戌シリーズ
今回は少々長いです。ご容赦を!
危ないから、と繰り返し言った。死んじまったらあんたの夢もおじゃんなんだぞ、とも言った。もう知らん、と帰る素振りを見せても、ゼンじぃの決意は揺らがなかった。
本当に帰ってしまえばよかったと、現在進行形で後悔している。
また雨が降ってきていたし、日が落ちかけて本格的な夜がすぐそこまで迫っていた。邪魔な分の包帯をほどいて、リトル・ミスとは反対方向に三時間以上歩いてねぐらに寄り、事情を話して、そして今度は次の目的地に着くのにを一時間もかからなかった。
近辺を警戒してほしくて話した話が、また新たな「頼みたいこと」を作るとは思ってもみなかった。当初の「頼みたいこと」は、きっと明日に持ち越しになるんだろうなと思うとげんなりしてくる。
遠目からでも見えるようになってきた砕けたアスファルトと、四散したアメ車の残骸と、ぶった斬られたファミリーカー。そして。
『見えるかゼンじぃ、あそこだ』
横たわった死体を見たとたんにゼンじぃの顔つきは激変した。まるで自分がそうされたかのように、ただでさえしわだらけの顔をくしゃくしゃに歪めて、
『お、おぉおおおぉおおぉお』
水晶が引き止めるのも間に合わなかった。バイクから降り、二足歩行する犬みたいな格好で、真っ黄色の雨合羽を着た善三じぃやん――ゼンじぃは、戌―漆参式裂空のもとに駆け寄った。どうしようもなく破壊されたその機体を見て、確認をとるまでもなくそれが起動停止したことを悟り、オイルまみれになることもいとわずクソでっかい体に取りすがっておいおい泣き始めた。
やっぱ変人だ、と思う。
今会ったばっかのロボットが動かないことがそんなに悲しいのか。
理屈ではわかっているのだ。ゼンじぃは筋金入りのロボマニアで、たったひとりであの屍山で今も墓穴を掘っていて、生きているロボットに会うことを終世の悲願としていることは。あとは感情と広瀬の価値観が理解できていないだけなのである。
今後も理解できそうになかった。
とはいえ、これだけボコボコにやられた姿を見れば、広瀬とて痛む胸がないわけではない。しかし、リトル・ミスは必要以上に相手を痛めつけることはないから、ここまでやらなければこいつは止まらなかったということだろう。戦闘ロボットとはそういう存在なのかと思うと鳥肌が立った。
やはり理由もなく殺されかけた広瀬としては、恐怖の方が大きいのだ。
『で? ゼンじぃはどうしたいんだ』
ゼンじぃはまだ泣いている。
『じいさん、』
ゼンじぃはまだまだ泣いている。
『おいこらジジイ! どうするかって聞いてんだよ!』
ようやく聞こえるかすかな声、
『連れて行ってくれ』
『ならさっさとどいてくれ。そんなに泣くと干からびちまうぞ』
雨音にかき消されないくらい大きな音でぐずぐずと洟をすすりながらも、とりあえずは広瀬の指示に従うゼンじぃ。広瀬は乗ってきたハーレーから礼を言いながら降り立ち、右のハンドルに引っかけておいたぶっといワイヤーの束を手に取った。広瀬が乗ってきたハーレーの他に色違いの同機が二台付き従ってきており、そいつらは戦闘ロボットが珍しいのか恐れることもなく近づいて周りをぐるぐるしている。『てめえら仕事の邪魔すんじゃねえよ』とでも言っているのか、広瀬を乗せていたハーレー(赤)が勇ましくアクセルをふかすやいなや、二台(青と黄色)はすごすごと引き下がっていった。
この三台は、この辺に住む人たちの足代わりになっている付喪神である。偶然の鉢合わせついでに、ダメもとで協力してくれるよう頼んでみたら快く了承してくれた。付喪神であることには間違いないのだが、タケルはまだ人の姿の彼らを見たことがない。
本当に止まってるよなこいつ。
かっこ悪いが、確かめずにはいられない。転がっていたワイパーを拝借し、すぐにでも逃げ出せる態勢で裂空の太ももを軽く突っついた。今度は少し手荒に叩いてみる。反応なし。
不意打ちを狙ってるとか、疑い出したら作業が始まりそうもない。
度胸一発覚悟を決めて、裂空の傍らにひざまずく。水晶もそのあとに続いた。
右腕は吹っ飛んでるから左脇から通すことに決めて、手早くワイヤーを巻き付けていく。
『しかし、戌シリーズの漆参式とはのお。この歳で、ここまで原型に近いものにお目にかかれるとは思わんかったわい』
視界の端、道路の脇に、ふたりの意識体がいる。私はヤク中ですと言っているようななりのオールバックが初老の男性相手に、言い掛かりもいいところなオレサマ理論でぶつけられた車の賠償金をせしめようとしていた。隣の水晶が、袖で汗だか雨だかわからない液体を拭き取ってくれた。礼に唇を彼女の額に押し当てて、
『あのさあ、時たまそういう話聞くけど、そんなに戌シリーズってのは珍しいもんなの? 原型ってどういう意味だよ』
ゼンじぃは反対側にちょんと体育座りしながら、裂空を穴のあくほど見つめている。
ため息、
『知らんのか。まあ、興味がない者にとってはタイもイワシも魚ということかの。あのな、』
戌シリーズとは、その昔、それこそダイサンジ勃発から一年そこらで、識堂工房の昼部靖親率いる開発チームが作り出した戦闘型ロボットたちのことである。戌は犬の意で、試作の初起動の前日に、昼部の夢枕に白い狗神が現れたことから急きょつけられたものだという。戌の次に続く○○式、というのは製造年を示し、その次に記されるのが銘である。
『こいつらのなにが他の戦闘ロボットと一線を画していたかというとな、まず単純な戦闘力が桁違いだったことは言うまでもないが、AIを搭載していたことが画期的じゃった。AIわかるか? 俗にいう人工知能のことじゃぞ。戦えば戦うだけすり切れて使いもんにならなくなる他の武器と違い、場数を重ねるたびに強くなる武器じゃ。そりゃあ敵にとっては脅威じゃったろうて。とある戦場では、ダイサンジ終結直前まで最前線で戦う超初期の戌シリーズもいたそうじゃ。見てみたかったのお』
それでも作り物の脳みそであることには変わりなく、最初の方は誤作動も多かったようである。特に多かったのが敵と味方の判別がつかず、誤って味方を殺さないようにと安全装置がはたらき、一時停止するというものだ。一時停止と言ってもわずか数秒であるが、この停止中に敵方のロボットに破壊されるというのが、戦局悪化後の戦場でのお決まりパターンだったそうな。
『靖親は悩んだ。味方兵の命か、敵兵殲滅のための効率性か。悩みに悩んだ挙句、靖親は後者を選んだのじゃ。……確か、伍玖式碧空からだったかの』
自身が破壊される恐れがあると判断した場合や、そうコマンドされた場合などに限るが、視界に入るものを見境なく破壊するという殲滅プログラムが、基礎的に組み込まれたのだという。殲滅プログラム発動時は目が深紅に染まり、戦場も同じ色に塗りつぶされたそうだ。このイカれたプログラムにより凶暴性が高まった戌シリーズは、ダイサンジ終結まで長らく戦場を駆け回ることになる。
『そして、訪れた終戦じゃ。無論平和に一番必要ないのは殺戮マシーンじゃな。哀れ戦場の鬼神とさえ呼ばれた戌シリーズは、一機も残らず廃棄処分と相成ったわけじゃ。最後に製造されたのは捌零式流空だったはずじゃがの。原型とはそういう意味じゃよ。たいてい見つかるのは頭や指などのごく一部で、当時と同じく人型をしているものはそうないのじゃ』
『ちょっと待てよ』
頭はともかく指だけでわかんのかよ、という突っ込みはさておき、
『なんで廃棄処分になった戌シリーズが今もまだあるんだよ。今日襲ってきたこいつ、完全に五体そろってたぞ』
ここで今日初めて、ゼンじぃがにやりと笑う。黄ばんだ乱杭歯のせいで迫力は倍増しだった。
『そこはほれ、どの話にも抜け道はあるっちゅうことじゃ。いい実例が、まさにわしの城、屍山じゃよ』
屍山は通称で正式名称ではない。ありていに言えば元ロボットのスクラップ工場で、最終日直前頃になるとそこに積まれるのは家庭用ロボットが主だったが、開戦から終戦直後にかけては戦闘ロボットの墓場だったそうだ。
解体待ちの戌シリーズもここへ運ばれた。
『戦場最強を謳った戌シリーズじゃ。見る目がある者にとっては破壊するなど論外であったろうよ。単純に金になると思ったものも少なくないじゃろうがな。そういうわけで、ごく少数であるが戦後も生き延びた者どもがおって、最終日後のこの世界にも確かにおるということじゃ。どうじゃ、お前も少しはこの道に興味をそそられたかの?』
『ワイヤー巻き終わったからどいてくれ』
ゼンじぃは素直に従った。ここについた当初のしみったれた雰囲気はもはやなく、話しているうちに通常運転に戻ったようだった。
水晶の手も借りてやっと完成だ。裂空に巻き付けたのとは反対方向に三つの輪っかを作った。ここをハーレー三すくみに括りつけて、屍山までズリズリ引きずってもらうという寸法である。それからあとはゼンじぃの仕事で、穴を掘り裂空を埋めて眉唾物のお経を唱えたら終いだ。
酔狂だな、と思う。
人のこと言えないけどな、とも思う。
テレビ屋も葬儀屋も、あろうがなかろうが誰ひとりとして困らないし、闇に葬られたとしても誰も気づくまい。それでも自分たちには、この世界に生きている理由が必要なのだ。
今、この世界に求められている仕事は、縁斬り屋だけなのかもしれなかった。
――――そういえば。
雨はまだ降りやまないが、あたりはもう夜にどっぷりと浸かっている。雲のせいで月も星も見えないので、ランプの明かりだけが頼りだ。水晶が気を利かせて一緒に持ってきてくれたのである。いい女だと改めて思う。
『今頃、どこいんのかなあいつら』
旧小学校とやらには着いていない。これだけは百パーセントの自信を持って言える。リトル・ミスは筋金入りの方向音痴なのだ。その上にとびきりの気分屋でマイペース、目の前できれいな翅の蝶が横切れば必ず追いかけていく口である。紅暁はそのあたりに釘を刺すことをはなから諦めているし、タケルはあの性格から鑑みると、文句は言うかもしれないが最後は彼女のペースに付き合ってやるのではないかと思う。どっちが仕事人だ、と突っ込みたくなる風情が、今にも見えてきそうな気がした。
『おぅ、ひとりでにやつくでないわ。さっさと出発せい』
御年七十八の干物ジジイがハーレーダビットソンにまたがる姿は、誰がどう見てもギャグである。
『へいへい』
行きと同じに、広瀬は赤に乗る。水晶はおっかなびっくり黄色だ。『重いだろうが頼むな』と声をかければ、頼もしいアクセル音を響かせて赤が発進し、青と黄色がそれに続く。これだけのデカブツを引いているのに、それなりにスピードがある。汗が急速に冷えて逆に肌寒かった。
『ああ、それと。忘れんうちに言うておくな』
『なんだよ!』
風の音にかき消されないように叫ぶ。
『一番危険なのはあの小さいお嬢さんじゃろうが、お前もこれから用心せぇよ。なにかしらの意趣返しがあるかも知らん』
『んだよ意趣返しって』
『見て気づかんかったか? 戌シリーズは間違ってもお洒落さんではないからの。最終日までは誰かに大事にされとったとしても、それ以降は大体野ざらしじゃったろうよ。その割にはこやつ、ボディがきれいに磨かれておるとは思わんか? こやつの腕の赤文字も見たろう。剥げたところが一切ない。おそらくつい最近書かれたものなんだろうよ。そうは思わんか?』
後ろの夜闇を振り返る。今はハーレーたちのヘッドライトがあるので、ランプの灯は切って裂空と一緒に括りつけてある。重々しい夜の色は、指一本分の先の景色さえ見せてくれなかった。
殲滅プログラムが発動する時の条件。自身が破壊される恐れがあると判断した場合と、そうコマンドされた場合。
そうコマンドされた場合。
これだけ深い暗闇なのだ。きっとお化けの姿さえもその黒で塗りつぶしてしまえるだろう。ましてや、ちょっと前に誰かに拾われて、ちょっと前に誰かに磨かれて、ちょっと前に誰かに血の赤で筆書きされたはいいがついさっきボロカスにブッ壊された、そして今まさに墓送りにされている最中の戌―漆参式裂空など、そのあまりにも濃い黒に溶かされて消えているのかもしれなかった。
そうであってほしかった。
『こやつの主人、他にも戌シリーズのロボットを連れておるとええのお。夢にも思わんかったことじゃが、もしかすると戌シリーズの戦闘を見れるかもわからん。ほんに、長生きはするもんじゃのお』
妖怪じみた笑い声が、カエルの合唱と共に夜中の道路に木霊する。
本当に帰ってしまえばよかったと、海より深く後悔している。
次回はまた縁斬りコンビ&タケル勢へと視点が戻ります。