縁斬り屋
まだ説明終わってないの、と少女は言った。
文句があるなら最初から自分でしろ、とミイラが返す。
全体的に錆びているし雨漏りもするが、まだそれなりに形の残っているバス停である。何より屋根があり、鮨詰めにならずに五人が入れるところが大きい。あの場所に留まるのは危険と判断したので、歩いて一時間ほどの距離にあるこの場所で、とりあえず雨をしのいでいた。
屋根も三方を囲う壁もトタンで、元は青色だったろうに今は赤錆の浸食がひどい。入ってすぐの背もたれ付きのベンチには、かろうじてそれとわかるボンカレーとオロナインのホーロー看板が両端に立てかけられている。松山容子と浪花千栄子の笑顔に挟まれて、全身を包帯で巻き巻きにされた広瀬はむっつり座り込んでいた。湿度が高く蒸し暑いことも災いして、玉のような汗がどくどくと湧いては滑り落ちていく。
『助かったと思った瞬間にまた死ぬかと思ったぞオレは』
「生きてるだけめっけもんだと思ったらどうですか」
腕を組んで壁にもたれかかりながら紅暁。バス停の外に見える豪雨を見入ったまま微動だにしない。
「あのロボット、発射口にはほとんど弾が入っていないようでした。あれでぎちぎちに詰まってるようだったらその程度ではすみませんでしたよ。本当に運に生かされたようなもんです」
隣に座る水晶が恐ろしさに身を震わせる。また泣き出しそうな顔をする彼女の手を握りながら、『大丈夫だから、な?』と広瀬が諭しながら抱き寄せた。心配させたくないからというのがもちろん第一ではあるが、これ以上包帯を巻かれると脱水症状を引き起こすか窒息死するかもしれないという危惧も多分にあった。愛が重いとはこのことである。
『だったらさあ、あいつの腕斬り落とすとかさ、まだなんか方法あったはずだろ』
なおも食い下がる広瀬に紅暁はにべもなく、
「そうなると、槍の自重が慣性の法則に従っていたと思われますが」
ぐう、とのどを詰まらせる。その広瀬に背を向け、膝を抱えて地べたに座る少女は、屋根にたまった雨水が滑り落ちていく様を何とはなしに見つめている。紅暁の向かい側の壁際に立つタケルは彼女にかける言葉を探しあぐね、最初の一言がどうしても出てこない。
切り出したのは広瀬だった。
『一通りは話したからな、リトル・ミス。あとは自分で話してくれ』
一分以上は間があったように思う。
聞こえていないのかと思い、再び広瀬が口を開きかけたちょうどその時に、リトル・ミスは立ち上がる。
顎を上げて、タケルの目を射通すような視線をまっすぐ投げかける。
どきりとした。
思わずつばを飲み込んだタケルから目をそらさずに、リトル・ミスは左手の人差し指を屋根の外にあるバス停の標識へと向けた。
「あれ、見えてる?」
つり込まれるように指の指す先を見る。時刻表を覗く者などいなくなって久しい、黄色の塗装が八割がた剥げている、何の変哲もないその標識。
見えてる、と言いかけて、止まった。リトル・ミスが言う「あれ」が、標識のことではないとわかったからだ。
肩掛け鞄をぶん回しながらはしゃいでいる、小学生くらいの男の子がふたりいた。
人間じゃないと一目でわかったのは、彼らが青みがかった半透明であるからで、自分も今はああいう姿になっているのかと思うとぞっとする。
『……見えてます』
うん、という感じにリトル・ミスは頷いて、
「さっきは見えなかったでしょ、ああいうの」
そもそもいたのか、とタケルの表情が言う。「いたんだよ」とリトル・ミス。
「いま、この地球を埋め尽くしているのは、ああいうものたち。普通は、ひとのも、犬のも、猫のも、みんなみんなひっくるめて、意識体っていうんだけど、あなたみたいに死の自覚があるものたちを、特別に幽霊って呼んでる」
死の自覚。
『あの子たちは……?』
片方の鞄が相手の顔面に直撃した。当たり所が悪かったのか、男の子のまなじりにみるみる涙がたまっていく。友達の内側でくすぶり始めた怒りに気づいていないのか、もうひとりの子は口で謝りつつ半笑いで近寄っていく。
「あの子たちの時間はとまったまま。ずっとずっと、毎日毎日、魂の寿命が潰えるまで、1999年のあの日を繰り返す。こっちがなにを言っても、なにをしても気づかない。だって、意識体は自分にとって都合のいいものしかみえないし、きこえないから」
幽霊にも、その傾向はあるという。当初はオカルトじみたものの存在を認めていなかったタケルの目に、他の意識体が映らなかったのはそのためだと。しかし意識体と比べれば幽霊のそれはまだしも、なのだとか。
見た目だけでは、意識体と幽霊を見分けることはできない。だからこそのこの鈴だと、リトル・ミスは例の腕輪を一度だけ振ってみせた。
『オレ言わなかったかな。そんな色気のない名前より、反魂鈴とかの方がよっぽど恰好がつくって』
「イタい中二のセンスをお嬢に押しつけるな斬るぞ」
紅暁の敬語は気分で抜ける。
リトル・ミスは茶々をきれいさっぱり無視したので、タケルも申し訳ないが便乗させてもらうことにする。例の男の子ふたりは、ついに鞄をぶつけられた方の手が出て、殴る蹴る引っ張るの大乱闘が勃発していた。ケンカを止めるべきか否か、水晶はおろおろしながらその成り行きを見守っている。
『あの、』
今なら答えてくれる気がした。それでも、今胸に巣食う疑問を簡潔にまとめるのはとても難しかった。悩みに悩んだ。
言う。
『おれをどうするつもりなんですか』
言葉にしてしまえばそれだけだった。
リトル・ミスは即答する。
「成仏させる」
幽霊たちをこの世に留めているのは、今も昔も心残りなのだと彼女は続けた。
「幽霊と意識体との、決定的な違いはそこ。根本的な違いともいえるかな。意識体は、自分の死を知らない、または受け入れられずに、この世をさまよっている魂。幽霊は、ものすごく強い心残り、という未練があるために、この世にとどまっている魂。だけど、幽霊は、ものに干渉できない。そこは意識体とかわらないこと。ただ、そこにいるだけの存在。だから、わたしと竹光が(ここでなぜか紅暁がものすごく嫌そうな顔をする)、幽霊がこの世にのこしているこころ残りを代わりに晴らす。それでやっと斬れるようになるの」
なにを、と聞きたかったのに、また広瀬が、
『なあなあ、やっぱさあ、あんたらのその仕事にも名前つけねえか? オレめっちゃかっこいいの思いついたんだ。縁斬り屋! 縁斬り屋ってどうよ?』
「勝手にどうぞ」
面倒そうに紅暁が答える。なんだかそちらの方に気がそれてしまって、また新たな疑問がわいてきたので聞いてみることにする。
『広瀬さんは? その、縁斬り屋とは関係ないんですか?』
ああ、と返す。
『無郷のあたりで、たまたま一緒になってな。それからは成り行きで。言ったろ、オレらはテレビ屋だって』
リトル・ミスも広瀬も、職種は違えど各地を旅しながら回っているのだそうだ。広瀬は、自分たちは数か月に一回の頻度で土地を移動しており、ここにはもう一か月ほど滞在しているのだと付け加えた。
『ついでだしオレも質問。例えばだけどさ、幽霊の心残りがさ、恋人と結婚して死ぬまで一緒に過ごす~、とかだったらどうするわけよ?』
「ハネムーンはフランスに行きたい」
「お嬢、前言ってたサグラダファミリアはスペインですが」
新婚ライフから満喫するつもりらしい。
『相手が女だったら?』
「お墓は海が見えるとこがいいな」
「入れさせませんから絶対に」
墓まで添い遂げるつもりらしい。
「そういうわけだから」
ずい、と、リトル・ミスが顔を近づけてくる。身長差が結構あるので鼻先が当たる、なんてことはないが、それでも自分の領域に突然入ってきた、やはりどこか懐かしい気がするきれいな顔立ちに顔が火照る。
「話して。あなたは、どうしてここにいるの?」
紅暁が、やっと本題に入った、というような顔をする。広瀬も興味津々といった風に身を乗り出し、水晶だけはそんなことより広瀬の体が心配らしく、眉が気弱そうな八の字になっていた。
もし生きていたのなら、自分は今全身に冷や汗をかいているのだろうとタケルは思う。
この世界をどうにかこうにか理解した矢先に、絶望的なほど大きな問題があることを、自分の口から話さなければならないとは。
あまりにも長い沈黙に、広瀬が次第に眉根を寄せ始める。
『おい、どうしたよ』
言わなければ。
『…………あの、』
息を思いっきり深く吸って、
『申し訳、ないんですけど』
なぜ、小学校にいたのか。最終日のあの日、何をしていたのか。家族はいたのか、友だちは誰か。
何も思い出せない。
タケルは記憶喪失だった。
次からは第2章です。ようやく物語が動き出します。