっと、』


 それ以上言葉が続かずタケルは黙り込んだ。リトル・ミスもまた視線を炎に移す。話す間も、ちょくちょく紅暁が枯れ木を継ぎ足していた、一抱えくらいの範囲で燃える炎に。


 その視線がほんの少しだけ、浮いた。


「ねえ」


 ほのかに微笑みながら、指を持ち上げ、


「あれ、見て」


 考えるより先に彼女の視線を追った。

 なぜ自分の記憶なのに、彼女の方が早く気づいたのだろうと、ずっと後になって思った。



 焚き木の向かい側で、じゃれあう少年と少女がいた。



 子犬を拾った時よりふたりとも成長していて、背も伸びている。タケルと少女は歳がやや離れているらしく、記憶のタケルがもう少年から青年へと移り変わっていっているのに対し、少女はまだいとけない。ただ、時折垣間見える柔らかい笑顔は、何もかもをぬくもりで包みこむような不思議な魅力があった。


 少女がその笑顔を見せるたびに、記憶のタケルは顔に出そうになる感情の色を押し隠そうとして、口元をへの字にひん曲げてそっぽを向く。


「青春の一コマってわけですか。青いですね、どちらも」


 その辺の草を引きちぎって炎の中に投げ込みながら紅暁が言う。幽霊タケルは肯定も否定もせずに、在りし日の自分たちを凝視している。去年のセミの幼虫が空けた穴に、紅暁が集めた枝をねじ入れ始めたリトル・ミスの背後に影が現れた。小ぶりの衣装箪笥で、表面に顔の目やら耳やらがばらばらに浮き出ている福笑い状態であり、まともに人の形もとれていない。がぱあと観音開きの扉を開き、のしかかるようにしてリトル・ミスに食いつこうとした刹那に閃く太刀筋、声を上げることも叶わぬまま付喪神は真っ二つになり左右に転がって派手な音をたてた。


 しかし、誰一人として振り向かない。相も変わらずタケルは記憶を見つめ、紅暁は火の番をしながら背中から浮き出た白刃を体内に戻し、そしてリトル・ミスは三本目の枝に手を伸ばしていた。

 ぱち、ぱちと、火の中の枯れ木がはぜている。


‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥


 リトル・ミスが話したことは、大枠においてすべて正しい。最終日のあとも続いた、人と人のすれ違いも。その中で生まれた、わずかな希望のことも。それでも、人類はいつか絶滅するだろうことも。

世界を滅ぼした誰かの望みも。


 今なお、自分の内側の声しか聞くことができない人がいることも、すべて。



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